そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

9月30日(土)マトリョーシカ

2017年09月30日 | 公開

  先月、大阪の中之島図書館のグッズ売り場で見つけ、同僚へお土産に差し上げたペンギンのマトリョーシカは、たいそう気に入っていただけたらしい。ロシア文学がご専門で、ペンギン好きであらせられるので、お土産にせずんば非ずと思い立った次第。そのことを、昨日、助手仲間だったN教授(ロシア文学)に申し上げたところ、こういうヤワなマトリョーシカを、日本向けに作るようになって…と、お嘆きになった。ソ連時代は、スターリンのマトリョーシカとか作られていたらしい。しかし、往時の助手仲間は、すぐ腹蔵無き会話が成立するので、愉快である。私が一番年少の助手で、任期中ずっと、助手飲み会の幹事をやらされた。ぼつぼつ退職して行く助手仲間も増えているが、しかし、当時は専任になった助手が、なんと多かったことか! それは強固な人脈にもなったが、昨今それは完全に崩壊した。だいいち、ウチの大学の出身者は、もう、おいそれとはウチの大学の専任には採用されなくなったからである。

  荊妻と、大学入試制度にしても何にしても、結局、昔のようなアバウトかつ、なあなあのほうが、日本の実情に合っているんじゃないか?という話になった。文部科学省の領導する方向は、どうみても、幸せに至るとは思い難い(お蔭で要らん会議に引っ張りだされる)。そういう「不快感」をもつのも、私が利権擁護の守旧派になったせいかもしれない。


9月30日(土)九月尽か?

2017年09月30日 | 公開

  ああ、もう9月も終わりかと思うと、いささか感慨深い。ご家族が認知症になられて、壮絶な日々を送られたという話をうかがった。同じく年寄りを介護している身としては、人ごとではない。認知症トラブルの典型的なケースだと思われるが、体験は常に個別的であり、社会がサポートする相談窓口を、きちんと整備する必要があると痛感する。

  責任ある業務もいろいろ降り掛かってきて、10月はそれに振り回されそうだ。学会のシンポジウムの司会も、パネリストの資料が届いたが、こりゃうまくとり回せるかな?と自信が無くなった。一方、当該学会に関する懸案事項に解決の目途が立った旨の知らせが、現委員長から届いたが、前委員長としてはほっと胸を撫で下ろした次第。しかし、なんでそういうことを言い添えるのかなあと、思わんでもないこともあった。人の苦労も、知らないで。

  旧暦では、8月11日だそうだ。秋分節。どうにか、すかっとしたいものだなあ…。いつの間にか、世の「仕組み」がどんどん変わって行き、次第について行けない気分が募っていく。大学のメールシステムがこの夏変わったのは、ちょっと致命的なダメージとなっていて、メールチェックするのが億劫、チェックするのは週に2、3回だ。チェックしても、見たいメールがどこに潜り込んだのか、さっぱい分からず、いつまでも波長が合わない。昔、N名誉教授が学部長をなさっていた時、業務用PCを全く開かれず、メールも絶対御覧にならないので、周囲が閉口していたことがあったが、最近、お気持ちがよく分かるような気がしてきた。何でもかんでも、繋がっておればよいというものでもあるまい(諸星大二郎の劇画に、そういうシーンがあったな)。そのうちそれは、万般英語で繋がるということになり、英語のできない者は、人間に非ずとなるに相違ない。

  お亡くなりになった方があり、ご葬儀等は無宗教で、遺骨も海に散骨されると承った。この世に存在したこと自体を、まったく消去したいというご遺志ならむよ。それまた、分からんでもないが、さびしいことである。


9月29日(金)上意下達

2017年09月29日 | 公開

  今朝は9:30からヒアリングと称し召集令状。10:40から授業だからと連絡しておいたが、10:20には終わって、よかった!

  しかし、こんなことは、お上が決めて教授会で認めさせ、実働部隊に下達すれば済むことじゃん、と思う。我々は、現場の、せいぜい大隊長か中隊長である。旧軍の階級でいえば、大尉、大尉教授と称すべいか。

  現場部隊長に、作戦をどう立てたらいいですか?の、ご下問も無いものだ。我等、ただ命に従って作戦するのみ。

  というわけで、朝からご機嫌斜めの、大尉教授であらしゃりました。(^^ゞ


9月29日(金)秋学期始まる

2017年09月29日 | 公開

  昨日が秋学期の授業開始日で、3コマと研究会、とはいえ卒論ゼミと大学院関係なので、さほど大変でもなかった。卒業論文や修士論文提出のための届け出などについて確認する。修士の演習は、『高光集』の四十三首本を輪読することにして、テキストを配り、担当を決めた。神速である。なにしろ朝起きた時点では、何を読むか決めていなかったのだから…。

  本日は朝一番に会議があり、2時限の花札演習は登録者がちょうどよい人数。さっそく担当テーマを決めてしまう。埒があいたので、昼飯を食いに「高七」へ赴けば、N坂下高校のM教諭が入ってきたので、一緒に酒を飲む。文化祭準備で、授業は無いそうだ。そういえばM君は、『多武峰少将物語』の論文をお書きで、昨日、演習の時間に名前が出ていたのだった。奇遇、奇遇。で、結局日替わり定食も奢って差し上げた。M君は大学の教え子だから、奢らずんば非ずだ(なんとよい「先生」だろう!)。

  さて、今朝はひとつ、悲しい出来事があった。

     あきかぜに ながくたもてる ひとえだも ときにはあへず かれおちにけり

      とりはとび こゆるみやまを ふみこえて かくれしたまを おひてゆかむか


9月23日(土)ベントウや 便と出るのも うんめえか?

2017年09月23日 | 公開

  彼岸の中日なれば、荊妻殿、おはぎをお作りになるらしい。

  昨日は大学の業務、会議で、二食弁当を支給された。「今日もまた組合の飯を二食喰ってふとれるならん一キロがほど」。佐佐木幸綱先生の短歌だが、倣って愚詠、「けふははた 大学の弁当 二度食つて 得をしにけり うをばかりでも」

  弁当にからめ、柳朝師とSNS上でやりとり?をしているうちに、「ベントウや 便と出るのも うんめえか?」という駄句が浮かんだ。汚いなあ! しかし、なかなか「うめえ句」とは、思いますがな。

  それで、自分でこれに付句するならば、「三味の音色も 下り調子に」といきますかな、ベンベン。(笑


9月22日(金)楽天の対義語は厭世か

2017年09月22日 | 公開

  数日前、ひどく厭世的な気分になって、荊妻を困らせたことがあった。もう死んでしまいたいと、アカシアの雨でも降り出しそうな風情で嘆いていたら、荊妻、私は事故死するに違いないと、どっちが先に死ぬかの競争である。そうでなくても、明日明後日にも死にそうな状況の方の話なども、耳に入ってくる。

  TVをつけたら、市川崑監督の「野火」(1959)を放映していた。ますます厭世的な気分に、なりましたわ。(汗


9月22日(金)修士課程の入学試験日

2017年09月22日 | 公開

  もう秋学期が始まっている。授業開始は来週からなのだが、大学近辺へ行く所用があって、いろいろ買い物なんぞをしてきた。「草木堂野菜店」さんは、神楽坂の「uegumo」に毎週水曜の14:00に開くという出店八百屋さんで、しばらくご無沙汰したが、何か変ったものは無いですか?と訪ねてみると、アケビがあり、100円だという。珍しいので頂戴して、老母に供したところ、生まれて初めて食べたと言い、美味いものだねとのたもうた。松江に城山公園内に生えているところがあり、子どもの頃、採って食ったものだが、そうか、陛下と同年齢の老母にして、そうであったかと、いささか感慨深いものがあった。

  で、本日は大学院の業務、修士課程の入学試験日である。研究指導担当の教員なのだから、秘密にするも何も、朝早くから出校させられて、ずずっと待機である。お昼には、金兵衛の弁当が支給された。飲み物付きで1000円というところ。まあ、有り難いことである。

  しかし、午後の業務にとりかかろうとして、茶湯は××室に用意してありますと表示されているから、お茶を飲みに行ったが、冷たい水しか出ない。湯が出ないぞ!と文句を言った。文句は、言うべきである。

  文句と言えば、荊妻が昨夕帰ってきて、ぷりぷり怒っている。始末書を書けと、主任に言われたのだそうだが、話を聞けば、そんなこものを書く言われはないとおっしゃるあなたの言う通りだが、事の経緯を事細かに書いて、最後に「遺憾であった」と締め括れば、OKだと思うよ、それだと、謝らなくて誤魔化せるでしょ…とアドバイスした。どうしてその場で、主任と戦わなかったのか、不思議である。戦機を逃したらダメなのだ。私立大学、とくに稲門出身者は、喧嘩づくで生きて行くしかないのだから。

  夜も支給弁当にありつけそうである。何をやって、いるのやら?


9月18日(月)敬老の日

2017年09月18日 | 公開

  祝日だが、荊妻どのは既に秋学期が始まり、そうなると大学は祝日も何も関係なく、本日も授業実施日ということで、出勤して行った。

  先日、町内会から、我が家の後期高齢者2名に、敬老の祝い品が届いた。金一封、現金1,200円也と、なぜか「御礼」と記された粉石鹸=洗剤である。洗剤は、千歳の洒落のつもりかしらん、何かの景品の流用に違いあるまい。

  仕事をする気が何も起こらなくて、ちょっと、参っている。どうしよう。大学のメールシステムが変わり、どうしてもそれについていけない気がして、億劫、気が重いのが原因のような気がする。人間には、受け止められる限度というものがある。おいらもついに、「天保老人」の仲間入りということか。天保銭なら、陸軍大学を出た徽章だが、しがない私立大学しか卒業しておらぬ身だ(大学院は中退)。世捨て人になりたくても、きょうびは、区役所でその手続きをするのも、大変だろうと思われる。田舎から老母を引き取って、身に染みたからなあ。

        よのなかの すみかたかたに ひとしれず なにもなさずて しにたきものを(有若亡)


9月11日(月)ひさびさの更新(汗

2017年09月11日 | 公開

  大学教授の夏休み後半は、忙しい。大学院の合宿の後、全学的な某業務や、学部コースの合宿に出掛け、そのまま岡山への集中講義に出掛けた。いつもは前泊、講義5コマ×3日でこなしていたのを、試験を外付けに実施する必要から、4コマ×4日で行ったところ、存外うまくいった。授業の進行も無理がなく、岡山でいろいろな知己と余裕をもって会うこともできた。

  そのまま京都へ移動、3泊する。新幹線で1時間、その間に試験答案を採点し、成績を付けてしまった。

  京都での一首。

    「六地蔵 行きが六輌で まいります」ホームアナウンス なぜか可笑しい(雲州甲乙人) 

  寺町通り物色では、伝明融筆の拾遺愚草切を1葉、それに千五百番歌合の断簡を3葉、冷泉為清筆を1葉拾った。まあまあの収穫?であった。

  今回、モニター利用?というのに当たり、町家ゲストハウスに1泊できたが、う~ん、自宅で泊まっているような感じがして、もういいや・・・と思ってしまいましたわ。(汗

  家族が、静かなお寺に行きたいというので、曼殊院と萬福寺を案内する。後者は、伽藍だけに、ガランとしておりましたわ。(笑