うたのすけの日常

日々の単なる日記等

結核療養所 7

2015-08-07 02:37:42 | 結核療養所物語

うたのすけの日常 結核療養所物語 7

2007-03-01 06:28:43 | 結核療養所物語
           
                ざっとあたしの病状を

 肺結核と宣告されたとき、あたしにはなんの自覚症状はなかった。これはあたしだけではなく、大半の人がそうであったと思う。戦前から肺病と忌み嫌われ罹病すれば完治の目安はなく、安静と栄養を重視した治療法しかなかった。それで空気の清浄なところでの転地療法が行われたりした。しかし結果として余ほどの幸運が重ならなければ、命を永らえることはできなかったのである。
 
 しかし戦後ストレプトマイシンという特効薬が開発され、外科手術も急速な進歩を遂げ、今日では国民病の汚名を拭い去っている。しかし根絶やしされたわけではないのであるから、油断は禁物。現に徐々に結核は首をもたげてきているらしい。ここで注意しなければならないのは、この病気が追放されて半世紀、結核に通じている医者が皆無に近いということである。レントゲン写真を解読するには、相当な知識経験がものをいうらしいから。

 結核予防会の診断を経て、あらためて療養所での担当医の精密検査を受けた。患部は右肺上部区域、空洞がありその周りに細かい結核菌が存在するということである。当面の治療としては、特効薬のストマイと他の薬での化学療法を行うことに決まった。
 期間は半年、一クールといわれている治療期間の単位である。疎覚えながら覚えていることはこうである。薬で空洞は勿論、その周りに散在する小さな病巣を退治し、徐々に空洞に追い詰めていく。そして空洞自体をも破壊して病巣を消す、乃至は小さくさして周りを薬の壁で囲って外に菌をださないようにする。こんなことではないのだろうか。
 
 半年の化学療法の結果、診断は空洞の周りの病巣は薬で死滅させ、空洞自体の周りにも強固な防壁をつくることが出来たという。一応化学療法は成功したが、より完璧に結核菌を死滅させるには、まだまだ先は長く療養生活を続ける必要がある。しかしこの段階で退所は可能と言う。菌は完全に殻に閉じ込めたからだという。しかし、ここでしかしが入るのである。
 
 通常の社会生活は可能であり、過度に亘らなければ運動も出来る。しかし肺に時限爆弾を抱えている状態なのだという。風邪でまたは予知できぬ病気で高熱を発したり、極端に体力の低下をみたとき空洞を囲んだ殻が爆発し、結核菌が活動する。即ち再発である。
 ここで退所するか、いつまで完治の読めない化学療法を続けるか、それとも外科療法で一挙に決着をつけるか判断を迫られた。手術をすれば術後半年で退所できるという。しかしこれはあくまで手術が成功しての話である。

 半年で帰れる。このことは魅力、あるいは誘惑とでもいうのか、あたしはその誘惑に負け手術に踏み切った。入所して半年、季節は初夏を迎えていた。


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