そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月19日(木)その2

2009年02月19日 | 昔日記
 研究室の鍵を閉めて廊下を歩き出したら、斜め向かいの会議室から、何とT准教授が出ておいでになった。しめた、ここで逢ったが百年目! 次の執行委員にご就任いただけないでしょうか?と切りだすると、いつかはやらなければと思っておりました、子どもも小学校にあがったので、お引受けいたします、との有り難いお返事である。あな、嬉しや。すぐ研究室にとって返し、職場議長と同僚執行委員に、T准教授ご快諾の一報をメールする。

 ウチの職場区は、まあ教員数も多いんだけど、執行委員に欠員を生じているどこかの区や、連続して同じ御仁が執行委員になった前代未聞のどこかの区とは違って、なんと健全なことだろうか。学部長だって必ず1期で交替という風土だからか。お互いさまの精神が徹底している。

 よし、「太郎月」で祝杯ぢゃと、勇んで店の前まで辿り着くと、パートナーもちょうど帰るところだという。「太郎月」で待ち合わせて軽く飲み、一緒に帰宅する。「太郎月」の払いはパートナー持ちとなった。なんと幸運続きの一日だろう! 生活費=給与を全部渡しているから、たまにはこういうことがあっても罰は当たるまい。ああ、あなたと結婚して本当によかった、と抱きつきたくなる。近々振り込まれる予定の印税も、耳を揃えて渡したくなる。う~ん、さてはそれが狙いなのかな…?

2月19日(木)

2009年02月19日 | 昔日記
 10:30から教授会だが、終わったのが12:30過ぎ。何で長引かせるんだよ~、バカヤローと叫んで、教員組合の職場会へ。そうしたら長引かせた張本人もお出ましになったので、下を向いて黙っておった。

 次期執行委員候補、つまり私の後の執行委員についての相談はすんなりまとまった。昨日、やってもいいとおっしゃっていたT先生に、改めてお願いすることになる。うまくいくといいけれど…。委員長の小冊子問題は、わが職場区では評判がすこぶる悪い。人文学系学部だから、皆が経済学なんか糞くらえと思っているからか。

 15:00からカリキュラム委員会。今日は書記が当たっているので、早めに会議室に行ったら、15分遅れて始めるという。そのままPC立ち上げて準備をした。20分遅れで開始。16:40に終了。17:00に議事録を送信した。

 オンデマンド出版物の残部を大量にいただいた。台車に載せ、研究室に運び込む。当分、集中講義ではテキストに無料配布できそうだ。

2月18日(水)

2009年02月18日 | 昔日記
 業務は15:30に終わったので、いただいた夕食の弁当をもう食べてしまう。缶ビールも飲んでしまった。神楽坂をぶらぶら歩いていたら、「うつわや釉」の女主人と目が合った。そういえばこのあいだ、来週寄ってくださいと言われていたんだ。津軽生そばの「鴨南そば」を頂戴した。たいへん美味しいそうである。悪いので、山本源太作の盃をもらった。

 麻布十番のお稽古事に行く。今日は編集プロダクションのYさんがお見えになり、CDの録音について打ち合わせも行われた。いつもの読み上げよりは短縮するかたちなので、皆面喰っていたが、何とかなりそうではある。

 帰りに「萬力屋」で軽く飲み食いする。「萬力屋」の店内にはフィギュアがやたら飾ってある。トイレに入ったら、ダダ星人のフィギュアがあった。カウンターのおばさん(我と同世代ならむ)に、ダ、ダダ星人が!と申し上げたら、そうなんですよと笑っていた。ダダ星人は、戸塚ヨットスクールの戸塚会長に似ている。このおばさんは、東京タワーがモスラのために折られたこともご存知だった。繭を作ったんですよねと、さすがに東京タワー近くでお店をやっているだけのことはある。古老の昔話は貴重だ。

 帰宅したら、田渕句美子さんからきれいな新刊書が届いていた。田渕句美子さんは、田渕久美子ではない。後者は益田出身のシナリオライターである。

2月17日(火)その2

2009年02月17日 | 昔日記
 本日も入試業務に従事するも、事無く終わる。急遽短縮した論文も、K助手に渡すことができた。面倒のお詫びは「レリーサ」のお菓子。小さい割に高価だから(といってもワンコイン程度)、こういう時の心付けに重宝する。今度「フラスコ」で展示即売?をするらしい。

 「執行委員会」まで「Cafe Goto」で時間を潰す。お気に入りの千曲川の絵の下の席は、学生のアベック(古いねえ!)に占拠されていた。男のほう、どこかで見たことがあるような…と思ったら、秋学期ブンコ―の私の演習を取っていたヤツだった。演習のコンパというか打ち上げの茶話会を「Cafe Goto」でやったので、味をしめたか。まあ、うまくおやりなさい。

 「執行委員会」の「弁当」は実に美味かった。こういう日は幸せな気分になる。帰宅したら、パートナーは床上げをしていた。床上げとはゆかしい言葉だが、ウチはベッドだから、何だか変といえば変ではあるが…。娘は、先日の文楽、とってもよかったらしい。泣いちゃったそうだ。「敵討襤褸錦」観て、泣いて帰ってくる女子大生というのも、なかなかよい。誰か嫁に貰ってくれないかな。今なら、藤原定家筆小記録切1幅、あるいは五条切1幅を、嫁入り道具としてお付けいたしますから。

2月17日(火)

2009年02月17日 | 昔日記
 編集委員長のT教授に、論文の差し替え稿を出すことをメールでご承認していただいた。規定行数以内に収めてプリントアウトし、今日K助手に渡すことにしよう。査読委員へは昨日、投稿論文を送付したはずで、まことに申し訳ない次第だが、追って送って差し替えていただくようお願いしたい。

 改稿したついでに全面的に推敲も施したので、思わず時間がかかってしまった。次の論文や、至急終わらせなければならない校正、チェックしなければいけない本文と、いろいろ仕事が残ってしまった。本日の業務の合間に、それらができるといいけれど…

 ああ、放っておくとどんどん論文が長くなるので、ほんとうに自戒しなければ。岡山のK先生の論文集に送った原稿など、規定枚数の1.5倍くらい書いちゃったんじゃなかったかな。私はいわばゲスト執筆者なので、何も言われなかったが。

2月16日(月)その2

2009年02月16日 | 昔日記
 K助手から連絡があり、私の論文は字数オーバーで原則受理できないとのこと。ありゃりゃ、400字×39枚以内の字数に収まっていたら構わないのかと思っていたが、投稿規定をよく読むと、ワープロの場合は40字×390行を超えるものは受理しないとある。完全に勘違いしていた。和歌は改行が多かったりするからね。

 あわてて390行ぴったりに短縮した。もう、バッサバッサと大割愛である。新資料も載せることを断念。それでK助手のところに添付ファイルを送ったが、締切を1日過ぎているので、もうダメかもしれません。そうしたらK大の雑誌にでも投稿するから、まあいいや。明日、編集委員長のT教授に謝っておこう。

 学内学会誌だが、審査がものすごく厳しい。院生の論文なんか、生半可なことじゃ載りはしない。あまりも載らないので怒っている御仁も多いが、仕方がないのだ。それだけ真っ当な雑誌ということである。私が助手を務めていた時なんぞ、目の前で学内某学部教授の論文が落とされて唖然とした。何本投稿があっても安心できない。この前、論文が皆落ちて発行できず、合併号になったくらいである。

2月16日(月)

2009年02月16日 | 昔日記
 入試の合間なんだけど、今日は成績提出の最終締切日で、正当な理由で学期末試験を受けられなかった学生のための未済試験実施日でもある。担当科目に未済試験の申し込みがあったので、どのみち事務所へ出頭しなければならない。

 地下鉄の中で『のうだま やる気の秘密』(幻冬舎)を読み始めたら、駅3つで全部読み終えてしまった。金返せ~! まあ、ポイントはよく分かった…というかポイントしか書いてない本だったな。

 大学近くで昼食に入ったら、仏文のS教授と仏教学のO教授に、おいと声を掛けられた(どちらも「仏様」のような方たちである)。S教授は内視鏡検査を受けてきたという。私は来月初旬に申し込んである。O教授は学位委員会だったとか。3分間の説明のためわざわざ来たとぼやいておいでだったが、年度末の駆け込みで、今日の学位委員会は二十数件の博士論文受理もしくは審査がかかっていたはず。委員はうんざりだろうな。

 事務所へ行き、まず成績票を提出。web入力したものをプリントアウトし、署名・捺印して提出しなければならないのだ。それが今日までとなっている。次に未済試験の答案を受け取って10秒で採点。書類に記入・捺印し、これにてすべて終了のはず。

 コースの研究室に顔を出し、学内学会誌に投稿した論文の差し替え稿を、K助手の机の上に置いておいた。注のところの番号がズレていたので、修正させてもらったのだ。ついでにAさんから新しい教示を得たことも書き添えて、15,369字となった。15,600字(400字詰め原稿用紙39枚)を超えてはいけないという投稿規定ぎりぎりである。ふう。

 研究室でPCに向かっていると、事務所から電話。成績票が1科目分足りないという。おかしいなあ。仕方無いのでもう一度プリントアウト、署名・捺印して持って行った。こういう点、webでレポートや出席、成績簿が管理されていると本当に便利である。しかし、最後には署名・捺印しないと、正式文書とはならないのが、まだなんとも面倒だ。

 パートナーは風邪で寝込んでいる。文楽のチケットを取っていたが、代わりに娘が観に行った。出掛けに、何が欲しい?と尋ねたら、甘食かメロンパンというので、「亀井堂」で夕張メロンパンを2個買う。ついでに「メゾン カイザー」にも足を延ばし、クロワッサンも2個買った。あとは、近くの八百屋で蜜柑をもとめ、早々に帰宅。コーヒーを淹れて、メロンパンを食べさせた。

 姑も風邪っぽい。私は「マヌカ」のご利益か、平気である。

2月14日(土)その3

2009年02月14日 | 昔日記
 さるお方様から、お問い合わせがあったので、お答えする(今日はやけに饒舌だな)。

 私の一番好きな曲は、フランス人シャルル・ルルーが作曲した、「陸軍分列行進曲」である。いつも心の中でこのメロディを鳴り響かせながら、日々を送ってゐる次第。こちらのレコードも、なかなかである。

 やっぱり組合とは思想・信条が合わないのかも…

 いえいえ、亡き我が師匠は、昭和18年の学徒出陣組である。同期のJ名誉教授はサボったそうだが、師匠は神宮外苑で行進をしたはず。だから師匠は、徹底的な反戦主義者であった。師匠の歌、

書きさしの論文用紙白紙と残れる多し今は忘れむ(『昭和万葉集』)

 やっぱり一生懸命、組合活動に勤しみましょうぞ。

 おまけ。ついでにもう一曲、「茶目子の一日」も私は大いに傑作だと思ふ。ライオン歯磨は当時からあつたのだなあ。

 おまけ2、猛犬聯隊。田川水泡。

 げ~、S君まで論文送って来たぞ。15日が投稿締切だからな。チョコレートならぬ論文だらけぢゃ。きゃー!

2月14日(土)その2

2009年02月14日 | 昔日記
 我が家の女性軍3人から、まとめてゴダイバ(NYで米国人はそう発音しておったぞよ)のチョコレートをいただいた。そこで、今朝セブンイレブンで買ってきた普通の「kit Kat」に、ヴェネチアングラスのネックレスを添えてお返ししたら、玉がちょいと大き過ぎた。ゴダイバは真っ先に娘の胃袋に収まっちゃったし。パートナーからは、あなたはどうして、象牙のイヤリングだとか、ヴェネチアングラスのネックレスだとか、夏にするようなアクセサリーを、冬にプレゼントしてくれるのよ?と、文句ともつかぬ文句を言われてしまいました。プレゼントするだけでも有り難いと思えよ。

 娘にバッグを買ってやりたいが、難しいのでやめといたほうがいいとパートナーは言う。エストニアのタリン(行ったことのある世界の都市の中で、今のところ一番好きな街)にある、クラフト・アーケードで売っていたようなテイストの革製品を扱う小さなお店を、この間偶然にも見付けたのだが、そこにとっても素敵なバッグが置いてあった。少し小さいが、娘に似合うんじゃないかなと、お父さんにはピンと来るものがあったんだが、少なくともパートナーに見てもらってからのほうが、無難かもしれないね。

2月14日(土)

2009年02月14日 | 昔日記
 もはや我が大学は一般入試期間に突入したので、滅多なことは書けませぬ。昨日は帰りがけに「太郎月」へ立ち寄って、女将と佐佐木幸綱先生のツーショット写真をお届けしたら、結構なチョコレートを頂戴した。バレンタインデー・イブ?であろうか。

 今日は朝から食事当番…別に番が当たっているわけじゃないが…。写真は、K教授を感激させた(らしい)「マヌカ」入り卵焼きである。美味しそうでしょ。庭の南天の葉が添えてある。私の作る出汁巻き卵焼きは、お弁当に入れるような固いタイプで、「三木鶏卵」みたいなふわっとしたのは、うまく作れない。他に、ひじきと人参と揚げを炊き合わせたものにも、「マヌカ」を入れてみた。ご飯は一合だけ炊いて、お櫃に移しておく。パートナーが作っていた鰈(昨日魚屋で、1切れ640円のところ、仕舞いの2切れ計700円也で購入)の煮付けと、あとは味噌汁を作ればいいかな。身は豆腐にしようかしら。

 Oさんの論文をやっと添削して送り返したら、入れ替わりにNさんが論文見て欲しいと送ってきた。添付ファイルは便利だけどねえ。矢継ぎ早で指導教授はへとへと。でも、これは嬉しい悲鳴と言ふべし。研究室の院生が、いっぱい論文書くってことだから。

 組合の小冊子問題、副委員長殿から、先日の執行委員会(私は欠席)で決まったことだとメールが流れてきた。はいはい、十分、十二分、十三分に分かっておりますとも。でもね、やっぱり山のように紙媒体を印刷して配りまくるなんてことは、へっぽこでも情宣部長の立場からは、ひとこと言いたくなるんだよね。また怒らせるようなメールを返信しておく。やな性格だな、アタシって。

 委員長御自ら書き下ろし給うた、高邁な現下世界経済情勢に関するご高論だ。それはそれは結構なものだろう。でもね、前代未聞の重任委員長殿は、誤解されぬようお気をつけにあそばしたほうがよろしくはないかと、老婆心からご心配申し上げている次第である(ウソだけど)。

 小冊子、我が人文学系学部では、配布要望は1件も聞かないと、メールにはまたぞろ書き添えておいた(委員長殿、烈火のごとく怒るだろうな)。でも、本当に、99%ゴミ箱直行となるのは、火を見るよりも明らかである。だって、ウチはバカダの人文学系学部だもの、あなた。ぽん(吸着音

2月12日(木)その2

2009年02月12日 | 昔日記
 今日から一般入試である(勤務先がバレちゃうかな)。電車がトロトロ走るもんだから、あやうく遅刻しそうになる。K教授がお弁当を持って行くとブログに書かれていたので、いただいた「マヌカ」を使った卵焼きを手ずから作り、少しばかりオカズにお持ちした。控室でお渡ししたら、近くにいた中国文学のO教授が目を丸くしたので、とんとんとんからりんと隣組みたいなものですわ、と説明しておく。

 朝、机の中を整理していたら、拳銃が何丁か出て来た。K教授はロシア文学がご専門なので、トカレフを1丁差し上げた。A教務主任には、コルト・ガバメントを差し上げた。あ、彼はイギリス文学が専門だった。まあ、いいや。本当はエンフィールド№2あたりがあるとよかったが、あいにく持っていなかったので。やばいんじゃない?とのたもうたが、やばいですよ。でも、実弾付けたわけではないので、大丈夫でしょう。あとは、リボルバータイプのものが2丁ほどある。欲しい方には差し上げます。三八式歩兵銃が欲しいなあ。ゴボウ剣だけでもいいんだけど。そのほか、ナチスの党員バッジ(本物)などもございますが、これは差し上げられませぬ。

 そうそう、「マヌカ」といえば、「雨の御堂筋」は出だしになぜ「小糠雨降る…」などという特殊な語彙を使ったんだろう? 和歌研究者の私には、ここは「来ぬか」の掛詞になっているように聴こえてしまうのだが、いかが。「こころ変わりな夜の雨」が降っていて、「あなたをたずねて南へ歩」き、来ない男を「女がひとり探して」いるんだから。

 試験監督は事無く済み、質問ひとつ出なかった。きょうびの受験生は本当に礼儀正しい。最後の科目が終わって試験場を退出していく際には、皆、「ありがとうございましたァ」と私にお辞儀をしていく。

 Hさんにすばらしいコーヒードリッパーをいただいたせいで、我が家のコーヒー消費量が半端じゃなくなったため、「緑の豆」に寄る。何かインパクトのある豆はないものかね?と尋ねたら、店員のおにいさんは困ったような顔をしたが、「ハワイコナ」を薦められたので、200g焙煎し、挽いてコナにしてもらった。

 それから、ふらふらっと「うつわや釉」の前を通ったら、女主人と目が合った。入り込んでお茶を淹れていただき、お土産にお菓子まで頂戴する。そうそう、こないだ先生の名前をおっしゃっていたお客さんがありました、と言い出したから、どんな人?と返すと、近くにお住まいだとか、小柄な女性で…、ははあ、×××先生だなとピンときた。私もお店の宣伝に一役かっているのかも。

 神楽坂の蕎麦屋談義にしばし花を咲かす。結局、蕎麦自体のレベルとしては「志ま平」が一番だが、大将がおしゃべりなのが玉に瑕というのが、女主人のご意見であった。ほぼ同感する。等々力の蕎麦屋「三稜」を教えてもらったが、わざわざ行くのは、ちょいと億劫だな。

 げげげ、ついつい時間を潰しちゃった。急いで帰宅したらパートナーが冷やかである。妻の実家に住む身というのは、肩身が狭いものだ。

2月12日(木)

2009年02月12日 | 昔日記
 オックスフォード出の教組委員長殿が、組合ニュースにものすごい分量連載された、現下の経済状況と大学の心もとない取り組みに関する高邁なご解説(文中やたらゴシックが多くて、□○のクロカンの文章みたいだった)を、好評につき冊子にして配布するという話が、私の欠席した執行委員会で決定したらしく、メーリングリストで見積もり書が回ってきて仰天した。今私が書いている『百人一首』本の初刷発行部数よりも多い冊数が書きこまれている。おいおい、組合員はいったい何人いるんだよ? そんな何千冊も本当に要るのかいな? 合冊が作りたければ、今まで出たニュースをそのまま版下にして、「MDコーナー」あたりでプリント・簡易製本すれば済む話じゃないの?

 その前の執行委員会で、委員長殿は、周囲では冊子にして欲しいという声が強いとのたもうていたが、私の所属する人文学系学部では、そんな声は一言も耳にしなかったぞなもし。私はもともと、PDFファイルにして組合のホームページに載せておけばいいと主張していたんだ。だいたい経済状況なんぞはあなた、日々刻々と変化するだろう。『百人一首』の研究状況だって変化するぐらいだからね(たとえば「藤原清輔朝臣」の生年が1104年ではなく1108年と確定したのはつい数年前のことだ)。まあ、委員長殿ご所属の経済学部で好評なら、りっぱなご著述だと専門家が認めたということなのだろう。でもね、では経済学部で、いったい何人からぜひ冊子にして欲しいと言われたのだろうか? 経済学部は組合組織率が低く、組合員はたった42名しかいないはずなんだけど…。それで数千冊刷るんですかい?

 この発行部数は、到底理解できないとメーリングリストに返信したが、いつもは素早い反応が返ってくるのに、執行委員は皆沈黙したままである。ああ、とうとう私も嫌われちゃったかなあ。この歳になって、もう喧嘩は疲れるからいやだと思うようになったんだけど…ついつい黙ってられないんだよなあ、こういうことに対して。黙っていればいいのになあ。そういえばK教授は執行委員、しかも副委員長を務めあげた直後に、組合を脱退されたけれども、私も同じ道筋を辿るような予感が… 

 それでも命じられた仕事は果たさねばならぬ。助教・助手向けに続いて、専任教員と任期付き教員向けの組合加入勧誘ビラの案を作り上げて、書記局のMさんに送った。次回、執行委員会で検討してもらうようお願いする。これも組合用語を徹底して排除したから、きっと文句を言われることだろうなあ。

2月11日(祝)

2009年02月11日 | 昔日記
 K教授にいただいた「マヌカ」というニュージーランド産の蜂蜜は、とても抗菌力が強くて、ピロリ菌もやっつけちゃう効果があるらしい。胃腸の具合が悪いとお嘆きの我が家の女性軍にも、ありがたく舐めさせていただくよう勧めた。煽げ、煽げ…まあ、器量は人並というところなんだが(本歌は狂言です)。「マヌカ」かあ。「コヌカ」なら、雨降る御堂筋なんだけどねェ・・・まさか!

 床屋へ行く。今日はあんまり短くしないでね、とお願いした。私は、蕎麦屋の主人風に極端な短髪にしたいのだが、パートナーはよしなさいという。短い方が洗髪の手間もかからず、シャンプー・リンスも極少量で済み、いいことばかりだと思うのだけれど…。お喋りしながら、若旦那に刈ってもらう。

 理容組合もだんだん加入者が減っているらしい。国家試験の課せられる業種だが、いろいろ変化が生じているのだろう。ネイルアートには国家試験は無いらしいが、さる腕時計会社のイベントで、アトラクションにネイリストを呼んだ際、わざわざ理容師資格を持つ人が招かれたのだそうである。それは、「国家資格を持つネイリスト」と公称できたからなんだって。理容師は国家資格だが、ネイリストは小島よしおだ(そんなの関係ねえ!)。なるほどねえ、表示はウソではないわいな。

 若旦那が、ネイリストには有名な人がいっぱいいるんですよォとのたまうので、知ってるよ、一番有名なのはインド人だろ、と言ったら、すぐには解からなかったみたい… ほら首相の、とヒントを出すと、隣の客に鋏を使っていた大旦那が噴き出した。あ、ありゃネルーだったか。間違えた。ぽん(吸着音 

2月10日(火)その2

2009年02月10日 | 昔日記
 そう、躁状態なのかも…こうなったらもう手に負えないよ。16:00から会議である。仕方無いので大学へ向かう。どうせ大学院の成績について、事務所に出頭せにゃならんし…

 携帯電話が急に鳴る。学生からだ。論文の結末をどう書いたらいいのか分からないと泣きついてきよった。かくかく、しかじか、これこれと書きなさい、くれぐれも推測に推測を重ねないようにね、と優しくお教えする。ああ、こういうのが研究指導の実態だ。我らが学生だった時代とは大違い。

 K教授が蜂蜜をくださるらしい。教授のブログに『アエラ』が欲しいと書いてあるものだから、慌てて駅で『アエラ』を買って、電車の中で記事を読んでいたら、ウチの大学、いつの間にか面倒見のよい大学を目指すことになったらしい。教務部長がそんなことを語っている。お~い、いつ、誰が、そんなこと決めたんだよ~!

 事務所へ行き、成績処理のトラブルに決着をつけた。×××君、ご安心あれ。メールボックスには蜂蜜が届いていた。能書きもたくさん付けてくださったので、あとで拝読いたしまする。ありがとうございました。『アエラ』はK先生のボックスにお入れしておきましたから。

 会議は、16:11には終わっていた。ああ、あほらし。しかしこれも、給料の内だぞなもし。神楽坂で豆腐を買い、今日はロゼを1本、「ラ・カーブ・イデアル」で選んだ。しかし、昨夜の飲み残しの「越乃景虎」純米酒があったな。老母が送ってくれたハンバーグも、夕方には届くだろうし。夕食はそれで仕舞いだな。

2月10日(火)

2009年02月10日 | 昔日記
 ウチで体重量ったら85.5kgだった。ど、どうしよう~。ジムで測ると86.5kgなんだが。1kgの差が出るのが不思議ぢゃ。昨日、インストラクターのにいちゃんに、ここの体重計はおかしいんじゃないの?と文句を言ったら、笑ってた。

 ずいぶん体重が落ちたんだけど…とパートナーに言ったら、結婚した頃はもう10kg少なかったわよと睨まれた。そうだ、1年に1kgずつ太って行ったんだっけ。さすがに100kgには届かなかったけど…。私は助手の1年目、27歳で結婚したんだ。結構早かったな。当時の写真を見ると別人だ。学部生の頃の写真なんぞ、どこの痩せっぽちかという風情。高校生の頃は、標準体重マイナス10kgでしたもの、あなた。人は化け物(井原西鶴)だな、まったく。

 化け物といえば、女性はお気を付けになったほうがよろしいですぞよ。パートナーは結婚した時、私より2歳年下、正確にいえば2歳半年下だったはずなのに、いやはや女性というものは、歳をとるのが早いのなんのって…。とっとと博士となり(私は恥ずかしながら博士号を持っておりません)、ずっと早く教授となり(その後、転任して一度助教授に戻ったけど)、いつの間にやら私は年齢までも追い抜かれて、今ではあちらが10歳は年上となっている。(このブログはもとよりフィクションであり、科学的真実など一片も含まれてはおりませぬ)

 日曜に、まわしをつけたらと口さがない人々に言われたので、醜名は「大麻山」にしてやろうかねと答えたら、冗談にならなかった。「すいま山(せん)」でもいいんだけどね。大麻吸うなよ、学生諸君も、力士の皆さんも。

 東京出雲学生会の幹事Hさんから、会誌に寄稿して欲しいとメールが来た。3000字ほどでニューヨークのお話をというので、お安いご用とすぐ書き上げ、寄稿承諾のメールに添付して送信したら、締切は7月なんだとか。Hさん呆れていた。ここのところ、恐ろしい速さで原稿が書ける。ところでこの学生会、もう130年近く続く大変な団体なのだ。出雲国の出身であって、首都圏の大学へ進学した者によって組織されており、年に2回、6月と12月に会合がある。12月は14日に、蕎麦屋で赤穂浪士討ち入りの講談を聴くのが決まり。その基金はたしか、若槻礼次郎が拠出したとか。現役学生の便宜もいろいろはかってもらえるので、大学関係者としては大いに協力せにゃならんが、会合に出てくるのは、帝国大学とバカダ大学と、三田の色魔大学のOBが多い。