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いつでも君のこと好きだったよ

『梁』2016.3

2016-04-17 21:33:21 | 日記

 きょうは塔の初校・再校作業でした。

 

 その行き帰りに現代短歌南の会が発行している『梁』を読んでいました。 

 

 毎号楽しみにしている大森静佳さんの河野裕子論「河野裕子の歌境(五)」は、今回も読み応えがありました。 河野さんの歌集は全て読んできたし、塔での特集のときのアンソロジー作成で何度も読み返したけれど、こうして全体から見て論じられ、しかも一冊一冊の歌集、そのなかの一首一首に丁寧に切り込み、大森さんの発見が自分の言葉で書かれていることに好感を持ちました。

 

 たとえば、こんなところ。

 

 ・ひらきたる十指のあひだを通るとき風あたたかくころばゆきなり 『季の栞』

 ・あと幾輪残して咲き継ぐ夕顔か秋がしづかに降りてくるなり 『庭』

 

 の2首を引いて、

「・・・中略 紙の上に絵筆を握った作者が何かを描いてゆくのではなく、作者自身が紙になって、どこからか垂れてくる絵の具に身を任せている。そんな感じだとも言える。自分は無になって、そこに世界が流れてくるのを静かに、抵抗なく受け入れている。 一見誰にでもつくれそうな歌に見えるが、ここまで力を抜ききって身を任せることは難しいのだ。」

 

 というふうに、どういうところを評価するのか、というところをはっきり書いています。 特に、いままで見過ごされていたような歌を掬い上げて、言葉にしにくい「良さ」をきちんと述べているところに大森さんの力を感じました。

 

 ほかにも、字余りの大きい歌については旋頭歌や仏足石歌まで視野を広げたり、岡井隆、茂吉、文明の字余りを例に挙げたりして、河野さんが受けたであろう影響についても触れられています。

 

 『梁』の参加者は九州在住者がほとんどで、この号を読みながら、みなさんどうしておられるだろうと思いました。 一日も早く熊本の地震が収まり、不安のない日常生活が戻ってきますように。

 

 

 

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