三幕 二場
数日後、「たえ」の店、まだ外は明るい、たえ、浮かぬ顔で椅子にかけている。そこへ二階か降りてくる後藤。そんなたえを見て。
後藤 どうしたんだその浮かねい面は。
たえ ほっとおいておくれ。
後藤 そうかよ…(思いなおしたように)どうだ、ここらで一気に攻めたててみねえか、おめえの躱に旦那が後先の見境えなく、かっかとのぼせ上がってるいまがうってつけだ。ここで大芝居打つんだ、腹ぼてになりやしたと揺さぶりかけて、逃げを決めるようならまとまった金を、脅し半分頂いちゃおうじゃねえか。
たえ お黙り!悪党…
後藤 悪党が悪党よばりか、笑わすぜ。
たえ ふん、おまえにあれこれ指図は受けないよ、ちとしゃべり過ぎじゃないのかい。 (考え込むたえ)脅しに出ようなんて考えちゃいないよ、旦那は人を疑うことを知 らないお人だ、手荒なまねしなくたって、お宝せしめんのは赤子の手えひねるよか 軽い。だけどねえ、あこぎなまねしてんのがあたい辛くなってきたんだよ近ごろ… 奥様のお顔がちらついて気が滅入ってくるんだ。
後藤 おいおい、冗談じゃねえぜ、ふん、柄にもねえ。
たえ なにがふんだい、わかりもしないで、それより出掛けたらどうだいそろそろ店をあけるよ。
後藤 邪魔にすんない。
たえ 邪魔なんだよ、客にさわるし第一うっとしいんだよ。
後藤 そうかよ、だがよくきけよ、まとまった銭手にしねえうちは、おめえとは他人にゃ ならねえんだよ、わかってるな。
たえ くどいよ!
後藤、せせ笑いながら店を出る、たえ、店の支度にかかる、花をあしらい香を焚く、入れ違いに沢、綾と夏を伴い店に入って来る
たえ あら、あな…(綾を認め、慌てる)あの…沢さんの奥様で…
綾 一度お目にかかってますわよね、いつぞや仲店通りで。
たえ 申し訳ありません御挨拶も出来ず…
綾 いいんですよそんなこと。あたしのほうこそ、あなたがこの店のおかみさんかどう か定かじゃなかったもんで、やはりそうだったのね。もしやとは思ったんですよ。たえ 恐れ入ります。
綾 今日はね、早い時間なんですけどそこまでついでがあったもんで、一緒に寄らして 貰ったのよ。
沢、綾の後ろで憮然としている。
たえ わざわざありがとうございます、こんなむさ苦しい店に。さあどうぞお掛けになって下さい。沢さん、お酒にしますか。
沢 うん、女房はいいよ、お茶でも淹れてやっておくれ。
たえ はい。
綾 いいのよ、あたしなら構わないで。
たえ いえそんな。奥様、今日はどちらかお出掛けですか。
綾 ちょっとお得意様に。
たえ さようでございますか。(酒と茶となにやら支度して、土間の飯台に並べる)
綾 あなた、召し上がったら。
沢 おう、(たえ、酌をする、綾それを見遣る)
綾 おや、いい薫り、香を嗜みなさるのね。それに奇麗にお花も活けてらっしゃる。な かなかじゃありませんかお若いのに…
たえ お恥ずかしいいですわ、ただ見様見真似で…
綾 (店をさりげなく見迴しながら)そうそう、出がけに板前にみつくらしてお重に詰め てきたのよ、お酒のつまみにどうかしらと思って。お夏、こっちへ…
夏 (綾に風呂敷包みを手渡しながら大仰に)あれっ、こちらへお持ちするんだったんですか?
綾 そうですよ、それがどうかしましたか。
夏、たえをきつい目で見る。
たえ なんですか、勿体ないですわうちあたりの店で。
綾 まあまあ、あなたにお持ちしたのよ、一つ味見して下さいな。
たえ すみません、遠慮なく頂きます。まあおいしそう、奇麗な盛り付けで、いまお重をあけてきます。
綾 いいのよ、そのまま使って頂戴。
たえ それじゃあんまり…
綾 いいんですよ。(沢に)あなた、なかなかいいお店じゃないの、(たえに)いつも すみませんうちの人がお世話かけて、さぞかし我がまま言ってるんでしょうね。感 謝してますよ。
たえ 感謝だなんて…あたしの方こそ旦那様にご贔屓にして頂いて、それより奥様、結構なお着物たんと、なんとお礼申していいか、奥様にまでかわいがって貰って嬉しいですわ。喜んで着させて頂いてます、これそうなんですよ奥様。
綾 そのようね、よくお似合いよ。喜んで着て貰ってほっとしましたよ。(沢に)あな た、あたしたちお店開けるまでには帰りますから、ゆっくりなすってらっしゃいな、沢 うん、まあ適当に。
綾 ほほほっ、適当だなんて。
沢 もうそのあたりで話は止めにしたらどうだい、遅くなるんじゃないのか。
綾 ほほほほっ、そうですね、ではお夏、失礼しましょう。そうそう、お子さんが見え ないようだけど。
たえ はい、ちょっとの間、裏の年寄りが構ってくれてるです。
綾 それはまたいい人がいてよかったわ、小さい子を抱えてのご商売、大変でしょう、 よくおやりなさる、偉いのねえ。
たえ 偉いなんて奥様。
綾 ほんとよ、ねえあなた。
沢 まあまあそれぐらいにして。
綾 はいはい、こんどこそ。
たえ あらほんとにお帰りですか、いろいろお気使いありがとうございます。またお近いうちご一緒にお出掛けください。
綾 そうね、そうしますよ、それでは御免下さい。(たえ、綾を腰をかがめ見送る)
夏 (表に出た綾を先に、店先を振り返りながら)この飲屋なんですねおかみさん、旦 那様が行きつけのお店って。ここならあたし知ってます。
綾 そうかい。
夏 そうかいじゃございません。よろしいんですか旦那様一人置いて、あたしなんか心 配です。旦那様あの女に喰われそう。
綾 ほほほっ、なに言うのお夏は。さあ急ぎましょう、時間までにもどれませんよ。
夏 はいっ。
二人を送り出した沢とたえ、場所を座敷にかえ、たえ、あらためて膳を整える。
たえ あなた、あたし気い張りっぱなし、疲れたわ。それに…なんだか惨め、泣きたいわ、こんなんていや。(たえいきなりたちあがり、戸口に走りしんばりをかい、戻るとなにか意を決した眦で座り直し、そして両手で顔を覆い哭き出す)
沢 どうしたんだ急に黙りこくって、おまけにしんばりまでしちゃって、おいたえ、お 前泣いてんのかい、一体どうしたってんだ。女房が顔見せたのが気にいらないのか、 あたしが好んで連れて来たんじゃないんだよ…
たえ そんなんじゃありません。あなた、思い切って言いますよ。
沢 改まってまた。
たえ、沢の耳元に口を寄せささやく。
沢 えっ、本当のことかい、(沢の顔に苦汁の影が一瞬走る)
たえ 嘘や冗談で、愛想が尽きましたか、後藤とは他人よ、言えない…
沢 間違いないのかい?(たえ頷く)
たえ あたしが迂闊でした、すみません…
沢 たえがあやまることじゃない。
たえ 怒ってますね。
沢 怒っちゃいない、戸惑っているだけだ。
たえ いえ、その目、その貌(かお)…
沢 そんな、後先考えなくてはならんじゃないかい。
たえ 逃げても構いませんよ、追いはしない。
沢 馬鹿言うんじゃない、なんであたしが逃げを打つなんて考えるんだ。たえはあたし をそんな男と…
たえ えっ、そんじゃあたしを今までどおり、かわいがっておくれなんですねえ…
沢 当たり前だ。要はだね、薄情に聞こえるかもしれないが、わかってくれ。たえはまだ亭主持ちの躯だ、ご亭主とはっきり切れなきゃ、喜んで生みなさいと…
たえ わかっています。後藤がなかなか別れ話に…なんだかんだと無理難題を言って、頭を縦に振らないんですよ。あなたにはただただ申し訳なくて…でも生もうとは思っていませんよ。騒動はいやです、始末をしますよ。
沢 (そっと安堵の吐息をつく)そうか、すまない。それで、どこか安心なとこ…どう
してもみつかんなけりゃあ…
たえ いえ、あなたの手はわずらわしはしません。でもさみしい、あなたの子が産めたら と…(顔を袂で覆う)でもあたしたちの間なんて、こんなもんなのね。奥様が妬け るう…
たえ泣く。
沢 それを言ってくれるな。
たえ 理屈ではわかっているんですよ。
沢 それでいいじゃないか、もうこの話は止めにしよう、あとは躯に気をつけて、頼ん だよ。
たえ はい。
沢 いい返事だ、これであたしも安心出来るというもんだ。さあ一本つけなおして貰お うか、店も開けなくてはな、そろそろ客もくる時間じゃないのかい。
たえ、沢にしなだれかかる。
沢 ご亭主との間にけりがついたら、格好の家をと、心してるんだよたえ。
たえ (沢を凝視し)あたしを囲ってくださるんですか、うれしい!
暗転
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