蕎麦をたぐりに行きたくなって、荊妻を誘う。正月準備も目途が立ち、いくつか買い物もあるので、銀座方面へ向かうことにして神田で下車、「室町砂場」へ。少し待たされたけれども、定石通り熱燗に天もりをいただく。
さてさて、銀座でお買い物。三越は外国人のお客さんだらけだ。JRで帰途につくと、電車はがらがらだった。
来む年を みかど迎ふる いそぎかな〈蕎麦(三稜)喰ひ 右往左翁]
蕎麦をたぐりに行きたくなって、荊妻を誘う。正月準備も目途が立ち、いくつか買い物もあるので、銀座方面へ向かうことにして神田で下車、「室町砂場」へ。少し待たされたけれども、定石通り熱燗に天もりをいただく。
さてさて、銀座でお買い物。三越は外国人のお客さんだらけだ。JRで帰途につくと、電車はがらがらだった。
来む年を みかど迎ふる いそぎかな〈蕎麦(三稜)喰ひ 右往左翁]
荊妻の命により、大掃除を行う。送られてきた書籍の山を整理していると、先月、大学院の先輩Tさんから歌集が送られてきていたことに気づく。慌てて拝受御礼をしたためた。
T先輩は、がちがちの文献学者だが、もともとは文芸専修のご出身である。さる結社に入り、さる歌人に師事し、歌が溜まったので歌集にまとめられたらしい。意外な感じがしたが、よく考えると、さもありなむ。
そういえば過日、松江にて、娘夫婦を親戚に紹介する会食の際、「みな美」の料理に前女将のお歌が添えられていた。日本橋のお店でも同様で、前女将は歌人であらせられたという。
しかし、「湖きよき 松江の橋の ほとりにて 今宵会う人 皆美しき 美佳」とは、完全に与謝野晶子、「みだれ髪」である。[「湖」は「うみ」と読むのかなあ? 一首は「皆美」を詠み込むのがキモなので、末句は動かしようがないが…。
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふひと みなうつくしき
拙いながら、改作を試みる。如何?
水きよき 松江の橋を ながめやる 宿にあふひと 皆美しき(信行)
冬至荊妻どののお誕生日である。勤務先女子大学の某センター長をお務めなのだが、本日は内閣府特命大臣の大学視察があるそうで、その後身があくというので、飯田橋で待ち合わせて浅草へ行った。ほんとうは、東京スカイツリーに行ってみたかったが、もう夕方なので、浅草寺にお参りし、「飯田屋」でどぜう鍋を食った。
早めの時間で、予約をしていなかったが、すぐ出るからと入れてもらえた。
荊妻どのは泥鰌がお好きで、昔はよく高橋の泥鰌屋へ行ったものだった。早めに帰宅して、一緒にワインを飲みました。
今宵は東京出雲学生会の第560回例会、義士会である。幹事役なので、開始1時間前に会場へ。その前に、神田明神に参拝した。
参加会員は26名(1名欠席)、新入会の学生会員が2名あった。神田すみれ師の講談は、「南部坂雪の別れ」。本伝を聴いたのは久しぶりである。
松江市役所ご勤務の、遠来の先輩会員がいらっしゃったので、二次会へ行く。
学会出張旅費が残っているので、大阪市立大学を会場に催されるおうた文学会関西例会へ赴く。8:00過ぎの新幹線に乗り、梅田で古筆切を物色、愛知のHさんが後からお店に入って来られた。切1葉と短冊を1枚いただく。天王寺に移動して昼食を摂り、阪和線に乗ったら、国文研のKさんと車中ご一緒になった。そして、改札を出たところで、本日2人目の発表者Aさんにお会いしたので(KさんもAさんも、京大のご出身)、重い発表資料を持って差し上げた(優しいでしょ!)。そうそう、来夏、京大で集中講義を頼まれたので、ご出身のお二人に、シラバスの書き方をご相談したが、あんまり埒は開かなかった。(汗
大阪市立大学は五代友厚が作った学校が前身なのだそうだ。校舎はなかなか立派である。資料展観も行われた。来週は東京例会の会場校を引き受けているので、いろいろ参考になった。
懇親会はパスして、直帰する。19:30発の指定を取っていたが、40分早い新大阪始発に変更、大急ぎで土産の「けし餅」と、晩飯を買う。慌ただしい日帰り出張だったが、充実の一日だったよ。
帰宅したら、京都の目録の当選品が届いていた。古今集切。軸装されているが、裏面もあり、お得感あり。しかし、ちと値が張ったが、表具がかなりよいので、まあ、こんなものか。(汗
朝から3コマの授業を終え、16:30に、さて帰ろうと身支度をし、研究棟の廊下に出ると、向こうからM教授がおいでになり、今日は18:00から編集委員会…と告げられる。あ、そうだった! すっかり失念していた。(汗
荊妻に連絡して、老母の夕食の世話を依頼する。90分時間ができたので、出欠処理を済ませてしまう。
編集委員会は弁当支給。お昼に「たかはし」へ行かなくてよかった!と思いつつ、二重弁当をいただく。議事は2時間半ほどかかった。
編集委員としての私の立場は、存外微妙で、言いたいこともあるにはあったが、極力言わないで置いた。少し溜まることがあり、一杯ひっかけて帰りたかったけれど、そうもいかず、直帰する。
そうそう、本日の朝刊に荊妻殿の文章が掲載(笑)されていた。推敲を少し手伝ったのを、スペースに合わせて、さらに切り詰められたらしい。
12月の下旬は大変である。クリスマスの前後に、荊妻と愚娘の誕生日がひしめいている。結婚したのだから、もういいかなと思ったが、娘に何が欲しい?と問い合わせると、蕎麦猪口!と即座に返事がきた。蕎麦好きのDNAだけは、しっかり遺伝したようだ。こんなのが欲しいと、画像を2枚送ってきたから。その1つと寸分違わぬ、江戸後期の古伊万里の、手ごろなものを見つけ、早速注文する。これでまあ、ひと安心だな。
昨日、今日と、学内学会の秋季大会が催された。秋季大会といっても、春季は無い。1日は研究発表8本の後、評議員会が開かれた。私も評議員なのだ。研究発表は古典系で、私の研究室所属のT君も発表した。修士論文の中心部分になる内容だが、水準の出来であったように思う。諸本分類の内容提示に、もう一工夫が欲しかったかな。
今日は朝からで、近現代および、最後のお二人は、比較的最近博士学位を取得した大学で教鞭をとっておいでの方々で、7本。研究発表は2日で都合15本という盛況である! 終わりから2人目のEさんは、私が博論の主査だったが、発表の司会もあい務めた。今回の内容は、よく整理され、まとまっていたと思う。
講演会、総会、学会賞授与式と続き、懇親会に出る。講演の講師、岩佐壮四郎先生は、島村抱月研究の第一人者。実は、同郷の先輩なのである。そういえば抱月も、島根県の出身だな。いろいろお話ができて、楽しかった。
久しぶりにIさんにもお会いできた。助手時代の学生さんである。ずいぶん太っておいでだった。