そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月30日(水)学生の研究発表会

2011年11月30日 | 公開

 13:00から学生の研究発表会を聴く。悪く言ってしまえば「学会ごっこ」だが、こういうイベントは後継者養成の見地からは実に大切なのだ。発表内容も安部公房、関西方言、平家物語、土佐日記、源氏物語と、結構なテーマが揃った。発表者は学部2~3年生で、最新の研究成果を踏まえていないものもあったが、それは仕方あるまい。とはいえ、それぞれなかなかのレベルに達していた。

 「Cafe GOTO」でコーヒーを飲み、18:15からのB部の委員会へ向かう。「翠江堂」の苺大福は大好評だったようだ。委員長なので会議室へは早めに到着する。定刻に出席委員がほぼ揃ったが、懇談事項で招聘した箇所の担当理事が遅れたので、夕食を先に摂っていただく。予定通り18:30に開始。

 1時間ほど懇談事項を入れたが、ずいぶん生産的な話となった。H常任理事も同席していただければよかったのになあ。最後にM教授が発言されたポイントは、まことに急所を突いていて、深く感銘をうけた。

 議事に移る。順調に進んで、予定の21:00の15分前に閉会を宣した。議事進行の手際のよさは、我ながら惚れ惚れいたしますな。

 今日は同じ研究室フロアのB教授から『アメリカ黒人の歴史』というご新著をいただいた。もとは英語で書かれたものらしい。拝読つかまつります。

 そうそう、帰宅して「×××無しとて はるな忘れそ」と言ったら、間髪入れず同居人に殴られましたわ。が無いねえ。


11月30日(水)法然と親鸞

2011年11月30日 | 公開

 東博の「法然と親鸞」展を観に行っていなかったので、同居人と出掛けた。熊野懐紙はもう終わっているが、慕帰絵や西本願寺本三十六人集は見ておきたかった。上野駅を降りると、西洋美術館は「ゴヤ」展か。「ゴヤ、ゴヤ、汝を如何せんというのがあったよね」と言うと、「グでしょ」と同居人。すゐは進まず=推進せず。(汗

 さっさと目当ての展示物を観て外に出ると、ものすごい長蛇の列である。法隆寺宝物館のガーデンテラスで昼食を摂ることにした。そちらへ向かうと、向こうから見覚えのある仁が…、都立高校教諭のR太郎氏ではないか! 彼とは同居人と東博へ来ると、よく出くわすのは実に不思議である。腰が痛いといって、よれよれになっていた。

 さて、私はハンバーグをチョイス。蕎麦はメニューに無いからたぐれない。

 宝物館の脇には、旧十輪院の宝蔵が移築されている。もう少し紅葉が進めば綺麗だろう。

 遠足日和なのか、上野公園内には黄色い帽子を被った小学生の集団が、あちこちで弁当を広げている。日本の将来(の年金)を背負う小学生諸君!と激励したかったが、睨み返されるような気がしてよしておいた。彼らが頑張ってくれないと、我々は年金もらえまい。まあ、おいらはだいたい65歳くらいで死ぬ見込みだから、ど~でもいいんだけどね。


11月30日(水)昨夜の寄り合い

2011年11月30日 | 公開

 昨夜の寄り合いは、要するにそれぞれの流儀がいかに違うかということを互いに認識できた点が手柄であった。人間、特に教員というヤカラは、自分の守備範囲のことしか分からんし、それがすべてに通有すると錯覚しがちである。危機管理は、あらゆることを想定し出すとキリがないが、さりとて全く想定しておかないわけにもいかないから、落とし所というところがある。しかし、案の定のあの箇所は、本質を理解せず、とんちんかんな事を言っているらしい。プライドの高い箇所だが、笑っちゃうぜい…と言いたい。こうした議論を聴いていると、我が国はこれで先の大戦に敗れたのだなあと、つくづく思うわい。

 さて、「翠江堂」の苺大福の最後の1箱は、寄り合いで隣にお座りのA教授に進上した。奥様に差し上げてくだされ。それに、私が謝絶した某議長のお役をお引き受けになったと仄聞したものだから、恐縮に堪えないという仕儀でござる。大福4個でも、こう見えて気を遣っているのでござるよ。

 寄り合いが終わったのに、先生はちょっと残ってと箇所長殿に居残りを命ぜられる。別室に連れて行かれて、何事ならむ?と緊張していたら、先般ウチのT教授が対応された件なのであった。ラインが違うと思ったが、個人的とことわって意見を申し上げた。あと、人は結局金で動きますぞということを、ちくちく申したけれど、箇所長殿は苦虫を噛み潰したようなご反応に終始された。まったくもって人情を解さない御仁である(嘆息)。また、「朝三暮四」ということも知らんのかいな(高校の漢文で習ったろうに)。合理性のみを追及していると、そのうち大きなしっぺ返しをくらうだろうと、私は思いますがね。いや、どうせ私しゃもうじき死にますから、どうでもよいのですが…。

 今日は学生の研究発表会だ。A君が張り切っていたから、ちゃんと聴いてあげなくては…。夜はB部の委員会で、私は委員長兼議長役である。実質任期はこれで終わりのはずだが、再任までは妨げられないらしい。昨日B部で、そんな恐ろしいことを伺った。どこかのI教授と違い私はこんな委員やりたくないので、もうご勘弁いただくことにしよう。旧知のS前部長や、T前常任理事に頼まれたから、二つ返事で引き受けたのだ。今やそういう義理はない。


11月29日(火)またまた苺大福

2011年11月29日 | 公開

 昼食は「手打そば玄」で「つけ天もり」をたぐる。それから「翠江堂」まで歩き、苺大福4個入りを3箱購入した。画像は高橋の上からの眺めである。

 社会人向け講座へ向かい、DVDの機器を確認。ストレッチのS先生がおいでになり、「翠江堂」の場所が分からなかったとおっしゃるので、目立たない店ですから目印はかくかくしかじかと申し上げた。本日の講座はひたすらDVDを観る。

 15:10からB部で打ち合わせ。地下鉄で移動し、「Cafe GOTO」へまず大福1箱を届けた。先日ゴトーさんに、買ってくるからねとお約束したのである。それから、B部にも1箱呈上する。お茶とお菓子を出してくださった。

 16:30からK君の学会下発表を聞く。資料はほぼ完成だな。発表は1月だから、余裕である。18:30から某センターの寄り合いに呼ばれている。夕食を出してもらえるらしい。


11月29日(火)佐田神能

2011年11月29日 | 公開

 佐田神能がユネスコの無形文化遺産に登録されたことは、同慶のいたりである。神能のお囃子は、松江辺の神社のお神楽と同じであるように思う。亡父は太鼓を叩くのが美味かったが、私もチャンガラなら鳴らせるかも。しかし、佐田神社は島根原発からほんの数キロである。護りたまへ、護りたまへ~。


11月28日(月)遠州流

2011年11月28日 | 公開

 朝いち演習のハンドアウト印刷のため、7:00前に家を出た。乗り換え駅で、R大のOさんとすれ違う。ラグビー初優勝おめでとうございますと、申し上げればよかった。

 受付の係の方に、点て出しでお薄を1服呈した。遠州流をお嗜みだそうである。お返しにケーキをいただく。これを世に「エビ鯛」と称する。

 演習は、次のステップに行かないと、このままではどうしようもない。続く講義は、DVDを流してお茶を濁した。延々と天皇・皇后の動画を見せられた受講生諸君は、どう思ったろうか。

 昼は「すゞ金」へ行った。もう、こうなったら鰻重食って死んでやると、いささか捨て鉢な気分なのだ。相変わらず客は老人老婆ばかり。「志満金」がどうのと他の店の評判を声高にお話しになる御仁が…。年をとると耳が遠くなるからな。しかし、こりゃエチケット違反だぞなもし。

  つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを


11月27日(日)同僚の告別式

2011年11月27日 | 公開

 助手仲間だった同僚教授の告別式に行く。江古田は我が恩師故橋本不美男先生のお宅があったので、何度も通った。北口を出てすぐに浅間神社があり、富士塚が残っている。そのすぐ北の斎場へ到着したのは開式30分ほど前だった。案内された席の隣には、隣の研究室のT教授がお座りであった。

 なぜだか10分早く式が始まり、最後にお棺の中に花を入れさせていただいた。喪主をおつとめの令閨のご挨拶によれば、昨年3月に定期検診で癌が見つかり、進行が早く20ヶ月ほどで逝去されたことになる。この間、休職中も時々大学でお目にかかると、治療が辛くてねとおっしゃっていた。私より一つ年上だが、他人事ではない。最初の配偶者もお見えであった。私はその方のほうをよく存じ上げているものだから、後でご挨拶をする。この歳になると、誰しも体はがたぴしになるわいなあ。

 お昼がまだだったので、一人「甲子」の暖簾をくぐる。蕎麦味噌とお銚子を1本たのみ、供された盃は故人へ献杯、自分は持参のみかん盃を使う。盛りをたぐり、閉めとする。なかなか結構な酒器、蕎麦猪口をお使いだった。同じ告別式帰りの人々が二かたまりほど入っていが、知った方は一人くらいだった。


11月26日(土)卒論仮指導

2011年11月26日 | 公開

 K教授がお菓子を差し入れしてくださるというので、16:30に大学へ行く。目白のお菓子屋さんのケーキらしい。御礼に薄茶を2服ほどお点て申し上げた。

 さて、18:15から卒業論文の仮指導を前倒しで行なう。主任として取り捌いた。20:00にほぼ終了し、鍵をぎりぎりセーフで研究室受付に返却する。私は来年度、最も人気薄の卒論指導担当教員なのであ~る。書類を始末して、20:30に研究室を後にする。

 帰宅したら、娘が飯を炊いて、2品ほどおかずを作っておいてくれた。やればできる! これに、出かける前仕込んでおいたカレーと、朝食の残りのヒジキの炊いたの(ひじきに蜆の佃煮と松の実をぶち込み、味醂と酒でさっと炊いたもの)、キムチ、紀州の梅干しを合わせると、結構豪華に見えるから不思議、不思議。晩酌は「真野鶴」を飲み始めたが、ちょっとイメージが違うなと思い、「八海山」の梅酒を水で薄めてみた。最近は日本酒でも何でも、水で割って飲んでいる。

 さてさて、卒論仮指導は欠席が約1割。連絡して来たのはたった1名であった。欠席者に対する処理はどうしたものか。月曜に事務所の担当者と打ち合わせて、結局主任がメールを出すことになるのだろうね。

 話は変わるが、戸高一成『海戦からみた太平洋戦争』を読了。日本の指導者がいかに無能であるか、現代の出来事があれこれが思い合わされた。改めて我が国は、下士官のみ優秀な国であると認識する。速水建朗『ラーメンと愛国』を読み始めたが、社会学的考察としてなかなか深いものがある。通勤時の読書は、毎日ほぼ新書1冊というペースになる。


11月26日(土)僻事ならむ

2011年11月26日 | 公開

 虫の居所が悪い時は始末におえない。方丈記に関係した新刊の新書本を買って見ると、カラー写真入りで嵯峨本=写本などとキャプションがあるものだから、がっくりきた。どこが写本なのよ? 著者は超ご高名なTea大名誉教授の大先生(T教授のお師匠様)なのだがなあ。そういえば、某茶道雑誌の増刊号を、勉強のため隅々まで読んでいたら、この編者先生?は文字がちゃんと読めないことに気付き愕然とした。茶道の正教授で、大学の講師もお勤めだそうだが、いくらなんでもあんまりなので、よせばいいのに編集部に一筆啓上した。私も本を2冊出させてもらっている出版元だが、これも斯道のためである。

 しかし、我も僻事す…である。薄茶を自服して心を鎮める。志野の茶碗が欲しいなあ。ぱあっと心が明るくなるようなのが。

 娘は土曜も出勤だった。朝飯と弁当を作らなければ…。


11月25日(金)無庵のご主人と話す

2011年11月25日 | 公開

 ぼやぼやしていると会期が終わっちゃうぞといささか焦りを感じ出して、立川へ陽明文庫の展示を観に行くことにする。同居人はもう2回観たと言っていた。もちろん、「無庵」でたぐることを織り込んでの立川行きである。

 11:30の開店時刻を少し過ぎて暖簾をくぐったが、先客はお1人だけだった。新酒のにごり酒に、蕎麦味噌と〆鯖、蕎麦は挽きぐるみを注文。後で燗酒の銚子を1本追加する。BGMはもちろんJAZZ。

 いつものフロアのお姉様に、いらっしゃいませと声をかけられた。先日、お知り合いが大勢で来てくださいまして…とは、誰ならむ。だいいち、この店では身分・氏名を明かしていないはずだがなあ。結構、国文研や極地研の御用達らしい。

 挽きぐるみは甘くて、香りがふうっと立ち、絶品だった。

 払いを済ませ、先客より先に店を出ようとすると、ご主人が掘り出したばかりのすぐきかぶらを2ヶ両手に持って入っておいでになった。美味しいお蕎麦でしたと申し上げたのをきっかけに、待合に腰掛けてお話しを始める。40歳でそれまでのすべてを捨ててお店を始められたことなど、含蓄のあるお話であった。30分ほども話し込んだかな。ご主人は私よりちょうど十歳上らしいが、感じが赤瀬信吾先生にどことなく似ているのだ。

 よい気分で陽明文庫展を観る。こちらもガラガラだが、出陳資料のレベルの高さといったら尋常ではない。ごくごく個人的には、「92清輔朝秘抄」と「93初学百首」が一緒に並べてあったのに、正直ぐっときましたなあ。実は93は、92の末尾8頁分(4丁)が、江戸時代に本体から泣き別れ?となって、全然別作品の表紙が付けられたものなのだ。それを発見したのは他ならぬこの私めで、しかも展観会場の国文研のマイクロフィルムを調査していて見つけたのだから、想い出深いことこの上なし。この発見によって、藤原清輔著『袋草紙』下巻の完本は、近代以降初めて世に知られるようになったのであ~る。私の乏しい業績の中にあって、いささかなりとも光彩を放っている随一かもしれない。

 夕方の花札演習に間に合うよう大学へ行く。予定通り2チームに発表してもらったが、質疑は低調だった。そのまま編集会議へ移動するも、45分ほど遅刻。会議は捗ったのか捗らなかったのか、よ~わからん。編集部も人事異動があったよしで、おいおい今の時期に異動かよ?と、正直思わないでもないが、凡慮の及ぶところにあらず。F先生にご自宅の名残の柿をいただく。


11月24日(木)専業主夫?

2011年11月24日 | 公開

 なにしろウチの娘ときたら難しい御仁で、食費を月3万家計に入れるてくれるのは実に感心なのだが、それならば弁当も持たせろとシワいことを言う。それも、好き嫌いが激しくて、まるまる私が作ったのではお気に召さぬものだから、おかずを7~8品作りダイニングに並べておくと、好きなのを手づから詰めてご出勤なさるのである。訳あって来週初めまで娘と二人暮らしなので、早朝の私は、まるでホテルのビュッフェ式朝食を作るシェフと化すのだ。

 いやはや、これで嫁に行けるかいな? 同居人も、結婚当初エビのチリソースしか作れなかったが、娘の教育は完全に失敗したかも。ゑひもせず京のかしこ娘に育て上げた藤市は、りっぱだよなあ。藤原定家自筆明月記断簡と同じく小記録切を持参金代わりに持たせますから、どなたかお世話願えませんかな。さらに出雲焼の茶碗(長岡空味作)を1つ、おまけに付けてもいいですがね。

 今週も校務出張に行く。一緒に仕事をする方々は皆気持ちのよい先生方で、楽しく義務を果たす。薄茶をお点てしたら、たいそう喜ばれた。最近はバックパックの中に、携帯用の建水・茶碗・薄器に、茶筅・茶杓・茶巾を入れて持ち歩いている。

 大学へ移動し、夜の学生研究会に参加する。本日の判詞は面白かった。判者の体験が持ち出されてきたのだ。テクストの半分を読了。

 参加者を誘って「かわうち」へ行く。Sさんの先週土曜の研究発表の慰労会の意も込めた。「かわうち」には例によって、T学部文芸のA教授がおいでになる。木曜に「かわうち」に来ると、必ずお会いするな。それから、E学部のN教授や、H学部のH教授など、見知ったお顔ばかりだ。N教授は一緒に助手を務めた仲だが(そして同居人が副手だった。私は職場結婚なのであ~る)、I教授の訃報を伝えた。N教授も驚いておいでだった。

 燗酒を頼んだら、あまりよろしくはなかった。結局「鬼ごろし」の冷やに替えたが、島田のお酒とのこと。道理で艶っぽい味だわい。

 しかし、N教授は和服姿の女人とサシでお飲みであったが、ありゃ一体どなた様であらせられたのか? 助手時代も、飲み屋で女性を拾って研究室に連れておいでになった…てなことがあったよな。(内緒) ガマン専任先生と同業者だから、これ以上はよしませう。


11月23日(水)祝日なのに

2011年11月23日 | 公開

 まったく、勤労感謝されない日だな。休日出勤するはめとなる。娘も休日出勤日で、先に家を出て行ったが、ダイニングに財布を忘れて行ったので、走って追いかけた。

 仕事は16:00ごろ終わったから、ショッピング?に行く。上野駅でメンチカツとコロッケを買う。娘から早めに帰れそうとメールが来た。急いで帰宅して夕食を作る。しばらく、娘と二人暮らしなのだ。

 1人で飲むのにちょうどよい高取焼の片口を見つけたので、衝動買いした。「神亀」の残り2合ほどを独酌。

 底に茶溜まりみたいな部分もあり、こういう片口でも茶は点てられるぞ…と悪戯に及ぶ。

 立川談志師が亡くなった。「談志が死んだ」は回文だが、たしか自分で言っていたような…。

 夜、同僚教授の訃報に接する。助手仲間だった独文のI教授。長らく療養中で、来年度から復帰できるという話だったが、駄目であったか。土曜がお通夜で、日曜のお昼に告別式のよし。土曜夜は3年生の卒論仮指導をコース主任としてとして沙汰しなければならないので、胡瓜会を欠席して告別式に列することにしよう。その旨、ガマン専任先生にメールをお送りした。I教授とは同じフロア(旧国連ビル5階)に研究室があった専攻(独文、中文、国文)の助手同士で、たしか1つ年上だったように思う。嗚呼、悲しい哉。同じく助手仲間だったT副学部長殿と、Iさん元気になったら一席設けようよと、つい先日話したばかりだ。同期の助手では私が一番年下だったから、任期中の助手仲間の飲み会の幹事役はずっと私が勤めていた。お安い御用といろいろ思案していたんだがなあ。とにかく、ウチの大学は、現職の教授で死去するケースが実に多い。寿命を縮める何事かがあるのかもしれぬ。今日の休日出勤だって、その一助?かも知れんぞ。


11月22日(火)立ち食い寿司

2011年11月22日 | 公開

 痛風の病院へ行く。体重が85㎏ほどになったので、数値は至極改善されていた。しかし、左手首は腱鞘炎なのだそうだ。湿布薬を大量に処方していただいた。

 

 しかしまあ、痛風の病院の入っている高層ビルは、11月だというのにもうこのような設えである。デパートに寄ったら、さらに正月の設えという感じだった。赤膚焼の展示会を見る。虫明焼も置いてあった。志野のすてきな茶碗があったが、売約済みの札が…。

 昼食は新宿西口の地下で寿司を立ち食いする。鯖とホウボウとエンガワと穴子を食った。それから地下鉄で社会人向け講座へ。

 社会人向け講座は、上掲のような由緒の場所で行なわれている。その前に、甘いものが無性に欲しくなって「翠江堂」まで歩いて苺大福を買う。ストレッチの先生に1個差し上げたら、感動してくださった。「翠江堂」の苺大福は、めっぽうかいに美味いのだ。

 大学へ移動。今週末の卒論仮指導(ウチのコースのみ事情あって前倒し実施)関係の打ち合わせをしに事務所へ行く。小さな行き違いがあったが、確認に行ってよかった。20日に学会発表したSさんにどうだったか尋ねると、質疑でKさんに先生(私)と同じことを言われましたとのこと。Kさんとは歳が一緒だからな。さて、「Cafe GOTO」でコーヒーを飲む。混んでいたのでカウンターに座った。ゴト―さん、タルトタタンをお作りになっているが、こんなに手間がかかるものとは知らなんだ。思わず合掌する。(笑

 夜は正法寺で研究会。私が発表担当だった。皆さんと「五郎八」で蕎麦を食って帰宅。


11月21日(月)耄碌

2011年11月21日 | 公開

 朝いち演習のハンドアウトを印刷するため1時間前に大学へ到着するも、なんと版下を家に忘れてきてしまった。老耄の弊著しいことである。しかし、担当グループから提出されていた電子データをウェッブ上にアップしておいたから、事無きを得る。その忘れて来たグループの最初の人まで発表してもらったが、「女房」は氏名未詳とか言い出すものだから、即座に来週やり直すよう指示する。これは「藤原良経」ですがな、他出見れば一目瞭然であろうが!と叱りたいのをぐっとガマン。主催の貴顕が「女房」と記載されることについては、小文ながら私も一筆ものしたことがあるのだよ。

 やれやれとメールボックスをのぞけば、先日A学部のM教授へ学内郵便で送ったはずの書類が戻ってきている。事務所の説明によると、宛名に「A学部××先生」と自分の名前を書いていたのだそうだ。うわ~、耄碌ここに極まりぬ。

 昼は「五郎八」で京にしん蕎麦をたぐる。

 2時限目の講義の出席カードを整理していたら、高校3年時の担任が先生の講義内容に関係したことを言っておりました、NというKO出の変な先生でしたとカードに書いてあったから、そりゃS学園のNさんのことだとピンときて、その学生に、貴君はS学園の出身か? Nさんはよく知っているよとメールしたら、まさにその通りであったぞなもし。狭い世界だ。

 帰りに「長寿房」で豆腐をもとめ、「遠音」に寄って富士山型箸置きを買う。

 帰宅したら、同居人が太棹三味線をベンベン鳴らしている。太棹はウチに2~3個あるが、これは弾きにくいのよねとブツブツおっしゃる。太棹はほんに色気がない。へいけい物語でも弾いておくれと言ったら、セクハラ!と叫んで殴られた。げに恐ろしの老婆である!