観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「タワマン」「保険」「相続」「医者の給与」「国民年金」を考察する予定。

半島非核化とは

2018-06-09 23:58:11 | 政策関連メモ
小ネタですが、半島非核化に触れておきます。

半島非核化を北朝鮮は主張しますが、自身の非核化を本当に実行するかはさておき、北朝鮮自身は自身を核保有国と定義しているのは理解しています。名目上はともかく、北朝鮮は事実上の核保有国と目されており、北朝鮮が核保有国として容認されていないということは、核クラブの特権を認められていないのと同じ意味だと思います。

良く分からないのは、北朝鮮が半島非核化の文脈で在韓米軍撤退を絡めてくることです。韓国は半島の国ですが、あらゆる意味で核保有国ではありませんし、そうだと一切目されていません。でなきゃ、韓国保守派にありがちな核武装論は有り得ない訳です。核保有国でないから、核保有国になろうと主張している訳でしょう?NATO諸国で核武装国は英仏です。他の国は米軍が存在していたとしても核保有国ではありません。日本も核保有国ではありませんし、韓国も核保有国ではありません。北朝鮮だけが事実上の(容認されない)核保有国なのであって、北朝鮮の主張は在韓米軍撤退を絡めているとすれば、全く論理性を欠き意味不明です。

北朝鮮の主張とされるものは、半島非核化では恐らくなく(そうだとすれば北朝鮮だけ核を放棄すれば事足ります)、米韓同盟破棄論なのでしょう。韓国も北朝鮮同様半島の国ですが、韓国は韓国、北朝鮮は北朝鮮なのであって、米韓同盟どうこうを主張するというならば、大きなお世話、聞こうが聞くまいが韓国・米国の自由ということになります。主張するのは自由ですが、話を相手側が聞くとは限りません。そんなに核の傘がほしいのであれば、中国でもロシアでも頼めばいいんじゃない?というのが筆者の北朝鮮に対する提案です。韓国や米国の考え方を明快に知っている訳ではありませんが、北朝鮮がどこの国と同盟してはならないという話を筆者は寡聞にして聞いたことはありません。多分、その辺の条件はイーブンのはずであり、北朝鮮だけが自身が掲げる半島の非核化に違反しているのではないでしょうか?

国連が全会一致で止めているにも関わらず核武装を進めた北朝鮮は非核化を達成した上で、中国のように経済発展路線を歩めばいいんじゃない?ということですね。正面の敵は首都を人質にとっており、背後の大国は味方と言えます。原状回復が制裁解除の条件という訳です。拉致問題を解決すれば日朝国交化正常化が視野に入りますし、その方が北朝鮮にとっていいと考えられます。

こちら側の考え方はかなり明快で誤解の余地はないと思うのですが。経済発展が体制崩壊に繋がると主張する向きもあるようですが、じゃあ中国は何時崩壊するのかね?危険だナ~ということになります。準備しなくちゃ大変だ、北朝鮮が滅び、韓国が滅んで、あるいは玉突き的に日本に悪い余波が来るかもしれません。全て可能性はゼロではありませんが、有り得なそうな話をされても?ということになります。実際に経済発展したとかいう金正恩体制でピンピンしているのに、何が?でしょう。

北朝鮮の理解が早いと助かるんですけどね。どうなることやら。

皇位継承問題における大同小異

2018-06-09 19:33:23 | 政策関連メモ
将来続く可能性がある皇位継承者が事実上悠仁様しかいなくなっているというのが皇位継承問題ですが、これで男系VS女系のような話になっているのは、捏造というかほとんどデマに近いと思うんですよね。筆者は女系容認論者ですが、大同小異をあえて考えるなら、悠仁様派と愛子様派に本来はなると思う訳です。元々愛子様派と旧皇室派の争いだったから、今の現状になっている訳で、その意味で必ずしも間違っている訳ではありませんが、悠仁様の誕生で現状は大きく変わっているのに、昔の構図を何時までも当てはめられることに大きな不満がある訳です。筆者は悠仁様誕生まで皇位継承問題を深く追及したことは無く(小泉政権時は何となく小泉派でした。郵政民営化は支持していますが、首都移転など小泉政権の政策を全て支持した訳ではありません。愛子様でなければならないと強く考えた記憶が無く、悠仁様が生まれて安堵した記憶しかありません。小泉政権以後第一時安倍政権のバッシング以後、ムキになっていろいろ考えるようになった経緯があります)、女系容認というと愛子様を強く支持した側だと印象されると思いますが、簡単に言うと間違いだと思っています。別に愛子様どうこういうのはありませんし、こんなことを書くのはどうかと思いますが、筆者は皇太子様や皇太子妃様や小和田家を擁護してきた訳ではなく、別に強くバッシングした覚えもありませんが、いろいろ報道されましたが、大丈夫かなと思ってきた方であり(小和田家が日本の象徴に嫁ぐにしては国際派に過ぎ、精神の病に関する理解が日本にあまりないという経緯があったと思います)、発言や感情を追えば、寧ろ皇太子様に警戒される部類の考え方であって、その意味で大同小異で言えば、自分の中では完全にいわゆる保守派の主流派に属してきた訳です。女系容認論が保守派ではかなり少数派は認めますが。いずれにせよ、筆者は論理的に言って明々白々とした男系論者であって(悠仁様支持がその証拠ですし、女系でも長子相続などと一言も言っていません)、女系にカテゴライズすることそのものがほとんど有り得ない訳です。他の女系論者の論はほとんど知りませんが、筆者の女系容認論は正確に言うと、男系論者の超傍系・長期臣籍降下アウト論を経た女系容認論になります。女系もアウトと言えばアウトかもしれませんが、全部アウトで皇室存続のため何れかの選択肢を復活させる上で、直系を重視するという論理構成のつもりです。

今、愛子様派というのはあるいは存在していないのかもしれませんが、感情面のシコリとしては、愛子様派は存在していてこれが女系容認に繋がっているように見え、小和田家と喧嘩したいの意識はありませんが、筆者が女系容認論だからと言って、小和田家を擁護してきたように見られるのは全然違うと言いたい訳です。擁護は寧ろ立派かもしれませんよ?でも筆者はそれをしていません。特に強くバッシングした記憶はありませんが、中立だったとか無関心だったとかそう言い切れる自信は全くありません。皇室問題をいろいろ考え始めたのも悠仁様誕生以降と思いますが、後はお察しくださいということです。その辺に強く拘るのは、伝統を全く尊重する意識もない左派系が女系容認論に入り込んで、筆者の中で誰?という意識があるからです。勿論女系容認派と旧皇室派・男系絶対派とが対立したら、少なくともその問題では前者につきますが、それを主軸に考えて日本を二分するというなら、全く後者の方につく気であるのは間違いありません。女系容認派の方に筆者と相容れない考え方の方が圧倒的に多い訳で、これは本人的に極めて自然な流れです。改憲派に男系派が多く、護憲派に女系容認派が多い訳で、自分のプライオリティは改憲にあるというと分かり易いかもしれません。

さて、何故悠仁様の系統にもしものことがあった場合に直系の女系を優先して、男系でも超傍系を忌避すべきと考えるかと言えば、既にいろいろ述べてきましたから簡単に言及しておきますと、超傍系継承がほとんど有り得ないと考えるからです。男系絶対派の皆さんの中には現皇室の女性と結婚して~と考える方がいらっしゃいますが、確かにそれは前例(後に述べる継体天皇)を踏襲しているにせよ、現代において婚姻の強制は例え皇室においても難しいというだけではなく、論理的に考えて男系継承を絶対視するなら、誰と結婚したというのは意味が無いということになるからです。事実、どちらかを白黒ハッキリさせると言うなら、継体天皇は応神天皇五世だから皇位を継承したのであって、手白香皇女と婚姻したから皇位の継承があったとは言えないはずです。どの皇女と結婚したら皇位継承ができるという話はなく、男系で皇室に繋がるから皇位継承があるというのが、暗黙の神武天皇以来の男系継承の考え方なのであって、男系継承だからこそ、誰かと結婚することは重要なものの、誰と結婚しても傍系はそのまま傍系ということに論理的になってしまう訳です。

とうことは、男系絶対論者はほとんど現皇室と旧皇族の共通の祖先の1372年生まれの伏見宮貞成親王あるいはその祖父北朝三代の崇光天皇(1334年生まれ)、北朝として数えられる天皇を外すなら崇光天皇の祖父第93代後伏見天皇(1288年生まれ)まで遡る日本はおろか世界を見回しても前例があるはずもない前人未到の超傍系を容認するということを意味するとしか結論できません。これは明治天皇・昭和天皇の系譜をひかないどころか、江戸時代にかすりもしない系譜を支持しているということになってしまいます。男系絶対の考え方から行けば、これは長い皇室の歴史でもっとも傍系とされる継体天皇も度肝を抜かれる傍系です。男系は確かに維持できるかもしれませんが、直系重視が皇位継承の基本的な考え方であって、直系をまるで重視せずこれを嘲笑うかのような超傍系容認は筆者的には疑問とせざるを得ません。

八幡和郎氏の意見はよくまとまっており、筆者が参考にすることもある論者ですが、以前触れましたが、確か江戸時代に分かれた男系の「皇族」がいるという話を論じたことがあり、こちらの方がより男系として近いにせよ、江戸時代の別れに過ぎませんし、必ずしも皇族として遇されてきた訳ではないので、二重の意味で継体天皇の度肝を抜くべきではなく、もっと有り得ないと筆者は思っています。幾らなんでもアナクロニズムに過ぎ、現代性が無さ過ぎでしょう。

皇位継承は男系だったら誰でもいいという訳ではなく、特に政争などが無ければ、直系継承が基本中の基本であり、超傍系を基本を大きく外すアウトだと考えれば、女系容認は視野に入ってきます。これは婚姻を重視してないと主張される恐れがありますが、女系を関係ないとしているのは男系絶対論者であって、女系容認論者ではありません。自分が関係ないと考えているものを関係あると考えるのは論理矛盾で支離滅裂でしょう。男系でなければならないと教典に書かれているなら、確かに男系絶対論者の主張通りになると考えられますが、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランにあたるものは日本には無く、皇室の男系継承は不文律に過ぎません。そして直系重視も重要な不文律の一側面であり(臣籍降下が長期に渡り生まれながらの「臣下」が皇位継承に関係した前例もなく、この辺の不文律も犯しているはずです)、論理的に優劣をつけることは不可能なのであって、この辺の判断は皇室関係者や皇室に関心がある人々の感覚的な判断に拠らざるを得ません。

さて件の継体天皇ですが、水谷千秋氏の著作「謎の大王継体天皇(amazon) 文春新書 2001」は結構面白く読んでおり、細部は覚えていないにしろ、自分の中では残っている1冊です。関心がある人は読んでみればいいと思いますが、継体天皇は推古天皇・用明天皇(聖徳太子の父)の祖父で、この辺から皇室の歴史が明らかになると見ることもできます(それ以前の倭の五王の時代はいろいろ異説もあって(中国の歴史書との食い違いの論争などあります)、実在を疑う訳ではありませんが、結構謎が深いのも間違いないと思います)。いずれにせよ、継体天皇を境に大きな断絶を見ることもでき、それが継体という諡に表れていると思います。その辺を勉強すると明らかですが、継体天皇の継承にはいろいろあって、やはりかなり遡った傍系継承というのは想定外の事象と言え、正直に言えばあまり遠いと他人のようなものと言えると思います(男系を絶対視する=女系を認めないと決め付けてしまうと論理的に言って女系は一切関係なくなります)。旧皇族は戦前までは皇族として遇されてきたという違いはありますが、あまり多くなり過ぎた(傍系の)皇族が臣籍降下に対象になるのは、寧ろ皇室の通常の歴史と言えると思います。源氏や平氏も皇室の出とされますよね。源氏は清和天皇の出の清和源氏や平氏は桓武天皇の出の桓武平氏が有名ですが、旧皇族よりも遥かに時代を遡るものの(特に臣籍降下した期間が違い過ぎますが)、論理構造から言えば、旧皇族優先論者というのは、源氏や平氏に皇位継承させようと主張するのと同じということになります。それでも男系継承したというのが男系絶対論者の見方なのですが、女系容認論者は傍系というのも有り得ないよなと見ます。いずれにせよ、一般的な系図から現在の皇室に連なる江戸期の皇室や明治天皇・昭和天皇を経由しないルートを筆者は認めたくありません。男系絶対論者は経由しなくても構わないと正直に認めた上で主張して欲しいと思います。女系容認論なら神武以来の不文の祖法は破るかもしれませんが、皇祖神から皇室へは女系でしか繋がりませんし(男系を絶対視する論者は皇祖神は皇室に関係ないと言い切れるでしょうか?)、現代において男系を絶対視することはかつて存在した女性天皇を(未婚を強いることができないから)今後一切認めないのとほとんど同義だと男系論者自身が認めています。ゴリゴリの皇室主義者(?)こそ女系容認のような気がするんですけどね。筆者は。可能である限り(女系容認論者の中では超傍系が可能に入っていない)男系を優先するのは勿論のことです。

継体天皇が育ったとされるのは越前(福井県)、生まれた土地とされるのは近江(滋賀県)であるようです。応神五世とあわせて皇室の出ではあったのでしょうが(何の根拠も無い馬の骨に皇位を継承させるはずもないとは思うのですが)、畿内に近い豪族の力を見て取ることもできるかもしれません。大和に都を構えたのは即位してから19年経った後のことだそうです。とにかく異質ですが、北陸(越前)が関係しているところが面白いですね。他に後の顕宗天皇・仁賢天皇が播磨国に隠れ住んでいたというのもあります。こうなったのは大悪天皇とも言われ毀誉褒貶激しい雄略天皇が政敵を一掃したため、自分の子の清寧天皇が無くなった時に皇位継承者が見当たらなかったという事情があります。雄略天皇が謀殺した市辺押磐皇子の娘が飯豊青皇女で一時政をとったとも言われ(女性だから見逃されたのでしょう)、顕宗天皇・仁賢天皇はその弟にあたるとされます。仁賢天皇を継いだのが武烈天皇で武烈天皇が亡くなっていよいよ皇族がいなくなったということで、継体天皇の登場となります。武列天皇の姉が手白香皇女で継体天皇の皇后になります。播磨に隠れ住んでいたと言われる(山陰の丹波/京都も関係するそうです)仁賢天皇の系統(手白香皇女)と越前・近江の継体天皇の子供が欽明天皇で現皇室に連なるということですが、中々どうして怪しいなと正直思いませんか?(今の世の中に不敬罪があったら筆者はアウトかもしれません)その怪しさはやはり直系の皇室に連ならない・臣籍降下に準ずる存在になっているというところから来ている訳です。現皇室の女性皇族は来歴が明らかで皇族として重んじられてきた存在です。現状の皇族は全て大正天皇の系譜を引き少なくとも明治天皇の系譜を外すことはありません。更により直系の今上天皇の系譜は昭和天皇という重い存在の系譜を外すこともありません。男系継承の歴史を知りつつも女系容認論に固執するのは、この意味であって他意はない訳です。

少し話が逸れますが、歴史時代以来、日本の歴史は近畿中心(特に奈良・京都)であり続けた訳ですが、これが決定的に変わるきっかけになったのが、江戸時代です(鎌倉時代もありますが、都は京都でしたし、鎌倉は狭く結局滅んだような形になります)。誰でも知っている歴史ですが、織田家から覇権を奪った豊臣家が徳川家に覇権を奪われた訳です。徳川家は元は松平と言って、お隣尾張(愛知)の織田信長と同盟して成りあがった三河(愛知)の豪族・大名でしたが、豊臣秀吉に加増転封を言い渡され(危険人物を遠ざけたかったのかもしれません)、江戸に移ります。そのまま江戸を拠点にしたところ、経済がメキメキ発展し、明治維新の後も東京が都になり、ついに皇室まで動いてきました。皇后美智子様の実家は正田家(父英三郎氏は日清製粉の社長・会長、祖父貞一郎氏は日清製粉株式会社社長、東武鉄道株式会社会長、貴族院議員)で群馬の館林の米問屋だそうで、皇太子妃雅子様の実家は新潟村上市の下級武士がルーツの小和田家(父恆氏は外務事務次官、国連大使、第22代国際司法裁判所所長を歴任)になります。逆に皇室の藩屏を重視する超保守的とも言える方々に言わせれば、現皇室こそ否定の対象になるかもしれませんが、もはや刻まれた歴史は動かしようもなく、戦後の歴史を否定して遡ることを重視すべきではないというのが筆者の考えになります(更にラインを下げろと主張している訳ではなく、時代を遡り過ぎるなと主張したい訳です)。旧皇族というのは論理的にいって系譜を室町時代・鎌倉時代まで遡ることを意味するので、新しい時代の歴史の超軽視と見る他無く、かなり頑張っている次第です。

現在の皇室の考えは知る由もありませんが、系譜をそこまで遡るのを是としているのか疑問に感じており、男系を絶対視する方々の立場は実は危ういかもしれないとは思わないではありません。まぁ聞いてみたら筆者の考えが現皇室とは違うのかもしれませんが、その辺は現皇室の方々しか知らない、少なくとも一般では何とも言えないということになるのではないかと思います。ホントに旧皇族に拘る方々は系譜が室町・鎌倉まで遡っていいと考えているんですかね?少なくとも一般的な系図では皇室の歴史の半分近くが繋がらなくなると思うのですが。応神五世どころじゃない何とか王(失礼)が延々延々延々と続く系譜よりは、ちょっと思い切った方が随分マシではないでしょうか?少なくとも男系絶対のお隣のあの国やあの国(結婚しても女性は旧姓しか名乗れず女系は絶対に繋がりません)が何を言おうが筆者など全く意に介していません。女系が繋がることが有り得るのが日本という国です。

最後に触れにくいところを触れておきますが(何時ものことです)、婚姻重視・直系重視でも血統を重視すると(皇室というのは血統そのものです)、眞子様に関してちょっと関心を持たざるを得ません。これは男系が絶対だから言っている訳ではありませんが、~家がどうという話がない皇室はないんじゃないかと思います。傍系過ぎることや臣籍降下が問題になるのは、この辺が非常に怪しくなるからというのもあります。女系だってあれこれイチャモンつける人はいると思いますが、超傍系や臣籍降下が絡むと同じくいろいろイチャモンつけられるのは同じでしょう。何を重視するかにはなりますが。筆者は女系容認論者であって、女系を絶対としている訳では全くなく、これ以上のことは控えておきますが、血統や婚姻の話を皇室に関して全くしないことが正しいと思っている訳ではありませんし、それが可能な時代ではないと思っていることも付け加えておきます。結婚は皇室と言えど本人の問題だと筆者は思いますが、家の問題は本人だけの問題では必ずしもありません。不自由かもしれませんが、それが日本の象徴であり伝統そのものではないでしょうか?パパラッチで追い回すような自由があると主張している訳では勿論ないですが。

前回の記事を自己否定している訳ではありません。書いていることそのままで矛盾はないはずです。念のため。

山陰・北陸・東北(日本海側)諸都市と高速鉄道考

2018-06-09 16:32:25 | 政策関連メモ
合区関連で鳥取・島根の記事ですが、今回は同じ日本海側ということで北陸や東北まで話を広げながら、鉄道に関して記事を書きたいと思います。

山陰本線高速化(山陰ご近所鉄道資料館)

山陰新幹線の構想は新幹線の基本計画路線として存在しているようですが、着工に向けた具体的な動きは行われていないようです(参考:山陰新幹線(ウィキペディア))。それもそのはずで、山陰本線は既に高速化しているようです。だとしたら、山陰に新しい新幹線を造ろうという計画が実行に移されることはまずないのかもしれません。山陰地方は切り離せない日本の重要な一部分と思いますが、県庁所在地はそれほど人口がなく(鳥取都市圏:23万9829人、松江都市圏:29万2366人)、採算に疑問符がつく可能性もあります。本州から海を隔て地形上4県バラバラになりがちな四国も人のことは言えず、共感する部分もありますが、採算を考えないビジネスも有り得ません。

もったいないと思うのは山陰本線が高速化しているという事実が日本で広く知られていないことではないでしょうか?新幹線フル規格論争がありましたが、フル規格にするかどうかの議論は当然有り得るとしても、高速化した特急を事実上の新幹線と呼んで知名度を上げ、利用を促すという手法は有り得ないだろうかと思う訳です。これなら在来線の廃止論争も有り得ず、地元がドル箱を奪われた上で採算の合わない路線の運営に追い込まれるということがありません。鉄道の強みは通勤・通学需要と都市間輸送にあって、都市間輸送を担うドル箱である特急を新幹線に奪われ、過疎の路線を維持するのは中々至難に思えます。

山陰本線の基点は大阪ではなく京都です。元々山陰地方というのも京都中心の視点でカテゴライズされた経緯がありますが、地形上も由良川流域は京都の裏にあたり、丹波地方は京都と密接な関係を持ってきたと思います。ここから但馬地方(兵庫)~因幡地方(鳥取)~伯耆地方(鳥取)~出雲地方(島根)~石見地方(島根)~長門地方(山口県)と続くのが山陰本線です。中小ばかりですが、面白い都市も多く、山陰地方の連携が進むと面白いのではないでしょうか?各地の新幹線をテーマにした観光があるようですが、それの山陰バージョンがあっていいと思った次第です。費用対効果でフル規格のハードルは高いかもしれませんが、それに類する結果が出ればそれで良しではないかと思います。

詳しくないですが、今はわりとバラバラなのかもしれません。

北近畿ビッグXネットワーク(ウィキペディア)

ビジネス至上なら姫路経由のはまかぜルートが鳥取まで延びておりあるいはこれが一番なのかもしれませんが、完全に京都を外すことになります。こうのとりルート、はしだてルート、まいづるルートがあって、大阪発と京都発の2路線あってもいいのかもしれませんが、この辺は中々難しいところかもしれません。そういう話は地元の方々がやるのが一番と思いますが、筆者としては1本筋が通った山陰ルートで鉄道を舞台に連携が進み注目が集まれば良いと思った次第です。

次いで北陸新幹線(石川県企画振興部)に触れます。今は東京から金沢駅までですが、既に終点の新大阪まで開業することは決まっています。敦賀以西は東小浜(若狭地区)に駅が出来て京都に繋がるようです。中央新幹線も三重県・奈良県ですし、京都はまだしも滋賀県は受難の時代なのかもしれませんね。リニア新幹線後はひかり・こだまが増え、より地元に密着するというプラス思考の発想があっていいのかもしれません(JR東海がリニア開業後予想図 中日新聞 2018年2月28日)。滋賀県の停車駅は米原ですね。県都大津市は京都市の通勤・通学圏でもあって、新幹線の停車駅としては京都に近すぎるかもしれません。滋賀県に関しては、また別に記事で触れたいと思います。海と言えば日本は島国ですが、みずうみ(湖)と言えば、日本では滋賀県に決まっています。日本は海洋国家であって海のチャンピオンは決められるものでは中々ありませんが(あえて言えば沖縄?)、内水面の日本チャンプは滋賀県で異論があるはずもありません(諏訪湖の長野や北海道・秋田・青森・茨城あたりの異議は全てスルーします)。話は逸れましたが、北陸地方は通常福井・石川・富山・新潟を指しますので(新潟は時にハブられることもあります)、北陸新幹線の駅がないからと言って残念がる必要はないのではないでしょうか?いずれにせよ、全線開通すれば、東京~大阪間の日本海ルート完成で、富山・金沢・福井といった日本海諸都市に焦点があたることになります。

話はちょっと戻りますが、京都発でも大阪発でも、東京~大阪間で北陸(日本海)ルートに焦点があたったように、山陽道だけでなく、山陰道にも焦点があたって、関西~九州間の新ルートが注目され開発されれば良いと思った次第です(採算面は身の丈にあった妥当なラインで納得できればどうとでもなりそうな気がします)。

最後に羽越新幹線(奥羽・羽越新幹線整備)ですが、これは通してみれば北陸新幹線前提で大阪から青森に至るルートな訳ですが、日本海側諸都市を結びつけ、東京から新潟~秋田~青森~北海道の迂回路をつくり、北陸地方や東北地方の均衡ある発展を図るという意味合いもあると思います。これは山形新幹線(ウィキペディア)・秋田新幹線(ウィキペディア)の絡みもあって、山形新幹線は今は新庄まで開通しているようですが、酒田(庄内地方)まで伸ばすとか、大曲まで伸ばして秋田延伸まで視野に入れるとかそういう話もあるみたいですね。東京~秋田間の秋田新幹線は、盛岡から直角に曲がる感じで、東京~秋田間の最短距離になるようには思えません。採算性は極めて重要ですし、山形から大曲に繋がれば恐らく最短でしょうが、羽越ルートも日本海側で最大の新潟市(都市圏人口は唯一100万を超えます。端過ぎる九州や北海道を入れなければですが)が入って、庄内地方(酒田が挙げられますが、鶴岡も並ぶ都市です)に光が当たって、秋田・青森ですから、かなり面白いのではないかと思うんですよね。小都市なら村上市もありますね。皇太子徳仁親王妃雅子様の本籍地が村上市本町なのだそうです。山形新幹線も良いと思いますが、東北最大の都市仙台を通らないという難点がないとは言えません。そう考えると北陸最大の都市を抱える羽越ルートが面白いということになると思います。

せっかく北陸新幹線が全線開通するのだったら、北陸最大の都市まで大阪から繋げばいいとも思うんですよね。日本海の話で金沢や富山・福井とも連絡しやすくなります。上越地方に焦点もあたります。戦後時代の著名大名軍神とも言われる上杉謙信の居城は春日山城(春日山城跡 上越観光NAVI)ですが、上越地方にあります。日本の城郭の有名どころは大体安土桃山時代以来の織豊系城郭か次いで江戸時代の城郭に由来するのですが(松山市のシンボルである松山城を築いたのは豊臣系大名の加藤嘉明公(秀吉子飼いで賤ヶ岳の七本槍。賤ヶ岳は滋賀県で、柴田勝家(北陸担当)と戦った賤ヶ岳の戦いは明智光秀(山陽ルートの秀吉に対して信長に山陰ルートや四国を任され一時は秀吉以上に評価されていたとされます。秀吉との出世争いに負け始めたことが本能寺の変のきっかけのひとつの見ることもできます)との山崎の合戦と並んで秀吉が織田家を支配するという下克上を決定づけた戦いのひとつになります。日本海沿岸は決して裏で片付けられる地方ではありません)で、松山という名前を命名しており、安土桃山時代の影響は無視できないものがあります。松山城を築く以前の城が正木城で城跡に行ったこともありますが(ただの小さい岡です)、筆者の現在居住する松前町に存在します。狙った訳ではありませんが世間は狭い?)、それ以前の戦国時代の城としては春日山城は巨大でいろいろ面白いのではないかと思いますが、残念ながら今はただの城跡のようです。上越新幹線の上とは上州(群馬県)の上で上越新幹線は通っていませんが、羽越新幹線こそ真の上越新幹線と言えなくもないのかもしれません(えっ!上越新幹線は上越市も上越地方も通らない? じゃあ由来って何? にいがた就職応援団)。幾らなんでも紛らわし過ぎで、上越市民はわりと迷惑ではないかと思うのですが。

そんなこんなで山陰地方を中心に北陸・東北を含めて日本海側の高速鉄道を考えてみました。日本海側は切り離せない日本の一部で中々面白い地域だと思います。

焼き物国際化

2018-06-09 15:08:28 | 日記
一ヶ月以上前、今年の4月28日になるのですが、「新しい砥部焼の可能性~砥部焼パリ展を終えて~」に参加してきました。その頃何か地域の活動ないかなと考えて町役場に行ってみたらチラシを見つけたというのがその経緯です。いろいろ感想はあっていずれ別に書くことはあるかもしれませんが、今回は焼き物の国際化一点に絞って記事を書きます。

砥部焼きを海外進出させようという試み自体は素晴らしい取り組みだとは思いますが(ロンドン展をまずやって今回のパリ展に繋がったようです)、そうした切り口はさておき、今回は別の切り口を検討します。講師は西岡孝泰氏(二代目永立寺窯窯元)で、経歴を見ると石川県九谷焼技術研究所入所で人間国宝吉田美統先生に師事とあります。筆者が質疑応答で細かい内容は忘れましたが、砥部焼きの定義に関わるような質問をした時、西岡氏の答えは保留にしたいということでした。陶芸教室でつくった焼き物など砥部でつくられた焼き物が砥部焼きという一般的な定義もあるし、伝統工芸としての手順など定められた砥部焼きもあるということです。一般的な定義はさておき、伝統工芸の技術をキチンと学んだ人間としては、砥部で作ったから砥部焼きでいいという考えに何の葛藤もないということではないようですが、まぁそれはそうだろうなと思います。勿論素人が陶芸するなと主張しているのでは全くありませんし、寧ろその真逆ではあると思いますが、全く一緒と言われたら、キチンと技術を身につけたものとしては立つ瀬がないでしょう。誤解のないよう強調しておきますが、あくまで筆者が質問したのであって、西岡氏はそれに答えただけです。

さて、焼き物の国際化ですが、展覧会というアプローチの他にも、志望者を外国から受け入れるというアプローチもあるのではないかというのが今回の主張です。これは西岡氏の経歴を見、話を聞いている内に思いついたんですね。砥部焼まつりは盛況のようですが(筆者は行ったことないのですが、リーダー塾の二期で会った方が盛況だったと教えてくれました)、この背景には焼き物や陶芸が日本に文化として根付いているということが挙げられると思います。筆者も小中学校で陶芸をわりとやったような記憶があります。長寿でピンピンしている母方の祖父の元気の秘訣は何時行ってもやっている陶芸かもしれません。愛媛1区の塩崎恭久議員のfacebook5月26日も松山市の五明という地区の陶芸教室に触れられています(伊台・五明は松山北東部にある中山間地域で検索するとこうげんぶどうなんかが特産のようです)(報告会に行ったついでに買える砥部焼きの資料を購入しましたが、どうも愛媛県においてかつて広くあった産業としての焼き物は大体砥部焼きに集約されているようです)。陶芸文化を広めるもひとつの方法かもしれませんが、そもそもそれをやろうというきっかけがどれだけあるか分からないところもあります。学校に行くなどしてキチンとしたプロの技術を身につけた方が陶芸教室を開くなり、その土地で焼いた焼き物を売るなどして焼き物文化を海外に広める役割を果たしてくれれば、日本で作った焼き物が売れる下地もできるのではないかという遠大な計画をザックリ考えてみた訳です。

石川県立九谷焼技術研修所

砥部焼きは愛媛の焼き物ですが、必ずしも愛媛だけで成り立っている訳ではなく、日本の他の有名どころの技術にも影響されながら成り立っているところもあるのかもしれません。砥部焼(ウィキペディア)を参照しても、明治期廃藩置県で各藩で門外不出だった陶磁器作りの技術が流出し、砥部焼きは量産可能になったようです。日本の技術を門外不出として輸出するのもひとつの方法でしょうが、焼き物なんかは文化そのものが広がる形の方が面白いのかなというのが筆者の印象です。探せば何処だって適した土や石はあるでしょうし、その土地ならでの焼き物もあるかもしれませんが、やはりキチンとした技術というのはあって、それを学ぶことで文化は広がり、底上げも出来てくるのかもしれません。

こうした発想の根底にはフランス的な発想もあります。フランスって自国の文化を定義し教えて広めるみたいなイメージってないですか?筆者にはあります。例:フランスならではの留学!料理学校ってどんな感じ?(留学Voice) フランス料理は高級料理の代表格として挙げられることも多いですが、それはこうした努力の成果でもあるのでしょう。パリと言えば、ファッションの都でもありますね。筆者の中では欧州で文化と言えば第一にフランスのイメージがありますが、その手法には学ぶべきところも多いのかもしれません。

別に欧米だけでなく、アジア各国・世界の何処からでもいいと思いますが、日本が日本文化の梁山泊(>『水滸伝』での意味が転じ、「優れた人物たちが集まる場所」、「有志の集合場所」の例として使われることもある)みたいになれば面白いと思った次第です。筆者に大東亜共栄圏を再構築する意図は皆無ですが(世界に革命を輸出する意図は全くありませんが)(参考:アジア主義(ウィキペディア) 両岸で尊敬される国父孫文も日本に亡命し支援を受けた経緯があります)、戦前の日本はアジア各国から留学生を集め世界に影響を及ぼしたところもあって、とりあず政治や軍事から遠い文化面で繋がりを拡大してもいいのではないかと考える次第です。元々日本の焼き物の源流は何処か海外にあるのかもしれませんが、その影響を受けながらも日本で発展し育ってきたことは確実と思います。

クールジャパン戦略もいろいろでしょうが、日本に広く存在する確かで伝統的で優れた技術であるところの焼き物で、地道に外国人を育て国際化を試みるのも面白いのかもしれません。

クールジャパン機構

所有者不明土地問題と公共の福祉論

2018-06-09 12:29:53 | 政策関連メモ
自民党ホームページ:「所有者不明土地等に関する特命委員会 とりまとめ」~所有から利用重視へ理念の転換 『土地は利用するためにある』~

土地所有権が利用権に比べて過剰なほど保護され、所有者の責任が軽視されてきたと指摘していますね。日本国憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の規定では権利には努力が伴い濫用してはならず、常に公共の福祉のために利用する責任があると規定されており、自民党はこのことを言っているようです(1P)。

憲法29条には「第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。○2財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。○3私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」との規定があり、私有財産は正当な補償の下に公共のために用いることができると自民党は指摘しています(2P)。

土地基本法((土地についての公共の福祉優先)第二条 土地は、現在及び将来における国民のための限られた貴重な資源であること、国民の諸活動にとって不可欠の基盤であること、その利用が他の土地の利用と密接な関係を有するものであること、その価値が主として人口及び産業の動向、土地利用の動向、社会資本の整備状況その他の社会的経済的条件により変動するものであること等公共の利害に関係する特性を有していることにかんがみ、土地については、公共の福祉を優先させるものとする。)も民法(第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。)も憲法同様に公共の福祉を重視しているようですが、所有権が重視されてこうした規定は言わば有名無実・空文化して、近隣環境や地域の景観を悪化させ、所有者不明土地が利用されなかった原因になってきているとも指摘しています(2P)。

所有者不明土地問題は誰しも問題と思うでしょうし、やはり所有権を過剰に認めて放置を是とするのではなく、憲法や民法・土地基本法の本来の規定・理念通り、放置された空き家は周辺の環境や景観を悪化させる訳ですから、所有者に本来の責任を果たすように促していくことが大切だと考えられます。日本の土地の所有権が強いのは恐らく先祖代々の土地を守ってきた伝統によるのであり、憲法やそれに基づく法の方があるいは外来で異質なのかもしれませんが、旧習・悪習の類に固執するばかりが政治ではないと考えられます。

公共の福祉は寧ろ左派が支配する法律の世界では、嫌われてきたように思います。どうもこれは個人の権利を尊重することを重視して、社会の利益を軽視する考え方によるもののようです(例:中高生のための憲法教室 第9回 <「公共の福祉」ってなんだろう?>(法学館憲法研究所))。具体的な根拠規定は憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」になるようですが、続いて13条には「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。現行憲法の規定の上ではみんなは尊重されていません。尊重されているのは個人です。特定の集団において多数意見に従わない個人がいたとして、適切な手続きに従わず、みんなを個人に優先させるのはそもそも憲法違反なんですね。それはそうとして、だからと言って個人の権利が何処までも守られるという訳ではありません。そうだとしたら公共の福祉規定なんて存在しない訳です。この辺はどうしても程度問題で個別の問題を適切に見ていくしかありません。13条が何処まで所有者不明土地問題に援用できるか文面からは判然としないところはありますが(財産と書かれていません)、先に指摘されたように29条に正当な補償があれば公共のために用いることができると明記されているのですから、何処までも土地の所有権が守られる訳ではないことは自明だということになります。公共の名の下に何をやっても許されると主張したい訳ではありませんが、社会の要請に従って土地の所有権を一定程度制限するのは、寧ろ日本国憲法の素直な読み方であるように筆者には思えます。失敗も絶対にないとは言えないかもしれませんが、そうした事例があるというならば、裁判で解決するのが本来の筋であろうと思います。

左派野党・マスコミ中心に抵抗も強かった自民党の憲法改正草案(現在は4点に絞って憲法改正は提案されています)「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変更しようと提案されています(日本国憲法改正草案Q&A(増補版) Q14 13p)。その理由は公共の福祉を人権相互の衝突として解釈しようとする学説を明快に否定し分かり易くするためのようです。良く分かりませんが、公共を個人に分解しようとしているように見える珍説が大手をふるって歩いているとしたら、確かにこれは問題であって、おかしな解釈を捏造しているかのような憲法学者の方々を牽制する必要はあるのかもしれません(裁判所が判決しなければ学説は意味がありませんが、有力学説が悪い影響をもたらす可能性がないとは言えません)。公共が集団を表すことに誤解の余地はないと思いますが、福祉あたりが個人個人に分解しようとするアクロバティックな解釈に燃料を与えているのでしょうか?確かに公益や公の秩序なら個人の権利に分解しようとする勢力はやりづらくなるだろうと思います。それが嫌だから左派中心の法律の世界・学問の世界中心に強固な反対があるんでしょうね。しかしながら、日本は日本人のものであって、左派業界団体のものではありません。

まぁ公共の福祉との文言のままではどうしても困るということはありませんが、公共の福祉論が広く国民で議論されることは結構重要ではないかと筆者は考えます。更に指摘するならば、こうした議論をしたら負けることが分かっているから、議論から逃げて護憲の旗を掲げ、必要な議論から逃げているんじゃないですかね?違うと言うなら、象牙の塔から出てくればいいのに。自民党も今は4案ですが追加案があってもいいと筆者は思いますよ。左派的で加憲を主張する公明党さんがどう出るかが分かりませんが。維新でも希望でも憲法に関してこうしたらいいという考えがある政治勢力はドンドン意見を出して議論をすればいいのであって、それが中々進んでいないことは非常に残念なことだと思います。結局発議するのは議会であり、最終的に決めるのは国民ですから、そこのところを信用せねば何も進まないことは確実です。護憲即悪ぐらいに筆者は思っていますが、悪即斬になっていないのは法に則っている訳です。

ともあれ日本国憲法にあるように公共の福祉は重要です。土地所有者不明問題の放置が良いはずはなく、空き家野放しが良いはずもありません。空き家が多いのは地方かもしれませんが、自民党はどちらかと言うと地方に強い地盤を持つ政党で、地方バラマキだと批判されてきた方の政党です。地方再生をするにあたっても使えない土地がそこかしこにあって上手くいくはずもありません。土地の供給が増えれば地価が下落しないのかな、デフレ脱却に逆行しないのかなという心配が筆者には当初無かった訳でもないのですが、勿論何時までも放置できない問題ですし、自民党がやるというなら是非もありません。残念なのはこうした硬派で重要な問題が、中々注目されない(?)ことだと思っています。国の基本法である憲法の問題は戦後長らく広く議論されてきませんでしたが、それは惰性に過ぎません。憲法改正の重要性を皆が認識し、問題点が議論され、必要な改正が行われる日本になってほしいと思っています。国会議員の仕事ではあるのですが、硬性憲法の高いハードルを越えなければならず、最初の一歩はとりわけ国民の皆様の協力が必要です。空き家問題でもゴミ屋敷問題でも何でもいいのですが、そうした身近な問題をきっかけとして憲法の議論は進む可能性もあります。放置でいいと思う人は(空き家の主やゴミ屋敷の主以外に)あまりいないと思いますが、現在は空き家の主やゴミ屋敷の主の権利が良く守られている状態だと考えられます(現状では残念ながらそうしたものに手を出す方が違法すなわち悪だと言えます。そうした状態を変えるために立法がある訳です)。法律の世界は一般に左だと言われますが、法の世界においても常に左が正しいということにはなりません。