2007年 8月1日 (水)
「のっぽのヤン」から降りてその近くに在るミドルブルグでほぼ唯一のジャズカフェに落ち着いた。 そこには今は既にこの何年も唯売らんかなだけの方針から中身も装丁も「癒しとリラックスのジャズ」におちたジャズ誌の転換前のバックナンバーを揃えており私がまだオランダでジャズを聞くのを再開する以前の80年代からのオランダジャズ誌の様子を概観するのに役に立った。そこで静かにBGMとしてながれるECM系のジャズで雑誌を読んだり読み続けている文庫本のページを繰って2時間ほど過ごしてからこの町の目玉でもある旧市役所の広場、マルクトのカフェで「百姓のオムレツ」とビールで昼食を摂った。
食後旧市役所の建物の隣にある食肉業者の集会場でもあったのだろうミートホールとでも言うような名前がついた建物で日本人の芸術家が会場を真っ暗にして大スクリーンに幾何学的なデジタル数字に信号を交えたものを流しているインスタレーションを見た。 多分これが日本でも先端の、この何年もヨーロッパ各地でみられるトレンディーな芸術なのだろう。 ただ、ここでも説明が今までのステレオタイプの域からでない技術先進国の無機質な日本のイメージを再生産することに貢献するぐらいでしかない鵺のような顔の見えないような気がした。 作家の顔は見なくても想像できるような気がした。 それもステレオタイプでみるのだけれど。
そこを出て広場を斜めに横切りメディアのソフトのデパート、本屋と各カフェーにゲームソフトを除くCDにDVDを売る店に入って見渡して買ったものは相も変わらずCDだった。
Ahmad Jamal Trio
Complete Live At The Persing Lounge 1958
Gambit Record 69264
Buddy DeFranco And The Oscar Peterson Quartet 1954
OLP#4 222969-203
Beethoven: - Triple Concert, etc. 1969
Oistrakh,Rostropovich,Richter, von Karajan, Szell
EMI 7243 5 66902 2 6
とりわけ嬉しかったのはこの30年以上ときどき聴いてはなごむアーマッド・ジャマルのLPの残りの部分が合わさってCDとしてあったことだ。 ポインシアナを含むジャマルのラウンジピアノは、エロール・ガーナーがクリント・イーストウッドが市長になるはるか以前にやはりその町で録音した「海辺のコンサート」と題したイーストウッドが初めて監督した映画の中にもあった景色とほぼ同じカーメルの海岸をジャケットにしたLPと並んで私が愛聴するものだ。
自転車を押しながらぶらぶらと歩いてこの町のユダヤ人墓地のそれもユダヤの通りと名のついた小路にすむ私のオランダでの叔父とも言うべき画家の家を10年以上ぶりに訪れてベルを押しても返事が無く窓から覗いても整った居間の自作の絵にも変わりないから、それではとメモ帳に近況と近くに来ている旨を記してドアの隙間に差し込んだ。 3軒ほど先にこちらを眺める婦人がいるので知人とそのパートナーの近況を訊ねて変わりないことに安心した。 2年ほど前に彼の回顧展がこの島の北にある海水浴場の小さな美術館で家族ともども会った折にはパートナーが乳癌の闘病中でもあったことから画家の不在がそれに関係しているのではと心配していたからだった。 けれど、これも杞憂に終わって喜び、この日はこれで、とまた自転車に乗り6kmのほぼ直線コースを引き返し我々の借家にもどったのだが、家の女どもはまだ海岸に寝そべって母娘のヴァカンスを私のあずかり知らぬことであるけれど想像のつきそうな過ごし方をしていたのだった。
「のっぽのヤン」から降りてその近くに在るミドルブルグでほぼ唯一のジャズカフェに落ち着いた。 そこには今は既にこの何年も唯売らんかなだけの方針から中身も装丁も「癒しとリラックスのジャズ」におちたジャズ誌の転換前のバックナンバーを揃えており私がまだオランダでジャズを聞くのを再開する以前の80年代からのオランダジャズ誌の様子を概観するのに役に立った。そこで静かにBGMとしてながれるECM系のジャズで雑誌を読んだり読み続けている文庫本のページを繰って2時間ほど過ごしてからこの町の目玉でもある旧市役所の広場、マルクトのカフェで「百姓のオムレツ」とビールで昼食を摂った。
食後旧市役所の建物の隣にある食肉業者の集会場でもあったのだろうミートホールとでも言うような名前がついた建物で日本人の芸術家が会場を真っ暗にして大スクリーンに幾何学的なデジタル数字に信号を交えたものを流しているインスタレーションを見た。 多分これが日本でも先端の、この何年もヨーロッパ各地でみられるトレンディーな芸術なのだろう。 ただ、ここでも説明が今までのステレオタイプの域からでない技術先進国の無機質な日本のイメージを再生産することに貢献するぐらいでしかない鵺のような顔の見えないような気がした。 作家の顔は見なくても想像できるような気がした。 それもステレオタイプでみるのだけれど。
そこを出て広場を斜めに横切りメディアのソフトのデパート、本屋と各カフェーにゲームソフトを除くCDにDVDを売る店に入って見渡して買ったものは相も変わらずCDだった。
Ahmad Jamal Trio
Complete Live At The Persing Lounge 1958
Gambit Record 69264
Buddy DeFranco And The Oscar Peterson Quartet 1954
OLP#4 222969-203
Beethoven: - Triple Concert, etc. 1969
Oistrakh,Rostropovich,Richter, von Karajan, Szell
EMI 7243 5 66902 2 6
とりわけ嬉しかったのはこの30年以上ときどき聴いてはなごむアーマッド・ジャマルのLPの残りの部分が合わさってCDとしてあったことだ。 ポインシアナを含むジャマルのラウンジピアノは、エロール・ガーナーがクリント・イーストウッドが市長になるはるか以前にやはりその町で録音した「海辺のコンサート」と題したイーストウッドが初めて監督した映画の中にもあった景色とほぼ同じカーメルの海岸をジャケットにしたLPと並んで私が愛聴するものだ。
自転車を押しながらぶらぶらと歩いてこの町のユダヤ人墓地のそれもユダヤの通りと名のついた小路にすむ私のオランダでの叔父とも言うべき画家の家を10年以上ぶりに訪れてベルを押しても返事が無く窓から覗いても整った居間の自作の絵にも変わりないから、それではとメモ帳に近況と近くに来ている旨を記してドアの隙間に差し込んだ。 3軒ほど先にこちらを眺める婦人がいるので知人とそのパートナーの近況を訊ねて変わりないことに安心した。 2年ほど前に彼の回顧展がこの島の北にある海水浴場の小さな美術館で家族ともども会った折にはパートナーが乳癌の闘病中でもあったことから画家の不在がそれに関係しているのではと心配していたからだった。 けれど、これも杞憂に終わって喜び、この日はこれで、とまた自転車に乗り6kmのほぼ直線コースを引き返し我々の借家にもどったのだが、家の女どもはまだ海岸に寝そべって母娘のヴァカンスを私のあずかり知らぬことであるけれど想像のつきそうな過ごし方をしていたのだった。