暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

青空マーケットで雨に降られた  2005年 5月 7日(土)

2005年05月13日 07時23分14秒 | ジャズ

いつもの如く、土曜の昼は古CD漁りと買い物で、青空マーケットにでかけたのだけど、天候が定まらず肌寒くて春には似合わない鉛色の空が垂れ込めている。 昨日も今日もカミサンはセントラルヒーティングのスイッチをオンにして部屋の中を少なくとも19度にしていた。 外気は14度位か。

それに加えて体調が悪い事に、一週間ほど前の金曜日の晩に同僚二人が定年退職して、その時に中華料理屋でその最後の会食をした折に飲んだ僅かのアルコールがたたって、またもや痛風の発作が出たのをやり過ごそうといつもの投薬を試みたのだけれど効き目が出ずに仕方なく痛みを我慢してびっこを引きつつの買い物だから、はなはだ意気が揚らぬ。 右足をひきずりつつ、いつもの古CDの店に入ると, 店主はいつものように, ウディー・ガスリーから連なるカントリーというかフォークモノを一人聴きながら店番しつつ、「すまないね、動きがすくなくてね、気に入ったの無いようだよ」といいながらも、がさがさやっている間に見つけたのが下の2枚。 長髪の40代半ばの店主は今日はボブ・ディランをきいている。 ギター一本で歌うのだから60年代のものか、そういえばラジオでもブッシュ大統領が明日マーストリヒトに来るというのでディランの「戦争の親玉」をやっていたのを思い出した。私の耳の中はこないだのコンサートで買ったTineke PostmaのCD, For The Rhythmが鳴っている。 

そういえば、このCDの中ではオリジナルが多いけれど、その中に混じってスタンダードの佳曲Goodbyが入っているし、それに才人Kenny Barron のVoage も収まっている。 5月3日に仕事場から歩いてすぐの官庁の建物で小さなコンサートがあり、カミサンと二人で30人ばかりの聴衆に混じったのだけど、そこでテナーの若手、Willem Hellbrekerが1時間ほどの1セットの中でもこれをやったので、オランダではKenny Barronひっぱりだこだな、との印象を持った。 それとも互いに勉強会でもやって、それの成果かな。

このコンサートではベースがイエッセ・ヴァンルーラーのバンドで98年から2001年まで録音に加わっていたFrans van Geest だったから日本でも好評だったJvRのCDにもGoodbyは入っていたはずだ。 それでコンサートが済んでから、私は急いでいて子供たちの待っているレストランへ心は急いていたのだけど、簡単に自己紹介をし合って日本の様子、今FvGたちが属しているコンセルトへボージャズオーケストラのプロジェクトの事を立ち話して、その中で、みんなで日本のツアーが出来たらいいのだけどというのを聞いて別れたのだけど、こんな小さい世界だからそのうちまた会うに決まってると笑い合ったのだった。 実際、そのとおりなのだ。 10日にはJvRのジャムセッションがハーグであるのでいくつもりだけれど、夕食の後、車で半時間も乗ればゆっくり間に合うのだ。そのときにでも続きを話せば良い。 まあ、ちょっとした土産話もJvRにはあるのだけど、それはまた今度。 

そんなことを思い出しながら、ポステマはアルトよりソプラノのほうが華やかだなあ、しかし日本ではオリジナルばかりじゃどうかな、と思いながら抜き出したのが次の2枚。

1)Erroll Garner / Body & Soul / Columbia Col4679162 1951, 1952
2)Toots Thielemans & Kenny Werner / Universal Netherlands / 014722-2 2001

石畳の横丁を出て小雨の中50mほど離れたもう一軒、若いのが二人でやっている新譜も置いている店で見つけたのが

3)Alison Moyet / VOICE / Sanctuary SANCD270 / 2004

この人はジャズプロパーというのではなくポップ歌手なのだけど、80年代から折に触れBBCの音楽番組などで良い喉を披露していたので、今回クラシックとジャズスタンダードを集めたこのCDが出たときに手にとってどんなものか迷っていたものだ。 そして、中古で出れば迷わず、と決めて半年ぐらいして出たのが今日のことだった。 店の若いのが料金を清算する時に「いつもと違う趣味ですね」というから、「よく見てご覧よ、ジャズのスタンダードばっかりだろ」というと、「へー、でもこの人ポップだからあっちの棚に入れてあったのに、、、あ、今日は雨だからですね、いつもはジャズのCDとLPだけしか目を通さないのに」と自分の観察眼を披露する。まだ、この兄ちゃん、ちょっと甘い、ジャンルで縦割りして曲まで目がとどいてないらしい。

3)をウォークマンに放り込んで聴きながら青物マーケットを覗いていた。 アーティチョクとオリーブの漬物、甘味のあるペストをビニールの袋に入れてもらって小銭を差し出していると、突然大雨がテントを叩きつけ始めた。 買い物の人が皆、露天のテントに避難するけれど、今日はこの天気だから人通りは少なく、夏の通り雨ならテントが一杯になるところだが、今日はゆっくり雨宿りができると安心していたら耳の中でこのアルバムの5曲目What are you doing the rest of your life (3:30)が響きだした。 これはしみじみと語るようないい歌唱だ。 とくに私の年齢になると否が応でもこう言うことを考えざるを得ないのだから、雨宿りで聴くには骨身にしみる曲である。 多分、この今日の出来事は何年も忘れないだろう。 インスツルメンタルでは幾つか聴いていたが改めてヴォーカルでは誰のを聞いていたのだろうかと思い出そうとするが思いつかない。 今回の3枚でも 2)にミシェル・ルグランのメロディーがあったり、つい最近もYou Must Believe In Springのおさらいをしたところだからルグランづいているのを感じる。 もう30年も昔、昼は電電公社でサラリーマンをし、夜は四国でも1,2のキャバレーでアルトを吹いていた知人が一夕、ルグラント共演したと言っていたことを思い出した。

先程の歌に触発されたのではないが市場のはずれの花屋で薄青いろの桔梗に似たピンパネリアを一束とチョコレートボンボンを子供たちの母親、つまりカミサンに買った。 日曜日は母の日である。

鉛筆より少し太いぐらいのアスパラガスが1kgで200円。 しかし、薄皮をそぐのに時間がかかるから皆、高くても太いのを買っている。 本当は細い方がうまいのに。 それで、1キロ、50本買って、家で皮むきを始めたら 2)のCDきっちり1枚分71分かかったのだった。 1本20cmほど、20g、ゾーリンゲンの皮むきナイフを砥いでからやりはじめたのだけど、7割方済ませたら鈍くなったのでまた砥がねばならなかった。 強いあくも何もなさそうでもナイフのほんの5ミリぐらいのところだけしか使っていないと鈍る、というよりアスパラガスのアクのようなもので切れなくなるのだろうか。 これで3週間連続アスパラガスの土曜日ということになるので2ヶ月ぐらい食べないで置こうと思う。 これと、今日だけしかもたない大粒苺1kg、200円。 歩きながら5粒つまんだら、もう今日は胃に揚げたタラを買って立ち食いで入れようと思っていたスペースが無くなったのだった。

古井由吉インタビュー   図書新聞 2715号 2005-2-26(土)

2005年05月13日 07時19分00秒 | 読む

古井 「僕と中上ってデビューした時期は離れていないんですね。 歳もそう離れていないけれど、僕の時は若者とは思われなかった。そこに世間のイメージのギャップがあった。、、、、」

これを読んで、はあっと思った。 まるでそのとおりだったのだ。 私が日本を離れたのが1980年の春。 そして、読みつづけようとしてきたのがこの、中上健次と古井由吉二人だったのだ。 それから殆ど新刊が出るままに注文しつづけてきたのが90年代の中頃までだったろうか。 友人の関係で中上健次に会わせてやろうか、という声もあったが、何やかやで紛れてそれっきりになったのが70年代の後半であったことを考えると、もうそろそろあれから30年になるのか。 その後、彼が亡くなる2,3年前かオランダに来ることがあって、どこかで講演をしているはずだ。 後で知ったのだが、その頃は私自身子供も小さく、家庭生活に追われていた事もあったから、またの機会があるとその時は残念に思わなかったけれど、今となっては返す返すも悔やまれる事だ。

もう当分廻ってくる気配はないものの、もしノーベル文学賞を日本から出すとしたら、この古井か大西巨人が適当だろう。 川端、大江の受賞には手放しで喜べなかったがこの二人に賞が行ったのは翻訳が世界に充分出回っていたことに負っている。 当然の事だ。 古井は別としても大西に関しては世界の文学研究者で読みこなせる者が何人いるのか、果たして幾人の外国人が今までに名前を聞いたことがあるのだろうか。 日本の批評界でさえ80年の後半になって初めて読み始めるものがでるありさまだったではないか。

大西の神聖喜劇を映画化するという試みがあり、シナリオが完成しているらしい。 手に入れたいとは思わない。