うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 蔵出しエッセー 90年頃その5

2008-01-23 05:30:29 | エッセー

石油の二字<o:p></o:p>

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「石油一滴、血の一滴」石油の二字を目にしたとき、私の脳裏に直ぐ反応するのは戦時中のこの標語である。だが少年であった当時の私はその重要性を十分に理解していたわけではない。しかし戦時という窮迫した経験がなかったら石油は庶民にとって、なんらその必要性を認識することがなかったのも事実である。戦いが敗戦で終わり、石油が艦船航空機の燃料として戦争遂行に不可欠なものでありながら、その産出になんらの術もなく、僅かな備蓄のまま戦争に突入したという無謀さを初めて知ったときの驚き。以来戦後の復興期から現在の日本の繁栄の原動力として、石油への罪滅ぼしの如く、日本人は石油をあらゆる部門に浸透させてきた。石油は単なる動力の源としてのみならず、家庭の台所から巨大なビルの林立する経済界の中枢まで、あらゆる所に進出し、その重要性を誇っている。<o:p></o:p>

国々は繁栄の二字を生み出す石油を求め、あらゆる術策を弄し、ときには恫喝を臆面なく発揮して狂奔する。日本もその一員に加わって、今日も綿々と繁栄というレールを突っ走っている。しかし、その反面、大きな犠牲を子孫に残すのではないだろうか。貪欲までの生活向上の追及、そして簡易さ便利さの享受。だがそのために果てしなく増幅していく公害。人心の荒廃すら生んでいるのは紛れもない事実だ。<o:p></o:p>

余暇を得るために余暇を犠牲にしてなんの繁栄だろうか。石油とて限りある資源である。ここらで一休み出来ないものだろうか。石油の恩恵を得なくても、古代より人々は文化を生み、芸術を享受し、人を愛し自然と生き、余暇を隣人と堪能していたではないか。<o:p></o:p>

限りなき欲望は強欲である。どこかで断ち切らねば。