そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月30日(木)墓参り

2010年12月30日 | 昔日記
 物産観光館は本日15:00までの営業とのことで、十六島(うっぷるい)の「かもじ海苔」などを買いに行く。 

 ここの2階の工芸品コーナーは、いつも研究書をいただいたお礼に差し上げる文鎮を手配してもらうので、私は上上上得意なのである。茶道をモチーフにしたネクタイがあったので、ついつい購入。また、欅の写真額をもとめる。S教授に撮ってもらった写真を入れて、松江に置いて行こう。

 朝は結構雪が降り、積もってもいたのだが、敢えなく消えてしまった。晴れ間を見て墓参りに行く。指が線香臭くなった。

 昼は「きがる」で割子をたぐった。別に卵を1個頼んだら、フロアのお姉さんに怪訝な顔をされ、「満月そば」には卵が入っておーますがと言う。そりゃどげなやつだ?と出雲弁で尋ねると、とろろをかけて卵が乗せてあるとのお返事。わしゃとろろはいらんと言えば、では「満月そば」のとろろ抜きですねだと。まあ、それを持ってきてごしない。

 しばらくして持ってきたのは、割子のそれぞれに、鶉の卵が1個、ちょこんと乗っておった。あじゃぱー、こういうことであったか。やっぱり鶏卵と言うべきだったわい。寒かったので、老母は月見の釜揚げを注文。もちろんチェックは私が行なう(カードは使えません)。

 3枚では食い足らぬので、いったん帰宅してから「一色庵」にもう1人前たぐりに行く。大将がいらっしゃった。先生の大学はえらい調子がよござんすねと世辞を言われる。野球にラグビー、駅伝の話である。いやー、柏原が復活したげなけん、駅伝はダメでしょうと返事しておいた。

12月29日(水)岡山経由

2010年12月29日 | 昔日記
 新幹線の指定が取れなかったので、自由席で帰省することにした。岡山で人に会う約束がある。ホームで1本待ち、予定通りの列車に乗り込む。座れないかなあと諦めていたが、3人席の真ん中が奇跡のように空いていて、すかさずゲット。9Bという席でござんした。新横浜あたりから通路にも人が立ち並んで、たいへんな混雑となる。結局、車内販売のワゴンはやって来なかった。ポケットに入れたベーグルを齧って朝食とする。

 駅と連結しているホテルのロビーでA先生、Kさんと待ち合わせ、見晴らしの良いレストランで鉄板焼きをご馳走になった。千屋牛というのだそうだ。食材も岡山県産にこだわっているという。画像はそのデザートだが、並びのバーに移動して供された。それでもって、調理人の方がエレベータホールまで見送ってくださったのには仰天。A先生、よほどの上得意なのであろう。

 Kさんの運転でA先生宅へお連れいただき、Kさんの研究発表をお聴きする。まだラフなものだったが、意見を申し延べ、夏前に学会発表できればいいかなという話になる。そこへEさんもやってきて、お薄を頂戴した。16:00に駅までお送り いただく。

 そのまま待ち合わせたN君と会い、久闊を叙した。坊ちゃんが一緒だった。EAJSのことなどが話題となる。私は今回は一般参加ということになろうかな。でも、主任なんぞをしていると、行けるかどうか分かりはしないぞ。

 岡山駅で17:05発の「やくも」に乗る。N君も倉吉在住なので、7分前発の普通にお乗るだった。同じホームなので、手を振って見送る。さて「やくも」では車内販売も自動販売機も無い。慌てて買ったワンカップ大関でしのぐ。肴はメザシ。生山駅のあたりは雪だった。

 岡山の東口駅前地下街のはずれにある書店で買った武良悦子『お父ちゃんのゲゲゲな毎日』(新潮文庫)を、車中で読了。米子、安来を通ったから、ゆかしといふべし。

 20:00過ぎに実家へ到着。仏壇と神棚を拝んで、軽い食事を摂る。やれやれ。メールチェックすると、Uちゃんから朗報が届いていた。よかったですな。でも、これは出発点である。精進されたし。

12月29日(水)

2010年12月29日 | 昔日記
 NYは190年ぶりの大雪なのだそうだ。交通機関は停止し、空港も封鎖状態だとか。娘からホテルに缶詰で、風邪をひいたというメールがきたが、大丈夫かな? 190年ぶりというのはすごいね。そういう事態に遭遇するのも、興趣があろうというものである。

 Iさんから学生研究会は歌会始をすると連絡が入る。二首会にしたいそうで、お題は「葉」と「兎」になっている。前者は学習会用に作ったのが数首あるから、大学生向きを選べばよろしかろう。さてさて兎ですか。アリスでも趣向するかな…。

 これから帰省する。しばしブログは更新できないかもしれない。あしからず。

12月28日(火)綾小路有長

2010年12月28日 | 昔日記
 A師匠がご尊蔵の綾小路有長短冊を自慢しておいでなので、拙架蔵も1枚。

【釈文】(私意により濁点を付す)
 名所鸖 すむつるのよはひのべしく筵田の
       いつ貫河のながれ久しも   有長

 こちらは催馬楽の曲名を詠み込むが、同工といえよう。お正月には「向き」ではないだろうか? 四畳半の床に掛けている。

12月26日(日)NY,NY

2010年12月26日 | 昔日記
 苺白書大学のSさんからメールをいただく。画像はNYのクリスマス飾りなのだそうだ。Uちゃんは元気で活躍していますよ…と返信したら、同居人からJFK空港に着いたとのメールが来た。

 Sさんには、よかったらそちらへ行った同居人に連絡してやってくださいましとメールした。

 古記録研究会の忘年会で、今年の主な外出予定は終了。あとは卒論を読み、講義要項を入力し、博論の審査概要書の原案を作って…と、うわ~仕事がいっぱいある。

12月25日(土)忘年会

2010年12月25日 | 昔日記
 古記録研究会の忘年会場は、「厳選洋食さくらい」だった。何回か来たことがある。メンバーの1人Sさんがお気に入りのお店なのだ。画像はメインのタンの煮込み。

 年末年始は松江に帰省するとG先生に申し上げると、稲村先生に渡してよと『UP』を託された。デザートまでしっかりいただき、御徒町から帰宅。同居人と娘はNYへ行っちゃったので、寒々した部屋でブログを書く。

12月25日(土)湯島の白梅

2010年12月25日 | 昔日記
 本郷の大学の古記録研究会にはずいぶん遅参した。2人目の発表の最初あたりで会場に入る。硯筥と柳筥の関係がよく分からず紛糾。有職の専門家に聞けば一発で分かるような事柄だと思われる。

 16:00過ぎに終わったので、忘年会まで2時間ある。会場は御徒町の方で、湯島天神を通って上野広小路まで歩いた。もう白梅が咲いていた(画像)。Iさんは、学生時代、このあたり、久保田万太郎の愛人のお宅に、お茶の稽古に通われたのだとか。

 まだ1時間ほどあるので、G先生や女性陣はゼロ次会とやらで、居酒屋へと上って行かれた。私は、「文行堂」をのぞいてみるべく、皆さんと一旦お別れする。すると、尾道のF氏が付いておいでになった。松坂屋の先、店の位置を一瞬見失うも、無事発見。短冊をざっと見て、2枚買う。F氏も版本を1冊お求めになった。

12月25日(土)「すゞ金」納め?

2010年12月25日 | 昔日記
 10:00から桃夭会の会場を提供しているので、9:00過ぎに大学へ。もう冬休みのロックアウトとなり、事務所もどこも閉まっている。ガードマンの受付で教室のAV施設の鍵を借り、労務の事務所で一本足を2つ借りて案内表示を出す。

筒井紘一先生は、ずいぶん早くお見えになった。そして、向かいの八幡宮へ参詣に行かれたらしい。12:00過ぎまでお話をうかがい、テキストは蓋置に関する一項だけ進んだ。『公事根源』を使って、画題をたくさん知っておくことが大切だとのお話には納得。また、某企業では55歳が役職停年云々というお話にも、会場からは「当たり前だ」という声があがっておかしかったが、亡父の時代は55歳定年が普通だった。物事身につけられるのは20年とのお話にも、身につまされるものがあった。

 H先生やガマン専任先生は、T茶会のお手伝いの慰労会とのことで、高級レストラン?へと向われた。私は後片付けをして、本郷の大学へ向う前に、「すゞ金」で今年最後の鰻重を食うことにする。店に入ると待ち席にお連れが2組。私はどうせカウンターだから、フロアのお姉さまが断ってくださり、先に席へつかせてもらう。1本燗を付けてもらうと、女将に「ありますよ」と声をかけられ、肝焼きも頼む。いやはやご繁盛のみぎり、肝焼きが残っていたとは驚きだ。

 とにかく混んでいたから、「石ばし」で鰻重注文したように時間がかかった。その間、たっぷりと蒲焼のにおいを呼吸して、本郷へ。新年は1月6日から営業のよしである。

12月24日(金)買い物

2010年12月24日 | 昔日記
 同居人は明日からNYへ遊びに行くと言うので、買い物に付き合って運転手をする。クリスマスだからと、シャツとネクタイを買ってもらった。シアトルのA先生へも、プレゼントをお送りした。

 娘はぶ~ぶ~言いながら出勤。基督教系の勤務先なのだから仕方が無い。クリスマスのミサで献金を集める役をさせられるという。終わるのが20:00過ぎだとか。残業手当が出るのだろうね。父親の影響で、結構熱心な職員組合の組合員らしい。ここのところ父と同じく一貫して日本共産党に投票していると言っていたし…

 大掃除は着手する気にもならん。夕食はN氏にいただいたシャンペンを開け、鶏肉を焼いたものにパエリアだった。伊勢丹の地下で買ってきた、ロイヤル・パインズ・ホテル「ラ・モーラ」のシュトーレンを切ったら、これが絶品! 思わず三切れも食ってしまった。

 麻布十番のお稽古事の、歌会始の歌を作る。お題は「葉」。3首出来たが、1首はいささか専門的に過ぎようか。では、どちらを出すかな。お正月系と、飲酒系…

12月23日(木)米騒動

2010年12月23日 | 昔日記
 「越中富山」でトイレに立ったら、酒瓶棚?に「米騒動」なる一升瓶が置かれていた。物騒だな。(笑

 編集会議では、「逢瀬」や「雪隠」が若い人に分かるかどうか問題になったが、どうなんだろうか。分かって欲しいということになる。雪隠はね、トイレっていうんだ、最近はね~♪

 2月からは次の編集会議が始まるらしい。しばし、ひと月ほどの、束の間の休息?

12月23日(木)編集委員会打ち上げ

2010年12月23日 | 昔日記
 同居人の勤務先大学は今日も授業日とのこと。私は16:00からの編集会議に出掛ける。F先生からお宅の柿をいただく。今年は不作だったそうだ。

 パラパラ残っている問題に始末をつけて、後は個別に担当委員との間で処理し、全体としてはまた郵送等で確認することになった。それで、打ち上げを巣鴨駅前の「越中富山」で行なう。ここは全く富山の酒と肴オンリーのお店だ。先付け、刺身、揚げ物、珍味、焼き物と続き、後は鍋になった(画像)。向うにちらと写っているのがF先生である。

 T先生から断簡の時代鑑定を命ぜられる。16世紀末としておけば間違いないと思いますとお答えした。大阪で購われたらしい。チリメン本も何冊か袋に入っていた。

 帝大のM先生と一緒に電車で帰る。年末には本がたくさん出ますねえと、そういう話をしているうちに最寄駅に到着。この駅止まりの電車だった。M先生は1つ先の駅なので、お乗り換えになる。ご挨拶は「よいお年を」だ。

12月22日(水)誕生日

2010年12月22日 | 昔日記
 田渕句美子さんから新著をいただいたので、早速拝読する。拝受ご返報は、冷泉家展の羽子板と百人一首の絵葉書に、ふみの日の50円切手(A君が監修しているやつ)を貼って出す。先週土曜のN学会のシンポジウムといい、やはり学問は日進月歩であるなあ。

 シアトルのA先生から贈り物が届く。うわ~、こりゃお返しが大変だわい。

 さて、同居人の誕生日なので、神楽坂で食事会。同僚K教授が「高い!」と評しておいでの「ソプラアクア」を予約、18:00の開店と同時に入る。流行っているお店だが、あまりにご繁盛のせいか、サーヴィスのタイミングにいささか間然としたところがあったのがやや残念。軽めのコースに、最初はスパークリングのグラスと、ボトルはロッソ1本に留めたので、そんなにはかからず、想定予算の範囲内で収まった。器がなかなかよかった。BGMは、好みだった。

 結局プレゼントを用意したのは私だけで、奮発して「緑の豆」開店7周年記念で安売りしていたブルーマウンテン200g也に、かねて「遠音」でもとめておいた装身具を贈呈したのであった。

 K教授のお住まいはこのお近くなんだよと話しているうちに、K教授が時折「×王様」とお書きになる、やはりご近所にお住まいの御方様のことが話題になった。同居人の専門分野とほんの少しだけ重なるところがあるので、存じ上げている次第だが、お召し物や、最近お体つきがどうこうの…と話の矛先があらぬ方へと向いたので、こりゃ××ハラの域に達する虞れがあるわいと、この話題は打ち切りにした。くわばら、くわばら。

 娘は、校正の仕事が終わらないと、隣の席でスマートフォンを使いながら、印刷業者に確認と指示を出している。いやはや、リストランテでコース料理を食いながら、仕事が出来る世の中である。幸せなのか、不幸せなのか…。

 月がきれいに出ていた。まことに澄み渡る月影であった。 

 昨日A君から頂戴した柚子を湯船に入れて、柚子湯をわかす。

12月21日(火)入構者名簿!

2010年12月21日 | 昔日記
 本屋に立ち寄って何冊か買う。『白洲正子 祈りの道』は、扉写真がものすごくものすごく素敵なので、この前から立ち読みをしては買おうかどうか迷っていたのだが、ついについに購入する。

 研究室受付で、土曜の入構者名簿を出せと命じられた。そうか、冬休みになるのか。とても用意できないとすったもんだ。事務所の担当者と交渉し、主だった参会者名を記し、その他計××名で許していただく。当日は私が門のところで立ち番するという条件だ。

 S教授から12月1日の写真をいただく。う~ん、ライカで撮っていただいただけに、なかなかよい写真である。もちろんモノクロ。遺影に使えそう。

 研究室のドアノブに香り高い柚子が…。A君からの賜り物であった。ありがたく頂戴する。明日は冬至で、同居人の誕生日でもある。

 コース研究室は大掃除?中。雑誌や会報の類をどんどん処分している。もう紙は不要の時代となったのであ~る。これからS寺の研究会へ行く。

12月20日(月)お茶の稽古

2010年12月20日 | 昔日記
 夕方の講義を終えて、神楽坂のお茶の稽古へ赴く。ガマ専任先生がいらした。うっかり扇子を忘れたため、お借りする。

 今日は柄杓の扱いと、空いているほうの手について徹底して注意された。なるほど、と思う。今度は教授会に柄杓を持ちこんで稽古するかな。袱紗のほうはだいぶよくなったと言われた。無駄な時間?は有効に活用すべきだろう。
 
 お仕舞いはかなり遅くなったが、N師匠ほかと「あまくさ」へ行く。予約も入っているらしく、ずいぶん混んでいた。フランス人の三人組が、サンマの塩焼きなんぞをつつきながらカウンターで飲んでいるという図は、なかなか神楽坂らしい光景であった。

 『風にもまけず粗茶一服』の松村栄子さんは、ガマ専任先生とお親しいらしい。先生がモデルの人物が、小説にも登場してくるのだとか。