そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月4日(水)その2

2009年02月04日 | 昔日記
 教授会はほぼ定刻に始まった。おお、今日は面倒な議題がないぞ。早く終わるかも。議事はさくさくと進む。私は15:00から、中央図書館の会議に出なければならない。戻ってきたら教授会終わっているかもと、一応荷物を持って中抜けする。

 大学の本部キャンパスを通り抜け、創立者の銅像の後ろを通って中央図書館へと向かう。職員のMさんが煙草を吸っていた。ずいぶんお痩せになりましたねえ、と声を掛けると、先生もね、と返された。あな、うれしや。

 少し早く到着したので、会議室の隣のDB室にM前調査役を表敬訪問。あいかわらず資料に埋まっておいでだ。唐本の整理をなさっていた。今日の議題はたった1つ。その他で1件。おいおい、わざわざ開くなよ、という感じである。問題なく進行したが、隣に座った教育学部のH教授が、もっともらしいことを言って少し長引く。H教授は、この間「かわうち」で出会ってお酌をした助手仲間である。

 自学部のキャンパスへとって返し、教授会に戻る。某教授が文部科学省を声高に批判している。やれやれ、またかいな。彼の思考パターン、反応パターンは、完全に読み切ることが可能だ。隣の研究室のK教授の隣の席に座ると、もうすぐ終わるところだという。でも、土俵際の徳俵でねばる御仁は相変わらず。学内諸情報に詳しいこと、舌を巻くばかりである。♪~沖まどはせる白菊の花(みつね) 自分が得ている情報によれば…と捲くし立てるが、そこでA教務主任はりっぱだった。そうした裏情報、伝聞情報はたしかに貴重だが、あくまでも公式の会議体等で公式のものとなった状況に即して対応していくという趣旨を、きっぱりと表明したのである(もうちょっと毅然とした言い方をすればもっとカッコいいのになあ。そうしたら次期学部長は間違いない)。いいぞ、いいぞと、目でエールを送った。でもね、3月9日の懇談会とやらには、私は出られないからね。もう内視鏡検査を予約しちゃったし、午後は御茶ノ水で某重要編集会議がありますから…。事前に日程等について相談もされないことに付き合う義理は、もう任期が終わる委員長にはありませんぞなもし。マッカーサー曰く、老兵は死なず、ただ去りゆくのみと。

 最後にうじうじと長引いたけれども、それでも16:50に教授会はお開きとなった。自分の研究室にいったん戻り、不要の荷物を置いて、麻布十番のお稽古事に向かった。地下鉄では、社会学のM教授、教育学部のI教授と一緒になる。年金問題でご苦労されているお2人であるが、組合が出したこの間の一連のニュースは誰が書いたの?とI教授に聞かれたので、経済政策ご専門の、オックスフォード出の執行委員長殿ですとお答えした。情宣部長は広報媒体の原稿を、いまだ1行だにすらさへ書かせてもらっていないのだから…

 麻布十番に着いて、「豆源」でムーミン大のNさん籠絡用の「徳用おとぼけ豆」を購入。脇の超有名たいやき屋に聞くと、1時間待ちとの答えで、こちらはすごすご退散する。お稽古は子ども短歌コンクール表彰式のリハーサル中心。最後に石川県で幹部が披講を行う今上御製を皆で練習した。

 新しい本の企画への協力方、皆さんにご快諾をいただいた。現段階でのプランをお渡しし、詳細は日曜にということにする。Nさんにはかねて用意の「おとぼけ豆」をお渡しし、有無を言わせぬようお願いしたが、ご主人が「おとぼけ豆」好物なのは分かってるんだ。

 帰りに、ウチの院生ども3人と、ムーミン大のお2人を引き連れて、「もち玉」で飲む。「山忠」は残念ながら満員だった。S君は現在執筆中の論文の話ばかりしている。長くなり過ぎるので、どうしようかと悩んでいるらしい。チェックの時間となり、今日は皆に少し出してもらった。そのうち印税がどばっと入る予定だが、だんだん手元不如意になってきたなあ。

2月4日(水)

2009年02月04日 | 昔日記
 10:00から学部図書館の会議。開始30秒前に滑り込む。冒頭からややこしい問題が持ち上がる。M教授がややこしいこと言い出すからだぞ。ややこしや、ややこしや。狂言だな、まるで(丸出だめ夫…変なこと連想したぞ。ああ、なつかしや)。私も虫の居所が悪くなり、1件つまらんことで難癖をつけた。組合活動をやっていると、ついつい野党的態度になってしまう。でも委員会は1時間きっかりで終了。

 事務所に行って、昨日の成績提出に関する問題について確認した。やっぱり不手際があり、その原因はつまり私の確認ミスであった。担当の職員の方の前で土下座して謝り、許してもらった。私は土下座するのはぜんぜん平気である、高校教師をしていた時、教壇の上から生徒に土下座したことさえある。政治家くらいにはなれるかもしれない。

 さて、お昼は近場と思い立ち、「AMA」の日替わりカレーセットをナンでいただく。それから、「Cafe Goto」へ上がり、コーヒーを飲んだ。壁に掛っている絵を褒めたら、マスターのゴトーさんに、先生お目が高いと世辞を言われた。遠く山なみが見える中を川が流れている。我が故郷松江の、大橋川みたいな感じである(ちょっとテイストが違いはするけど)。ゴトーさんの説明によれば、それは千曲川の風景なのだそうだ。モンマルトルの名誉市民になったなんとかという画家の作品らしいが、それ以上の関心はない。私も故郷の風景を描いた絵が1枚欲しくなった。伯父が油絵を少しやるので、今度もらってくるかな。そういえば毎日新聞の投稿短歌欄に、伯父の短歌はしょっちゅう載っている。松江市のKというのは、たいてい私の伯父貴なのだ。亡父と同年齢だが、矍鑠としている。その一人息子、つまり私のいとこにあたるのが、イラストレーターになって、結構活躍している。画才は親父譲りということなのだろう。

 教授会は14:00からで、それまで研究室で星野一雄『激闘ニューギニア戦記』(光人社NF文庫)を読む。『百人一首』の原稿書きばかりにかかっているのも、気が滅入るからねえ。なに、ニューギニアの負け戦のほうが気が滅入るだろうって? いえいえ、世が世なら松江63連隊の陸軍歩兵として出征し、散兵線の華と散りたかった私めである。