そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月6日(日)1:30@Seattle

2010年06月06日 | Seattle日記
洗井大学関係者の皆々様

 2ヶ月余にわたる派遣交換研究員としての滞在中は、公私にわたり懇切にご応対をたまわり、ほんとうに有り難うございました。本日、これから帰国いたします。

 皆様からお受けしたご厚誼は忘れません。日本にお越しの機会がありましたならば、ぜひお声を掛けてください。万分の一なりともお返しを致したく存じます。

 では皆様のご健康とご発展をお祈りしつつ、おいとまを致します。


  あまがけり うなさかこえて かへりゆく
    はやひのもとへ はやひのもとへ

  ときじくの ふじのたかねを みるごとに
    レニエのすがた おもひいづべし

                            雲州散人

6月5日(日)23:30@Seattle生活の総括

2010年06月06日 | Seattle日記
 極上の天気であった。ファーマーズ・マーケットに行ってハニー・ワインを買う。荷物の中にはワインを都合2本入れることにしよう。重くなるのでこれくらいに。旅先の酒を日本に持って返っても、後で失望することが多い。当地の酒は当地の料理とともに楽しむにしくはなし。

 というわけで、最後に行った店が、墓場の見える「pair」。17:30過ぎにカウンター席に座ると、ほどなく超満員に。仏教学のT先生は、ここはうるさいのでどうも…とおっしゃるけれども、飲み屋は少々うるさいくらいが独りで飲むにはちょうどよい。ハッピー・アワーのオリーブ$2に、スモーク・サーモンを載せたブレッド、酒はハウスワインの白を2杯やった後に、赤を1杯飲んだ。これに突き出しのナッツと、バター付きのパンが出て$30もしないから、ご近所の方々が殺到するのも道理である。カウンター席では、老夫婦がビールを1杯だけ飲んでさっと帰っていったり、恋人同士がいちゃいちゃしていたりと、なかなか楽しい光景である。今日はフライングタイガースのTシャツを着ていたので、どこのTシャツだ?といろいろな人から尋ねられた。

 「pair」のある55th St.の坂道(これを「墓場坂」と称するか)を登りきると、墓場越しに洗井大学の学生寮やスタジアム、その向こうにはスペースニードルやダウンタウンの高層ビル群のてっぺんが遥かに望見できるスポットがあった。なかなかよき眺めぢゃ。

  亜米利加や独り旅寝の日数経て
        涙せきあへぬUW(ユーダブ)の脇 雲州散人

 …というわけで、いよいよ明朝出立であるから、ここで2ヶ月有余のシアトル生活を総括しておきませう。

 まず必需品は傘! 私はKnirpsの「Meditation garden」(デザインは小河本静香)を愛用しているが(もう3本目か)、シアトルではそんなに強い雨は降らないので、この超軽量傘をバックパックの中に入れておくと安心である★★★。そして料理用具としてはルクエのスチームケースにとどめをさす★★★★。こいつのお蔭で、あらゆる料理が2~3分で出来上がった。

 さて、気に入ったものを列挙しておく。まず便利なサイトとして「junglecity」★★★。ここから行けるメトロのバスルート検索は至便であった。日本でもこういうシステムができないものか。飲食店では、上述の「pair」が一番気に入った★★★★。何度でも行きたい店だ。

 ファーマーズ・マーケットやサンデー・マーケットは面白かったが、手近だったのはUディストリクトの土曜市。とくに「Tall Grass Bakery」のオリーブの実が入った(大徳寺納豆風)パンは絶品といふべし★★★。

 食い物関係でさらに付け加えると、パイク・プレイス・マーケットの魚屋で量り売りしていた「Alderwood Smoked Salmon Belly Strips」は癖になる美味しさで、山のように買い込んでトランクに詰めた★★★。

 酒はA先生お薦めの「CMS」を常飲するようになったが、ワシントン州やオレゴン州のワインはホントに美味い。だいたい$11~12のボトルを選んでおけば間違いはなかった★★★。もう1本土産に買ったのは、ファーマーズ・マーケットで売っていた「Mead Semi-Sweet Honey Wine」★★。昔、エストニアで、蜂蜜のリキュールというのを買ったことがあるが、それよりずっと品のよい酒である。

 クラフト・工芸品の類は、私はアメリカの製品にあまりピンとはこなかったけれども、パイオニアスクエアにある「Northwest Fine Woodworking」 の木工品は素晴らしかった★★★★。お土産をいっぱい買ってしまいましたわ。そのほか「fireworks」でも結構土産を買ったが、洗井大学のA先生および院生の皆さんからいただいた記念品=ファニィな掛け時計もここの製品である★★★。

 そしてとどめは「Fran's」のチョコレート★★★。でも高いから、これを私からお土産にもらえるのは、よほど特別の人と知るべし。

 最後に最も素晴らしかったのは「FLYING HERITAGE COLLECTION」★★★★★! また行きたい。今度はデモ飛行の時に、絶対行きたい。

 以上、2ヶ月住むとそれなりの収穫はあったかな。シアトル、よい所です。これから最も素晴らしい季節になるというのに、帰国するのはもったいないかも。夏に避暑にくるといい土地かもしれないね。

6月5日(土)5:00@Seattle

2010年06月05日 | Seattle日記
 菅丞相誕生ということで、手習鑑の世界である。政治といえば、ウチの大学も学長選挙の投票がいよいよ来週で、日本からのメールでもその話題が多い。某部長のS教授からは、静かな選挙戦ですとメールがきたから、私のところへはこんな文書が添付されてきましたぜと転送申し上げておく。

→以下、いささか憚り(誹謗、中傷、罵詈、雑言)あれば、
 読みたい方は「教授のナイショ話」へ。

 昨夕はA先生ご一家に、お借りしていたキッチン用具等を、車で引き取りに来ていただいた。奥様そして太郎君、次郎君にもお別れを申し上げる。お礼に、「FRAN’S」フランのチョコレートとCMSを1本差し上げた。「FRAN’S」はシアトルのチョコ№1と評判が高く(オバマが大統領就任パーティの引き出物に、ここの「グレイ・アンド・スモークド・ソルト・キャラメル」をわざわざ取り寄せたという)、CMSはA先生との間にいろいろ楽しいエピソードが生まれたワインである。

 さて19:00からは、仏教学のT先生と院生のUさんが、どうしてもまた夕食をご一緒にとおっしゃるので、おつきあいした(数日来の私のモテ方は、尋常ではない;汗)。近場で軽くとリクエストし、Uビレッジ内のビアホールに入る。金曜の夕方、しかも大学のクォーターの正規授業最終日だったせいで、大変に混んでいたけれど、幸い隅っこのよい席がとれた。T先生は俳句をなさるので、では連句をいたしましょうとやり始めたら面白くて、思わず知らずずいぶんの時間が経過してしまった。

 荷物はあらかた出来上がった。空港への車の手配もリコンファームした。サンフランシスコでちゃんと乗り換えができるか不安だが、帰路なればど~にでもなろう。冷やした水にライムを搾って、日米協会へのレポートを書いている。

6月4日(金)17:30@Seattle

2010年06月05日 | Seattle日記
 WA日米協会(Japan-America Society of the State of Washington)
からのご要請で、"Japan in the School"という教育プログラムのデモ授業を参観して意見を述べることを請け負った。10:00過ぎ、コーディネータのA子さんに宿舎まで車で迎えに来ていただいて、Bothell市のCanyon Park Junier High Schoolへ。中学の授業参観ができるとは、僥倖である。

 デモ授業を行うのは、9月から苺白書大学の大学院に進学するC氏。9年生のクラスだそうだ。テーマは「東海道」。歴史と発展を説明して、最後に日本語(漢字)を書いて締め括る構成になっていた。C氏はなかなかお上手で、29名のクラスからも活発な質問が出た。歌舞伎が話題になったので、先生ひとつデモをと促され、とんだところへ北~村~大~膳~と声を張り上げたら大ウケだった。目覚ましには大声を上げるにしくはなし。

 A子さん、C氏と「Bonefish Grill」というお店に入る。ランチをご馳走になった。私は「Ahi Tuna "Tokyo Style"」を選ぶ。脇にごってり練りワサビが添えられていたがパス。割箸も添えられていて、いよいよ帰国だなという感深し。

6月4日(金)4:30@Seattle

2010年06月04日 | Seattle日記
 一時ほどではないが、空中を綿のようなものがふわふわ浮遊している。コットンツリーというものだそうだ。

 昨日は大学院ゼミの最終回だった。ペーパー提出に向けての院生の発表。持ち時間は1人20分で、その後質疑がある。仏教学のT先生と話をあらぬ方向へ持っていってしまったので、A先生にたしなめられる。(汗

 その後、メトロバスでダウンタウンへ行き、パイク・プレイス・マーケットでスモークド・サーモンの量り売りを3lb購入。周りの客が目をむいていたが、美味いものは美味いのだ。バックパックにちょうど収まった。

 近くのビクター・シュタインブリュック公園でしばしエリオット湾を眺めた後、「Federal Army & Navy Surplus」を覗く。米国陸海軍の放出品販売店である。うわ~、レプリカの小銃、欲しいなあ。ガスマスクもキュートで素敵! ヘルメットも各種あったが、ちと重い。心惹かれたのはステンレスの野戦用弁当箱?。WWⅠの遺品も安く売っていた。痛ましかったのは、ここでも寄せ書きされた日の丸があったことだ。ずいぶんアメリカには持って行かれたらしい(日本でTVのドキュメンタリーを観た記憶がある)。東アジア図書館のYさんも、文字を読んでくれと時々持ち込まれることがあるとおっしゃっていたな。戦場で射殺した日本兵から、記念に略奪されたものだという。日本兵は、寄せ書きの日の丸を鉄兜の中に入れていたから、そういうことになるわけだ。心の中で合掌して、店を出た。

 今夕は有名シェフTom Douglasのお店「dahlia lounge」にお連れいただいた。ハッピィアワーのメニューからおつまみを頼み、オレゴンの「Eola Hills Pinot Gris」をもらったが、目の覚めるようなよいワイン。思わずおかわりした。メインには、昨夜ビフテキはシェアして食ったから、「Rotisserie roasted five spice duck hong kong style noodles, bok choy, snap peas, mung bean sprouts, pear jam」を選んでみる。これも柔らかく、独特の風味がたまらない一皿だった。いいお店でしたわ。カテゴリーとしては、フュージョン料理ということになるのだろう。日本などアジアのテイストを巧みに加えてあると感じた。

 帰りのメトロバスは、結局料金を払うことなく降ろされた。どうもシステムがよくわからん。運転手の気分次第なのだろうか。行きがピーク時間だったので、今日の交通費は2.25$。25¢玉9個を消費して、小銭入れがずいぶん軽くなったわい。

 部屋に戻ってメールチェックしたら、学長選挙がらみのメールが来ていた。候補者は2人立っているが、自分は×××候補を推すという文学部の同僚教授からの個人的な推薦文書である。→以下、いささか憚りあれば、続きは「教授のナイショ話」へ。

  見わたせば金も力も無かりけり
    学長選挙の夏の夕暮れ 藤原の低下

6月3日(木)7:30@Seattle

2010年06月03日 | Seattle日記
 読み終わった『茶の湯の歴史』を杉山洋子さんに差し上げたら、処分すべき本の処理はすべて終わった。東アジア図書館に寄贈した『三省堂名歌名句辞典』は、早速登録して、READING ROOMに配架してくださった。お役に立てば幸いである。

 その東アジア図書館司書のYさん、Sさんと、昨夕はお食事をした。Uビレッジの「PIATTI」は、いつも買い物をするQFCに一番近いイタリア料理店だ。

 メルローの赤1杯で延々と歓談を続ける。お料理はよかったが、なにしろ量が多いでなあ。とくにYさんは日本が提供するデータベースについてご不満が大きく、東大閥の強い某新聞社のDB契約で往生した話を聞かされた。その時に助け舟を出したのが、ウチの図書館現事務部長のNさんだというのだから、偉いものだ。Yさんは大阪の出身で、高校の同期にサッカーの岡田監督がいたのだと。またウチのE学部の、遠隔教育でご活躍のN教授は女子大の1年先輩で親しいらしい。

 伺っていると、訪問学者は多いが、こうして図書館スタッフとじっくり話をする研究者は稀のようだ。私はこう見えても元中央図書館副館長だからな。今、関係している電子化プロジェクトに関しても、オンラインDB化にあたって示唆することがらが多いと考え、企画会社のMYさんにYさんをご紹介もした。オンラインは日本国内しか考えないようではいけない。本当に必要な人は海外にいる。問題は契約だろう。

 Yさん、Sさんはしきりに日本のスタンスを嘆いていた。日本には主張がなく、このたびもわけの分からんことで首相が辞め、情けないことこの上もないとおっしゃる。こちらでは中国、韓国の人たちの姿勢がしっかりしているのに比して、それは目も当てられないのだそうだ。しかし我等は陰徳の美学である。声高に主張することは、どうしても身に負わぬ。それならばそれでいいんじゃないかな。ポッポ政権だって、沖縄の人たちがどんなに怒っているかをアメリカに知らしめたし、社民党も偉いと思う。

 洗井大学東アジア図書館の入り口には、本の特集展示のケースがある。いま「竹島問題」の本が並べてあって、コリアンブック担当者の企画とのこと。日本人が1人猛烈に抗議してきたそうだが、日本側の本も並べてあるので、別に目くじらを立てることはない。もちろん私は島根県人であり、この件に関して韓国という国は大大大大嫌いだが、別に韓国の人が嫌いなわけでもないし、韓流ドラマにははまっている。価値観の違う国と付き合わなければならないのはしんどいが、それは仕方がないことであろう。まあ、そのことを分かった上で、品よくあっさりと振舞えばいいだけの話だと考える。

 美味しい料理をいただき、ジェラートまで食ったので、体重がやばい方向へ向かっているかも。Yさんの運転で夜景を見に連れて行ってもらった。まず、クイーン・アンの日本総領事公邸(うわ~、すごい一等地にあるんだ!)の前を通って、この間来たケリー・パークへ。空気が澄んで、幻想的な夜景である。スペースニードルがUFOのよう。こんどは反対側、ウエストシアトルの波打ち際からダウンタウンの建物群を見た。いずれも絵葉書的な構図である。宿舎に戻ったのが22:30.遅くまでお付き合いくださり、恐縮でありました。

6月2日(水)15:00@Seattle

2010年06月03日 | Seattle日記
 杉山洋子さんに誘われて、お茶のお稽古にゲストとしてお邪魔をした。ワシントン・パーク植物園にある日本庭園内の茶室である。

 まず、師匠のTim Olson先生にご挨拶、歓迎のお言葉を受ける。お弟子には、建築家のアメリカ人男性、杉山さん、日本茶輸入業の日系女性、アメリカ人の禅尼が参会し、和巾点、薄茶平点前、濃茶平点前、流し点前の稽古が行なわれた。床の花は杜若、お菓子も結構な練り切りで、美しい初夏のお庭も清々しい。

 Olson先生の指導はすべて英語である。日本語は全くお喋りにならない。家元講習などもお受けになったことはなく、全くアメリカで修業されたとのこと。そのあたりも新鮮な驚きであったが、なごやかで暖かい、すてきなお稽古に参加できて幸せに思った。

 13:00に終わって、杉山さんにランチに連れて行っていただく。「icacutus!」というEast Madisonにあるメキシコ料理のお店。近くがお屋敷街なので、客筋がいいらしい。料理の専門家である杉山さんにすべてお任せしたが、まことに適量、美味しいことこの上もなし。子どもの話などをする。

 杉山さんは明日から2日間の予定でワシントンDCへ行かれるよし。オバマ大統領夫人の招待で、全米の食育推進のための集まりに参加されるという。ご主人はただ今、日本へご出張中。芳賀矢一の孫と同級生だったとか、話を伺っていると頭がくらくらした。

 また宿舎までわざわざ車で送っていただき、お別れをした。ハグというものを初めてやった。こちらのTVで何度も目撃し学習?していたので、うまく行ったと思う。自信がついたから、帰国後は誰彼なしにハグしてみようか。セクハラ!と問題になるかもしれん(そうしたら万々歳だな)。

6月2日(火)6:30@Seattle

2010年06月02日 | Seattle日記
 昨日の大学院ゼミはテクストについてのディスカッションで、次回木曜はペーパー提出のための院生各自の発表となるから、実質上最終まとめの回となった。仏教学のT先生も臨席していらっしゃるので、天台本覚思想や末法といった言葉が飛び交う。最後に日本から持ってきた古語辞典や新大系を院生諸君に1冊ずつ差し上げ、A先生には室町後期写新古今集残欠本からカットした1葉、簡略にを額装して進呈した。それぞれ喜んでいただけたようだ。

 ゼミの後、17:00から、DECAホテル地下の「The District Lounge」へ。A先生とSさん、それに受講院生諸君全員とお食事をした。事実上の送別会を開いてくださったのである。A先生、「デカ地下」などとシャレをお飛ばしになる。私のおやぢギャグが相当伝染したみたいだな。(笑

 お礼に「天国と地獄」のスナック芸を伝授したら大いにウケた。調子に乗って「日×10」のクイズもお教えした。皆さんからは記念品として「Fireworks」の掛け時計を頂戴して恐縮する。ここのクラフトは気が利いていて、娘の土産にTシャツをもとめたりしたから、私も存外目が肥えているのかもしれない。

 ところで、「The District Lounge」へと向かう道すがら、院生のEさん(シアトル生まれの女子学生)から、美作市の「百々」を「どうどう」と読むのは何故ですか?との質問を受けて、即答ができなかった。こちらの院生さんのレベルの高さ、推して知るべし。後で調べてお返事をしますとかわす。どうやら回数が多いことを表わす「度々」の「どど」に、意味の上から「百百」の字を当てたものらしい。日本各地に地名や人名が分布しているし、この読みは『書言辞考節用集』に載っている。Eさんは語学的な関心が高い人だなあ。

6月1日(火)10:00@Seattle

2010年06月02日 | Seattle日記
 昨夜はメキシコ料理店に連れて行っていただいたが、予想に反してさほど辛いものではなかった。しかし色は、どのプレートも茶系一色、埼玉県の物産品みたいであった。

 もうそろそろ荷造りというか、食品の後始末などを始める。A先生にお借りしたキッチン道具はもう梱包して、いつでもお返しできるようにした。冷蔵庫の中も、一食分ずつ小分けにして、食い延ばせるように処理をした。これから会食の約束が目白押しで、どうしても残ったら捨てて帰ればよいだろう。せっせと食いすぎて、体重は少々リバウンド気味?

5月31日(祝)11:30@Seattle

2010年06月01日 | Seattle日記
 今日はメモリアルディの祝日、訳すならば「靖国の日」ですかな。

 昨日、クイーン・アンAve.の映画館で、「Sex and the City 2」のロードショーをやっていた。よっぽど観て行こうかと迷ったが、結局スペースニードルに登っちゃったのであった。映画は日本でも観られるからね。

 ウエストレイクからUディストリクトへのバスの中では、洗井大学の女子学生さんの2人連れと向かい合わせに座った(メトロバスは2輌連結みたいなのが普通で、連結部の座席は向かい合わせに置かれている)。うわ~、2人ともものすごい美形だなあ。向かって右のお嬢さんはノーブル、左はいかにもヤンキー娘という感じで、高い鼻の頭がキュッとそっくり返っている。西洋絵画や彫刻の美の原形とは、こういうものだろう。まさに、眩しいばかりの芳紀といふべし。眼福でござんしたね。こちとらヴェテランの傷病兵で、モノの役には立ちませぬから。女性でいえば平家物語、…月のものもつひには停まりぬ、ただ風の前の塵に同じき身の上ぢゃ。花咲か爺(なんで未然形に体言が接続しているのだろう?)は、白い灰しか撒かなんだが、枯れ木に花は咲いたよなう。

 …と、一歩間違えれば(もう間違えているか?)セクハラだ。訴えられたらクビになるかな。不快な方は見るべからず。見なければ、存在しないと同じである。

 閑話休題。T先生のお話では、私の勤務先大学の学生40名が、T先生ご所属のジャクソン・スクールに、集団留学しているという。毎年集団で来るとおっしゃるから、ははあ、さすれば国際リベラルアーツ学部の学生であったか。この学部は、4年間のうち1年の海外留学が義務付けられていて、授業はすべて英語という我が大学の建学のコンセプトに悖る新学部なのであった。東アジア図書館司書のTさんがバカにしていた奴等だな。そして、下駄でタップダンスしたとかいう…穴があったら入りたいわい。

 国際リベラルアーツ学部は、教授会も全部英語なのだそうだ(当初はそうだったはず。最近は知りません)。ウチの文学部もそうすれば、教授会が早く終わるかもしれん(フランス語やドイツ語にしたら、も~大変。でも、実は喋れないという噂もあるからな…)。 

5月30日(日)23:50@Seattle

2010年05月31日 | Seattle日記
 帰国までのカウントダウンが始まったという感じだ。日曜、祝日と部屋で論文を書こうと思ったが、最後の観光スポット落穂拾いに出かける。

 まず近くのバス停からフリーモントへ。サンデーマーケットをのぞいた。手工芸品やアート、アンティーク(アメリカのアンティークというのは、明治以降のガラクタ)の店が並ぶ。当地のその手の類のものは、うううう…というのが私の正直な感想。ちょっと心惹かれたのはインスタント肖像写真10$也。いかにもアーティストっぽいアンちゃんが、モノクロで撮影してくれる。自分でカメラを使っていると、結局自分が写らないからね。でもまあ、変な格好しているし、よしておいた。

 フリーモントからシアトルセンターへ移動。まずクイーン・アンAve.の急坂を登り、ケリー・パークの展望スポット(画像)で国見をする。ここが、ここがクイン坂、記念の写真をとりましょ~ね♪(しまくらかいた千代子さん!?)

 シアトルセンターでは「Northwest Folklife Festival」をやっていたので、ものすごい人手だった。天気も悪いし躊躇したが、スペースニードルに登る。東京タワーみたいなものだろうと思っていたが、要するに東京タワーの展望台みたいなものだった。これで17.85$は高いなあ。エレベータの前で記念写真を撮られ、退場口で希望者に結構な値段で売りつけていたのは、いづこも同じ商売方法だ。

 モノレールに乗ってウエストレイクへ移動。これも数分で2$。話の種である。5歳の男の子の隣に座った。5歳、5歳と右手を一杯にひろげてかわいい声を出している。お母さんもニコニコ。思わずうち笑まれた(自発の助動詞「る」)。

 子供は小学校にあがる前が一番かわいいですなあ。我が娘もそうだった。ヘルニアの手術のため入院し、見舞いは19:00に閉め出されるので、ぢゃあねとお別れを言ったらガバッと頭から毛布を被り、どうしたの?と聞くと、姿を見てるとさびしいからと答えた時のことは、いまでもありありと思い出す。夏の、花火大会の日だったな。まさに、「お子はありや」(徒然草)で、「もののあはれ」を知りたまふ・・・だな。「まなかひに もとなかかりて」安眠できぬは山上憶良の長歌だった。しかし、かわいいお子である。

 バスでUディスクリクトに帰り、少し土産などを買う。近江のHさんへのお礼の土産に、やはりまめやかなものよりはと、お嬢ちゃんの喜んでくれそうなものを選びなおした。これで必要なものは揃ったかな。あとはスモークド・サーモンを買えるだけ買うだけだな。

5月30日(日)2:30@Seattle

2010年05月30日 | Seattle日記
土曜日は、洗井大学で仏教学を講じていらっしゃるT先生に、ドライブと夕食を誘われた。13:00に車で迎えにきてくださる。あいにくの雨。さて、どこへ行きましょうかと鳩首相談のはて、"FLYING HERITAGE COLLECTION"へと向かった。宿舎にパンフレットが置かれていて、ゆかしゆかしと思いつつも、遠そうだし、航空博物館へも行ったからまあいいかと、諦めていたところである。

 巨大な格納庫風の建物に入ってびっくり、いきなりフィゼラー・シュトルヒで、その反対にはキ43のⅠ乙(画像)、零戦二二型が鎮座ましましている! スピットファイアにハリケーン、Bf109E-3、イ16、米軍機ではサンダーボルト、ムスタング、ヘルキャット。きゃー、Fi 103Rなどという稀種まで展示してあるではあ~りませんか。も~うれしくて涙が出る。

 しかも完全にレストアされ、飛行可能なものもあるという。塗装も完璧。これこそ本物の本物!というコレクションだ。

 ヒンジの構造を確かめるべく近づいて、フラップの材質にも目を凝らせば、解説ボランティアのオジサン(退役軍人の方らしい)に、「おぬし、やるな」という顔をされた。

 ショップでフライングタイガーのTシャツを購入。ついでに二翅プロペラ型のペーパーナイフも衝動買いに及んだ。こういうものを買いそびれると、後で後悔するからね。

 T先生に抱きついてハグしたくなったが、ご婦人なのでやめておく。スタバでちょっとコーヒーを飲み、「ガス・ワークス・パーク」へお連れいただいた。旧ガス工場跡の廃墟だが、そのまま近代のオブジェとなっている。ここも、もし行けたなれば行ってみたいけれど、わざわざ行かなくてもいいかなと思っていた所だ。丘の上に登り、そこで写真を取っていたオッサンに頼んで、T先生と記念撮影。

 それからグリーン湖を一周し、方向を間違えて右往左往の挙句(ナビゲーターーをさせられた)、アフガニスタン料理店「Kabul」へ入る。へえ、こういう料理店があるのですね。
 
 "Combination Kebab for Two"というのにした。私だけ赤ワインをいただく。ヌードル入りスープは淡白な味。大茄子を焼いたものに、超長粒米の飯、胡瓜のサラダ、メインは牛と未のケバブにナンのようなパンが添えてあった。至極あっさりした味で、香りづけは初めてのものだが口に合う。サーブをしてくれた女性が、いま日本で卒論指導を担当している4年の男子学生(彼はモデルをしていたという)にそっくりだったので、可笑しくてたまらなかった。

 T先生とは長時間にわたり、人生観、教育観、そして学問観について語り合った。アメリカの大学教育の問題点も理解できたように思う。また、日本の将来についても意見を交換をしたが、あまり無理をしなければ何とかなるかというところに落ち着いたか。T先生のお考えには、大いに共感するものがあった。

 残った長粒米の飯をドギーバッグに詰めてもらい、宿舎まで送っていただいたのが21:30。まことに申し訳ない次第であった。部屋にもどると、ドアノブに差し入れが。近くに住む院生さんが、味噌汁が切れたと話したのを記憶していて、フリーズドライを届けてくれたのだった。切れたというより計画的に食い切っているのだが、有り難く頂戴して御礼のメールを送信。インスタント味噌汁にオートミールを入れると、味噌仕立ての和風となってなかなかオツである。

5月29日(土)10:30@Seattle

2010年05月30日 | Seattle日記
これが「シアトル金比羅石段」こと、NE 52nd St.であ~る。234段あるから「金比羅さんでは大袈裟かな? しかし、「愛宕神社の石段」くらい急ではある。

 腰痛を庇い庇い、石段を登って、Uディストリクトのファーマーズ・マーケットへ行く。来週買っても、翌早朝出発で、肉類は持って帰れないから、今日が買いおさめとなる。だから、気になるものを片っ端からもとめてみた。ソーセージ、山羊のチーズ、水菜と梅干(いすれもNW産)、バケット、不揃い苺、ベリーワイン。これで1週間分のおかずは大丈夫だろう。

 苺はすぐ食ってみたが…、ちと yummy! とは言ひ難かりき。