うたのすけの日常 結核療養所物語 10
いよいよ手術を決心、術前の検査に入る
担当医との療法に関しての最終調整が始まった。化学療法をこのまま続けて病巣を一箇所に追い詰め固めるか、手術に踏み切るかの思案どころに直面したわけである。季節は夏前、そろそろ担当医は夏休みに入り、手術の再開は秋口になってしまう。休み前に行へばなんとか正月前に、順調に回復すれば退所できるのではないか。とにかく術後、あたしの病状なら半年で退所が相場?であったのだ。
あたしは自分に賭けた、そして医者に。夏休み前の手術を担当医に願い出た。医者はよしそのように予定に入れる、正月は家で迎えられるよ、頑張るんだなと頼もしく言ってくれた。
かねがね手術を終えた部屋の先輩たちは、あれこれとその模様を教えてくれている。とにかく術後の苦痛は生半可ではないらしい、痛み止めを、モルヒネのことだが打ってくれと、大の男が泣き声を上げるという。そして手術の成功不成功が、医者の顔色態度を伺いながらの疑心暗鬼の推測で、精神的に参ってしまうそうである。そしてなによりも術前の検査で気管支鏡での検査が苦しいという。しばらくは喉から出血し食事もままならぬという。しかしそのような話は脅し半分、からかいもあるとあたしは読んだ。しかし実態は当たらずとも遠からず、限りなく事実に近かった。
あらためて断層写真を撮ったり、輸血の拒絶反応?を検査したり、もちろん血液検査、これは戦時中調べた時のままO型、当たり前である。そうそう大酒呑みは麻酔が効かないなんて言われたりしたもんである。そしていよいよ恐怖の気管支鏡の検査となった。
検査室のベット、いやベットではない、冷え冷えとした板の台に仰向けに寝かされる。台の端まで体を引きづられ、首をガクッと台の外に吊るされる状態にされた。横から見れば首が体の付け根から直角に下に折れた状態となるわけだ。医者は枕元に立ち、喉から水平になったあたしの身体に対しているわけだ。あたしは終始目を閉じたまま。周りにいかなる器具が用意されているのか皆目不明である。
「口を大きく開けて」、看護婦が両顎を押さえ込む。「麻酔をかけます」あたしは初めて細く目を開け伺う、噴霧器のようなものが口中深く差し込まれ麻酔薬が噴射される。どんな味がしたかのかなんて、それどころではない。いきなりぴかぴかに光沢を放つ器具が喉の奥まで突っ込まれ、口が大きく開かれたまま固定状態にされた。そうしておいて潜望鏡のような管を気管支に挿入していく。その段階で痛みはない、ただいかんせん苦しい、息も絶え絶えといったところであった。これが胃カメラなら先端にカメラがついているわけだが、気管支鏡、鏡である。医者はどのような仕掛けになっているのか不明だが、先端の鏡を遠隔操作して病巣を観察するわけだ。
自慢じゃないが食道や胃に胃カメラの管を挿入するなんて、あたしも経験あるが、そんなの問題じゃない。なにしろ肺の中の細い気管支に管を挿入するのである。看護婦はあたしが苦痛で動かないようにがっちり抱え込んでいた。どのくらいの時間が経過したのか。
「はいっ、終わり。よく頑張った」。医者の労わりの言葉に思わず涙ぐんだのを憶えている。疲労困憊の身体に精気が戻る。担送車を勧められたが断り、看護婦に抱えられるようにして部屋に戻った。皆が駆け寄ってきて、口々に労わりの声をかけてくれる。
喉や口中が麻痺していて感覚がない。唾を吐くとほとんど血だった。
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