暇つぶし日記

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天気が良かったからライン川に沿って17km歩いた

2015年02月25日 12時05分15秒 | 日常

 

2015年 2月 22日 (日)

 天気がよかったからライン川に沿って17km歩いた、というのは正確ではない。 

朝目覚めたら陽が射していたので歩こうと思い先週15.5km歩いたコースを思い出し、大体同じ距離にして、、、と考えていたらライン川に沿って歩こう、ついては電車で一駅分乗ってそこからライン川沿いに戻ってくればいいと思いついた。 ネットで調べたらライン川沿いには約15kmになったからちょうどいい。 いつもの朝食のあとデイパックを背負って昼前に家を出た。 中央駅ではなくユトレヒト方面に行く電車の駅まで歩いた。 日曜でもあり1時間に一本ほどの便で吹きさらしのプラットホームで20分以上も待つのであれば急遽コースを変更して田舎をハーグ方面に歩けばいいと思っていたけれど駅に近づくと他にも駅に急ぐ若者が何人かいたのでちょうどいい、と思った。 電車がもうじき来る歩き方だったからだ。 5分も待たず11時56分の電車が来てそれに乗り込んだ。 急行も各停もない単線の隣駅でそこまでの距離が12.8kmだから時間にしてみれば大したことはないのだが距離はかなりある。 日本に帰省した折、12月30日の夜岸和田のジャズ喫茶で忘年会に行き合いそこで閉店までいたら終電車を逃してしまった。 深夜1時に歩き始めて岸和田城の堀端、殆ど誰も通らない旧国道沿いからどんどん歩いて自分の通った中学校の校庭のそば、オランダに来るまで住んでいた家、育った農家、寺の裏、墓場のそばから今では町の中になってしまっている焼き場のそばをホテルまでテクテクと不思議なくらい誰にも出会わない深夜に歩いたら12kmだった。 その距離は城のそばにある高校に3年間毎日電車通学した距離よりも長く、その間に私鉄の駅が5つあるのだからこのローカル線との比較でいえばかなりなものだ。 もっともこちらの方はこの12.8kmの間には何もない牧草地が続き、暮れに歩いた大阪南部の12kmにあるものをここに当てはめるとその大きな密度の差に躊躇してしまう。  もしここにいくつか駅があったとしても乗ってくるのは牛か羊、もしくはツールドフランス気取りで田舎の中をサイクリング車で飛ばしてきてどこかの溝に落ちて曲がった車体を担いで乗ってくる中年オヤジぐらいなものだろう。

そんなことを考えながら降りた駅は義弟、義兄の家族が住む古くはローマ人が駐屯していた町にありライン川沿いだ。 ライン川沿いだから交通の要所としてローマ人が駐屯していたのだ。 この30年何度も往来している町だからどこに何があるのかも分かるのでこの日は地図を持たずに来た。 駅を出て不動産屋のショーウインドウで物件を眺めながらぶらぶら行くと5分でライン川に出て橋を渡り向う側を左に折れてそのまま道なりに15km歩けば家に着く。 ライン川に沿って歩くのは15kmである。 家から駅まで歩いた距離が2km弱であるから合計17kmということだ。 それに天気が良かったからというのも実際天気が良かったのではあるけれど雨でも歩くつもりをしていた。 トレーニングだから天気がいい日ばかりでは訓練にはならず雨の中を歩くのも悪くはないので時には雨が降ってもいい、という態度である。 自然の中を歩くときに雨が降るのは歓迎だが町の中や車の通る道路沿いを歩くときに降る雨はちょっとウンザリしないでもないけれどそれでもそれは受け入れる度量はある。 前回は牧草地の中を歩いたけれど今回は草地の間を歩くような牧歌的なところは殆どない。 初めの2kmほどはこの町のショッピングストリートを歩く。 日曜の12時ごろだから店は閉まっていて人通りはない。 最近は大きな町では商店街が日曜でも店を開けるところが広まってきたけれどここのような小さな町では今も昔ながらのキリスト教的、日曜は安息、休息のためであるとしてひっそりとしている。 町を抜けると車が走る道路に沿って水際に遊歩道と自転車道が続いておりそこを川下に向かってどんどん歩くのだが周りをきょろきょろ見渡しながらあ歩くというものではな単調だからくしっかり歩くという歩き方になる。 だからこのコースは一度歩けばそれでいい。 次回ここを通るときはたぶん車か自転車で通るということになるだろう。 念のために時々通り過ぎるバス停の時間表を見ると週末祝日のところには1時間に一本同じ時間が並んでいるだけで例えそれに乗るつもりがなくとも次の便まで40分待ち、というようなものだった。 

ライン川はスイスに源流をもつ国際河川でオランダの中に入ってきて2分岐し、ワール川とレク川になるのだけれどそれからまだいくつか枝分かれしていろいろな名前を得て北海に注ぐ中でレク川がユトレヒトの近くから分かれた一つが古ライン川と呼ばれる今回その岸を歩くライン川だ。 ユトレヒトの近くから河口まで50km以上あるらしい。 オランダのライン川といえば大体これを指す。 たとえば17世紀の画家レンブラントの苗字はヴァン・ラインでこれはライン川の、という意味であり彼のライデンの生家はライン川から50mも離れていない。 幕末日本から文物を大量に持ち帰ったシーボルトもレンブラントの生家のすぐ近くで荷揚げしている。 北海に注ぐ河口から10kmほどさかのぼったところだ。 シーボルト博物館はこのライン川から100mぐらいのところにある。

ライン川といってもドイツのローレライあたりの風景とはまるで違いここでは普通の運河のようなものだ。 ようなものではなく運河そのものだ。 運河だから護岸はロマンチックな草や木の植わっている堤などではなく大型運搬船の振動が起こす衝撃にも耐えられるようにコンクリートや鉄板で守られた無機質の岸壁が続いているという風だ。 それにそんな運搬船がすぐにどこでも着岸できなければならないから岸は垂直に底まで伸びて底は浚渫され平らである。 だからそんなところには凹凸もなく水草も豊富に生えるわけではないから皆無ではないけれどたいした魚は期待できない。 それでも釣り人がいてこの日は帰り支度をする一人を見ただけだった。 日曜日だから運搬船もみえなく、それに冬だから夏には遠くスイスやドイツ、ベルギーからも水路を伝ってくるヨットやレジャーボートも今はみえない。 川沿いに歩いた3時間半ほどのあいだに見たのは50年配の男が川を下るのに漕ぐ一人乗りカヌー一つだけだった。 休日だからあちこちの関門を閉じてあるので水流がなく折から吹く北西の風が向かい風となって本来なら水流があれば楽に川下りができるところを一生懸命櫂を操作してかなり苦労している風だった。 それでも歩く自分よりは早くそれは普通の自転車速度ぐらいだっただろうか。 

先週15.5km歩いた時に牧草地からライン川方向に来てスポーツ用品店に来たと書いたけれど、その店の建物が対岸に見えたのは歩き始めて11kmほどのところだった。 そこからは川を挟んで先週と同じ経緯になる。 アムステルダムとロッテルダムを結ぶ高速道路A4号線がライン川の下に潜るところで橋を渡って対岸に行くとそこからは先週と全く同じルートになり、昔ローマ人が駐屯していた遺跡を横切って住宅地の中のスーパーでパンとバナナ、リンゴにミルクを買ったのまで先週と同じだった。 養老院の前にある鳥か人か分からぬ銅像を横目に見て家に戻ったら3時45分だった。

 

 英語版ウィキペディア; Oude Rijn の項

http://en.wikipedia.org/wiki/Oude_Rijn_(Utrecht_and_South_Holland)


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