そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月31日(木)充実していて眠くなり

2012年05月31日 | 公開

 松野陽一先生からご新著を頂戴したので、お礼状をしたため投函に出る。その時、同居人から税金の支払い期限が今日だと言われ、手持ちの現金を持ってコンビニへ行き支払った。授業の前には郵便局で書籍代金を振り込み、そのまま研究費処理をしたところ、請求書に日付が無いと突き返された。また古書店に電話して、先に送ってもらった写本の請求書を同居人宛に再発行してもらうことを依頼し、こちらは快諾してくださった。歌の本のつもりで買ったら、謡の本であったという次第。

 さて午前中は卒論指導。焦点が定まってきた。報告者は大学院進学志望者ということもあって、受験前に提出する研究計画がきちんと書けるよう指導していかなければならない。次なる課題が明瞭となったので、よかったわい。続く博士課程の研究指導は、W文学会大会発表に申し込む予定のS氏をゲストに迎えて話してもらった。もうほとんど完成した内容で、資料の細かな点に対していろいろ指摘が出たが、まことに有意義であった。院生諸君もさぞや勉強になったことだろう。S氏、一時は体調がすぐれなくて心配したけれど、かなりよくおなりである。修士の演習も、みっちり輪読を進めた。

 情痴大のN教授から、突然問い合わせのメールが来た。か、A師匠の出しているCDブックをお聴きくださいと返信する。情痴の露文の先生からのご質問なのだとか。どういうご趣旨なのかはよく分からず。

 18:30からの学生研究会は、主要メンバーが教育実習に赴くため、来週からはしばらくお休みとなる。今日はTea大の学生さんが、実に綿密な報告をしてくれた。しかし、難しいテキストである。貫之は、この作品でいったい何をしたかったのかな? 20:00に終わり、皆で「かわうち」へ行く。大将からカツ煮を勧められた、要するに、カツ丼の台抜きである。

 本日は授業も研究会も、実に充実していたが、さすがに4コマをこなすとへとへとだ。眠くなった。お店にお客は少なかったが、A教授はやっぱり飲んでいらっしゃった。


5月30日(水)弁明文書

2012年05月30日 | 公開

 この前あんなことを書いたのを誰かがご覧になったわけでもあるまいが、K研から同居人宛に弁明文書?が届いていた。先般の×号文書は書面中に「事務決済時に使用した記述が誤って残されたまま送付」されていたので、同封文書と差し替えのうえ、旧文書は同封封筒で返送もしくは「裁断の上廃棄」せよとのご命令である。ははあ、事は無かったことにしようとのたくらみだな。役人とはすべからく、こういう体質の人種なのだよ。原発事故関係の隠蔽も思ひやらるれ(自発の助動詞)。

 「裁断」とは念の入ったことだ。同居人はますます、烈火のごとく怒っている。本心見下して「者」扱いしていることが露見したのだから、こういう措置もどうかと思うが、これを称して「揉み消し工作」といふべし。まあまあ、怒りの火を鎮めたまへ。ボクら民間私立の教員なのだから、仕方があるまい。


5月30日(水)供養文庫目録

2012年05月30日 | 公開

 2時限めのオムニバス授業は小括のシンポジウムで、国文、中文、英文の教員が各2名ずつ出て、レビューシートに対する答えなどを発言した。中国では文を書くのは命がけなのだそうだ。日本ではせいぜい、筆禍も手鎖五十日ですがね。正午ちょうどにY先生と待ち合わせたため、そんな話をして少し早めに退出させてもらった。さて、地下鉄地上口辺で待ち合わせて、「すゞ金」へ行く。この秋からの面倒事に関して、情報収集をはかった。いやはや、面倒なことになったわい。

 隣の郵便局から、シアトルはW大学のA先生宛、新刊共編書をEMS便でお送りした。それから「D-style」でお菓子を買い、図書館へ。道で突然三十路格好の男性から声をかけられた。高校教師をしていた時分、古文を教えた生徒だったそうだ。名刺をいただく。

 さて、特別資料室で、見計らいで取り寄せていただいた井上宗雄先生旧蔵『隆季集』写本を拝見する。いや、よい本です。また、Uちゃんご推奨の『顕昭陳状』も、ご購入いただけるよし。こういう時にこそ、日ごろのお菓子がモノを言いますな。供養文庫の目録が完成したよしで、1部頂戴した。お茶をいただいていると、ウチの院生の利用相談に関して利用課長殿おん自らのご照会があり、ついでに大学卒業同年の会の案内をいただく。課長と私は同じ歳だったか! ゴジラの会というのだそうだ。そういえば図書館へ向かいキャンパスを歩いていたら、A学部公共政策のA教授とすれ違い、やあやあ、お互いに歳をとったなあと挨拶したが、あの御仁もたしかゴジラの会だ。ゴジラというからには、昭和29年(1954)なのかと思いきや、そうではない。昭和でカウントしたシャレである。その日は千葉で公演を頼まれているから、あいにくだと返事をしておいた。

 教務主任殿から、教職関係の必修科目の時間移動について面倒な話をもちかけられる。来年度はゼミの時間が夜から昼へ持ち上がる影響らしい。そうでなくても面倒なのに…。でも、私のコース主任任期は9月20日までなので、次の主任がうまいこと処理することだろう。ご趣旨はあい分かったとお返事した。次の学部長選挙はどうなるかね?と尋ねられたから、おいらは筆頭推薦人に署名捺印したぜと申し上げる。で候補者は誰?と言うので、知らんのか? ×教授だよとお答えした。対抗馬は存じません。まあ、むかし教務主任を一緒にやったから、旗幟鮮明にご支持申し上げるという次第だ。事務所へ行って海外出張の申請用紙をもらった。8月に調査へ行く。旅行会社へ電話して、クレジットカードでの決済もお願いした。

 来週の火曜に向けて、「河」題の短歌を作る。やはりスカイツリーを詠むべいよ。

  


5月29日(火)来週は歌会

2012年05月29日 | 公開

 社会人講座の前の昼蕎麦は、仲御徒町の「吉仙」へ行って三色をたぐった。ここの田舎蕎麦は極太だが、「玄菱」ほどではないか。日比谷線1本で行けるので楽ちんである。

 さて、この秋から面倒を引き受けたので、事務所のKさんに場合によっては調整方ご相談することになるかもと予告しておく。30分ほど学会の話と、新刊論集の宣伝をして時間を潰してから、短冊を4枚読んだが、もうみなさんすらすらお読みになれる。「半天」は「なかぞら」と読みますな。「半纏」ぢやないよ、と笑わせる。来週は「河」のお題で一首詠んできてもらうことになった。短歌講座と化した次第。

 夕方、研究会なので、大学へ移動する。「Cafe GOTO」で冷コを飲んだが、学生がわいわい騒いでいて落ち着けなかった。ご繁盛ご同慶のいたりだが、時間帯によっては実に感じ悪い店になってしまったなあ。

 

 


5月28日(月)みっちりオフィスアワー

2012年05月28日 | 公開

 学会明けの1限はきついと、I先生がフェイスブックにお書きになっている通りである(司会、お疲れさまでした)。さて、朝いち演習では、「なかつよ文学会」大会のトリの研究発表で取り上げられたテキストを、今まさしく読んでいるので、かくかくしかじかと昨日の内容を紹介し30分ほどを潰した。受講生には辻勝美先生のご論文もきちんと読ませているしな。続く講義も、奥書の話に入ったので、同じく昨日の研究発表を枕に使う。不用意に「古い写本ほど本文が壊れている」と言われてもなあ…。当該テキストは、非常に早い段階の祖本に大きな欠陥が生じたというケースであって、それは原作者と同時代人が書写していようが、関係のないことだと私は思う。

 13:00から博士課程の院生の個別研究指導に与り、14:00からはA君相手の特殊演習。昨夜、A君の指導教授S先生と食事をし、貴君の博士論文の方向性についてディスカッションをしたよと報告しておいた。Uちゃんがやってきたので、特殊研究が終わってから2時間ほど研究計画について話をする。

 月曜はオフィスアワーである。その間にK理事がお見えになったり、研究室への出入りが激しかった。

 20:00前には帰宅できたが、夕食の前にK名誉教授にお電話した。お手紙を書くのもまどろっこしい。昨日の「なかつよ文学会」で質問に立った時、皮肉を込める必要があったので、K先生のことを「ひどい御方」と申しましたが、それはかくかくしかじかという意図文脈でありまして…と弁明しておかないと、後でお耳に入って誤解を生じかねないからである。まあ、ご了解いただけたかと思う。

 9月からまた面倒くさい仕事を引き受けてしまった。深い考え無しに、はいはいと色よい返事をする悪い癖は、どうにも直らない。引き受けたはよいが、きちんと仕上げることができず、不義理を重ねた荷物が、山と積み上がっているというのに…。


5月27日(日)なかつよ文学会

2012年05月27日 | 公開

 今日は「なかつよ文学会」の大会の方へ出かける。八王子はちと遠いや。モノレールに乗ったら、福島の大学を定年退職されたT先生と偶然一緒になった。震災に原発事故の影響は甚大であったよし。

 さて、会場最後部席を確保し、研究発表を全部聴く。私は委員なので、全発表を採点しなければならないのだ。KOの院生女史の詩懐紙の発表が秀逸だった。K元助手の研究書は、見本刷りが書店の出店に置いてあった。本体が学会に間に合えばよかったのに。残念ではあるが、ご同慶のいたりといふべし。

 トリは共産大のK氏で、今回一番注目していたのだが、発表ではなく講演。そばの席にお座りだった、K氏とは同門皮つるみ大N氏と、思わず顔を見合わせてしまったわい! 最新の文献に拙稿を掲げてくださったので、質問に立つ。家集の成立年時と、一首の解釈の、2つのポイントを質したが、K氏には珍しく絵空事のような想像をお述べになるので、到底得心できなかった。すると、これまたK氏と同門のS氏がさっと挙手し、「ご講演ありがとうございました!」と言うや、要するにお前の話は研究発表じゃない、こんな発表するなとはっきり非難されたのには、目をみはりましたわい。いや~、S氏は偉い。普通、ああは言えん。むしろ同門だからこそ、はっきり物が言えるのかもしれないが。

 (弁明)なお私の質問の枕に、ウチの××名誉教授はひどい方で電話で専門でもない原稿を書くよう命じてくると申し上げたのは、お蔭で新しい問題を考える契機を頂戴し感謝している…と言いたかったのであ~る。くれぐれも誤解の無きよう願います。

 この問題については、二旬ほどして刊行される学内学会機関誌に論文を書いたので、ご関心の向きはご笑覧いただけると幸甚である。

 啄木氏が議長を頼まれたとおっしゃっていた総会はパスし、知り合いと立川まで移動、私は神楽坂へ直行した。19:00からS先生とお食事のお約束。「東白庵かりべ」は、お気に召していただけたようだ。A君の博士論文の方向性などについて、意見を聴かれお答えした。A君は南米初の、本格的な日本古典文学研究者となることだろう。


5月26日(土)誤記発見

2012年05月26日 | 公開

 K研から送られてきた文書を見て、同居人が烈火のごとく怒っていたので、わけを尋ねると、「*なお、このことについては、所属長にも別途依頼しております」の但し書きが記され、さらに末尾に「*所属長への依頼が不要な者については削除」と記してあることについて、この「者」という表現が癇に障ったらしい。

 K研はまあ、お国の機関法人だから、上から目線は当たり前じゃないか。衣の下に正体見たり、ということだろうがね。民間の、私立大学出身の私立大学教授なんぞは、官の立場からは見下されても仕方がないではありませぬか。癇に障って、癇癪起こし、甲高く感情的に怒っても、甲斐もあるまい、カンカンカン…。しかし、この程度の待遇表現に配慮もできぬ我が国の事務方お役人も、どうかとは思いまするがなあ…もはや日本もおしまいであろう。

 「なかむかし文学会」の会場で、K研のN副館長殿にご挨拶し申し上げたので、ついでにこのことをご注進しようかとも思ったが、先日飲みに連れて行っていただいたから、申し上げそびれた。私もお上には弱いのだよ(くだらぬことにエネルギーを費やすには老いたわい)。同居人は、招集された会合の席上、直接苦言を呈することにするそうだ。なにしろ同居人の指導教授は、敬語がご専門だったからな。こわいぞよ~。

 さてさて、新刊論集に収録した拙稿に、とんでもない間違いがあることに今さら気がついた。図版のキャプションの「左」「右」を、逆に記して、校正時に気がつかないままになっていたのだ。いやはや、お恥ずかしいかぎり。日本語版はp170、英語版はp384の短冊の図版のキャプションであるが、左(left)が宮部義正、右(right)が万女とするのが正しい。ご訂正願い上げたてまつり候。


5月26日(土)なかむかし文学会

2012年05月26日 | 公開

 「なかむかし文学会」と「なかつよ文学会」の大会がかち合って、私は平委員を務める「なかつよ」へ赴くのが順当なのだが、会場が「なかむかし」が文京区、「なかつよ」が八王子と遠近極端であり、明日はどうせ「なかつよ」へ行かなければならなず、「なかむかし」においては新刊の共編者S先生が講演で本のことをお話しになるようだから、今日は「なかむかし」の方へ行くことにした。会場のムーミン大近くで昼食を摂ろうとうろうろしていたら、講演者のお一人I先生とすれ違った。ご挨拶申し上げる。

 昼食は「こむぎこ」で冷たいパスタを食う。夏野菜がしっかり入って、食べ応えがあった。ここはパスタの料が本当に多いなあ。でも、繁昌している。

 会場の胃乃上遠慮ホールに入るとすぐ資料展示があり、非行仲間のOさんが立ち番をなさっていた。まずは拝見。あっという間に見終わり、何じゃこりゃ!?  ムーミン大創立125周年記念の図書館特別展示のため、お宝は皆出払っているらしい。

 受付をしていたら、F大のYさんが…。昨日もメールのやりとりをしたばかりだ。会場に入り、Yさんと一緒に座る。鬼怒鳴門先生の講演はマイクの具合が悪かった。この遠慮ホールでは前にもそういうことがあったと記憶する。続いてのS先生の講演は、本の版元B出版を、間違えてP社とおっしゃったものだから、冷や汗が出た。後でご挨拶に言って、間違えてましたよと申し上げると、P社でも同時に編集を進めていたから混乱なさったらしい。

 第一部の最後の講演がI先生で、これは正直、すこぶるつきのつまらん内容だった。I先生、もはや官僚みたいな話しかおできにならなくなられたのかなあ? ああ、世も末である。今までに「なかむかし文学会」の大会に出て、面白かったためしは無い(その点、「おうた文学会」例会のレベルの高さは、比類が無いと思う)。私も昔、大会で研究発表させてもらったことがあるが、十二世紀は「なかむかし」ではないと、バカにされた。

 第二部のシンポジウムでは、LさんやRさんなど知り合いの発表も予定されていたが、Yさんがもう帰るというので付き合うことにした。巣鴨まで歩き、駅近くの和菓子屋の甘味処でお茶を飲んだ。Yさん巣鴨駅構内のロッカーに荷を預けてあったのをうけ出し、お~つかなびっくり度胸を定め、彼女に逢いに池袋までご一緒してお別れした。


5月25日(金)昔の勤務先

2012年05月25日 | 公開

 年に1度、大学の附属高校で50分×2コマの授業を担当する日がきた。例年は車で赴くのだが、校内工事中のため駐車スペースが限られているよしで、電車で行った。なるほど、図書館などが入っていた古い校舎が壊されていた。かつては仏教系の高校の校舎だったところである。

 樹木もずいぶん伐採されていた。教員室に顔を出し、昔の同僚の皆さんにご挨拶する。皆、歳をとったなあ。定年が70歳なので、かなりのご老体もおいでになる。すぐ近くに介護老人ホームが建ったらしい。ブラックユーモア以外の何物でも無い。

 教務室へN教務主任を訪ねる。事務長は、昔、ウチの学部の事務長だったSさんで、ペットボトルのお茶をくださった。校長室が会議室になったとかで、Y校長も教務室の一角にデスクを置いておいでだ。

 授業では鴨長明を取り上げる。当校では古文で『方丈記』はまったく扱わないのだそうだ。あいかわらずマニアックな教育内容を続けているのだろうか? 『方丈記』は鴨長明の作ではないのですよとお話しすると、生徒諸君驚いておった。こういうツカミが大切だ。

 12:30に授業終了。再び教員室に顔を出し、元同僚数名と世間話をしてから校舎を後にした。さて、昼食はどこでりんだもぢるか?

 電車を1つ先の駅まで乗って、「にはち」暖簾をくぐった。ゴボウ天そばをいただく。なかなかの水準。追加で田舎そばも注文した。ご夫婦で切り盛りしておいでのようだった。


5月24日(木)ラインが違う!

2012年05月24日 | 公開

 どうも人の話は信用できん。昨日の委員会もそうだったが、職掌を逸脱しラインを守らない論議というのは、何も生み出さない。大学院の演習の前、指導室前の廊下でK先生をお見かけしたから、一昨日のことをかくかくと申し上げたところ、それはT氏の暴走だと云々。それ見たことか。権力者の功名争い?に巻き込まれたのでは、堪らんぞなもし。ラインの護りが肝要だ。

 昨日の教授会で学部長選挙の公示があった。今日は早速、推薦人の筆頭に署名捺印を頼まれる。今回は旗幟を鮮明にいたす所存。英雄的朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!

 K教授からお見舞いのお菓子をいただく。神楽坂「アトリエコ―ータ」のチーズケーキやマドレーヌの詰め合わせだった。ありがたや。K教授が学部長になられたあかつきには、喜んで教務主任を務めさせていただきまする。

 


5月24日(木)薬食い?

2012年05月24日 | 公開

 風邪は峠を越えたようには思うが、まだふらふらするので、養生のため薬食いをすることにした。高田馬場で降り、「とん太」ではなくして、本日は「成蔵」へ行く。「とん太」とは実に対照的な、お洒落なお店である。

 香りがよく、柔らかく、量も多くはなく、私のような老人には実に美味であった。個人的な好みといえば、「とん太」の雑然とした店内のほうが、気がおけなくて居心地がよいのだが。

 書店で「唱和之式」ほかの教本を買った。短冊の書き方をチェックするためである。


5月24日(木)述懐

2012年05月24日 | 公開

 今週はむかむかすることが実に多い。いろいろと寄り合いに出るたびに、むかむかする。まず、おかみの機関とは、かくも融通のきかぬ所なのかと、あらためて唖然とした。憚りあれば、詳しくは書かぬ。要するに、今や自動小銃の時代なのに、火縄銃を買う費目の予算が付いたから火縄銃を買うしかない、しかも火縄銃の値はどんどん下っていくので、倍も二乗倍も数を買わなければ予算が消化ができない、ど、ど~しましょう?と悲鳴をあげる。火縄銃にも殺傷能力はあるのだから、役立てる智恵を出せということだそうだ。なんともはや、中途半端な話である。使い物にならなくなるのは、目に見えている。ここは数を減らしてでも自動小銃を装備すべきだし、どうしても火縄銃しか買えないのなら、いっそ予算を返上した方が御国の為ではないのか? 予算を返すと、もう付けてもらえないそうだ。それを恐れて既得権は死守するしかないらしい。かくして年度末の道路工事は盛行する。ああ、公務員でなくてよかった!

 また、大学の教員というのは、どうしてこんなに喧嘩腰になるのだろうか? 自分一人が優秀で、あとは皆阿呆と言いたい御仁が多すぎる。こちらは如上のケースとは逆に、過去の経緯や規程の枠組みなぞてんで無視してかかるから、どう考えてもお門違いの議論を始め、鼻白んでしまうわい。喉も痛くなった。ああ、東大出でなくてよかった!

 戦争は、手元の兵力で行うしかない、というのが私の信条である。戦国時代に、戦車は無い。、


5月23日(水)会議の連続

2012年05月23日 | 公開

 大学院のオムニバス講義の担当回に当たっているので、PCの設定をなすべく早めに教室に行き準備を終え、待っていたが全然院生が来ない。変だなあ?といぶかしんで時計を見れば9:40で、授業開始は10:40なのであった! うわ~耄碌したぞなもし。

 キャンパスを出てAブックスへ行き、時間を潰す。戻ろうとしたら交差点のあたりで、□○のAを見かける。こいつらまだうろちょろしてやがるのか、A教授にご注進しなければと様子をうかがう。先日もHとすれ違ったしな。今となっては奴らの面が分かる我ら戦中派?は、貴重な存在だと思う。

 講義は情報量をいたずらにを多くせず、大事なことだけ伝えることにした。つかみも工夫したつもり。専門分野によってはあまりにも当たり前の知識だが、それをコースのカヴァーする全領域についてひと渡り聴いてもらうのがこの講義の趣旨。発案者は実は私で、当初はくだらないと嘲笑した同僚もあったが、専門が蛸壺化し、留学生も増えている状況の中で、一定の意義はあると確信している。

 12:15から教室会議。ちょうど1時間で終わって、神速で議事要旨をまとめ配信する。

 14:00から教授会。17:00前に終わったのは奇跡的だ。気がつけば16:00近くにワープしていたから、居眠りしたらしい。向かいのT教授も眠っていたからな。疲れが少しとれた。そうそう、学生担当が報告している時に、□○を見かけたことを注進せねばとA教授の席へ行く。A教授は学生担当の前に座っておいでだったので、皆がどよめいたぞ。野津道貫と奥保鞏とが謀議しているの図だからな。やつらはあいかわらず蠢動しているらしい。それで、W学担に□○の話だけど聞きたい?と尋ねると、かぶりをぶるぶる、左右にお振りになっった。

 17:30に大学本部の某部へ赴き、会議の打ち合わせを行う。18:15開始の会議で、理事指名の委員長になることを引き受けているのである。今日は新委員会の立ち上げで、段取りの確認のみだから、まあ45分かなと思った私が甘かった。始めてみると、のっけから喧嘩腰の御仁がおいでで、そんなことはさんざ組合断交やりあったんだがなあ…と、当時教組執行委員だった私が中途半端なことを言おうとしてごにょごにょしたものだから、火に油を注ぎ炎上した。意見が受け入れられないならこの場で委員を辞めてやる!などと色めき立って大きな声を出すから、(大学では大声を出す奴は強い)、こちらもついつい大声になる(声帯を痛めていて苦しいのに)。担当理事の応対も、最初のご挨拶からして、なんじゃらほいと思わんでもなかったが、反対隣の副部長殿は賢明にも黙っておいでだ。予備兵力がおたおたしたのでは始まらぬ。そんなこんなで、1時間半ほどかかった。

 気分が悪い。M委員がおいでなら、お誘いして飲みに行くところだが、残念ながらご欠席のため、1人反省会を行うべく「五郎八」へ行く。「洌」を1合だけ飲んでつまみを食い、あがりをたぐった。蕎麦が実に美味しくなったので、今度はつゆの味がいささか気になって仕方がない。

 亡くなった師匠の教えを、つくづくと思い出した。「揉めれば揉めるほど、世の中良くなる」と。また、「お店(たな)の物に、手を出してはいけない」と。けだし大学教員の心得べき急所であろう。

 帰宅したら、あんたの風邪がうつった!と同居人に苦情を言われた。いよいよ追い出されるかもしれん。胸算用の平太郎殿の、女房に追い出された男みたいならぬよう、用心用心、火の要慎。


5月22日(火)スクールカラーの帛紗

2012年05月22日 | 公開

 N書房の目録に井上宗雄先生の旧蔵写本がまとまって載っていたので、朝いちに図書館へ寄るついでがあったから、残っているものを購入してもらうようお願いした。そのかわり、見計らいで取り寄せていただいた写本は、内容が版本とまったく変わらないことが確認できたので、返品とする。F調査役殿に、大阪の入札目録ではこれこれですねと申し上げたが、無理に札を入れていただくつもりはない。図書館とのお付き合いは、無理を申し上げないことも大切なのだ。

 さて、某理事とのお約束があり、大学本部の建物へ久しぶりに参上した。この4月からセキュリティがやたら厳重になったため、学長や理事がおいでのフロアへは、IDカードで確認されないと入れてはもらえない。受付で用向きを伝えると、秘書の女性がわざわざ迎えに出てくださった。

 お話は半分予想していたような意見聴取で、結局まるまる1時間くらいお話しした格好だが、存念を申し上げることはできた。ふうん、日本はもう本当にダメなんだなあ。我が大学も、いつ潰れるか分からんということか…。しかし、我が国も既に平安時代このかた末法の世に突入しているのだから、今に始まったことではあるまいて…。

 風邪は一向によくならない。声帯がひどい炎症を起こしているらしい。悪寒もする。大学から社会人講座へと赴く。お昼は「如月」でりんだもぢった。しらすおろしのせいろが美味しかった。この「如月」も、なかなかしぶい良店である。五月に如月とはこれいかに。昨今寒いから、着更着が大切。

 社会人講座はマイクを使った。声が全然出ないもの。三条西家中心にお話をしているので、実隆以下の短冊のお話まで進める。

 終了後、また大学へ戻る・16:00からA君相手の特殊演習。最中に、茶道研究会の女子学生が、校章入りスクールカラーの特注帛紗を2つ届けてくれた。「やました」製。読者諸賢ご推察の通り、私は実はバカボンのパパが卒業した私立迷門大学の教授なのだが、このスクールカラーは紫といえば紫、朱といえば朱と言えぬこともないから、男女いずれが使っても大丈夫かもしれない。古代といふべしや(本当は海老茶なんだろうがね)。2時間、A君のお相手をする。

 木曜の研究指導発表者から、通院の都合で延期して欲しいとメールがきた。その前の卒論指導も、学生の教育実習の関係でお休みにしたから、木曜はようやく病院に行けそうだ。


5月21日(月)風邪ひどくなる

2012年05月21日 | 公開

 土曜あたりから風邪の気だったのが、午前中の授業2つで完全に喉をやられてしまった。声が出ない。2時限めの講義は、午後は立川で会議があるからと言って、少し早仕舞いにさせてもらう。

 地下鉄駅まで走り、中野で中央線に乗り換えて立川へ到着。昼食は「無庵」へ駆け込んだ。。はじめて蕎麦掻きをいただいたが、ワイルドな感じだった。あとは挽きぐるみを1枚たぐる。「無庵」は私が訪ねる蕎麦屋にあっては、個人的に間違いなくベストのお店なのだ。今日の掛け物?は、あっと息をのむような結構な趣向だった。

 さて、K資料館に着いて、T教授および事務方と打ち合わせる。このたび、さる委員会の委員長に就任させられることになったのだ。実質任期は2年間。委員長といっても議事進行役で、私はこういうのは案外得意である。2時間ほど熱心に議論して終了。本日はI館長などお偉い方々がご欠席だったので、委員が皆言いたいことを言ったという気味会いもあったらしい。いろいろ思うところはあるが、まあ、やめておく。

 軽く懇親会ということで、モノレールの「立川北」近くの地下の居酒屋へ。2時間ほど飲んで解散。喉はもうダメみたい。弱ったなあ。