そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月30日(日)ぼやきの続き

2013年06月30日 | 校長は日々是口実

 心弱くぼやきを綴ったら、心配して何人もの方がメールをくださった。どうかご心配なく。「世に従へば身苦し、従はねば狂せるに似たり」(方丈記)である。

 高校での日曜校務。ラグビー部の父母会をやっていたから、挨拶しようか?と顧問のS教諭に申し出ると、お願いしますとの返事で、食堂へと赴く。校長は挨拶も仕事である。余ったお弁当とお茶をめぐんでいただいたので、T教務副主任に差し上げた。

 主たる用務は順調に終了する。またY教諭に車で駅まで送っていただいたので、心積もりの1本前の新幹線に乗れた。お蔭で「八重の桜」が観られましたわ。もっとも、悲惨な内容の回で、一家うち揃って泣きながら観た。私は、サイパン島のバンザイ・クリフを想いました。

 娘に、我が家も松江藩士・徒十五石四人扶持の家柄だから、いざとなったら潔く自刃せにゃならんぞと申し渡す。娘はもうすぐ家を出て行くので、引越し準備で足の踏み場もない。次の日曜には荷物を運ばされるはめとなった。一抹のさみしさはあるが、土日は帰ってくるからねと言って、自室を明け渡すつもりは無い様子だ。


6月30日(日)休みが無い! 月末のぼやき

2013年06月30日 | 校長は日々是口実

 これから高校へ出勤しなければならない。6月も今日で終わりである。1日中ぼんやりしていたいが、何の脈絡も無くさまざまな予定が次から次へと入ってくる。手帳を7月始まりのものに買い替えた。4月始まりで選んだのが、分厚過ぎて使いづらく、モレスキンのハードな表紙のにしてみた。 月はじめの週は特に忙しい。

 勤務先は「二流大学」である。「一流」「二流」「三流」と序列的に表現すると怒る人もいるから、「松」「竹」「梅」と称するか。であれば「竹」大学だ。それは大学のスローガン?の一つ「学問の独立」に端的に表れている。あれ元来、日本語で授業をするという意味で、当時の一流「松」大学はみな外国語で授業をしていたのである。日本語で授業するというのは、「竹」の証拠だ。そして「竹」大学の使命は、統治者であるエリートを批判し、一般を啓蒙するということになる。したがって我が大学(母校でもある)は、ジャーナリストを数多く輩出したのである。

 それが昨今は国際化の時代で、とにかく英語ができなければ話にならんから、ウチも英語だけで授業を受けて卒業できるシステムがどんどん整備されつつある。では英語だけできればいいのか?と、反発する向きもあるが、英語はツールに過ぎないのであって、今や読み書き算盤の一つということだろう。現在校長を務める高校も、こうした視点で教育内容を見直さなければならない面が多いように思うが、そんなことを公言すれば、また古参教員連に怒鳴られるだろうな。

 私立学校だもの、「二流」であることをしっかり自覚しつつ、いささかの屈託を持って頑張るしかあるまい。文部科学省は、私立が「一流」であることをまったく期待していないのだから。今度の学校説明会ではそういう話をしようか。でも、弁士注意!と制止されるかなあ。教頭先生は、ウチが大好きな生徒に来て欲しいとおっしゃるが、好きか嫌いか、入ってみなければ分かりはしまい。専任として最初に勤めた高校は、自分の子どもは入学させたくないと正直思った(男子校で、娘は入れない高校だったけれども)。およそ教育というものが存在しない、ある意味実に乱暴な学校だったな。校長を務める今の高校はといえば、性格がマッチすれば入れたくなくもないかなあ…といったところだが、しかし合う合わないが極端だと思う。とにかく、一般的ではありませぬ。だいいち、私めなんぞが校長をやっていること自体、変である、異常である。まあまあ、そうは言ってもあと15ヵ月ほどの校長職任期だ。なすべきことはしっかりやって、さっさと辞めることにいたしますわ。時給500円にしてこの負担は、研究者として正直堪えられません。


6月29日(土)博物館で研究会

2013年06月29日 | 公開

 10:00からももの会なのだが、11:00から博物館で別の会があり、今日だけは後者を優先させていただいた。筒井紘一先生のご到着が少し遅れるということで、◇田先生とガマン専任先生にご挨拶申し上げて上野へ向かう。そうそう、ガマン先生からは、台湾土産の軽いもの(現金ではない!)をたくさん頂戴した。なによりの好物、ありがたしといふもさらなり。

 博物館へは西側の通用門から入り、藪蚊舞い飛ぶ九条館へ。九条といっても、平和憲法には関係ござりませぬ(苦情が出るよ)。さて15:00まで眼福を得る。参会者には知り合いが多く、ねこさんA君まで混じっていた。午前中の発表者は、I さんのお知り合いだとか。狭い世界である。なお、Yさんのことを仄聞したが、合う合わないは難しいのだなあと改めて思った。大学院指導教授としての私は、かなりちゃらんぽらんである。しかし、そういう点で、私とマッチする院生も中にはいることだろう。一流の研究者必ずしも一流の教育者ならずだ。まあ、教育しなければ済まないのが、我々二流大学(私大)のレベルというところである…(こんなことを書くと、また理事に怒られるかもしれん)。

 私が持参したモノは、すっかり霞んでしまってお恥ずかしや。でも、真筆に間違いないとmay堂様に太鼓判を捺していただいたから、胸を撫で下ろした。いやはや、ものすごく勉強になりましたわ。懇親会に出る意思表示をしたが、まだ時間が早かったので、ねこさんA君を引き連れてゼロ次会を行う。駄洒落絶好調(前文部科学省様にも褒めていただいたぞ)。懇親会も楽しかった。要するにお数寄者の会合ということですな。数寄こそものの、上手なれ。


6月28日(金)誕生日なり

2013年06月28日 | 公開

 ジャン・ジャック・ルソーといえば、やたら長い文を書くので有名で、学部生の頃フランス語の授業で往生した思い出がある。今日はルソーの誕生日だが、小生もまたしかり。しかし、この歳にいたれば、さしてめでたくもなし。メイドの足袋の一理っか?

 茶道関係のオムニバス講座の講師担当回で、市谷加賀町へ行く。開始40分ほど前に着き、案内を乞えば、3階の控室へ連れて行かれた。ここで呈茶を受ける。

 窓の明り障子をあけてみると、向かいはりっぱな道場の建物。昨夏はあちらで講師を務めさせていただいた。

 この講座は、以前にも1度お引き受けしたことがあるのだが、90分のつもりで喋り、締めにかかったら、あと30分ありますと言われ焦った経験がある。今回ははじめから120分喋れるように、段取りは周到に行った。

 受講者は必ずしもお茶の先生方とは限らず、一般市民の方もおいでなのだと思うが、いま校長を務めている高校で茶道部の指導をお願いしているT先生も聴いてくださった。お話は例によって、かなり漫談調を交えたが、きちんと話すべきは話し、持参の藤原定家筆小記録切の掛幅と、彫三島の茶盌で銘「美川波倶舞」をご覧いただき、格好をつける。だいたい、本物を持って行って示すと、聴衆の高い満足度を得られますな。

 120分ぶっ続けで喋ると、さすがに疲れる。受付にて拙著をご案内いただいたが、完売となったよし。ありがたや。終了後はそのまま牛込中央通りの方に抜け、「はとや」で豆を買う(豆屋の名前としてこれ以上のものはあるまい!)。通りの向かいに人の列ができているので、「はとや」のお姉さんに尋ねると、なんでも安いフレンチなのだそうだ。いや、うっとおしい。私のような老人には関係の無い世界である。

 「うつわや釉」へ寄り、Nさんと少しお話をしてから、神楽坂をぶらぶらして時間を潰す。「jokogumo」では、上の店舗(「うえぐも」と称するらしい)で「かご屋」を開いてますと案内されたので、行ってみると、茶盌入れにぴったりの竹籠があった。すかさず購入し、バックパックに突っ込んでいた彫三島を収めてみると、ぴったりだった。

 さて有楽町線で池袋へ移動、私の誕生祝いに来月初旬に誕生日が来る姑殿のを合わせて、娘がホテル内の中華料理店を予約してくれたのだった。一家うち揃っての、久しぶりの外食である。

 西洋料理のコースのようなサーヴのし方で、これはこれでスマートだが、まあ、中華!という感じではなかった。酒もワインにしたしな。で、支払いは、本日の講師のギャラで私が払う羽目となり、トホホのホ。そうそう、今朝ほど同居人からお祝いにシャツをいただきましたわ。まあ、ささやかな家族の幸せと申すべいよ。


6月27日(木)郷党の学生会

2013年06月27日 | 校長は日々是口実

 近隣中学の校長先生方との懇談が行われるため、高校へ出勤する。各校、地元推薦枠をお願いしているので、平身低頭する。市の教育長様もお見えくださった。ありがたや、ありがたや。

 本日は郷党の学生会が丸ノ内辺で開かれるため、帰りは東京駅へ直行。少し時間が早く、オアゾの丸善で時間を潰した。

 旧出雲国から首都圏の大学へ進学した人々で組織する学生会は、既に130年余の歴史を積み重ね、第551回例会とあいなった。今回から私も幹事の1人に加わることになった次第。ところが、現役学生の参加がなかなか見込めず、すったもんだの挙げ句、やっと1名の参加を得て、胸を撫で下ろした。香港のS君からの紹介に紹介を重ねての、現役学生確保である。

 夏の例会は講演、冬の例会(義士会)は蕎麦屋で講談の赤穂義士伝を聴く会となっている。今回の講演者は、消防庁の中枢でお仕事をなさっていた先輩会員。東日本大震災発生時の緊急対応の裏話など、実に興味深い内容だった。いざという時になると、人間は、淡々と仕事ができる者、テンパってしまう者、何もできなくなってしまう者の三種類に分かれてしまうというお話には、大いに同感した。何でも同じである。時の首相が聴牌タイプだったのが、我が国の不幸というわけだな。

 現役君を囲んで、7名ほどで二次会へ行く。国家公務員OB、NHK、消防庁、讀賣新聞、大和証券に大学教授(私)という顔ぶれ。まあこういう異業種うちそろい、郷土出身の後輩を励まそうというのだから、実に奇特な会なのである。興味のある方は、ご連絡を乞う。

 


6月26日(水)S司書の来訪

2013年06月26日 | 公開

 私は海外の大学では、紐育のC大学舎路のUW、長春のT大学で講義をした経験がある程度なのだが、ワン・クォーターまるまるを教えさせてもらった舎路で大変お世話になったS司書が研修のため来日され、帰国前にウチの大学の図書館等を見たいとリクエストがあったので、ご案内する。

 あいにくの雨の中、逍遥博物館前で待ち合わせ、同館前館長のT教授から90分話をうかがう。その後図書館へ移動、特資のF課長からまた90分話を聞いて、収蔵庫の中も見せていただいた。書棚は典籍や軸物ばかりかと思いきや、帙に「・・・花入」と外題があったので、こっそり開けてみたら、なんと竹の花入だった。茶道具をどうするんだ! まあ、なにしろ鎧兜まで収蔵している図書館だからな。

 夕食は大学と繋がっているホテル内の日本料理店へご案内し、台地の上にある隣の大学に勤務する同居人を呼び寄せ、お寿司のお膳にした。ゆっくりと歓談ができてよかった。九段下のホテルにご宿泊のよしにて、締めとしてお茶を飲みに「Cafe GOTO」へ行き、チーズケーキを1人前賽の目に切ってもらって、3人でシェアした。なおも残った2切れを、S司書はテイクアウトされたのだった。

 帰宅すると岸野承さんからお手紙が届いていた。さっそくお返事をしたためた。


6月25日(火)中華バー?へ行く

2013年06月25日 | 公開

 なかつよ文学会の委員会は、私が進行役をつとめたので、40分で終了した。閉会を宣言すると、素晴らしい!との声があがった。実は大ポカをしでかしていたのだが、それは黙っていることにする。

 後始末をし、次回委員会の会議室も予約、やれやれ、地下鉄駅のホームでどこかでちょっと引っ掛けて行くかな…と思案していると、向うから××教授がやってきた。まあ、私より偉い役職の御仁である。

 一緒に隣駅で降りて、中華バー?へ行く。このお店は二度目で、ご主人が暖かく迎えてくださった。ただしカウンター席はすっかり埋まっており、奥のテーブル席に陣取る。

 今月の定例教授会このかたの事態についてなどなど、さしさわりの無い範囲で話をうかがった。この件に関しては私は徹底的に与党であり、学部長殿のお取り回しは見事の一言に尽きると思っているが、事はその通りに進んでいるらしい。与党的発言に関しては感謝された。ただし問題は、責任を感じてへこたれている御仁をどうやって慰めるかだ。近々、彼氏とは一席を共にする予定だから、頭に入れておこう。

 どうも戦友同士で密談、鹿ヶ谷に及べば、カボチャならぬ生臭い話となるが、××教授も思いきった維新派?であり、あっと驚くような働きかけをなさっているらしい。まあ、現在のキャビネット内は存外に意思の疎通を欠き、頼むに足らぬということでは見解が一致した。とはいえ、アメリカナイズの道には抗い難いわいな、ぽん。××教授おん自らが、理事にでもおなりになったらよろしいのに…。

 ハイボールを3杯飲んで、名物?の腸詰ほか数皿を突っつき、払いは1人3,100円だった。この腸詰は、美味いですぞ。ただし、添えられたニンニク片はパスした。この前は齧って帰り、同居人にものすごくいやがられたからな。

 八雲御抄の断簡を購入した。時間がかかりますと言われたのに、すぐ送ってきたから、金を払って研究費で処理する。こんな六半の八雲御抄があるのですなあ? 元はどんな分量の写本だったか、想像がつかん。伝津守国夏筆で、故井上宗雄先生「夏の文学」という特集に、苦し紛れ?で橋本公夏の生涯についてお書きになったエピソードを可笑しく想い出した。それならば津守国夏でもよかったろうに。さて断簡の内容は、実に実にすてきな部分であり、修士課程の新入生Hさんにお見せしたら、涎を垂らすに相違ないと思う逸品だ。

  そうそう、夏季手当が仮支給とあいなったが、控除額がものすごいのに、頭がくらくらした。


6月25日(火)社会人向け講座の学期終了

2013年06月25日 | 公開

 なかつよ文学会の会議資料を作って「暁」を送る。朝飯はパンだった。なんだか変な取り合わせだ。

 社会人向け講座は本日が当該学期の最終回である。その前に近くの「菅雅」でりんだもぢる。このお店は、支払いの時に何故だか缶入り飲料をサービスしてくださる。

 講座は、なんだかんだでシラバス通りに着地できたと思う。最終回は受講生が評価書を書くことになっているが、どのような評判やらむ? 郵便局で振り替え払いをして、明治屋丸善でものを買って、地下鉄で大学へ。さあ、なかつよの委員会だ。


6月24日(月)男女共同参画社会推進

2013年06月24日 | 校長は日々是口実

 学校法人もはっきりと数値目標を明示しているのだから、標記積極的に手を打たなければおぼつかないと愚考した次第だが、果たしてそうした権限があるものやら、また、あまり乱暴なことをして、かえって面倒を招来することになっても困るわいな。

 朝いち演習は、昨日の京都日帰りで眠たくて仕方がない。受講生もしゃっきり集まらんし。要するに、文法がちゃんと分かっているかどうかだ。そんなに分量はないのだから、これくらい品詞分解して処理できなくてどうするの? 本気で解釈の割り稽古を考案するかな。

 A君相手のテクスト精読、Uちゃんの博士研究指導の発表と、眠いのを我慢するが、時々意識が飛んでしまう。昼食は「maruharu」へ行き、何か目の覚めるメニューはないですかとお聞きしたところ、ドライカレーを挟んだサンドウィッチを勧められた。お蔭でシャツがターメリックに染まったぞなもし。

 修士演習は、もう落語家みたいなノリで、これが大学院の授業かいな?と呆れられているのではないかな。暁とは何か?という話題に力を入れる。

 教育実習帰りのSさんは、もしかしたらヘコたれているのでは?と心配したけれど、けろっとしておいでだった。うんどんこんが備わった御仁なのかもしれない。(ハラスメントぎりぎりか?

 「Cafe GOTO」へ目覚ましのコーヒーを飲みに行ったら、ゴト―さん(画像右端)にやはり「、先生、疲れてますねえ!」と言われた。はたでそう見えるようでは、おいらも修行が足らんわい。

 学生の研究会も、実に面白かった。このテクストのこのあたりは、きちんと研究されていないのではないか? 論文ネタがごろごろしている。終了後、「AMA」で飲む。7名で白ワインのボトル3本を空けた。さてさて、帰宅したら、明日のなかつよ文学会常任委員会の議案書を作らなくては。結局、私ひとりが、ヒラの事務局員である。情けなや。


6月23日(日)京都で外国人に間違われる

2013年06月23日 | 公開

 研究会のため日帰りで京都へ行く。少し早めに着いたので、錦の市場で昼の弁当と、少し買い物をした。鱧皮をもとめたところ、魚屋のおねえさんが私に英語で値段を説明し始めたから、仕方なく英語でお応えした。OK good! と、何が悲しうて英語で鱧皮買わにゃならんのか?

 弁当屋のおばちゃんに、さきほどかくかくしかじかの事があって、私しゃ日本人に見えないのでしょうか?とお尋ねすると、きょうびは外国人観光客が多おますでなあ…と、やっぱり挙動が変なのであろう。昔、NWの旅客機に乗っていて、キャビンアテンダントが私にだけ英語で話しかけてきたことがあった。聞いてみると、裕福な?華僑に見えるのだそうである。昔むかし、院生だった頃にも、中国社会科学院の李先生から、ここに居る院生の中で容貌が中国人として通用するのは××さんだけです…と言われたこともあったなあ。世が世なれば、馬賊にでもなったかも。

 B大学の研究室をお借りして11:30に始まった研究会は、6時間ぶっ通しで行われ、今回は積み残しになっていた私の分担部分が多く、まことにありがたい次第であった。皆それぞれ失考があって、私も真夜中のテンションが上がりきった頃書き上げた原稿は、なんじゃらほいと恥ずかしいしろものであったが、一番ひどかったのはK元助手の読み間違いであったぞなもし。元の研究指導教授としては、面目を失ったわい。まだまだ精進いたすべし。とはいえ、皆大笑いで、よきブレイクとなったがね。まあ、到底一人では読めないようなテクストに皆で取り組んでいるわけで、だからこそ、こうした輪読の意義があるというものだ。

 京都駅で弁当と酒を買い、土産に菓子と茶をもとめて新幹線に乗る。今日は朝昼晩と3食弁当とあいなった。


6月22日(土)夜まで校長業務

2013年06月22日 | 校長は日々是口実

 土曜ながら高校へ出勤する。どうせなら近所の蕎麦屋へと思い早めに着くと、K君にまた校長室を使わせろと言われる。ここのところ校長室は、完全に生徒の面談室と化しているのだ。壁には□○と闘っている時の私の写真を掲げておいた。K君が外へ出た間に、生徒に飴玉を投げる。写真を指さして、闘わなければならん時には、闘うしかないんだ、校長もずいぶん闘ってきたんだよと言えば、うんうんと頷いておりましたわ。

 さて、開店と同時に蕎麦屋に入り、今日も一品頼んで、もずく蕎麦をりんだもぢる。高校へ戻れば、PTAの幹事会も開かれるよしにて、始まる直前ご挨拶のため顔を出す。それから延々、20:00過ぎまで校長業務。

 支給されたお弁当は、持ち帰ることにした。Y教諭に新幹線駅まで車で送っていただき、大助かりだった。売店はとっくに閉まっておったが、かかる仕儀となることはかねて予測済みで、往路の乗り換え駅にてワンカップとつまみを買っておいたのだよ。改札脇のベンチでワンカップを飲んでいたら、理科のU教諭がおいでになったから、一緒に新幹線に乗った。

 最近は最終ひとつ前という新幹線に乗る機会が多い。列車はがらがらなので、ストレスはないがね。

 英語科のM教諭から、私の肖像画?をいただく。余所の高校の生徒たちに英語で話す機会があり、勤務先の校長(私)のことを話題にしたら、想像画を描いてくれて、プレゼントしてもよいというので、いただいてきたとのお話だった。見ればなんと、ドラえもんのアレンジメントではないか! 以前この高校に勤めていた私の学部時代の親友Tの渾名が、ドラえもんだった。一緒に東名高速をブッ飛ばし、あるインターで朝飯を食っていたら、店のおばちゃんに、あんたら兄弟?と言われ、お互いいやな気分になったことがあった。やっぱりTに似ているのであろう。

 


6月20日(水)臨時職員会議と歓送迎会

2013年06月20日 | 校長は日々是口実

 私は原則、同居人以外とは携帯電話で話すことはしないが、しつこい不在着信記録にこちらから掛けてみると、さる事柄でお叱りをうけるはめとあいなった。ちっとも身に覚えが無い…とは申しません。むしろ、敢えて意識的にそういう「挑発的」な態度をとったのだし、それは教頭が常々おっしゃていることでもある。だって、「格式」が違うのは事実だろう。しかし、そのことを強調すること自体、私自身正直甘心できなかったのも事実。まあ、こんなことで喧嘩しても仕方がないから、ははっと善処方をお約束する。しかし、狭量なヤツがいるものだな。だいたい、××××氏あたりであろうよ。目に浮かぶわい。肝心な時には前線から逃げる御仁。Oさんを通じて働きかければ、戦友の言うことだから、余程のことがないかぎり私は素直に受け入れるものと判断したのだろう。

 新幹線のホームで国語の非常勤の先生と一緒になり、話していたら、あっという間に到着した。校長室は、現在使用中のよしにて(おいおい、誰が校長か?)、仕方がないから近所の蕎麦屋へりんだもぢりに行く。

 鱧の白焼きを注文。ノン・アルコール・ビールを飲み、メイン?はもずく蕎麦にした。

 食い終わって店を出ようとしたら、退職されたK先生が入って来られた。調べ物で図書館においでになったそうである。店の前の駐車スペースの傍らには、柘榴が鮮やかな花をつけていた。金魚が空中を泳いでいるようだ。どこかでが鳴いている。

 校長室はまだまだ使用するとのことだが、入らせてもらう。黙って話を聞いていると、こりゃ大問題、断固とした処置をとらなければならぬかも。そこで、事務長殿にお願いして、教員の賞罰規程を確認する。この高校は、過去に教員を処罰したことがありますか?と教頭にお尋ねしたが、首を横に振っておられる。まあ、始末書でしょうな。学部・大学院だと、こういう事態はいくらでもあるから驚かない。私も学部教務主任時代、始末書を書いてもらった経験が幾度かある。さてK君、どうするかね?

 臨時職員会議は、定例会の積み残し議題と新たな雑々とした案件を処理した後、メインテーマに突入。終了時刻をあらじめ決めて宣言していたので、結論は出ず継続審議とする。ところが、終わり間際になって延々と発言する御仁あり。もっと早く言えよな!と心の中で思うも、そんなことを口にすれば議場が炎上するから、隠忍自重した。おいらも我慢強くなったものよ。亀の甲より亀の子タワシ…ごしごし。けしけし…ではない(分かるかな~? 見よ宇治拾遺物語)。

  会議の中では、思うところあって少しどぎつい発言をしてみた。この学校法人内で校長は、我が校の味方をこれまでに、ただの一人も見たことが無い。本気で味方を作る努力が必要ではないのか? 猛反発を予想したが、意に反して「校長の言う通りだ」と発言された先生もあった。

 6月1日付で事務長が交替し、職員にも異動が生じたので、歓送迎会が催された。最初の挨拶をさせられること予想通り。新事務長殿はなるほど、クラーク・ケントそっくりである。しかし、ウチの高校に電話ボックスはないから、変身のしようがあるまい。企画課にお願いして、設置してもらうか?(笑)

 司会のSさんに、シメはどうするのだ?と尋ねると、自然解散と申すので、そりゃいかん、では俺に唄わせろと、音楽科のN先生が目の前にいらっしゃるにもかかわらず、自作?の替歌××△△△節を唄って呆れられる。 ここまでやる校長が、いままでおったかよ?

  ××で育った山猿が △△△の杜にあこがれて (「山猿が」がひどければ、「学院生」でもよろしい)

  出て来たまではよいけれど ○○銅像大講堂

  お昼休みの人の波 これじゃホントに目が回る~♪

 地元市長さんの前でも唄い、フリーズさせた替歌だからなあ。学校創立者胸像の前にマムシに注意の看板を設置してよと教頭に再度お願いしたが、拒否された。とっても素敵な記念撮影スポットになるはずと思うが、残念無念。展示ケースにマムシのアルコール漬けをかざろうというアイデアも、女子生徒が卒倒するとの理由で教頭に拒否されたな。教頭先生、マムシがお嫌いなのか? 胸像の前に賽銭箱を設置したら、間違えてお参りする人が出ると思うけど…と、こちらの方はよろしいと言われた。寄付金集めの窮余の一策?

 まあ、Oさんに叱られた件で分かるごとく、シャレの分からんヤカラは世間に多いから、言動には気をつけるべいブリッジ

  新幹線から乗り換えて最寄り駅に着き、改札を出たところで娘に声を掛けられた。彼女もずいぶん遅くまでの仕事である。一緒に帰宅する。

 


6月19日(水)じゃじゃくちゃに長い教授会

2013年06月19日 | 公開

 「あまちゃん」オープニング・テーマに合わせて、「じぇじぇっじぇっじぇっじぇっじぇっじぇ じぇじぇじぇじぇっ~♪」と唄っていたら、娘があはははと笑い出した。歌詞が付いていないから、「じぇ」で唄うのが正当だと思うんだがな?

 「じぇじぇ」は驚いた時に発する方言ということだが、わが出雲弁で「じゃじゃ」と言えば出鱈目、滅茶苦茶の意となる。正確には「じゃじゃくちゃ」と言いますがね。ただ「じゃ」を2回繰り返すだけで、3回以上はない。

 会議日なので、まず12:15からのコース会議に出る。なかつよ文学会の事務局がT教授の研究室に移動してきたので、その報告をした。私がヒラの事務局員をあい勤めまする。

 コース会議はささっと終わったので、昼食を摂りに「maruharu」へ行く。先客が3名あり、これは大変な混みようだった。「maruharu」の店内キャパは、なにしろ7席だからな。このお店で昼を食うと、なんだか痩せられるような気がしてくる。卵焼きのサンドウィッチをいただいたが、ほのかにシナモンあるいは五香粉みたいな香りがするので、お尋ねすれば、ガラムマサラを加えているということだった。ふうん、今度真似をしてみようかな。

 で、教授会は無慮5時間半! まあ仕方なかんべえよ。お稽古事には出られそうもないので、ちょっと抜けだして会場へ顔を出している間に、卒業論文仮指導日の件は済んでしまっていた。毎年ふらふら日程を変えるな!と文句を言うつもりだったのだが…。11月末~12月初の土曜日の予定を6月に決定されたひには、学会スケジュールなどと調整不能である。ほんとうに教務は勝手だ。研究者コミュニティの実態を理解しておられない。

 懸案事項は、L学部長でなければこうは捌けなかったことであろう。私も学部長殿をサポートする意見を述べたが、最後にまたぞろ変なことを言って、前に座っておいでになったO前副学部長殿に、お前のせいで教授会が5分延びたと苦言を呈された。(汗

 お稽古事にちょっとだけ参加。ご住職の美声に聞き惚れた。ふ~む、アントニオ猪木は梵唄をうたっていたのかねえ? 終了後は「AMA」で歓談。大学教授こと寄席の芸人は、結構人気を博した。


6月18日(火)夕方から校長業

2013年06月18日 | 校長は日々是口実

 電車の中で、隣の吊皮につかまっていたサラリーマンお2人連れの一方が、それは正論だ!とおっしゃったので、ついつい、今はスリランカと言うんじゃないですか?と声を掛けてしまった。一瞬、周囲の空気が凍結したような…。娘から、知らない人にみだりに声を掛けてはいけません!と注意されていたのになあ。知らない人にみだらに声を掛けたら…もっといけませんよね、うふ~ん。気を付けよう、あまい言葉がセクハラに…。

 先般来訪された韓国の姉妹校の先生からメールが来て、拙著が欲しいと書いてあるから、慌てて研究室へ取りに行く。そうしたら在庫が切れていたので、仕方なく書店で購入。とんだ出費である。

 社会人講座の前には、「築地布恒更科」「冷やしすだち」をりんだもぢる。浮かんでいるすだちの輪切りも含め、汁を一滴残さずに飲みほした。このお店の「冷やしすだち」は一本芯が通っている骨太な感じだが、「木挽町湯津上屋」のはやさしく、繊細な感じである。どちらも好き。ところで、懐から扇子を取り出そうとしたところ、花番さんに自前の箸を出したのかと勘違いされた。あ、扇子ですかと言われたので、いえ、箸も持っていますよと申し上げる。蕎麦食い用の持参箸。さすればおいらも、お店で顔を覚えられてきたということか?

 社会人講座は、なぜか相模と源俊頼朝臣の話をした。百首歌つながりですな。で、堀河百首のことを語っているうちに(こりゃなんぼでも話ができるわい)、時間が来た。今期の講座は来週で仕舞いとなる。

 暑い中を東京駅まで歩き、新幹線に乗る。着いたらすぐに打ち合わせ。後の業務も30分押しで、くたびれ果てましたわ。それでも20:00前の新幹線に乗れたのはラッキーだった。帰りがけ教頭先生相手に、この高校の将来計画はどうなってんだ!と大きな声をあげてしまった。口頭で物事は決まりませんぞ。この前のあれだって、組合の団交ぢゃないか!と、この高校の先生方は、戦争の仕方を知らんのだ(K君は戦争文学が専門ぢゃないのか? 千艘はムーミン大学の先生だが)。味方の作り方をご存知無くて、いつも被害者面かよ。兄貴分高校は、味方、シンパが山のように居るぞよ。だんだん、むかむかしてきた。

 新幹線駅の売店で、チューハイ缶を買う。つまみを見つくろいながら、売店のおばちゃんに、このチーズ鱈は美味いですか?とうかがうと、さあ?(古語の「いさ」のニュアンス)と気の無いお返事。だって私、チーズ嫌いなんですものとは、正直なお答えである。売る気ネエな。おばちゃんに、好調ですか?とも聞かれたが、校長が好調であるわけ無いぢゃないか! ベンチに座ってチューハイを空ける。スタッフ室でいただいてポケットに突っ込んでおいた水羊羹の缶も、この際食ってしまった。


6月17日(月)東白庵へ行く

2013年06月17日 | 公開

 朝いち演習は結局、ほとんど全員が出席するようになった。完全にドロップアウトしたとおぼしいのもいるが。本日は算賀の話をする。数え年40歳から老人なのである。

 A君相手の精読は、面白い、面白いとの反応で、そりゃ作者が面白く作っているのである。話の並べ方が連想で繋がるようになっているのも、面白さの一端だが、Uちゃんが言う通りそういう設計のテクストなのだよ、こいつは。

 さて、博士の研究指導は希望者が無かったので、「東白庵かりべ」へ遠征してりんだもぢる。濱田万葉似の花番さんが、いつものように行き届いた接客をしてくださる。Gさんへのお祝いを買うために「遠音」へ寄る。フィンランド・デザインの蕎麦猪口?があったので、それも思わず購入した。遠からず家を出て行く娘への引き出物といたそう。

 修士演習の準備をしていたら、Gさんがやって来たのでお祝いを渡した。N県のお土産を頂戴した。

 演習は留学生の発表だったが、文法的なことを丁寧に教えるよう心がけた。テクストの読み方を手ほどきした本でも書こうかな。割り稽古の方式で。A君に、需要はあるんじゃないですかと言われた。で、A君の個人面談を実施。非常勤の仕事が忙しいらしい。

 学生の研究会は、1人教育実習から戻ってきたが、参会者が寂しかった。終了後、5人で「かわうち」へ。このメンツだと、はなから日本酒となるのが面白い。指導教授の影響なるらむか?

 進路相談に与ったりした。行けるものならば東大へ行くにしくはないと、私は思うがね。まあ、そういうことです。W教授に相談しなはれ。さあれば、治まる御代だ。

 フィンランドの蕎麦猪口?、娘はたいそう気に入ってくれた。