暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ドキュメント三つ、NY,セルビア、ロンドン

2008年09月09日 10時56分48秒 | 見る
図らずしも今晩はドキュメンタリーの宵となった。 なにもセットされた映画会や一つのテレビ局などのものを観たわけではない。 一日の終わりに3つ観た、ということで直にこういうことの詳細を忘れる傾向にあるから後のために記録する。

1)9・11 (2002)

水曜日に翌週放映のテレビガイドが玄関に届くと土曜から一週間の目ぼしいものに印をつけて大抵はヴィデオに撮っておくように計画するのだがこの日の宵はこの7年ほど様々に語られ、イラク中東戦争の推進要素となったNYツインタワー事件だ。 これに関しては最近は映画にもなりまたCIA陰謀説まで出るほどの盛況ぶりだが今夜初めてこれに冠するドキュメント映画を観た。 

ジャーナリズムとしては結果的にいつもとおなじく、世界の不幸はメディアの米びつ、であるのだが幸か不幸か近くの消防署で新規採用の消防士がどう訓練されていくかを撮るべく3人のカメラマン、ドキュメンタリストがそこに駐在して若い候補生に焦点を絞って撮り始める6月からこれが始まるのだがそこでは何回も彼らの訓練中に今はないツインタワーが背景に移り初めの意図が9・11では勿論なかったものが貴重な記録となったことが不思議な印象を与える。

この何週間前か70年代の「タワリングインフェルノ」や「大地震」を観たことでここでの災害の違いが明らかになる。 要はここでの消防士はなすすべもなく救助だけが使命となりひいては自分の生命の危機から脱出すべくそのプロセスを見ることが出来る。

それまでにこのタワーで恒常的に防災の訓練や点検をする様子も映されるのだが実際にこの種の災害が起こったときにはなすすべがないことが直ぐに発覚する。 火は消せない、コミュニケーションは途絶える、ロビーで指揮をとる上層部には状況は把握できないし、外部からの情報に対応する猶予もなく茫然とそれぞれがウォーキートーキーを耳に必死に最善を尽くそうという姿だ。 経験を積んだ消防士がなすすべもなくカオスの中で自分自身生き残る様子が映される。 どういうことかこの分署で出動し生存者を誘導、何階かまで上るのだが元凶は何十階という雲の上でコミュニケーションが途切れたなかではなす術もなくやがて消防士たちは自分自身たちが生き残るために撤退し生還するのだがカメラマンは指令官に沿ってカメラを回すからそこでのこの場所、この種の災害には手の打ちようもないことが明らかになるのだ。

カメラは政治的なものを出来るだけ排除して消防士の活動だけを追うのだが、この災害の中で初めの焦点を当てられていた見習い消防士は彼の同僚とともに生涯であるかないかの機会をくぐってこのように言う。  自分は人の命を奪う兵隊となるより人の命を救助する消防士の職業を選んだのだが今、この9・11を経験してから、もし国が自分に兵士となれと要求すれば躊躇なく兵士になる、と言う。 報復の観点からみれば至極当然に響くのだが何かが欠落しているようでそれが咽喉にひっかかった小骨のように気になる。

2) セルビアの神話  と題された50分ほどのドキュメントでBBC2局で放映されたものだ。 西側からみればサラエボを中心とするセルビアを拡張して民族浄化、モスリムを排除、殺戮して国際的戦争犯罪政府としてその首謀者、ラドヴァン・カラジッチ、スルプスカ共和国大統領は元ユーゴスラビア大統領ミロソビッチとならび戦争終結後、国際手配されていたものだが何年か前にミロソビッチ元大統領が捕まりハーグにある、何度かその前を通って見知った監獄に収監され国際裁判の途中で死亡した話はその収監されるときのドラマチックな光景と共にまだ記憶に新しいのだが、カラチッチに関しては今年の7月の22日だったかスイスのダボスのキャンプ場で夕食時新聞とニュースで、追跡されていた元大統領が髭に被われた見るものに感嘆の声を上げさせる風貌でついに捕まったと写っているのに驚いたものだ。 そして同じくハーグの監獄に収監されたこともそれに沿っていた。 その髭に被われた風貌はサダム・フセイン元大統領が捕らえられたときにも同様であったことをも思い出させる風でもあった。

そういうことを底辺にしてもこのドキュメントはその戦争の最中に取られたものでいかにセルビア人を中心にした国家を作り上げるか、その500年を経てもともとモスリムに奪われていた土地を取り戻すべく戦いを繰り広げるというキャンペーンに肉薄して彼の動きに沿うドキュメントである。 詩人であり心理学博士でもある当人はカメラの前で楽器を演奏し自国文化を称揚する。 それは戦争中、軍服の兵士たちが強い酒を壜からそのまま回しのみして歌う愛国歌でもあるのだがスラブ系、中東系の調べであり歌詞を理解しなければエキゾチックなものである。 小国の軍隊組織であるのだがその分だけ祖国を西欧諸国から守るという強固な意志となり若い兵士、国民の表情には明るささえ窺えるのだ。 西欧からみれば歴史の中のナチスや日本、それからサダム・フセインのイラクであるのだがここでのラドヴァン・カラジッチはカメラに向かって激昂するのでもなく淡々と英語で自国の歴史を語りロシアの詩人と一緒にサラエボを見下ろす丘の陣地から機関銃で狙撃する現場に立会い博士論文を執筆したアパートを双眼鏡でしめしてそれが瓦礫同然となっていることを言い、ロシア人の理解を得るのだ。 またムラビッチ将軍や首相とともに戦争をどのように収めるか、西側との交渉をどのように進めるかを小さな山小屋同然の会議でその模様もも興味深く映し出す。 このドキュメントを見て西側のもたらしたキャンペーンの結果の印象をコインの一方だとすればこれは同様の歴史をもう一枚のコインの片方として示したものであり必ずしも西欧メディアが描いてきた凶悪犯罪人とは見られないようでもある。 そして、もし自分がこの国家の一員で愛国心が強くあるものとしても民族浄化の事実は残るものとして存在し、それは断罪されるべきものだろう。 その事実は国を愛するということに鋭い痛みとしてのこるだろう。 バルカン諸国の歴史は長く複雑でありそこでの愛国心はそれぞれが歴史の中で共有する土地を巡って吹き出るものであり簡単には白黒を付けられるものではない。 現在、このようなことがグルジアの一部で取りざたされているのも同様である。 国際的にはロシアの巻き返しと言う風に見られているのだろうがその地区に住んでいるロシア系の住民には自分達の自治、独立の機会となるのだ。 勿論、国際法規による観点も当然なのだがそれぞれの立場に立って見ることも我々の眼が簡単に一方的な情報戦の礫で曇らされるのを防ぐ一助となるのだ。 我々は好むと好まざるに関わらずある立場を選ばされているのだが別の立場にたつ観点に触れることでコインの両側を交互に眺めることが出来るのだ。 その外側に立つものには一層それが望まれる。 息子の友人の一人はボスニア系オランダ人で彼の両親、親戚はこの映像の地区から逃れ今はヨーロッパ、北米とちりじりに散らばっているのでありカラチッチにミロソビッチは自分の親、親戚の運命を脅かした憎むべき敵なのである。

3) BBCテレビ Who Do You Think You Are
   Boris Jonson

何人か著名な人々の先祖数代にわたり家族の系譜を辿りそれを番組にしたものだ。 アメリカで一頃人気のあったジェリー・スプリンガー ショーのホストであるスプリンガーの父親がドイツ東部でユダヤ人として商店をもっていたものがナチの脅威、迫害からイギリスに逃れそこで彼が生まれ、その後アメリカに移るその父親の軌跡を追うとともに多くの叔父、伯母、祖父母の軌跡をを追い、アウシュビッツのガス室に送られる叔父伯母祖母の記録を現場で探し当てるというようなことを何週間か前に観たのだが、今週は現在ロンドン市長となったボリス・ジョンソンである。かれは保守党の議員としてマスコミでその陳腐で屡風刺の対象となる言説であまりまともに受け止められていなかったものとこの10年ほど承知していたのだが去年かのロンドン市長選で当選したのには驚きだった。 

彼の血を辿ると1930年代トルコのジャーナリストであり右傾化した政府から狙われフランスに逃げ、その後、フランス、イギリスの介入でトルコに新政府が作られたときに内務大臣となり直後、またもや愛国政府樹立で逆賊として捕らえられ民衆にリンチされ持ち物は奪われ死体が街角に吊るされる、という記事を見せられる。 今のトルコの歴史では逆賊記載されているのだとトルコの歴史家から聞かされる。 しかし、イギリス人の歴史家には民主主義のリベラルな国内政治の潮流に押し流された人物との評をも聞かされる。 これは1960年代に生まれたジョンソンには裕福な農民である父親の口からは聞けなかったことであり全てこの番組を通して祖父の移民、結婚登録の書類を辿って明らかになっていくことなのだ。 さらに幼少の祖母の雰囲気と言動の記憶から引っかかるものとして彼女の高貴な血ということの真偽を追うこととなる。 一枚の写真をめぐりフランス、ドイツを巡ってその祖母自身さえはっきりと知らなかった事実が明らかになる。 祖祖母は劇場の踊り子であり祖母の出生は当時ドイツのいくつもある国の王子の隠し子として1820年代の公文書のなかに記録されていることを辿りその王子が後にその国の王となった、広大な城のなかでその系譜がヨーロッパの歴史のなかで婚姻関係が広範であり、さらに遡ってアイルランドや英国の王に連なることに驚くわけだ。 ユダヤ人、トルコ人、フランス人にドイツ人、さらにはアイルランドに英国の貴族や王の血が混ざっているということに驚くということで彼の性格からすれば予想だにしていなかったことではあろうがこれから彼の言説、とくに英語に一層のアクセントを加えるに足るだろうということは想像に難くない。 確かに自分でも言うように自分と血を共有する人間は何千人といるに違いないのだが自分のように足で辿ってたどりつける人は少なくドラマチックでもない。 今回、系図のなかでコスモポリタン(不純系英国人)としての血をトルコ、ドイツとイギリスを離れて見てきてここドイツの城の広間にかけられたイギリス王に至り、駒が逆転したようで、保守党のメンバーとして英国人としての意識が一層他の高貴な血に増して彼のなかで湧き上がったように見受けられた。


図らずもこの3つに共通するのは様々な自己のアイデンティティー、それに続いて「愛国心」の形なのだ。

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