うたのすけの日常

日々の単なる日記等

結核療養所 9

2015-08-09 10:44:22 | 結核療養所物語

うたのすけの日常 結核療養所物語 9

2007-03-03 06:50:35 | 結核療養所物語
                   退所祝いと強制退所など思いつくまま

 療養所では当たり前の話、喫煙飲酒はご法度である。しかしこれがなかなか守られない。入所した当座はショックと緊張からか、そして一日も早い快癒退所を願って、誰もがきまりを遵守する。しかし現実にトイレの隅には缶からの灰皿が置かれ、自由時間の散歩時には、煙草をくゆらしながら行く患者もいるわけである。特に手術も終えテンポよく回復に向かっている患者は、喉もと過ぎれば熱さ忘れるとでもいうのか、喫煙を始める。
 酒にしても門の前の食料品店の前が、丁度バス停でそのベンチに腰をおろし、悠然と飲んでいる患者を見かけたりしたものである。しかし端でとやかく言う問題ではない、皆大人なのだから。しかしこれが病棟内となると事情が違う。
 
 30年配の男性が入所して来て、当初から隣の部屋だが飲酒を始め、次第にその量をエスカレートしていったらしい。そして脱柵、無断外出のことだが、深夜に帰って来て大声を上げて騒ぎ始めた。二十そこそこの看護婦には手に余る状態であった。当直の医者が駆けつけ元気な患者も手を貸し、どうにか収まったが、この男に退所命令が出て、いわゆる強制退所の処置が取られた。余ほどのことがなければ所側もこの処置はとらない。なにしろ結核患者を野放しにするわけであるから、対応は慎重である。
 
  看護婦も酔っ払い相手をさせられては敵わない。因みに看護婦を患者はアサリと呼び、准看護婦はシジミ、婦長をハマグリと陰で呼んだ。総婦長をどう呼んだか定かではない。唐突となるが、今思うと看護婦さんは美人ぞろいだといっても過言ではない。マスクするとみな美人に見えるのだろうか、脈をとられるとき下から見る、腕時計の秒針を見つめる睫毛の長い目元が、なんとも言えぬ気分にさせられた。酒の話に戻ろう、これも他の部屋の話だが、ベットの枕元の壁に天照大神の掛け軸を仰々しく吊るし、棚に榊を置いて毎朝お神酒を供えている。そして前日のコップの酒を、朝食前に旨そうに飲むそうである。信仰の自由もあるし、物静かな人でもあるし、部屋の者も何も言わず、看護婦も黙認といったかたちであったらしい。この人無事退所している。規則正しく飲む少量の酒は、やはり百薬の長か。

 さて本題の退所祝いに入ろう。退所祝いは各部屋で行われた。なにしろ療養所の裏口から骨となって出ることなく、所内には火葬場もあり月に数回煙が上がるのがみられたのである。それが完治して晴れ晴れと表玄関から出るのであるから、同部屋の者として一席祝いの場を設けないわけにはいかない。もっともこのことは、長年の習慣であったのである。そして酒もこのときは解禁されていた。問題はこのあとである。祝いも部屋うちで静かにやっていればよかったのだろうが、その規模がだんだんエスカレートし、参加者が増えていった。おおっぴらに飲めるので、このときとばかり酒好きが参集する事態になっていったのである。
 祝いは病棟単位となり、他の病棟からも祝いを包んで酒飲みがくる。多勢で酒が入れば自然と賑やかになり、しまいには歌も手拍子も出る騒ぎとなる。当然のこと所側から退所祝いは禁止されてしまったが、あたしが退所するころは自治会との交渉の結果、酒抜きの部屋ごとの退所祝いが復活していた。しかし多少は静かに飲んでいたようだ。

 退所の当日となると、病棟の患者が総出で見送りする。祝退所何々君と書かれた手製の紙の幟が何本も振られ、万歳万歳の歓声が上がり、それは賑やかである。呼ばれたタクシーの運転手も心得たもの、うやうやしく腰をおりドアをあけたりしていた。


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