うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 新年を迎えての感慨

2008-01-04 05:53:40 | エッセー

感動が薄くなってきた<o:p></o:p>

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 突然ですが、人には感動する気持や何事にも興味を持つといったことは、非常に大事なことと思います。興味津々ごみ箱の箱も開けるぐらいの探究心を持ったり、赤ん坊が顔を真っ赤にして泣く様を見ては、なるほどそれで赤ん坊と言うのかと驚き、且つ感動しなくてはいけません。と長年それを実行してきた心算なのですが、それが最近すこぶる怪しくなってきたのです。それは徐々にではなく突然そうなったといっても過言ではありません。愕然としたとはチト大袈裟ですが、この年末年始はその症状が特に顕著に現われたといえます。唖然としかつ不安にそして寂しくもなりました。<o:p></o:p>

 あたしが年末年始最大の楽しみにしているのは、暮れの都大路を駆け抜ける全国高校駅伝選手権大会と、明けて2日3日の箱根駅伝です。高校のほうは男女それぞれに行われますが、その日は午前午後とテレビの前に毎年なら座りっぱなしになるわけです。それがどうしても競技に集中出来ないのです。途中パソコンを開いたり、ラジカセで演歌を流したりするのです。といって競技に迫力がないといったわけでもないのでして、女子は逆転でダントツの勝利、男子はグラウンド勝負で手に汗握る場面を展開してくれているのです。それなのに例年のような感動が湧いてこないのです。それは大相撲についても言えます。場所が始まれば時間が許せば幕下の取り組みから観戦し、有望力士に着目して将来の出世を期待したりします。それが幕内の取り組みに入っても、去年の11月場所などは途中風呂に入ったりしても別に惜しく思わなくなっているのです。これはあたしにとって驚くべき変化です。今まではかみさんに早く入ったらと急かされても平然としていたのにです。昨日一昨日の箱根マラソンでもそうなのです。暮れの内から胸をときめかして待っていたのに、テレビの前に陣取ってさてと身構えても感慨がいま一つ薄いのを知らされました。<o:p></o:p>

 こんな突然に襲った症状?にあたしなりの分析をお屠蘇気分でしてみました。一つ確実にいえる事は脳の変化、否、老化ではないかということです。感動や感興を引き起こす回路の、そういったものがあればですが、それが急に衰退したということです。まあはっきり言えば突如脳の老化現象が始まったのでないか、そういった自覚です。しかしこれを由々しき事態とは考えません。形あるものはいつか崩れるもの、生命体の摂理とわきまえました。慌てふためくことはありません。年相応といいますか、それぞれの個人差もあるかも知れませんが、臆することなく素直に対応をする、そしてそれに順応すべきと考えました。<o:p></o:p>

 さすればまた別の道が、愉しい選択の道が開けるのではないでしょうか。<o:p></o:p>

例えばブログなどは格好ではないかと思います。この一年すっかり嵌まってしまっています。ことによると脳の回路がそれに占拠されたせいなのかも知れません。そんなに脳味噌が豊富ではなさそうですから。<o:p></o:p>