次の日曜日にある落合けい子さんの批評会のため、『赫き花』を読み返していました。
一度読んだときは気づかなかったけれど、二度、三度読むと、深いところまで沁みこんでくる歌がいくつもありました。
・月光に漬物樽の並びゐて樽それぞれに母坐りをり
・両足に力を込めて立ちてをり桃明かりする夢のなかにて
・お前だけ頑張らなくてよいのだと芒がざわつと音たて流る
・この岸に花赤く咲きかの岸に赫き花咲くけぢめのあらず
落合さんのお母さんの歌はどれも寂しいのですが、この漬物樽の歌は、夢の中のような、それでいてかなりリアルな光景で、「樽」のひとつひとつがなにかとても大切なもので、そこにはそれぞれにお母さんが座っている。 なんという寂しさでしょうか。 この座っているお母さんは月の光のほうを向いていて、背中しか見せていないような気がします。 お母さんも寂しそうで、それを見ている自分はもっと寂しい。 この歌集の中で、一番沁みてくる歌でした。
ひとりで抱え込んでしまう、やりすぎてしまうと、私もよく言われることがあるのですが、いろいろ考えるのは面倒だから、もう自分でやってしまおうって思うのですね。 落合さんもそういうところがあるんじゃないかなぁと歌を通して思いました。 ストレートに言ったあとに、「桃明かりする」とか「音たて流る」という美しくて情景がふっと立ち上がって来る言葉を持って来ているところが巧いなぁと思います。
いろいろ書きたいのですが、今週の会の楽しみにしておいて。
いまの時点で一番好きな歌は、
・万華鏡のなかに坐りてゐるやうな昼のベンチに花の散りつつ
座っているベンチが世界の中心のようで、世界の底のようです。 そこへむかって散って来る桜。 そこを起点として広がっていく世界。 こういう広がりのある美しい歌を私も作りたいと思うのです。
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