石油の二字<o:p></o:p>
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「石油一滴、血の一滴」石油の二字を目にしたとき、私の脳裏に直ぐ反応するのは戦時中のこの標語である。だが少年であった当時の私はその重要性を十分に理解していたわけではない。しかし戦時という窮迫した経験がなかったら石油は庶民にとって、なんらその必要性を認識することがなかったのも事実である。戦いが敗戦で終わり、石油が艦船航空機の燃料として戦争遂行に不可欠なものでありながら、その産出になんらの術もなく、僅かな備蓄のまま戦争に突入したという無謀さを初めて知ったときの驚き。以来戦後の復興期から現在の日本の繁栄の原動力として、石油への罪滅ぼしの如く、日本人は石油をあらゆる部門に浸透させてきた。石油は単なる動力の源としてのみならず、家庭の台所から巨大なビルの林立する経済界の中枢まで、あらゆる所に進出し、その重要性を誇っている。<o:p></o:p>
国々は繁栄の二字を生み出す石油を求め、あらゆる術策を弄し、ときには恫喝を臆面なく発揮して狂奔する。日本もその一員に加わって、今日も綿々と繁栄というレールを突っ走っている。しかし、その反面、大きな犠牲を子孫に残すのではないだろうか。貪欲までの生活向上の追及、そして簡易さ便利さの享受。だがそのために果てしなく増幅していく公害。人心の荒廃すら生んでいるのは紛れもない事実だ。<o:p></o:p>
余暇を得るために余暇を犠牲にしてなんの繁栄だろうか。石油とて限りある資源である。ここらで一休み出来ないものだろうか。石油の恩恵を得なくても、古代より人々は文化を生み、芸術を享受し、人を愛し自然と生き、余暇を隣人と堪能していたではないか。<o:p></o:p>
限りなき欲望は強欲である。どこかで断ち切らねば。
退職後を田舎で暮らす人達と接点がありますが、共通するのは薪ストーブです。
田舎でも薪の購入は難しいですから、自己調達が原則!
つまりは山ごと買って、何でも自分でする訳ですが、誰もが挑戦できるものではありません。
自然に帰って暮らすのも難しい時代です。
難しい~ 皆同じように思ってはいるのでしょうが 自然とともに生きて生きたいです。欲望は程々にしないと限がありませんが そこが出発のようでもあります。
今日は。
「田舎で暮らす」今都会の人たちが、一度は検討してるのではないでしょうか。しかし田舎暮らしに天賦の才がなければ困難でしょうね。
今日は。
そのとおりです。そんな現象は見たくもあるし、見たくもありません、といったところでしょうか。
今日は。
欲望はほどほどに、そこが肝要、凡人にはなかなか難しいことですが、まして若い人にとっては人生の活力の元とも言えますし。結局人それぞれってことでしょうか。
北国では血税の一部を油にまわしてもらわないと、命を奪われてしまいます。
今日は。
北国は石油の高騰は切実、まさに血の一滴石油の一滴ですね。それにしても本会議の質疑応答を聞いていると虚しさが募るばかりです。政治家の資質乏しい人たちを、あたし達はどうして選んでしまったのでしょう。