うたのすけの日常 結核療養所物語 6
同室の結核患者たちのこと
同部屋というのがここでは正しいのだが、どこか同房に似てぱっとしないが良しとしよう。
あたしの前列のベットの四人は、みな病状は快方に向かっている人たちで、全員手術を終えた人たちばかりである。それぞれ程度の異なる手術の結果から回復状態に差が見られ、その差はあたしからみて年の差もあり、歴然としたものがある。しかし何れにしても、皆社会復帰を目指している人たちであった。
その前の四人、一番左のベットの人は齢は50くらい、長身で彫りの深い面立ちだが、その彫りの深さも闘病生活から頬がこけているといったほうが妥当かもしれない。この人患者によって結成されている、○○療養所患者自治会の委員長を務めている頼もしい人である。朝食事を終えると背広に着替え、髪を撫で青々とした髭の剃り後も清々とカバンを手に自治会事務所へ出勤する。言い忘れたが左の一番奥の窓際は日当たりもよく、場所としてベット周りは広くとられいろいろ物が置ける。この人何着かのスーツを背後の壁につるしている。そんな存在感がこの人の療養所生活、いや闘病生活の長さを物語っている。まさしく部屋の主、いや療養所の主といえる。
その人の向かい、同じく日当たりのいいベットの人は委員長Nさんと双璧を成すTさん。Nさんと同じ年頃でこの人一番回復が遅いとみている。ときたま呼吸が苦しくなるのか、ベットにかがみ込んで苦しむ姿がみられた。両肺の大部分をおかされ、成形手術で潰している。背中の手術痕は無残で胸は押しつぶされ変形している。肺活力は極端に少なくなっており、歩行する姿も静々と両肩を上げて行く。肺の手術は右を切ると右の肩が上がり、左を切れば左が上がる体形になってしまう。当然両方を切れば、怒ったように両肩が上がり、首が肩の中に極端な話埋没する。この人自分の歩く姿を、糸の切れた奴凧がふわふわ空中を舞うようだと笑う。まさに悟りを開いた老僧のような人である。
委員長Nさんの隣の人はHといい40年輩か、髪を七三に分け、黒縁の丸いめがねをかけ、いつも和服姿で一見小説家風である。ベットの上に机を置き、書き物に余念がない物静かな人である。その隣の二人は若い。回復も順調らしく、Yは半纏の袖に手を隠し両袖を胸に合わせて小股に歩く、まさしく女形。することも小箱を前に置き、中の小切れで縫ぐるみの製作に暇を潰している。大小さまざまの人形の出来は見事で、看護婦や女性患者の人気の的である。その隣の廊下際、丁度あたしの前のAは一番回復が早く、社会復帰も間近である。この人ときたま意識して咳き込む、そして口にちり紙を当てて何か吐く。それをつまんで折りたたんだハンカチを広げそれに収めている。聞けば縫った患部の抜糸の残りが肺の器官から出て来るのだと言う。見せてもらったが五ミリほどの糸が数本包んである。記念にとって置くのだという。医者は別段心配ないと言ってるそうだが、あたしとしては不気味な思いがした。
このAさんにいろいろあたしは所内の事、手術の心構えとか実情をなんだかんだ、身振り手振りで教えてもらったのである。
あたしの隣は一つ年上のO、一番気の合った人である。その隣が部屋で最高齢のとなるSさん。総勢八人だがあたしを含めた並びの三人は療養生活が始まったばかりであり、手術の可否もふくめ、不安な心理状態にある。
先輩たちが回復し順次退所していき、席順も上がり、と言うことはベットの位置が限りなくいい場所、即ち廊下側から日当たりのいい窓際に出世していくといった構図を得て退所する。しかしまさしくそれは先の長い闘病生活となるのだろう。だが先輩たちの話す想像を絶する手術の過酷さには、耳を塞ぎ、生々しい傷痕には目を覆いたくなるほど強烈である。しかし現在の手術の進歩や、開発された医薬品によってその過酷さは克服されているはずだ。そう心にきめつけ今は病気に立ち向かうしか道はない。
あらためて結核菌に打ち勝たなければ家へは帰れないのだと肝に銘じる。
同部屋というのがここでは正しいのだが、どこか同房に似てぱっとしないが良しとしよう。
あたしの前列のベットの四人は、みな病状は快方に向かっている人たちで、全員手術を終えた人たちばかりである。それぞれ程度の異なる手術の結果から回復状態に差が見られ、その差はあたしからみて年の差もあり、歴然としたものがある。しかし何れにしても、皆社会復帰を目指している人たちであった。
その前の四人、一番左のベットの人は齢は50くらい、長身で彫りの深い面立ちだが、その彫りの深さも闘病生活から頬がこけているといったほうが妥当かもしれない。この人患者によって結成されている、○○療養所患者自治会の委員長を務めている頼もしい人である。朝食事を終えると背広に着替え、髪を撫で青々とした髭の剃り後も清々とカバンを手に自治会事務所へ出勤する。言い忘れたが左の一番奥の窓際は日当たりもよく、場所としてベット周りは広くとられいろいろ物が置ける。この人何着かのスーツを背後の壁につるしている。そんな存在感がこの人の療養所生活、いや闘病生活の長さを物語っている。まさしく部屋の主、いや療養所の主といえる。
その人の向かい、同じく日当たりのいいベットの人は委員長Nさんと双璧を成すTさん。Nさんと同じ年頃でこの人一番回復が遅いとみている。ときたま呼吸が苦しくなるのか、ベットにかがみ込んで苦しむ姿がみられた。両肺の大部分をおかされ、成形手術で潰している。背中の手術痕は無残で胸は押しつぶされ変形している。肺活力は極端に少なくなっており、歩行する姿も静々と両肩を上げて行く。肺の手術は右を切ると右の肩が上がり、左を切れば左が上がる体形になってしまう。当然両方を切れば、怒ったように両肩が上がり、首が肩の中に極端な話埋没する。この人自分の歩く姿を、糸の切れた奴凧がふわふわ空中を舞うようだと笑う。まさに悟りを開いた老僧のような人である。
委員長Nさんの隣の人はHといい40年輩か、髪を七三に分け、黒縁の丸いめがねをかけ、いつも和服姿で一見小説家風である。ベットの上に机を置き、書き物に余念がない物静かな人である。その隣の二人は若い。回復も順調らしく、Yは半纏の袖に手を隠し両袖を胸に合わせて小股に歩く、まさしく女形。することも小箱を前に置き、中の小切れで縫ぐるみの製作に暇を潰している。大小さまざまの人形の出来は見事で、看護婦や女性患者の人気の的である。その隣の廊下際、丁度あたしの前のAは一番回復が早く、社会復帰も間近である。この人ときたま意識して咳き込む、そして口にちり紙を当てて何か吐く。それをつまんで折りたたんだハンカチを広げそれに収めている。聞けば縫った患部の抜糸の残りが肺の器官から出て来るのだと言う。見せてもらったが五ミリほどの糸が数本包んである。記念にとって置くのだという。医者は別段心配ないと言ってるそうだが、あたしとしては不気味な思いがした。
このAさんにいろいろあたしは所内の事、手術の心構えとか実情をなんだかんだ、身振り手振りで教えてもらったのである。
あたしの隣は一つ年上のO、一番気の合った人である。その隣が部屋で最高齢のとなるSさん。総勢八人だがあたしを含めた並びの三人は療養生活が始まったばかりであり、手術の可否もふくめ、不安な心理状態にある。
先輩たちが回復し順次退所していき、席順も上がり、と言うことはベットの位置が限りなくいい場所、即ち廊下側から日当たりのいい窓際に出世していくといった構図を得て退所する。しかしまさしくそれは先の長い闘病生活となるのだろう。だが先輩たちの話す想像を絶する手術の過酷さには、耳を塞ぎ、生々しい傷痕には目を覆いたくなるほど強烈である。しかし現在の手術の進歩や、開発された医薬品によってその過酷さは克服されているはずだ。そう心にきめつけ今は病気に立ち向かうしか道はない。
あらためて結核菌に打ち勝たなければ家へは帰れないのだと肝に銘じる。
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