そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月31日(月)

2009年08月31日 | 昔日記
 古記録注釈の入稿前点検が10:00からで、そのままT教授のお通夜に行くべく、それなりの格好で大学へ。ところがG先生がお見えにならないとの連絡があり、中止にしようかとの話も出たが、少しでも先に進めておくことになった。

 雨がひどい。昼食は皆さんを学食にご案内する。私は冷麺にしたが、意外に美味しかった。畏友教務主任殿と、教育のT教授から、御香典を託った。

 15:00過ぎ、先に退出させてもらう。M教授、U教授、T教授と連れだって浅草へ移動、東武の特急にぎりぎり間に合った。というか、発車を待ってくれたみたい。故T教授は分福茶釜のT市から遠路お通いになっていたのである。

 まず奥様にお悔やみを申し上げる。ご退院の話が出ていた矢先、突然心肺停止となられたらしい。お体が相当弱っておいでになったのだろう。我が大学の過酷な労働条件が、しからしむるところか。T市から、月曜1限の授業に通勤なさるというのは、さぞかし大変だったことだろう。

 T先生は蝦蟇油大学の教授をなさっていたので、その教え子の人々も多く見えていた。桃夭会でご一緒のI先生、文科省のT氏など。I先生はたしかお仲人がT先生だったはず。また江戸文学の学界関係者も多い。日本最大国語辞典編集者のK氏にも会った。

 明日は告別式だが、古記録のほうのお世話があるので、失礼することをお断りして帰路につく。台風は逸れていったのか、雨はすっかりおさまった。

8月30日(日)

2009年08月30日 | 昔日記
 亡父の七回忌を行うため帰省した。命日は12月なのだが、諸般の事情で早くしてもらった。28日の午前中の飛行機に乗る。妹夫婦も夕方に到着。家が狭いので、南殿町のど真ん中にある宿泊施設が手配してあった。その部屋からは、天守閣も県庁も見渡せる。高い建物がほとんどない街。いかに寂れているかだ。

 法事は29日の11:00からで、菩提寺は谷の奥の極まる所にある、妙心寺を本山とする禅刹である。般若心経や法華経普門品、白隠禅師坐禅和讃を読誦させられた。いい加減口がだるくなる。その後、塔婆を持ってまず家の墓所へ行き、副住職にお経をあげていただいた。山の中腹にあって、並びには元禄三年に没した松江藩士の墓石なんぞも建っている。実は亡父の収まっている墓は麓の供養塔のほうで(私は実父母とは姓が違う)、今度はそちらに塔婆を立て、お経をあげていただいた。それから、庫裏のお部屋を借りて、お斎を供した。13:00にお開きとする。

 妹夫婦はすぐに上京する。妹は投票所のアルバイトをするらしい。私たちはもう1泊。今度は実家の茶室に布団を敷いた。

 今朝、遅めに朝刊を開いてビックリする。28日に同僚のT教授がお亡くなりになったとの訃報が載っている。慌ててU教授、そしてコース主任に電話した。主任は27日にお見舞いに行き、お目にかかったそうだ。ご体調が優れないとは仄聞していたが、急にこんなことになるとは。昨年のK教授に続き、なんということだろう。K先生の告別式で読まれたT先生の弔辞は、私もすぐそちらへ行くという言葉で締め括られており、ああ、何ということをおっしゃるのかと思ったが、その通りになってしまった。明日が通夜で、告別式は明後日とのこと。

 前日妹夫婦が帰ったのと同じ便で羽田へ向かう。夏休み最後の日曜のせいか、満席だった。台風接近で大雨だ。帰宅して遅い夕食を摂り始めると、選挙の開票が始まった。

8月26日(水)

2009年08月26日 | 昔日記
 実は昨日、「とん太」に行った。怖くて、パートナーには到底告白できない。バレたら殺される! 特ロースを注文。おつけはとん汁にしてもらう。まずおしんこが出る。これが美味。それと、小さな擂鉢に胡麻が入って供されるが、私は使わない。胡麻はそのまま、付け合わせのキャベツにかけてしまう。かつにはベトナム産の塩をつける。大将に、まだお休みですか?と声を掛けられたので、先日、隣の研究室のT教授とは、軽井沢の学生合宿でご一緒しましたとお話しをした。T教授は学生時代、ずっと「とん太」でアルバイトをしていたのである。今では坊ちゃんを連れて、時々おいでになるらしい。

 さて、13:00から打ち合わせに呼ばれている。大学へ行くと、N教授とJ教授と、3人で研究計画の詰めをするはめに…。プロジェクターでスクリーンに投影し、文言をどんどん修正していく。17:00過ぎまでかかった。

 N教授に誘われたので、「五郎八」へ。まずビール、それから日本酒の発泡酒をいただき、締めに私はアボ蕎麦を頼んで、ずるずるかき込んだ。夏にアボ蕎麦は最高である(N教授、J教授には変な目で見られた)。

 パートナーは研究会で、今日はなんでも揉めそうだとか言っていた。終わって、「ムロ」で餃子食っているらしいが、電話しても一向に出てくれない。仕方がないので帰宅する。ややあって、パートナーが「ムロ」の焼きソバを手土産に帰ってきた。鳥越文蔵先生に持たせていただいたのだとか。日本蕎麦とは別腹?なれば、早速にいただく。ううう、極めて美味! 半分娘に食われた。

8月25日(火)

2009年08月25日 | 昔日記
 痛風の病院へ行く。ものすごく混んでいた。主治医から、筋肉がおかしくないかとしきりに尋ねられる。薬の副作用だそうだ。目の筋肉がおかしいのかも。

 帰りがけに期日前投票をする。最寄駅の反対側の口にある「市民の窓口」の2階に投票所がしつらえてあった。前は区役所まで出向いたが、これは至極便利である。そのせいか、たくさんの人が投票に来ていて、列をなしている。投票所入場券の裏に日にちを書き、署名をして、理由を選ぶようになっていた。亡父の七回忌だから「冠婚葬祭」になるだろうし、「帰省」にも該当するが、細かな詮索はされなんだ。まず小選挙区を投票、次に比例と国民審査の用紙を一緒に渡される。教組の執行委員なんぞを務めさせられているので、今回はひとつまあ、そういう立場で投票してみた。
 
 帰宅して西瓜を食ったら、不味かった。昨夜はあんなに美味かったのに、不思議である。女性陣は買い物に出掛けるというので、一人で留守番だ。夕食の準備にかかる。

 煮豚を作ることにした。バラ肉の塊をルクエのスチームケースで解凍してやや大きめに切り、生姜を大量に加え、味醂とつゆの素を水で薄めた汁でことこと煮る。仕上げにSさんに頂いた蕎麦蜂蜜を少しからめ、煮汁が無くなる直前に鰹節をどばっと振りかけて、火を止めた。そのほか、ひじきと大豆と油揚げを炊いた。こちらの仕上げにも、蕎麦蜂蜜少々を加える。御飯は最後の1合を炊く。米買って来なければ… あとは千切りキャベツにコーンを混ぜたサラダ?で誤魔化す。

 煮豚を娘がばくばく食した。脂身まで食べちゃったので、太るぞと、嫌味を言ってやった。夕食に切った西瓜は甘くて美味しかった。2分の1買ってきたのだが、部位によってずいぶん味が違うものだ。

 Nさんから博論の下読み稿がようやく届く。K助手のと合わせると、今夏これから読まなければならないのは(400字詰原稿用紙)1500枚分くらいにもなろうかしら。論文読むのが商売とはいえ、結構時間がかかりそう。もっとも既発表=既読論文も多いから、何とかなるべいよ。

8月24日(月)

2009年08月24日 | 昔日記
 キャンパス図書館に本を返さなければならないので、大学へ行く。事務センターに寄って成績表を提出した。web入力した場合も、プリントアウトし、署名捺印のうえ、提出しなければならないのだ。バカバカしいと思うが、日本とはまだそういう社会なのだろう。ついでに、非常勤で来ているパートナーの分も提出したら、××××先生のが入っていますが?と、担当職員の方にいぶかしまれた。配偶者なんですわと答える。啞然とした様子。そんなに意外ですかねえ。それから本を返して、拙論掲載の論集を図書館に寄贈する。

 メールボックスが満杯になっていた。畏友教務主任殿からご郷里の珍味を頂く。図書館からはゴダイバのチョコレートが届いていた。オープンキャンパスでの展示協力のお礼らしい。訪問学者として受け入れるPさんの宿舎関係の書類や、来春の交換研究員採用の書類なども届いていた。これで2ヵ月ちょっとシアトルに行かせてもらいますけん。でも、これからどう手続きをすればいいんだろう?

 図書館の選書が2回分溜まっていた。慌てて作業をするが、この時期は刊行される本が多くないので、何冊も選ばなかった。Wさんの学位請求論文をバッグパックに入れて帰途へ。そろそろ審査報告書の案文を作らなくてはいけない。

 神楽坂でワインと豆腐を買う。パートナーは17:00前の長野新幹線に乗るという。夕食は私が作らなければならない。御飯を1合だけ炊く。中華鍋でピーマンと豚肉炒めを作ったら、鉄分のせいか真黒になってしまった。味付けには、Sさんから頂いた蕎麦蜂蜜と石榴のジュースを使った。実に美味である。Sさんからは以前何度か、名店の生蕎麦を頂戴したことがあるが、今般は蕎麦蜂蜜ほかを送ってくださったのである。無類?の蕎麦好きである私めとしては有り難いが、実に癖の強い蜂蜜である。そこで少しばかり、料理に使ってみた次第。

 あ~、とんかつ食ひたし。「とん太」の特ロースが食べたいなあ。 

8 月22日(土)その2

2009年08月22日 | 昔日記
 軽井沢駅で釜飯を買って朝食にしたのは失敗だった。朝から食うものではなかった。その昔、大学院の合宿で毎年軽井沢に来たが、横川駅で一同決まって峠の釜飯を買い、中軽井沢までに、急ぎ車中で食ったものだ。亡き指導教授は、釜飯がお好きだったのかな?

 軽井沢行きのバスの中で、K助手から学位請求論文の下読み稿を渡されたので、帰りの新幹線の中で読み始めた。一体どういう方向で博論纏めるのかなあと、一時は心配したが、りっぱに体系的な論文となった。Nさんの下読み稿もほどなく仕上がる。今、審査中の1200枚超の大論文が終わったら、研究指導を担当した両名の論文にかかることになる。修論の本数も多そうで、今年は大忙しだ。

 東京駅から御茶ノ水に移動、湯島聖堂の斯文会館に着いたのは9:50、もう参加者が大勢集まっておいでだ。今日はH先生がご欠席なので、蝦蟇油大学のI先生が肝煎り役。筒井紘一先生のご到着が少し遅れたので、予習の音頭取りをするよう命じられ、読み始めたところで筒井先生がお見えになった。ほっ。茶道資料館の文房具展のお話に始まり、テクストも少し読み進んだ。短冊の話が2つ出て来たので、面白かった。

 筒井先生とI先生に、最新の論文のコピーをお渡しする。茶掛がどうして捏造されるかについて、ちらった論じたもの。ありゃりゃ、誤植を見つけたぞ。「原懐紙」が1ヵ所「現懐紙」になっている。恥ずかしや。

 帰宅の途次、美容院へ寄ってパートナーから鍵を受け取る。明日から軽井沢へ学生引率なのだそうだ。ちょうど入れ違いだな。あちらは旧軽のちょっと北に大学の宿泊施設がある。沢屋のジャム買ってきて欲しい。

 目が疲れて死にそうだ。ナボリンを2錠飲む。夏のはじめ、左腕の関節の内側に汗疹ができ、それがいつまで経っても治らない。ようやく痒みは収まったが、皮膚が爛れてごわごわになった。情けない。 

8月22日(土)

2009年08月22日 | 昔日記
 学部コースの有志合宿で軽井沢に来た。昨日9:00にバスで出発して、12:30に到着、1時間後から6本の研究発表を聴く。内容は現代語、現代文学、洒落本、源氏物語(語彙、怨霊)、万葉集。結構ハード。安部公房の『箱男』なんぞ、なつかしく思い出す。高校の学園祭で、私、「箱男」になったもんね。でも、その発表自体は完全に社会学だった。

 教員は6名参加。うち2名は日帰りで、泊まったのは4名。20:00から懇親会で、中締めの後また飲み、1:30近くになってようやく退散した。この歳になるといささか辛いかも。

 雨が時々ぱらつくが、たいしたことはない。昨日は浅間山が見えた。浅間山の本意は何かという問題を、専門演習の学期末試験に出したが、出来はよかった。その演習の受講生も2名ばかり参加している。

 ようやく明るくなってきた。外は霧がたち込めている。朝飯食わずに、8:28の新幹線で帰京の段取りだ。10:00から御茶ノ水で桃夭会に出なければならない。「おぎのや」の釜飯でも食うべい。

8月18日(火)

2009年08月18日 | 昔日記
 本日がweb上での春学期成績確定締切日である。受講者大人数の科目の処理はとっくに終わっていたが、30名規模の演習科目の評価に悩み、最終日に至ってしまった。レポートを採点して、プレゼンテーションの評価を加え、出欠も考慮して、一応A+、A、B、Cの成績をつけてあった。しかし、普通の基準でつけていったら、A以上が半分近くになっちゃったのである。A以上の成績は3割以内と指示があり、どんなに多くても3分の1までが限度だろう。心を鬼にして、何人かのAをBに降ろす。まあ、大学教員にとってBというのは、心理的につけやすい評価であることは確かだろう。以前はA、B、C、Dだったから、ついついBをつけがちだった。逆にA+というのはつけにくい。90点以上、特段優れた成績の学生となり、私はせいぜい消費税率くらいしか出さない。最後に残った演習も、A+は結局1人だけにした。我ながら厳しいかなあ。

 衆院選挙の公示日である。投票日は松江だから、不在者投票をせにゃならんが、駅前の市民の窓口でできるらしい。これは便利だ(前は区役所まで行った)。私と娘は同じ政党に入れることになりそうだ。姑とパートナーは決めかねているらしい。候補者の人物本位で考えることはなく、政党に入れればよいと私は思うが、姑あたりは抵抗感があるらしい。 

8月16日(日)

2009年08月16日 | 昔日記
 研究会のため久しぶりに大学へ。いつものように11:00からだと思い込んでいたら、10:30の集合だったらしい。今日はHさんが本当に何年かぶりに参加、午後には井上宗雄先生もお見えになった。18:00まで輪読を続けるも、点検分がかなり残った。今日は難しい作が多かったからな。私も報告をしたが、要領を得なかったと反省しきり。

 朝、K先生に、お気に召したコンフィチュールをお届けしようと急に思い立ったが、大学近くまで来てご連絡すると、お出かけになるという。コース研究室の冷蔵庫に入れておいたので、おついでの折に鍵を借りて、お持ち帰りください(専任教員なら借りられるはず)。冷蔵庫は奥の右側の事務机の脇にあります(ちょっと分かりにくいですが)。

 パートナーは前任大学のゼミのOB・OG会とのこと。ジンギスカンだとか。夕食は姑、娘と3人であった。

8月13日(木)

2009年08月13日 | 昔日記
 逗留先の近所ばかりを徘徊している。七宝焼作家・並河靖之の旧邸へ行く。七代目小川治兵衛作のお庭が結構であった。隣が小川家らしい。その蔵が傾いて見えていた。感謝状を貼り込んた屏風が玄関に置かれているのにはいささか驚く。鴨居に額を並べるよりはよいか。でも、すごい枚数だ。

 早めに作った夕食を摂ってから、祇園方面をぶらぶら。「みよしや」の「都乃だんご」(画像)をもとめて帰る。運よく列が短いうちに並べた。

 チューハイに冷やし飴の素をチョッと入れて「だんご」の串でステアし、我流カクテル「都の夏」?を作ったら美味だった。生姜が効いている。サントリー角の空き瓶に、冷やし飴を作って、冷蔵庫に入れておいたところ、パートナーに見とがめられた。これはアルコールではありませぬぞ。お酒はみんな飲んでしまった。

8月12日(水)

2009年08月12日 | 昔日記
 延暦寺へ行く。夜の特別拝観とやら。坂本からケーブルカーに乗った。運転のおじいさん?が、「この辺はシカやサル~ゥがよ~出ます」とアナウンスしたので、パートナーは泣いて感激している。ここまで正しい関西アクセントは、昨今、容易に耳にできないそうだ。サル~ゥ、サル~ゥ。日吉山王権現の利益ですかな。

 根本中堂の法会を聴聞。声明を聴いた。最後に般若心経を唱える。

8月11日(火)

2009年08月11日 | 昔日記
 昼食は「有喜蕎心庵」へ蕎麦をたぐりに行く。「文藻堂」のご主人お勧めの店である。十割をいただく。その辺をぶらぶらし、寺町通りの「ばんてら」で五角の竹箸を買った。江戸箸にも同じ形のがあるが、五角のは実に使いやすい。折りたためる茶杓がありますか?と尋ねるも、扱っていないとのこと。御池通りを渡り、「亀屋良永」から老母へお菓子を送る。
 
 夕方、逗留先の近所を散歩した。青蓮院の近くに櫻井忠温揮毫の碑(画像)を見つける。櫻井忠温といっても、今はもう誰も分からんだろうなあ。『肉弾』ですがな。「戦争と文学」という講座の一端を担当させられた時に、『此一戦』とともに取り上げて講義をしたことがある(明治のテクストまでは何とか扱っておりますので)。

8月10日(月)

2009年08月10日 | 昔日記
 大原の民宿で合宿中。京大のフルート部?の人たちと一緒らしい。ぴ~ぴ~練習の音が聞こえた。雨模様だが、寂光院へ行く。K君は右京大夫集で卒論を書いたので、ここまで来て建礼門院大原西陵を拝さぬわけにもいくまい。

 マイクロバスで国際会館まで送っていただき、合宿は無事終了。いったん駅まで移動し荷物を預け、皆で市内散策に出掛ける。お盆シーズンのせいか、目当ての店が結構閉まっていた。お昼は「進々堂」でパンを肴にビールを飲む。「S家」では古筆貼交屏風を見せてもらったが、売約済みとのこと。冷泉為広の短冊などが貼ってあった。今日はなんだかんだで10kmほど歩いた。「イノダコーヒ」の三条店で一休みして、いよいよ本当に解散。大阪・神戸方面に向かうK助手とMさんは阪急へ。Uちゃんは宇治の花火大会へ行くというので京阪へ。JR京都駅組とタクシーに乗る。

 京都駅でパートナーと娘に落ち合い、伊勢丹の地下で食料品を調達する。明日から京大図書館へ閲覧に行くパートナーに付き合って、しばらくは京都滞在の予定である。

8月9日(日)

2009年08月09日 | 昔日記
 大学院の合宿で、昨日京都に来た。新幹線の車中で、校正の仕上げと、答案の採点を終える。あっという間に京都着。Nさんは1本前、K助手は1本後の新幹線に乗っていたらしい。14:20に国際会館の改札前集合。駅前のポストに校正を投函し、迎えのマイクロバスで大原の宿舎へ。

 修論発表と秋の学会下発表を聴く。夜は飲み会。そこそこに自室へ退散した。

 今日は雨だ。午前中、修論発表を1つ聴き、三千院へ向かう。参観に結構時間がかかった。後鳥羽院・順徳院の大原陵(画像)を拝し、門前の食堂で昼食を摂る。ビールがうまい。お土産にしば漬けなぞを買う。

 午後に論文発表を聴いたが、2時半たっぷり議論する。あ~疲れた。

8月6日(木)その3

2009年08月06日 | 昔日記
 松江に帰りたい。我が松江、我が鎮魂…入沢康夫ですな(本当は『わが出雲・わが鎮魂』)。入沢さんとは一度だけお話ししたことがある。北堀町のご出身だ。

 今年は「ホーランエンヤ」があったが、観に行けなかった。12年に1度しか行われないので、正直あまり記憶にない。巡り合わせということがある。「鼕行列」はなつかしや。お堀がきれいになったので、遊覧船が運航するようになったが、子どもの頃には考えられなかった光景である。

 亡父が一番好きだったお社は「神魂(かもす)神社」。松江を訪れたら、ぜひ参詣なさるべし。大社造のむき出しの本殿(しかも国宝)に近寄れるのは、ここくらいだ。亡父は社家(出雲国では「横屋」という)の次男だったが、ド(太鼓のこと)が実に上手かった。