暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

さてと、何を買うかな、、、、、

2007年10月14日 12時15分17秒 | 日常
家の女供が別々にイタリアで太陽と西洋の遺産に囲まれ、それを産んだ土地をあるいている今日、父親と息子は相変わらず平らな国の男所帯に何とかが湧きそうな3日目、私は毎週の市場通いに破れた赤い買い物袋を、自転車の後ろの荷物台の両方にぶら下がったバッグの一つ、そこは仕事日にはいくばくかの書類が入った古いサムソナイトのアタッシュケースが入るべきところなのだが、今日はそこに分厚いデニムの買い物バッグを放り込み、反対側にはサムソンの力技でも切れそうもない太いチェーンの盗難防止の鎖と錠前、それに全天候活動のためのポンチョを入れ、それから何週間か前までなら耳にCDウオークマンのプラグが入るはずだったものが買って10ヶ月で壊れてしまい、その後釜には息子の推薦ではi-Podなのだがどうもそれにも踏み切れず、世間の趨勢には勝てずに面倒ながら聴きたいCDをわざわざ小さい箱に押し込め劣った品質で聴くことになるのだろうな、とぼんやり考えながら街の中心の市場に向かってペダルを漕いだ。 先週あたりから気温が大分下がったために自転車の空気が縮んでいるのか少々重い。

今は耳に音楽がない分それだけ周りの音が良く聴こえ、2kmほど離れた市役所裏の、ライン川が家の近くで二つに分かれそれがまた一つになるあたりが街の中心なのだが、そこにたつ市場に年に40回以上通うとなるとそれは自動運航装置に誘導された行動だ。 それには何も考える必要がない。 土曜のある時間になれば自動的にスイッチが入りいつもの通りをいつものとおり自転車のペダルを漕いで走る。

いや、違った。 住宅街の中の家から一番近い肉屋に行く必要はない。 今夜は数日前にスーパーで買ったソーセージと豚の脂を間に挟んだ赤味肉でドイツではザワークラウトという料理を作るはずなのだから肉屋はパスだ。 それにしても薬味の入ったオランダではジューコール(酸っぱいキャベツ)のパッケージは4人分なのだし半分残すのも能がないから2人では二日分になるなあ、と自動運航装置にも少々の数字の変更を加える。

古CD,LPでぎっしり詰まった店に入ると私より一回り年下と思われる主人が相変わらずブルースか50年代のフォークソングをBGMに新聞を読んでいる。 これも自動運航装置の働きでジャズの500枚ほどの棚を見渡してこの一週間に入ったものの中から

Ricky Ford Sextet;   Song For My Mother
Ken McIntyre Sextet;   featuring Terumasa Hino, Introducing the Vibrations
Morcheeba;   Who Can You Trust?

の3枚に15ユーロ払うと、今晩裏のクラブでマイルスにちなんでワークショップやるんだってね、どうするの? いいいわ、今晩なんか気分が乗らなくてね、今度3年ほど前に聴いたヴィンセントなんとかというミンガスのバンドに居たアルトが来るからそのときにするわ、といい、それよりも2週間ほどすればオランダのいいアルトが来るじゃないか、ああ、そうだね、それそれ、といい交わしながら擦り切れた赤い買い物袋にCDを放り込み、クラシックのブルックナーのCDを手にとって眺めている暇つぶしの婆さんのうしろを蟹の横ばいでやり過ごすときに婆さんの首越しに細かく書かれたそのライナーノートを覗き込んで読み始めればセクハラだとにらまれるかな、とおもいつつ、ま、それもせいぜいギョロと一瞥をくらうか逆にブルックナーの薀蓄を聴かされかねないともかぎらないなあ、と思いつつやり過ごし、やれやれ、閉所恐怖症を招くような店から陽の当る通りに出、人ごみの市場に向かう。 角のベトナム春巻き屋から揚げ物の匂いが漂ってくるし、歩くにつれ鶏の丸焼き、腿焼き、脛焼き、焼き鳥も熱いのあります、兎も鶉もホロホロ鳥も売る鶏屋の匂いも加わりそれも過ぎれば切花の青い香り、チーズの匂いを通り越して次に魚の揚げ物の匂いに生魚、海老蟹、蛸烏賊、貝類の匂いだ。 

それまでに2軒のCD屋を覗き、そのうちの流行らない方ではかかっている50年代のビッグバンドLPの事をあれこれ話し、どちらでも目ぼしいものがなかったのでそのまま出て遅い昼飯にする。 2,3人の客が終わるのを待って魚屋の肥ったオバサンに熱々の白身魚の半身揚げを紙に包んでもらって近くのカフェーに入り、左肘には赤い買い物袋をぶらさげ、その手には魚、右手には300ccほど入ったビールのグラスを持ち先ほどのCDのライナーノートを読むべく丸テーブルに落ち着く。

そういえばここは来週の日曜日には午後に知り合いのミュージシャンが何人もテナーバトルで遊ぶところなのだが果たして自分は来られるのかが分からない。 家人が戻ってくる日だからまたぞろそれを迎えに空港に出向くことになるのか、彼女が一人で電車で戻るのか、そのうちイタリアのどこかのネットカフェかホテルから発信のメールを待って決めることになる。 夜にはアムステルダムに出かけて4年ほど前に聴いたシカゴの先鋭フリージャスのテナーを聴く予約をしてあるので戻りの夜汽車のついでにスキポールで午前2時ごろに拾って一緒に帰ってくるようになれば上出来なのだがそんなことは干草の中のピンを拾うようなもので期待できないし、宝くじなど買わない者には端からその可能性を除去してある。 願わくば早朝の便であるように、といるはずの無い神佛に都合のいいエゴのひらひらアピールを振る。 元来、女性は太陽だった、とは日本の謂いだが日本を離れてもそれがつきまわるのかそれがオランダや他でも普遍なのか私のブロンドの太陽はイタリアからメッセージを送る、やれやれ。

さて、と、小ぶりの林檎を2,3個、西洋梨2個にぶどう1kgを買って、パッションフルーツというのかグァヴァというのかくすんだ紫色のゴルフボールほどのひなびた果実は3日ほど陽にさらしてあるから今晩のデザートだし、明日の朝食のクロワッサン、食後のコーヒーのお茶請のクッキーいくつかを爺さん婆さんたちがたむろしている店で、、、と算段してまだCDしか入っていない買い物籠をぶら下げてカフェーを出る。 

しかし、4つ5つの子供のおもちゃのように小さいミニチュアライカM-3デジタルカメラは写ることは写るが本物の効果からは程遠く、50年以上前に父からもらったおもちゃのカメラと効果も大きさも変わらない。 昔のものにはセルロイドの茶色がかった黒のフィルムが残り、今のものは手に取ることのできないメモリーでしかないけれどそれには色がついている。 面妖な。
  




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