熱海の双柿舎から分けていただいた紫陽花が、きれいに咲いた。NHK介護百人一首2018に入選した愚詠、
デイケアに 初めて向かふ 母の手に 庭の紫陽花 切りて持たせつ
の「紫陽花」は、この株の花であった。今日からショートステイに行ってもらうので、両三本切って持たせるかな。
熱海の双柿舎から分けていただいた紫陽花が、きれいに咲いた。NHK介護百人一首2018に入選した愚詠、
デイケアに 初めて向かふ 母の手に 庭の紫陽花 切りて持たせつ
の「紫陽花」は、この株の花であった。今日からショートステイに行ってもらうので、両三本切って持たせるかな。
痛風の通院が、本日から医大付属の本院にかかることとあいなった。システムがまったく変わり、すべてパネル表示に従って検査、診察を受け、支払いもATMみたいなもので入金すると、細かな領収書ほがが出てきた。
社会人向け講座へ。昼飯は「文化人」でりんだもぢる。お茶の香りの高い冷やかけだったが、口取りの稚鮎の丸干しが、絶品だった。
そのまま買物をして、帰宅。晩飯を作る。
荊妻どのに命ぜられて、近衛信尹の竪詠草を掛けた。たいへんにお気に入りの幅なのである。
老母をショートステイに送り出し、あれこれ雑用にかかるうちに、お昼過ぎとなった。家を出て、神楽坂へ。荊妻に頼まれていたコーヒーを買い、「草木堂野菜店」で珍しいものを一両点購入したら、おまけに「しどけ」をくださった。で、「うつわや釉」に立ち寄れば、Nさんとの間で、岸野寛さんの作品展のことが話題になる。あ、昨日今日がギャラリーご滞在日だった。神楽坂から九段下へ引き返し、「花田」へ赴く。
岸野さんがいらっしゃったので、ご挨拶して、作品を拝見する。ととやの茶盌について、高台がおもしろく出来ましたとおっしゃる。なるほど、これはたまらないな。いろいろ食指は動いたが、前々から欲しかった手の長皿を1枚、いただくことにする。貝殻を練り込んで焼いたものだそうだ。
大学へ到着し、事務所へ。研究費で購入した短冊「一括」というのが不分明とのご指摘を受け、それなら現品を持っていくと申し上げた。自分でもまだ枚数を数えていない。まあ、「100枚一括」とでもしておいてよとお願いした。それで10,000円なのだから、研究費が適用できないと言われても、別に平気だったが・・・。
そのほか書類等を提出し、夕刻のお稽古事に顔を出す。荊妻に、雨なので三味線を預かって欲しいと頼まれていたので、途中で抜け出して研究室に三味線を入れ、一緒に飯を食って帰った。「ヴェール」というお店で、何が緑なのですか?とお尋ねしたが、要領を得なかったよ。
学長選挙が行われている。同僚某教授は、行きがかり上、Y候補支持の選挙運動をなさるそうだが、今日お目に掛かった際、私の一票をgetしたことになさってくださいと、申し上げておいた。X、Y、Zの三候補が立っているが、X候補には何度も梯子を外された恨みがあるし、Z候補はなんて無責任な野郎だ!と心の底から軽蔑する出来事があったので、今回はどう転んでもY候補に投票するしかないと思っている。まあYさんには、面白いことを経験する機会を与えてもらったという、「恩義」みたいなものも、うっすらとあるからな。しかし、当選は難しかろう。
そういえば学部長選挙も受付中だが、誰か立候補せんかな? 擁立に動きたい御仁が、いなくもないが(実際、ちょこっと意向を尋ねてみたけれども)、うまくいかなかった。甲さんあたりはやりたいだろうが、人徳が無い。結局、乙さんが従来の派閥?の筋から、出てくるに相違ないと踏んでいる。前回の学部長選挙は、あんたが動くか!と、意外なことがあっけんね。人は化け物、世に無いものは無し(西鶴)。
わがほとけ となりののたから 婿舅 天下のいくさ ひとのよしあし(夢庵=牡丹花肖柏)
世上乱逆追討雖満耳不注之、紅旗征戎非吾事(藤原定家)
土曜はおうた文学会がチューおう大学で開かれるので、立川経由でモノレールにのる。立川でもちろん、りんだもぢる。竹内さんにご挨拶できた。
学会の研究発表、トップバッターは研究指導を担当したU君だったが、相変わらず顔色が悪い。心配で声を掛けようと思ったけれども、既に学位を取得して自立した御仁である、私に見向きもしないのだから、こちらからどうこうするのもばかばかしい。前世の因縁ならむよ。勝手におしやす。
2番目は私家集編纂の機微に触れる資料についての紹介で、面白かったが、発表者はそういう意識があったのかどうか。3番目は、最後に変な内輪話みたいになって、しらけました。悪い癖だと思います。しかし、Iさんレベルの司会に博士課程の院生を当てるというのは、いくら参加者が少なかったからといっても、失礼では無いか? 私の感覚が古いのかな? 終了後の委員会は、あっという間に終わった。
月曜は朝いち演習である。全然出てこない学生もいる。知らないよ。続くふるほん講義は、ほとんど落語になった。12:10きっちりに講義を終え、築地へ。中央区の区民カレッジの講座を1回、頼まれている。昼飯は「布恒」で、トマト切りをりんだもぢる。
14:00から16:00まで、間に5分の休憩を置いてしゃべくりまくる。朝からかれこれ、5時間立ちづめだ。担当者お心入れの「空也」の最中をお土産にいただいて、直帰。老母の夕餉をしたためて供する。
春学期、金曜は授業が無いのだが、保険関係の手続きの必要があるから付いて来てと荊妻に命ぜられて、一緒に勤務先女子大へ。保険会社の担当者の方と相談。私は72歳で死ぬ予定なので云々かんぬんと、今入っている保険の見直しをしていただいた。独り娘も自立して、結婚しちゃったので、そうした方面の手当ては整理してしまうことにした。
そこそこの時間に解放されたから、JR隣駅へ移動、開店25分前の「とん太」へ赴けば、既に長蛇の列。10人目に並び、待つ。運良く一巡目、カウンター席の角に座ることができた。
特ロースに、瓶ビールをお願いする。右隣席の女性客は、生ビールをご注文であったが・・・。もちろん、御飯は少なめにしていただき、おつけは蜆を選ぶ。
大将から、Tさんは元気ですか?と尋ねられる。Tさんとは、隣の個人研究室に入っておいでの同僚教授で、学生時代、ここ「とん太」でアルバイトをなさっていたのである。彼もかれこれ52歳ですね・・・と申し上げると、もう30年にもなるんだなあ・・・と大将。特ロース、おいしゅうございました。(円谷選手か?)
教育実習の学校訪問を当てられている。事前に電話でご挨拶をする手筈だったが、それが本日であることをすっかり失念、資料の束を研究室に置いてきてしまった。社会人向け講座の前に、大学へ赴き、実習先の中学に電話する。結局、指導担当の先生は授業中もしくは多忙のため、直接ご挨拶できなかった。
昼食は茅場町でりんだもぢった。早めの時間だったが、花番さんの態度が悪く、不機嫌になりましたぞなもし。結局、「神田まつや」の花番さんが、どんなに素敵か、思い知るばかりである。ああ、「まつや」行きたい!
地方銀行の支店に行って、老母の講座から金をおろし、新富町の青森のアンテナショップを覗く。山ウドと、アザミの葉などという、珍しい食材があったので購入した。
講座を終えて、老母の訪問看護対応をしてくれていた妹と待ち合わせ、松江の実家をどうするか、相談する。整理して貸す方向で了解が得られた。
帰宅して夕食の準備にかかる。山ウドとアザミの葉は、天麩羅にしたい。茗荷や、松江で買ってきた岩海苔もある。庭に生えているユキノシタも少し摘んできて、天ダネを揃えた。揚げるのは荊妻のお仕事だ。
粉がいいせいか、自宅天麩羅も、結構な水準に揚げることができる。仕合わせと思う。娘夫婦が新婚旅行から帰ってきた。
卒論指導を担当した教え子が結婚するというので、松江に弾丸往復した。水の都は、歌の通り雨が降っていた。
松江で独り暮らしをしていた老母を引き取って以来、松江城近くの実家は空家となっている。貸して欲しいとの引き合いもあり、土曜はまずその話をするため実家へ。近所の方にご挨拶し、家のコンデションを見ていただいた。
貸して欲しいと言ってくださるのは、中学高校の同級生の妹さんである。その次兄が同級生で、長兄殿は京都の帝国大学教授であられるのだが、今夏、私はそこで集中講義を依頼されている。
妹御と「やまいち」で食事をし、松江大橋北詰に最近開店した「PUENTE」というバーに連れて行っていただいた。マスターは高専を出た若い方だったが、酒のラインナップと音楽が、なかなかの水準のお店だった。
日曜朝はホテルの食事で、蜆汁を10杯飲み、会場へ。新郎の大学院指導教授であった仙台の帝国大学准教授先生と、新婦の大学院指導教授であった東京帝国大学教授先生とタクシーで同道した。私は新婦の、学部卒論指導教授にして、私立バカ田大学文学部只野教授である。
式は人前式とやら、披露宴は地元食材を駆使したコース料理だった。王禄をがばがば飲めたのが、仕合わせでしたわ。
お開きの後、松江駅までタクシーで移動、着替えて亡父の実家へ挨拶に行った。そして、駅に戻って売店を物色していると、見覚えのある方が…。なんとなんと、もものくわいでお世話になっている筒井紘一先生がお土産を選んでいらっしゃった。ご挨拶し、新物のめのはと、岩海苔をお薦めしておいた。
16:30に、出身高校の女子生徒さんとそのご母堂と待ち合わせ、1時間半ほど、大学進学についてのご相談に与る。勤務先入学センターの職員を通じて、ウチの傘下学部への進学を志望しているというので、応対した。まあ、なかなか複雑な事情があるのだが、ここでは伏せておく。
米子鬼太郎空港行きの最終連絡バスに乗り、東京行き最終便に乗って、一反木綿のごとく帰京いたした。
昔、勤めていた高校の同僚が亡くなったので、通夜に行った。18:00まえの演習を少し早く切り上げて、大学からメトロで2駅先へ移動、10分ほど歩いて斎場に到着。
高校の現役教員の通夜となれば、たいへんな弔問者の数だ。受付をして、列の一番後ろにまわる。
享年59歳。私が着任した翌年の着任で、勤続32年となるそうだ。死を既定とする病に犯されていたため、本人による会葬御礼の挨拶状が配布されたことに、少なからずショックを受けた。かくも慫慂と死を受け入れられるものかと思う一方、言い尽くせぬ思いも溢れている。嗚呼、悲しい哉。
何もはかばかしいことをせぬうちに、大型連休が終わってしまった。月曜朝いち演習、ふるほん講義と立て続け。学生も、欠席者が存外目立った。
久しぶりに「高七」へ行くと、13:00近くなのに誰もお客がいない。連休明けはこんなものだと大将。心配になる。そこで定食に米の汁を付けていただいた。
かにかくに はさみをあぐる さはがにも あからがほにて よそすぐすらし(右往左翁)
今度の土日は、結婚式出席のため松江へ行く。同じ式に参列される東大教授のWさんに、何でしたら飲み屋へご案内しましょうか?とメールしたが、博士論文の審査とかでお忙しいらしい。いづくも同じ…と思う。
その前に、昔の勤務先高校の同僚の通夜に行くことになった。荊妻に頼んで、香奠を用意してもらう。故人は荊妻とは、学部・大学院の同期だった。無常迅速、いふもさらなり。
実はこの間、実に腹立たしいとばっちりで、さる裁判沙汰の被告になっておったのだが、このほどようやく解決し、その後処理をしなければならない仕儀とあいなった。そのことで、ちょっとしたトラブル発生。自分自身が当事者となった、こうした経験は持たないから、まごついているのだが、まあまあ、何事も社会勉強である。
仕事もはかどらぬまま、大型連休を過ごす。三越前に出掛けたついでに、出雲蕎麦を食った。
やくもたつ いづもそばきり だんだんに かさね割子の あじはひのよさ
これはなかなかの、名歌ではないか?
高校教師をしていた時分の同僚の訃報を聴く。たしか、お嬢さんが二人あったはずだが・・・。荊妻とは、学部の同期生だった。
わづらへる つひにみまかるしらせきく 妻とおなじき としの ひとなり
練馬なる 高校教師に ありしひび むかひづくゑに ときをすぐしき
越の国のひとなり かれの結婚の 式によばれて いでしおもひで
かくてさは ひとは死にゆく かくてさは かなしといふも いふもさらなり
・・・合掌。