そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月3日(火)

2009年02月03日 | 昔日記
 節分である。朝一番で西新宿の痛風の病院へ行く。このところ診察のたびに体重が1キロずつ減じていくので、主治医のY先生に褒められた。でも尿酸値は結構高かったりする。肝機能や尿蛋白にも心配な点があるが、まあ定年と同時にあの世に行くためには、よい兆候とも言えなくもない。

 薬局で待っている間、テレビを観る。恵方巻の由来について紹介していた。大阪の寿司屋が起源なのだそうだ。こんな下品な風習を、我が家に取り入れるつもりはない。松江にはこんな低俗な風習はありません。

 10:00から卒業論文の口述試験である。病院に行くので、もしかしたら30分ほど遅れるかもしれないと助手に連絡しておいたが、5分前に研究室に到着することができた。なにしろコースで最も人気の無い分野の教授(分野というより本当は教授自身が人気ないんだろうが)で、卒論の担当学生も僅少のうえに、国際交流事業で派遣されるため前倒しで口述試験を済ませた人もあったので、1人あたり30分ほどかけて試問を行った。

 事務所へ行って大学院の成績を提出する。ちょっと問題があったが、私のせいではないという。始末書でも何でも書くから何とかしてと申し上げておいたが、大丈夫かな? 教育学研究科の成績も送付した。学部の成績は、webで提出するので、締め切りはまだまだ先となる。コーディネータをつとめる複数担当科目、まだ教務主任殿がレポートの採点をしてくださっていない。相手が教務主任殿なので、安心であるけれど… 早く採点してくださいね(実は私もまだやってないけど)。

 さて、昼はどこで摂るかな。いつも「志ま平」では気がおける…、「蕎楽亭」はアベックでないと入りづらい…、そうだ、今日はぐぐっと大衆的に行こう…というわけで、「紀の善」の脇の小路をずずいと入って「志な乃」の暖簾をくぐり、合い盛りを注文。もちろん米の汁も熱くしてもらった。通院の日は朝飯抜きだから、炭水化物多いけど、まあいいか。蕎麦と饂飩を一緒に食うというのも、時には楽しいものである。

 ひっきなしに客の出入りがある。少し待って、4人掛けテーブルの片隅に座るとほどなく、向いの席にあんちゃん2人連れが並んで座り、鴨南蛮とか汁物を注文した。IT関係の仕事らしく、ギョーカイの話を声高に喋っている。当方、静かに盃を傾ける。麺をたぐり終えて、蕎麦湯をいただく。このの蕎麦湯は大きな土瓶に入ってくる。そうしたら、向かって右側のあんちゃんが、おもむろに自分の湯呑に蕎麦湯を注いだ。そこで、蕎麦汁の瓶を「どうぞ」とすすめたら、目を丸くした。あんた、それ蕎麦湯でっせ。てっきりお茶かと思いましたと、あんちゃん頭を掻く。一瞬、和やかな空気がテーブルに流れる。そのタイミングで、お先にと声を掛け、席を立った。

 オアゾの丸善に行き、すぐに必要になった本を何冊か買った。ステーショナリーのコーナーをのぞくと、マトリョーシカの封筒などというものがあった。そうだ、ロシア文学のK教授に差し上げよう。とすかさず購入。小さすぎて始末に困っているノキアの携帯電話を収めるのにちょうどよさそうなケースも購入した。夜学の卒論担当は今年はなかったので、本日はこれにて帰宅する。

 いつの間にか眠っていた。目を覚ましたらパートナーが帰っていた。入試の真っ最中で、今年は主任をさせられているので、明日も朝が早いらしい。娘はさらに遅くなったが、電話がかかってきて、恵方巻を買って帰るという。おいおい。

 恵方に向かって若い娘が太い海苔巻きを頬張るさまは、たしかに玄人女がダンナのナニを咥えているの図である。眉を顰めると、おとうさん、そんなの都市伝説よ、と一蹴された。社会学科の女子学生さまには敵いません。でも、一昨日、提出するゼミ論の添削をしてあげたからか、まあまあ優しく接してくださいますこと。