ネットの読書コミュニティーで読みかけの本のアンケートがあったので以下のように回答した。
* 笙野頼子 萌神分魂譜 すばる 9月号
よっぽどしっかり心得ていないとふりまわされる。 ひとすじ縄ではいかない人です。
* 東郷和彦 北方領土交渉秘録 新潮社
ああ、あのころは実際はこうだったのか、という高級官僚の国際政治のなかでの外交の様子がわかり手に汗を握るようです。 それにしても日本の報道のひ弱さがあちこちに露呈されています。 5分の3ぐらいは行ってるのかな。
* Belcampo De Zwerftocht van Belcampo 1938
もう25年以上前に住んでいたオランダ北部の州都で知り合った老人が著名な作家だったということは後ほど聞かされたのだけれどその老人とは主に骨董のオークションで会ったり買い物のマーケットで立ち話をした人だけの間柄でその町を離れ、それから10年ほど経って亡くなったということをナショナルニュースで知ったけれど一貫して匿名で済ました人だったから写真も出ず、作家名のベルカンポという名前で通した老人だった。 夫人から若いときのことをいろいろ聞いていたのだけれど我々の会話は殆ど私のわけの分からないオランダ語と、何ヶ国語も話すけれど老人が話したくない英語で行われていたので今となってはあのときにオランダ語が流暢に喋れていたらという悔いが残る。
* Geert Mak Hoe God verdween uit Jorwerd 1994
今オランダのテレビの日曜ゴールデンタイムに31回にわたってヨーロッパの歴史を個人的にレポートしている作家の書いたものであるのだが、自分が育ったオランダ北部の村がどのように戦後の歴史の中で変わったかを自叙伝風に綴ったものだ。 神は如何にしてこの村から消え去ったか、 というのがタイトルで1945年から1995年に亘る戦後高度成長に翻弄された日本の地方の村の様子ともパラレルに見られるのだろうが日本の村には神などは民俗学的対象だけでしかなくもともと存在しなかったのだからだれも能天気にやり過ごしてきたものがヨーロッパの宗教を絡めているところが興味深い。
* 立野正裕 精神のたたかい 非暴力主義の思想と文学 スペース伽耶
作家が対話する老作家に曳かれて読み始め4分の1まで届いて一休みしている。 非暴力の可能性を否定するような銃器を趣味として扱うものには示唆に富む書物だ。 文学に現れた暴力、非暴力の系譜を辿るのは20年ほど前に読んだ老作家のライフワークを再読するようでもある。
* Translated by Taigen Daniel Leighton and Shohaku Okuma
Dogen’s Pure Standards for the Zen Community 1995
永平清規の翻訳なのだが近所のオランダ人禅僧から借りていて道元の規則で禅の鋳型を作っていく様子が面白いと思うのだがその後の個人の身の振り方を助けるものとしては今でも充分俗世に活用できるだろう。
* John Banville The Sea Picador 2005
去年の今頃日本に帰省の折、スキポール空港の売店で手に取ったものだ、往復のルフトハンザ機内で読んだのだが飲み食いと機内の映画に邪魔されて20ページほどの導入部で放ったままになっているのだが、四半世紀以上前にオランダにわたるときに伊丹空港の書店で読み始めたIris Murdock のThe Sea, The Seaに曳かれてほぼその作家のものを読んだのだがこの作家にはそれほどのインパクトがないようにも思える。
他にもまだ幾つか齧っただけのものがあるのだろうが散らばった屋根裏部屋の中では捜せない。
* 笙野頼子 萌神分魂譜 すばる 9月号
よっぽどしっかり心得ていないとふりまわされる。 ひとすじ縄ではいかない人です。
* 東郷和彦 北方領土交渉秘録 新潮社
ああ、あのころは実際はこうだったのか、という高級官僚の国際政治のなかでの外交の様子がわかり手に汗を握るようです。 それにしても日本の報道のひ弱さがあちこちに露呈されています。 5分の3ぐらいは行ってるのかな。
* Belcampo De Zwerftocht van Belcampo 1938
もう25年以上前に住んでいたオランダ北部の州都で知り合った老人が著名な作家だったということは後ほど聞かされたのだけれどその老人とは主に骨董のオークションで会ったり買い物のマーケットで立ち話をした人だけの間柄でその町を離れ、それから10年ほど経って亡くなったということをナショナルニュースで知ったけれど一貫して匿名で済ました人だったから写真も出ず、作家名のベルカンポという名前で通した老人だった。 夫人から若いときのことをいろいろ聞いていたのだけれど我々の会話は殆ど私のわけの分からないオランダ語と、何ヶ国語も話すけれど老人が話したくない英語で行われていたので今となってはあのときにオランダ語が流暢に喋れていたらという悔いが残る。
* Geert Mak Hoe God verdween uit Jorwerd 1994
今オランダのテレビの日曜ゴールデンタイムに31回にわたってヨーロッパの歴史を個人的にレポートしている作家の書いたものであるのだが、自分が育ったオランダ北部の村がどのように戦後の歴史の中で変わったかを自叙伝風に綴ったものだ。 神は如何にしてこの村から消え去ったか、 というのがタイトルで1945年から1995年に亘る戦後高度成長に翻弄された日本の地方の村の様子ともパラレルに見られるのだろうが日本の村には神などは民俗学的対象だけでしかなくもともと存在しなかったのだからだれも能天気にやり過ごしてきたものがヨーロッパの宗教を絡めているところが興味深い。
* 立野正裕 精神のたたかい 非暴力主義の思想と文学 スペース伽耶
作家が対話する老作家に曳かれて読み始め4分の1まで届いて一休みしている。 非暴力の可能性を否定するような銃器を趣味として扱うものには示唆に富む書物だ。 文学に現れた暴力、非暴力の系譜を辿るのは20年ほど前に読んだ老作家のライフワークを再読するようでもある。
* Translated by Taigen Daniel Leighton and Shohaku Okuma
Dogen’s Pure Standards for the Zen Community 1995
永平清規の翻訳なのだが近所のオランダ人禅僧から借りていて道元の規則で禅の鋳型を作っていく様子が面白いと思うのだがその後の個人の身の振り方を助けるものとしては今でも充分俗世に活用できるだろう。
* John Banville The Sea Picador 2005
去年の今頃日本に帰省の折、スキポール空港の売店で手に取ったものだ、往復のルフトハンザ機内で読んだのだが飲み食いと機内の映画に邪魔されて20ページほどの導入部で放ったままになっているのだが、四半世紀以上前にオランダにわたるときに伊丹空港の書店で読み始めたIris Murdock のThe Sea, The Seaに曳かれてほぼその作家のものを読んだのだがこの作家にはそれほどのインパクトがないようにも思える。
他にもまだ幾つか齧っただけのものがあるのだろうが散らばった屋根裏部屋の中では捜せない。
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