花札演習は予定通り2名のプレゼンをこなす。投射したPC画面の色が変だったが、まあいいことにした。斧定九郎といっても学生諸君はよく分からんらしい。webに繋いでヴィジュアルを示すにしくはない。画像を見れば、ああ、あれかと、すぐ分かってもらえた。ついでに小野道風と小野篁歌字尽(十一月札のイメージは寺子屋で使われたこのテキストの見返しに掲載される)、さらには式亭三馬の小野■(竹冠に愚:「ばかむら」と訓む)嘘字尽まで紹介する。国文学者?の面目躍如。
昼飯は「たかはし」で、鰹のお刺身定食をいただく。図書館のOさんがいらした。11月で定年退職されるよしで、挨拶をされる。小生、元図書館副館長なのでな。
押印した書類をB部に届け、K部へK課長を訪ねて面談する。まあ、愚痴を聞いてもらった格好だが、私が校長として発動できる強権の数々を確認。当然、業務命令が出せることが分かって、よかった。
14:00から箇所長として幇間業務で、15分前に来いと言われたからホテルの会場へ。担当のテーブルのとい面には、第三代校長のE先生が着座された(私は第八代校長になる)。お前は校長として滅茶苦茶やっておるらしいなと言われた。誰かカネてチクったのがいるらしい(おいらの名前みたいだな)。悪い噂がお耳に達しましたか?と問い返せば、そうだ!とのこと。やはり教職員に嫌われていることが分かる。
メインイベントの、フィギュアスケートの元選手の講演は、喋りっぱなしで間というものがなく、聞いていて正直うんざり、疲れ果てた。喋る内容が予測できる講演なんぞ、つまらんなあ。期待の地平を裏切って欲しいよ。
で、歓談時間になったので、E先生に、私のどこが無茶苦茶ですか?とお尋ねすれば、あの文章は何だ!と学内向け広報誌のことを仰った。なあんだ、あれは冗談ですし、コンテクストが分かる人には何の問題もないでしょうと弁明。それでも外部の人間も読むからなと仰せになる。高校の校長業に、全身全霊を傾けよということらしい。そんなウェットなことは、とてもできませんわ(教育学部の教授でもあるまいし…私しゃ文学部教授である)。しかし、E先生は国語課教育法を習った恩師なので、頭はあがらない。太田光は何を発言しても政治的に非難されまいが、あれは彼のコンテクストが万人に周知されているからに他ならない(う・つ・て・な・し)。部分を切り出せば確かに不謹慎に聞こえる言動となる。そういう経験を私も何度もした。「あなた方は革命的共産主義者なんだから、天皇制は打倒すべきで、日本国憲法が今のままでいいとは思っていないだろう?」と言ったら、反動教授が「憲法が今のままでいいのか」と改憲を主張し暴言!という立看板を作られたことがあった。(笑
お見送りまで付き合って幇間業務は終了。理事長閣下に、お米と栗をありがとうと礼を言われて嬉しかったが、O理事には、こいつは箇所長会議で不規則発言をすると苦言を呈された。「すゞ金」の大将の言を伝えたのがお気に召さなかったらしい。しかし、歯に衣は着せませんぞなもし。
学内学会の評議員会に出なければならぬが、A学部長につかまって国際交流の向けられる。定年退職まであともう2年ほどだから、協力する気は全く無いと返答した。もうエフォートはいっぱい、いっぱいでやんす。あしからず。
30分遅れで評議員会に顔を出す。終わったのが19:00で、延々議論が白熱した。まあ、あまり急な変更はきしみを生ずるということだが、代表理事の危機感もよく分かる。
幇間業務でK君の研究発表が聴けなかった。松野陽一先生がお越しになり、質問してくださったよし。よかったね。私も同じ学内学会で研究発表デビューした際、当時東北大学教授だった松野先生がお見えくださり、懇親会の席上「仙台から××君の発表を聴きに来た」と仰せになったのには、涙が出るほど感激したのだった。
帰宅して遅い夕食を摂る。彗星が消滅したとか、しないとか。天体観測は大変ですなあ、一晩中「せいざ」してなきゃなりませんから…と言ったら、姑殿は大笑いなされた。