うたのすけの日常

日々の単なる日記等

結核療養所 5

2015-08-05 05:30:27 | 結核療養所物語

うたのすけの日常 結核療養所物語 5

2007-02-27 07:14:49 | 結核療養所物語

                    ざっと療養所の一日 後編

 昼食は日によって工夫が取られる。散らし寿司とかのり巻き稲荷寿司、そしてパン食。トーストだったり菓子パンのたぐいで、コーヒーが出たかどうだっかは定かではない。おそらく牛乳がついたのであろう。牛乳といえば、朝食時に必ずついた。部屋へ持ち帰って飲んだりしたものである。
 
 昼食が終わると一日で深夜に次ぐ、療養所で一番静寂の時間が訪れる。安静時間の到来だ。皆一斉に床につき無言の時間が三時まで続く。眠る者、読書にふける者、ただめい想をつづける者。イヤホンを耳につける者。それぞれであるが、完全に眠ってしまうことは厳禁である。長い夜が苦痛となるわけである。あたしは専ら読書で過ごした。ベッドには既に退所した患者の就寝用の書見台が、同室者の手助けによって入寮時にくくりつけて貰っている。とにかくみんな親切この上もないのである。
 
 安静時間もものかわ、遊びに出る者もいる。主に二十そこそこの年頃の者はベットに入るのが苦痛なのであろう、近辺の野山に出掛け、ため池で釣りに興じたり、庭のゴルフのミニコース、勿論患者手製のものであるが、そこでパッとを振ったりしている。目に余らないかぎり看護婦も敢て咎めることはしなかった。彼らは言ってみればそれだけ病状がいいわけなのだ。じっとベットに居ろと、言うほうが無理かも知れぬ。看護婦にとってもこの時間は、物静かに休憩出来る時間でもあるわけである。

 二時半ごろから順次検温が行われる。それが終わるのを待ちかねて、元気な患者は表に出だす。裏に広がる田園、関東地方である、山はない。森林に分け入ったりの散歩に、無聊の一日を自ら慰めるのか。三々五々連れ立って歩く半纏、あるいは丹前姿、すっきりと洋服に着替えている者もいる。赤い半纏姿も点々と俯瞰できる。女性患者である。華やかな笑い声が野山に響く。しかし哀れを誘われる、彼女たちはいかなる罪を犯してここにいるのか、世は無情と感傷的になったりしたものだ。
 既に喧騒のはげしくなりつつあった都会から、完全に遊離した世界がここにある。胸に病菌が巣くってなければこの地はパラダイスか。

 部屋に戻れば早い夕食の時間はすぐである。しかし冬場はその前に一仕事がある。湯たんぽの給湯である。夕食の準備の時間帯に、ボイラーの湯を頂戴しに行くわけである。めいめい色とりどりの袋に入れた湯たんぽを抱えたり下げたり、これもぞろぞろ連れ立ってボイラー室へ向かう。中には数個の湯たんぽを持つ者もいる。歩行の難儀な同室の者の介助であろう。
 
 夕食がすめば九時?の消灯までかなりの時間がある。一人のベットに集まってトランプ、あたしはここでポーカーを覚えた、をしたり、よその部屋では花札が始まったりする。そして若い子たちは女子棟に遊びに赴く、勿論こちらへも遊びにくる。患者たちにとって一日で一番療養生活で楽しいひと時であろう。しかしこれはあくまで安静度のいい患者に限ってのことではあるが……
 
 そしてナースセンターのそばに設けられている炊事場が賑やかになる。夜食の支度である。なにしろ夕食時間が早く、夏場などまだ明るいうちに始まるのだから、寝るまでに小腹が空くのである。三台ほどのガスレンヂが順番待ちとなる。季節によって作るものは多少変わるが、夏場は冷麦、そして専ら四季を通じて人気なのはラーメンである。それがである、当時は今の即席なるものはなかったのか。あらかじめスープを作るのだが、これはラードを熱湯で溶かし、しょう油味の素で味付けし、麺はそれだけ生のものが売っていて、それを茹で上げ丼のスープに入れて出来上がりである。後は好みでほうれん草やなるとや焼き海苔を麺の上に並べる。勿論薬味のねぎは欠かさない。
 部屋単位で作った夜食のラーメンを、部屋の中央に寄って食する。肺病は実に仲がいいのである。
 
 夜食が終われば消灯時間は間もなくである。孤独で長い時間が始まる。



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