そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月10日(火)その2

2009年02月10日 | 昔日記
 そう、躁状態なのかも…こうなったらもう手に負えないよ。16:00から会議である。仕方無いので大学へ向かう。どうせ大学院の成績について、事務所に出頭せにゃならんし…

 携帯電話が急に鳴る。学生からだ。論文の結末をどう書いたらいいのか分からないと泣きついてきよった。かくかく、しかじか、これこれと書きなさい、くれぐれも推測に推測を重ねないようにね、と優しくお教えする。ああ、こういうのが研究指導の実態だ。我らが学生だった時代とは大違い。

 K教授が蜂蜜をくださるらしい。教授のブログに『アエラ』が欲しいと書いてあるものだから、慌てて駅で『アエラ』を買って、電車の中で記事を読んでいたら、ウチの大学、いつの間にか面倒見のよい大学を目指すことになったらしい。教務部長がそんなことを語っている。お~い、いつ、誰が、そんなこと決めたんだよ~!

 事務所へ行き、成績処理のトラブルに決着をつけた。×××君、ご安心あれ。メールボックスには蜂蜜が届いていた。能書きもたくさん付けてくださったので、あとで拝読いたしまする。ありがとうございました。『アエラ』はK先生のボックスにお入れしておきましたから。

 会議は、16:11には終わっていた。ああ、あほらし。しかしこれも、給料の内だぞなもし。神楽坂で豆腐を買い、今日はロゼを1本、「ラ・カーブ・イデアル」で選んだ。しかし、昨夜の飲み残しの「越乃景虎」純米酒があったな。老母が送ってくれたハンバーグも、夕方には届くだろうし。夕食はそれで仕舞いだな。

2月10日(火)

2009年02月10日 | 昔日記
 ウチで体重量ったら85.5kgだった。ど、どうしよう~。ジムで測ると86.5kgなんだが。1kgの差が出るのが不思議ぢゃ。昨日、インストラクターのにいちゃんに、ここの体重計はおかしいんじゃないの?と文句を言ったら、笑ってた。

 ずいぶん体重が落ちたんだけど…とパートナーに言ったら、結婚した頃はもう10kg少なかったわよと睨まれた。そうだ、1年に1kgずつ太って行ったんだっけ。さすがに100kgには届かなかったけど…。私は助手の1年目、27歳で結婚したんだ。結構早かったな。当時の写真を見ると別人だ。学部生の頃の写真なんぞ、どこの痩せっぽちかという風情。高校生の頃は、標準体重マイナス10kgでしたもの、あなた。人は化け物(井原西鶴)だな、まったく。

 化け物といえば、女性はお気を付けになったほうがよろしいですぞよ。パートナーは結婚した時、私より2歳年下、正確にいえば2歳半年下だったはずなのに、いやはや女性というものは、歳をとるのが早いのなんのって…。とっとと博士となり(私は恥ずかしながら博士号を持っておりません)、ずっと早く教授となり(その後、転任して一度助教授に戻ったけど)、いつの間にやら私は年齢までも追い抜かれて、今ではあちらが10歳は年上となっている。(このブログはもとよりフィクションであり、科学的真実など一片も含まれてはおりませぬ)

 日曜に、まわしをつけたらと口さがない人々に言われたので、醜名は「大麻山」にしてやろうかねと答えたら、冗談にならなかった。「すいま山(せん)」でもいいんだけどね。大麻吸うなよ、学生諸君も、力士の皆さんも。

 東京出雲学生会の幹事Hさんから、会誌に寄稿して欲しいとメールが来た。3000字ほどでニューヨークのお話をというので、お安いご用とすぐ書き上げ、寄稿承諾のメールに添付して送信したら、締切は7月なんだとか。Hさん呆れていた。ここのところ、恐ろしい速さで原稿が書ける。ところでこの学生会、もう130年近く続く大変な団体なのだ。出雲国の出身であって、首都圏の大学へ進学した者によって組織されており、年に2回、6月と12月に会合がある。12月は14日に、蕎麦屋で赤穂浪士討ち入りの講談を聴くのが決まり。その基金はたしか、若槻礼次郎が拠出したとか。現役学生の便宜もいろいろはかってもらえるので、大学関係者としては大いに協力せにゃならんが、会合に出てくるのは、帝国大学とバカダ大学と、三田の色魔大学のOBが多い。