観測にまつわる問題

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ハーリーブニ(ハレブネ/競漕舟)の沖縄(糸満)文化(小舟を並べて漕ぎ走らせくらべがフナハラシ)と龍舟(龙舟/lóngzhōu/ドラゴンボート)の中国文化

2019-04-21 14:04:06 | 日本地理観光
ハーリーに関する記事に関しては、「石垣島から 海への感謝込めた船越屋ハーリー」(SanekeiBiz 2015.9.4)参照。ハーリーとは「爬竜(はりゅう)」の中国語読みで、沖縄で伝統的に使われてきた漁船「サバニ」のへさきに竜頭、艫に竜美尾の装飾をつけた船が祭りで使われる「爬竜船」ですが、一般参加ができる北部・伊原間(いばるま)地区の「船越屋(ふなくやー)ハーリー」が人気で地元住民による踊りや伝統舞踊、八重山拳法なども披露され、海人(うみんちゅ)のみで行う競漕(きょうそう)に加え、観光客など一般の人が参加できる「体験ハーリー」もあり、石垣島ならではのイセエビ汁そばや魚汁そば(濃厚なだし汁が麺に良く絡む、絶品の味わい)が配られるそうです。

沖縄に根付いた祭りがハーリーという訳ですが、どうもハーリー=爬竜という一般的な説は地域の祭りに限っては誤りのような気もします。ハーリーで最大のものは那覇ハーリー(ハーリー行事の中でも最大規模の「那覇ハーリー」 那覇市観光協会 >琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより、廃止されます。その後は地域の行事として一時期復活するも、1928年を最後に競技は途絶えてしまいました。本土復帰記念事業として1975年の開催された沖縄海洋博を機会に復活し、その後は沖縄を代表する行事になりました。>那覇ハーリーと県内他の地域のハーリーとの違いは「舟」にあります。那覇以外の地域のハーリー舟は、主に漁労用のサバニを漕ぎ手10名、舵取り1名で操りますが、那覇の舟は全長14.5メートル、幅2.1メートル、重さは2.5トン、漕ぎ手は32名、鐘打ち2名、舵取り2名、旗持ちなど6名と、乗組員が42名になる大型のもので、舳(へさき)には竜頭を、艫(とも)には竜尾の彫り物を飾った特別な舟となります)ですが、那覇ハーリーとは冊封使の歓待に関係する国家行事(龍潭(りゅうたん) | ブログ | 首里城 ‐ 琉球王国の栄華 ... - 国営沖縄記念公園>龍潭は尚巴志が冊封使(さっぽうし)一行を接待するために国相の壊機(かいき)に命じて1427年に造らせた池である。琉球王朝時代には、ここで中国からの使者である冊封使を歓待した重陽の宴(ちょうようのえん)が行なわれていました。龍潭で爬龍船競争(はーりー)を見たりして舟遊び等をしていたそうです)ではなかったでしょうか?だから廃藩置県に伴い廃止したという訳です。地域の行事として復活したりするのは、中国人の子孫を称する方々(閩人三十六姓)の働きかけかもしれませんが、ともかく琉球王国において冊封使の接待でボートレースが行われていたのは間違いなく、那覇の舟は鐘打ち(ドラマー)がいるドラゴンボートの一種のようです。

これは長崎の在留の唐人によって始められたペーロン(長崎国際観光コンベンション協会)(太鼓・銅鑼(どら)各1名ずつの打手がいて)と同じく中国由来の祭りであることは疑いがないところです(ウィキペディア「龍舟競漕」(2019/4/21)>台湾では賽龍舟と呼ばれている。清代には競渡や闘龍舟などと呼ばれていた。また、戦前には扒龍船という名称で閩南音訛りで「ペーリョンツン」と呼ばれていた時期もある)。ただ、龍=ロンで現代中国でドラゴンボートを龍船というようであり、ハーリー船=爬竜船ならば、音韻が違いますし、何故爬虫類の爬なのか、竜という漢字を使うのかという疑問はあります。可能性としては元々沖縄土着のハーリー船があって後で爬竜船という漢字を宛てた可能性も考えられると思います。その方が無理に爬竜船の名前の謎を考えるより、腑に落ちるところはあるんですよね。少なくともハーリーブニのブニは船(沖縄方言でe→i)で明らかな和語であり、一般的にはこの場合ハーリーも和語と考えるべきです(ただし重箱読みがそれほどレアだという訳ではありません)。

中国からの渡来色が強いボートレースである那覇ハーリーに対して、それ以外のハーリーはそもそもドラゴンボートではなく漁労用の在来の船を使用しており(ハーリー 伝統的な漁船で競う迫力のレース たびらい ※那覇ハーリーと他のハーリーでは船の形が全然違い、そもそも起源・系統の違いを疑わせるものがあります)、中国の祭りの影響があるとしても(端午の節句の船こぎ競争を真似たとしても)、直接の移植ではない(楚の屈原に関係すると言われるドラゴンボートの競争をやろうとした訳ではない)んじゃないでしょうか。

ハーレーの名称由来と発祥(糸満市)によると、>従来、糸満のハーレーも、ハーリー(爬龍船)としてマスコミはあつかっていました。糸満の中でも、チュジューニン(寄留人)はハーリーと呼んでいましたが、糸満のウミンチュ(漁師)たちは伝統を守ってハーレーと呼び続けてきました。>南島文化圏(沖縄文化圏)の中には、古くからフナハラシ(小舟を並べて漕ぎ走らせくらべをすること)のことを「ハレ」と呼ぶところがあります。1850年代に奄美大島の風物をまとめた「南島雑話」に、伊津村の「ハレコギの図」があり、競漕の舟を「ハレブネ」と呼んでいた>琉球最古の古語辞典といわれる「混効験集」の中では、昔から使われていた「ハレ」ということばについて、次のように説明されています。「ハレは、走という事、はしれを中略也」 これらのことからみると、走らす舟をハレブニと呼んでいることは、沖縄の古語が今も使われているということであります・・・ということのようです。ここで気になるのが糸満人が拘ったハーレーという発音です。沖縄方言では一般的にはeがないはずです。考えてみれば、糸満はイチマンと読むようですが、何故oを含む糸という漢字を使うのかもよく分かりません。糸満にはサバニを造る大工の方が残っているようですが、(宮崎県の)飫肥杉を使用するようです。元々丸木舟・刳り船だった沖縄の伝統船が何時しか接ぎ(ハギ)(張り?)船になったようですが、船大工が飫肥杉と一緒に渡ってきた可能性もあるような気もします。それはともかく糸満方言はあって、ハーリーは元々糸満のハーレーが広まったとも考えられます。eが発音出来ないので、ハーレーになることはありそうですが、その逆はちょっと考えにくいんですよね。糸満漁民は高い技術を持ち、海外に飛躍したことでも知られます。

面白いのはフナハラシ・ハレコギという古い言葉です。このハレコギのハレがハーレーでありハーリーの由来ではないでしょうか?コギは明らかに漕ぎで和語そのものであり、じゃあハレとは何なのかということになります。晴れも思い浮かびますがピンと来ませんし、ここで恐らく同源のフナハラシのハラシを考えてみるとハラスが動詞で漕ぎ走らせくらべるということですから、走らす(走らせる)でシが落ちたようにも見えるんですよね(奄美における本土系民謡(
奄美における本土系民謡 - 奄美民謡誌<初稿・増補・改訂稿>Web版
)pdf44p 「くるだんど節」 (奄美大島・瀬戸内町諸数)参照で「はれよふね=走れよ, 船」とあります。ハレは掛け声でもあるようですが、メカニズムは分かりませんがshiが落ちる用例を奄美に見ることが出来るようです)。沖縄においてはハーエー(沖縄方言事典)が「1.かけ足すること。2.走ること」という言葉があるようですので、糸満市が紹介するハレ漕ぎ・ハレブネのハレは駆け足といった意味で駆け漕ぎ(走らせ漕ぎ)・駆け舟(走り舟)を意味するということでいいんでしょう(駆け足という言葉があります)。フナハラシも船走らせで競艇(競漕)のような意味としている糸満市が(メカニズムはさておき※英語ですが「音は落ちる、ほとんど落ちる」というブログ記事も)聞き取りで正確に意味を伝えていると考えます。ハーリーがeが発音できないことによるバリエーションと考えると、ハーリー舟とは(原義が忘れられた)競漕舟ということになります。分からなくなったから、違う漢字を宛てたんでしょうが、宛てた人が単に(文字を操る)中国人だった可能性もあって、その場合龍舟を意識はしたんでしょう。糸満海人の歴史と文化を伝える生きた資料館「糸満海人工房・資料館」(沖縄CLIP)を参照すると、琉球王国は糸満の漁業を評価していたようですが(他の地域が漁業をやってなかったかのような話は不思議に思いますが)、乾杯の音頭を沖縄ではカリー!とやるところ(かりゆしと同源でカリーは嘉例でしょう)、糸満では大漁の意でコーバンギラー!というようで(小判?)、やはりちょっと違う来歴があるような気もします(移民でなくて漁民だからの可能性もありますが)。ユートゥイが湯取りでサバニに溜まった(暖かくなった)海水をとる道具(本土ではこの湯を淦(アカ)というようです。ゆ‐とり【湯取り】(goo辞書)参照で船中の淦 (あか) をくみ取る器。あかとり。あかとりしゃく。〈和名抄〉)。鮫をサバというのは独特と思いますが、中国語とも鮫(サメ)ともワニともフカ(西日本)とも違うようで、この辺は独自の言葉なのかもしれません。いずれにせよ、中国にフカヒレを輸出することが目的だったでしょうか(食べられ始めたのは明代だそうですが。時代的に逆に琉球か倭寇が中国に教えた感じだったりして)。

検索しているとハーリーに絡んでウガンを雨願いで雨乞いとする見解が見られますが、これは恐らく中国人の勘違いから来る誤りなんでしょう。中国では古来(日本でも少なくとも空海の頃には)龍と雨乞いを関係づける祭りがあるようですが、龍はさすがに日本由来とは思えません(独自の雨乞い儀式は農耕と共に育ちはしたでしょうが)。ただ、琉球在来のハーリーがどうも龍に関係ないと分かってくると、ウガンも雨乞いではないと分かってきます。竹富町の小浜島で雨乞いの儀式は雨願(あみにんがい)というようですが(沖縄タイムス 2014年11月18日)、これは明らかに和語にルーツがあります。沖縄では御嶽のなかに拝所(うがんじゆ)が設けられるようで、ウガンとは明らかに御願(コトバンク)のようです(沖縄方言でo→uでgが落ちてますが、オンタキ(元は山岳信仰に関連して御岳ではないでしょうか)をウタキというのと同源)。

イトマン(日本姓氏語源辞典)はイチマンと言ったようで、日本の一万地名との関連が疑われます(『○万』 地名コレクション)。糸満とは「糸満」(ウィキペディア 2019/4/21)参照でかつては兼城間切糸満村として同間切の一部。間切りは明らかに和語(沖縄方言)由来で、カネグスクとはグスク(具足と思われます)(城)が琉球石灰岩の独自の文化(喜界島が源流としては怪しそうです)で、カネは兼ねなら沖縄の王名や記紀の思兼神(おもいかねのかみ)に関係し、金ならよくある沖縄の名字金城と同じであって、いずれにせよ和語色が強いのは明らか。兼城間切で、古くは「しもしましり」、または島尻兼城間切と呼ばれていたそうで、やはり島尻という言葉からして和語です(対になるのが国頭で沖縄北部。鉄道の上り下りじゃありませんが、(文化がしばしば中国からも入るにせよ)沖縄のルーツが何処にあるかはもはや明らかで、沖縄を南洋からの北上と見るよくある見方・中国に(人の流れの)ルーツを求めるよくある見方は基本的には誤りと分かります。

ハーリーブニ(競漕舟)の沖縄(糸満)文化と龍舟(龙舟/lóngzhōu/ドラゴンボート)の中国文化があるという訳ですが、地理的に見てあるいは節句に行われることから見て中国の競艇文化を沖縄が参考にしたんでしょうが(ミルク神の例もあります)、どうも本来奄美までは広がる文化のようで、中国船と和船という技術の系譜の明らかな違い・和語/沖縄方言の使用から見て、もうこれは別物で沖縄文化と言っていいんだろうと思います。ユートゥイが湯取りでサバニに溜まった(暖かくなった)海水をとる道具で和名抄にも見える言葉(=淦取り杓)と同じというのも示唆的です。ウガンが雨願で雨乞いというのは典型的な中国人の勘違いと見られます。ハーリーブニは概ね爬竜船ではなく、那覇ハーリーだけが中国のドラゴンボート由来に思われますが、それも言葉は元々の沖縄のハーリー船の名前を利用し漢字を適当に宛てたように思われます。


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