暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

さて、、、と、、帰宅したけれど、、

2010年07月26日 09時40分34秒 | 日常
2010年 7月 25日 (日)

3週間家を離れ家族とオーストリアのHubenという村で過ごして真夏から冬までを経験しオランダ国境に入ったのは惨めな雨が振る村のキャンプ場を正午に離れ丁度12時間経った5,6時間前だった。 そこから1時間半弱で自分の町に到着し息子と娘をそれぞれの下宿先に下ろして車を自宅の駐車場に戻して家人と家に入ったらまだ体の動きが3週間のテント生活のままだった。 オランダで言う、東西南北自宅が一番、という感覚が戻ったし、同時にこの3週間のことも300枚ほどの写真と共にもう既に懐かしいものとなっている奇妙な感覚だ。 

雨のそぼ降る山間のキャンプ場で周りの3000mを越す山々の首が前夜の降雪で白くなっているのを眺めながら、さすが高度1200mの土地までは真夏では雪とはならずその代わりに惨めな雨がしょぼ振る一晩中とそれに続く午前中、天気予報では翌日もその天気が続くとなっていたから帰る予定を一日早めて雨の中テントを畳んだのだった。

ここから自宅まで1000km弱だから途中で何回か休憩して息子と3,4時間交代でハンドルを握り、もし必要なら家人もそのときに運転するということにするとオーストリア内は飛ばせないもののドイツ国内に入るとアウトバーンで時速130-150kmで走り続けるとすると上手くいくと10時間で戻れるだろうと算段したが実際はそうは行かなかった。 1時間もかからずオーストリア国境を抜けられるとしていたものが同じようなことを考えたものが多かったのだろう。 もう交通渋滞が始まっていて結局3時間以上かかっていた。 オーストリアの Reutte と ドイツのFussen の間がひどかったようだ。 そのとき私は後部座席でi-Podのプラグを耳に雨のテントの中で読み始めた本が佳境にはいる部分を読んでいて気がつかず Memmigen 近くのドライブインで家の御婦人2人をトイレに送り出し、その後皆でコーヒーなどの飲み物で休憩した後7時半まで4時間 Ulm, Stuttgart を経由して Koln 辺りまで運転した。 30分ほどドライブインで食事休憩をして8時から11時間半ごろまでまた息子がハンドルを握り Dusseldorf 、 Oberhausen を抜け国境からアーネムを目指したのだが、この日通過した Duisburg のダンスフェスティバルの出入り口のトンネルでパニックが起こり十数人が人の下敷きになり死亡したと聞いたのは翌日のニュースでのことだった。

二人で交代しての運転とはいえ結局合計で14時間近くかかっていることになる。 バカンスの初めに家人と二人だけで来るときにはドイツ内、ハイデルベルグとシュツットガルト間の Bad Libenzal という保養地で2日ほど過ごしているから走り続けるということはしなかったが若い者たちはイタリアやスペインに行くときには4人で交代して絶えず走り続けて目的地に着くということをするし息子はそのようにしてイタリアを旅行してスイスでひとりその一行から離れそのあと鉄道を経由して我々に合流したのだった。


大抵の荷物を車の中に残して必要なものだけもって家に入り、そのまま自分のベッドに倒れこんで熟睡した。


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