そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

7月31日(木)

2008年07月31日 | 昔日記
 8月2日までに成績を出せという事務所からの通達については、誤解があったとの謝罪メールが流された。とはいえ、成績をweb上で最終確定し、署名捺印した成績票を提出する。333名などという東京タワーの高さみたいな履修者数の科目もある。何枚も署名捺印するのは大変なんだよね。捺印だけにしてくれないかな。追試を2回すっぽかした学生から、最後のお願いのメールがくる。単位貸しといてやるかな。でも、こういうのって必ず裏切られるんだよね。明日受けに来るようメールを出す。勤務先は現在学部再編進行中だ。旧学部の在籍者については、言葉は悪いが在庫一掃を急がねばならぬ。できるだけ大目にみることにしよう。

 ロビーで次期教務主任殿と世間話をする。通りがかった現教務副主任殿もつかまえて、わが大学の国際化の行く末を話すことしばし。英語で行う授業を増やすよう大号令がかかっているんだそうだ。だったら教授会も英語でやればいいのに。そうすれば早く終わるだろうから。私も英語で授業することになるのかなあ。フランス語なら得意なんだけど(ウソです!)。

 だけど、わが二流大学は、そもそも帝国大学が外国語で授業をするのに対して、日本語で学問が出来ることを呼びものに作られた大学じゃなかったのか。創立者が聞いたら何と思うだろう。私立大学は、しょせん国立大学には敵わんのだから、分を知ればよいと思うのだが…

 研究室に立ち寄ると、博士課程の院生諸君が輪読会を開いていた。近々、成果を注釈として活字化するらしい。感心、感心。ほんとは今日まで、大学院の授業をしなければいけなかったんだよね。

 18:00から研究会。長い箇所だったので居眠りしちゃったかも。2時間ほどで終わり、いつものように「揚子江」で食事をする。「揚子江」は8月10日に閉店するそうだ。研究会の後は十何年にわたって、ここで食事をするのを常としてきた。一抹の寂しさを覚える。目白に本店があるが、まあ、わざわざ食べに行くほどの店じゃないしなあ。「揚子江」の隣に新しいビアレストランが開店している。呼び込みのにいちゃんが「先生!」と声をかけてきたので、見ると、去年基礎演習教えた新学部の2年生君だ。夏休みのバイトか。

 「揚子江」に行けなくなると、同じフロアの「チャイカ」かなあ。でも、研究会のメンバーは70歳代の方も多いから、ちょっと違うような… 結局「五郎八」あたりになっちゃうのかも。あるいは「天天飯店」か。最近行かないなあ。あそこは餃子は美味いんだけど。研究会の発表、次回は私が当たってしまった。

 帰宅したら苺白書大学のH先生からメールが来ていた。8月7日の食事は神楽坂でOKとのこと。どこにするか。「Zio」よかったから、またあそこを予約しようかな。ああ、老母のバースデイプレゼントも買ってこなくちゃ。

7月30日(水)

2008年07月30日 | 昔日記
 T教授による人物評が面白かったので、ご紹介しよう。A氏は神亀、B氏は獺祭だというのである。神亀はガツンとした芯のある味だが、醸造家が目指したいと思う酒、それに対して獺祭は、マイルドで万人が旨いと評価する酒だが…との講釈。なるほど、日本酒に仮託しての人物評とは恐れ入りました。結局、神亀に軍配があがることに。

 事務所から、前期の成績を8月2日までに提出せよとのメールが来る。そんな、web入力による提出は8月5日締切と、以前文書に書いてあったじゃないか! 厳重抗議のメールを送る。朝令暮改だ、事務長出て来い、教授会で追及するぞと脅迫する。すぐに担当者から陳謝のメールが来て、了解したよと返信。採点中の教員は気が立っているからね(次期教務主任殿もしっかり心得ておいてもらいたい)。とはいえ、すべての成績処理を夕方までに完了する。明日、事務所には捺印のうえ、成績票を持って行きます。

 18:00から麻布十番の資格試験。その前に週刊誌記者の取材を受ける。新人記者さんらしいが、ご同僚がわが学部をこの春首席で卒業したOGらしい。ご当人は湘南方面某超有名大学の卒業生とのこと。よく勉強している。実家は深川の煎餅屋だそうだ。面白いねーちゃんだ。

 資格試験のほうは、受験者全員が合格。厳しい採点作業をした後なので、私の評価はあまあまだったかも。「さぬき倶楽部」のビアガーデンで祝賀会を行う。11月公演のシナリオ第1稿も出来てきた。A師匠はこれから新大久保だと。韓国料理ですかい?と聞くと、そうだとのお返事。U先生と途中まで地下鉄をご一緒して帰宅。

 パートナーは背中が痛いとのたうちまわっている。ジムに通って少しトレーニングすればいいのに。マッサージだけでは本質的な治療にはならないと思うよ。

7月28日(火)

2008年07月29日 | 昔日記
 朝から結構ハードな業務。お昼はキャンパスを抜け出して「たかはし」で刺身定食を食べる。北京に帰るR君がコースの研究室に挨拶に来た。チューター役を勤めたK助手が、鰻でもご馳走するとか言っているが、今日は「すゞ金」定休日だぜ。K助手が、ど、どうしましょうと狼狽えたので、「松庵」へ行きランチを注文することを勧めた。

 10:00くらいに始まった業務が終わったのは16:00過ぎ。一息入れて神楽坂へ行く。家族にどこか食事に連れて行けとせがまれている。

 「遠音」に立ち寄ったら、すてきな蕎麦猪口がいっぱいある。この間、姑が娘の蕎麦猪口を割ってしまったので、かわりがあったら見つけて欲しいと頼まれていた。職人さんが書いた風ではない、日本画っぽいテイストの絵付けである。1つ気に入ったのをもとめる。金魚の絵のユーモラスなのもあった。Iさん、どうですか?

 さて、18:00に「Zio」というイタリア料理店を予約しておいた。なんだかんだで、結局イタリアンが安心ということになる。ピザがびっくりするほど美味しい。最初はわれわれだけだったが、ほどなく満席に。なかなか流行っている。ハウスワインもいけるし、ジェラートもなかなか。H先生のご接待は、ここにしようかな。神楽坂は美味しいお店が多いなあ。そうそう、蕎麦猪口は娘に気に入ってもらえました。

7月28日(月)

2008年07月28日 | 昔日記
 どうしても追試をやって欲しいとメールが来たので、11:30に研究室へ行く。ところが当該学生はまたしても現れない。返信がなかったのでいやな予感はしていたのだが…。「貴君の追試の機会は永久に失われた」とドアに貼り紙を残して昼食に行く。

 「すゞ金」はちょうど客の潮目だった。カウンターに座り、最後の肝焼きをゲット。ビールは小瓶にしておく。御新香が供されるタイミングが遅いと、隣席のじーさんがぶつぶつ言っている。こんな鰻重を16$でいただけるんだから、あなた、文句を言ったらバチが当たるというものだ。

 図書館の会議は13:00からなのだが、12:40に会議室に到着。自分で出席者リストにチェックを入れ資料をいただく。それから書庫へ行って本を1冊借りてきた。定刻に始まった会議は15分で終了。20分前に来て、会議時間はそれより短いとは。素晴らしい!

 帰りがけに副館長殿とばったり。ちょっと話があると館長室に招じ入れられた。追っ付け特別資料のF調査役もやってきて、要するに図書館のDBをどのように利用して、社会的にも学内的にもアピールし、かつこの公開事業を持続する体制をどうやって構築するかという相談である。私は今回、このDBを使ってweb試験をやってみたし、何でも協力したいと思っている。シンポジウムやるなら喜んでパネラーになろう。とにかく、ウチの図書館の公開姿勢はすごい。他の大学の追随を許さない。同じ学内でも博物館とは考えが違う。博物館は資料を見せようとしないからな。ウチの大学の宝は図書館である。間違いない。学生の奨学金を削ってでも、図書館を充実させるべきだ、と私は思う。大学に寄付金を出す気はこれっぽっちもないが、このDB事業への指定寄付だったら、喜んで出してもいい。

 研究室で採点の続きでもしよううかと思ったが、あまりの暑さに直帰を決め込む。まだ早い時間なのでジムへ行く。1時間ほど有酸素運動とウェイトトレーニング。腰痛はかなり改善した。尻の両脇を鍛える機器を使うと、痛みが拡散する。脹脛はもう筋肉しかない。ぼこぼこに割れてきた。日ごろから88㌔のウェイトを支えているせいだが、可愛そうな我が脚よ。それにひきかえ、腹回りのメタボ脂肪は全然減らぬ。「すゞ金」がいけなかったか? 明日もやっかいな秘密業務である。

7月27日(日)

2008年07月27日 | 昔日記
 国際短歌大会の披講所役を務めるため、10:00に神楽坂へ行く。モーニングコートが結構重い。靴を入れているからか。会場で入念な練習を行い、食事の後、着替えをする。

 参会者は100名近くになった。記帳にK教授のお名前を確認したが、ご挨拶もできなかった。読師を務める。終わってから、苺白書大学博士候補生のSさんに声をかけられる。図書館利用カードの交換はうまくいったとのこと。そのまま食事会に出席。終わりのほうでスピーチをさせられるが、いつものようにおちゃらけた話になってしまいました。入選歌を皆で披講。これはよい趣向だったな。

 雨がぱらつく中を帰宅した。メールチェックすると、苺白書大学のH先生、日本においでになったらしい。今月中はお忙しいようなので、8月になったらお食事でもと思う。NYでは本当にお世話になった。

7月26日(土)

2008年07月26日 | 昔日記
 今年の海軍記念日の日に、学部時代の同期生が急逝した。一人娘も私の娘と同じ年齢で、とても人ごととは思えない。ご遺族はたいへんなショックだったようだが、葬儀は内々でするとのことで、弔問できなかった。七七日の法要を済ませたとのハガキをいただいたので、未亡人に手紙を送り、鳩居堂からお線香を送った。

 そのまま麻布十番へ。明日の国際短歌開会表彰式の練習である。A師匠は遅参されたが、手際よく習礼を行い、I主宰の先導で「永坂更科本店」へ。締めに蕎麦を注文。「大盛りの方は?」と聞かれたので、「ボクは蒲田」と言ったら店員さんに苦笑された。ああ、おやぢギャグ!

 少し飲み足らなかったので、Mさんと「山忠」で1杯だけ飲んだ。隅田川の花火大会をTV中継している。そういえば電車の中でも浴衣姿の女性を多くみかけた。娘は「よさこい」の社会学的調査だとか。この暑い中、ご苦労なことだ。

7月25日(金)

2008年07月25日 | 昔日記
 研究費で購入したPCとソフトを、中央図書館のMさんに届けた。データ処理をお願いすることになっている。ついでに総合閲覧のK課長のところに行き、皆さんで召し上がってとお菓子をお渡しする。先日来、莓白書大学博士候補生の利用カード発行の件でたいへんお世話になったお礼である。気は心というが、言葉だけでは心は伝わらないのである。

 そのまま本部キャンパスで、16:00からの会議に出る。T常任理事の諮問委員会であり、T教務部長が所管。つまり、この間の団交の相手である。T先生、今日は機嫌がよい。この人は機嫌のよしあしが外からはっきりわかるのが欠点だな。臨の席のA委員が鋭い発言を繰り返していたが、会議自体は生産的な方向で進んだ。J学部のI委員からも、なかなか重みのある発言があった。Iさんは助手を一緒にやった仲間だが、パートナーの姉の配偶者の、高校時代のクラブ=ワンゲルの先輩という関係もある。××君はどうしてるの?と聞かれたので、B社の重役になって世界を飛び回ってます、と答えておいた。

 研究室に戻って一服。18:30からは学内学会の委員会。私は事務局担当なので外せない。会議自体は、スムーズに進んだ。組合の引き継ぎ打ち合わせに遅参して間に合う時間だが、今日はサングラスを持ってくるのを忘れたので、組合活動はやめておくことに。執行委員営業中の顔と、そうでない時の顔を、画然と分けることに決めている。

 組閣人事の風聞が、少しだけ耳に入ってきた。安定感のある内閣になるようだ。O次期学部長らしいなと思った。大海を行くには舵取りに頼る(文革時代の中国か!?)。乗っている船がまず、沈没しないことが何より肝要だからな。

7月24日(木)

2008年07月24日 | 昔日記
 大学院の授業は7月31日までしなければならないことになっているが、さすがに今日で終わりにする。午前中は北京からの研修生Rさんを相手に、修士論文の序文について細かくコメントした。最終的には添削したものをお渡ししなければならないが、日曜まで予定がびっしりなので、なかなか対応できない。今月末で帰国するので、それまでに何とかしなければ。学部2年の演習の教場試験欠席者に、追試をしてやるから来いとメールしておいたのに、やって来ない。もう知らないよ。学生さんは何でも自分の勝手次第だ。学費払っている者は強いよなあ。当方、まったくサービス業である。組合なんか糞くらえだ。だから近所には、職業は夜の接客業だと触れ回ってある。

 博士課程の研究指導は、久しぶりにHさんの報告を聞く。長年かけて詰めてきた研究成果。優に論文2~3本分の内容で、そのまま修士論文1本分の核にもなるぞという感じだ。Hさんは出産・育児に追われ、しばらくブランクがあったが、秋からは本格的復帰ということになるだろう。少しまとめて研究業績が出せるよう、アドバイスをしたいと思う。さしあたって12月くらいに学会発表ができないかな。

 修士の演習は、新国立美術館の「春敬の眼」展の参観に振り替えた。15:00に地下鉄改札に集合し、乃木坂へ行く。伝西行の未詳歌集切や冷泉為和筆源氏物語などなど、じっっくりと見る。手鑑は姫路切のところが開けてあった。Eさん、よかったね。

 浅草へ移動。田原町で降りて、10名ほどで「飯田屋」へと向かった。大学院と研究会の、前期の合同打ち上げである。「飯田屋」高いんだけどなあ、と心配だが、Nさんが、お住まいの近くのせいか、思い切って予約してくれた。

 アフリカ系アメリカンの巨漢Hさん、長身の米国人Sさん、それに中国人Rさん… ぞろぞろっと二階にあがると、他のお客は怪訝そうな顔をする。わはっは、こりゃ一体何の集団か?

 さて、丸を10人前に、つまみをちょこちょこっと頼む。あとはビールをどんどん飲む。そういえば去年は「駒形どぜう」だったな。すると来年は高橋(たかばし)の泥鰌屋にするかな。Rさんに聞いたら、泥鰌は中国語で「ニージャウ」と発音するんだそうだ。「後深草院泥鰌」じゃなかった「二条」ならば、今日のHさんの研究発表だ。わっはっは。

 早めに仕舞いにして、浅草寺の境内を歩き、仲見世を通って雷門の前で解散。Nさんたちはお茶を飲みに行くというが、Sさん、Oさんと3人で「神谷バー」へ。ビールと電気ブランを飲みながら、少し情緒的な話をする。いや、いろいろと難しいねえ。情緒的な話は苦手である。とかくこの世は生きにくい。早く死ぬるにしくはない、と私は思ふ。

 帰宅したが、そんなに遅い時間ではない。パートナーもまだ帰ってきていない。京都のK氏に電話して、12月の研究発表に枠がないか問い合わせた。ちょうど1人分空いているという。うちの院生にやらせたいと申し込んでおく。今日は万事うまくいった感じ。わっはっは。もう寝よう。添削、明日でいいや。

7月23日(水)

2008年07月23日 | 昔日記
 web試験の事故者対応に時間をとられる。時間制限を設けたために、誤って白紙答案を提出した人が結構いた。そのためにリハーサルを設定したのだが、皆がちゃんと受けてくれたわけでもない。どうも明らかなカンニング答案もある。厳しく対応することにしよう。

 東京国立博物館へ資料熟覧に行く。13;45に西門集合。今月の教授会で博士学位授与が決まったMさんにお祝いを渡す。それから昨日S賞の受賞が決まったWさんにお祝いを申し上げた。皆それぞれにご活躍である。

 資料熟覧は台の上に広げられた巻子本を立ったままで拝見した。この歳になると2時間立ちっぱなしはいささかきつい。しかし、面白い問題が次々と浮かび上がる。江戸時代に修補されているのだが、その際なのかずいぶん加工がなされている感じだ。しかもそれが実に巧みで、肉眼ではなかなか見分けがつかない。藤原定家の自筆本なのだが、塗箱の銘は小堀宗甫で、松平治郷の旧蔵品(雲州蔵帳所掲)だから、もしかしたらこれら定家流の手練れが何か細工したんじゃないかなと勘ぐりたくなってしまう。もう1軸の末尾には大経師の書き付けがあった。Mさんに解説してもらう。元禄三年の修補とある。この問題はMさんが論文にするようだ。

 帰りに六波羅蜜寺の仏像の展観を見た。薬師如来坐像は頭と体のバランスが悪い。違うものをくっつけたんじゃないかと、資料熟覧をした眼には見えてしまった。(笑

 18:00から会議なので大学へ。メールチェックして、会議室に向かう。スケジュールを話し合い、今後にかかわる重要事項をいくつか話し合った。私から原案を提出したが、これは夏休み明けに検討してもらうことになった。さて終わったのが19:15。教員組合の春闘団交が始まる時刻である。団交に行こうかなとふと思ったが、昨日の今日だし、まあいいか。

 「太郎月」の前を通りかかったら、お客が誰もいなかった。水曜は、河岸が休みの日は休業なので、開けてもお客が少ないのだそうだ。喉が渇いたのでハートランドビールをいただき、続いて越乃景虎を飲む。この間女将さんに差し上げた、超レア物、京都は東山三条、亀仙工房の手拭いを、帯のあしらいにしてくださっている。すずしげな水玉柄だ。嬉しいねえ。客は私一人なので、「日×10」の文字ゲームと、「天国と地獄」のゲーム?を女将さんにお教えした。学生にウケるネタである。女将さん、真剣に解いているのが可笑しかった。するとお客が入ってきた、その客に後はよろしくと声をかけて失礼する。

 団交サボって飲んだのがいけなかったのか、アルコールがかなり回って苦しくなった。組合の祟りか? ここのところどうも胃のあたりがしくしく痛む。食欲もない。夏バテなんじゃないかと思う。家に帰れば論文の添削だとか、山のように仕事がある。明日は大学院の前期最後の授業だし…。あっ、試験の採点がまるまる1科目分残っていた! どこまで続く、(泥濘ならぬ)この暑さ~♪ と軍歌の替え歌を口ずさみながら家路を急ぐ。「討匪行」ならぬ「逃避行」がしたいものだ(ふふふ、戦中派ならずは分かるまい)。

7月22日(火)

2008年07月22日 | 昔日記
 今日はweb上で学期末試験を実施する日になっている。0:00から23:59まで好きな時間に受験できるのだが、カンニングし放題と思いきや、意外にも教室で試験するのとそんなに結果は変わらない。今回から時間制限をかけられるシステムを導入することができたので、各自受験をスタートして、90分以内に答案を提出するよう設定した。採点もweb上で行う。何人かの教育コーチにスタンバイしてもらっている。

 専門演習の教場試験を採点した。試験の得点に出席状況を加味して評価を決めていく。成績はまあ、優・良・可・不可(何種類かある)となるのだが、優は3割以内という申し合わせもあるので、だんだん自分でも成績が辛くなってきたのがわかる。優はA+とA、良はB、可はCである。昔はA・B・C・Dとなっていたが、教員というやつはBをつけるのが心理的に楽なのだ。したがって点数が昔に比べて辛くなっている。A+なんかほとんど1人か2人しかつけないもんなあ。

 19:00から教員組合の団交で、18:00に打ち合わせに集合と連絡がきていたから、大学へ行く。途中、神楽坂で降りて、「緑の豆」で珈琲豆と水出しアイスコーヒーのペットボトルを買った。研究室に寄ると、コースの部屋で院生や学部生ががやがややっている。Iさんが分厚い専門書を熱心に読んでいるので、聞いてみたら訓点語の授業の勉強だそうだ。この科目はイタリア人の非常勤講師の先生が担当している。わがコースはまことに国際的なのである。Iさんは金魚が好きらしい。金魚柄の扇子を見せてくれた。私も「あひろ屋」の新柄の出目金の手ぬぐいを見せた。男持ちに、黒出目金柄。Iさんとは木曜に国立新美術館に行くことになっているから、赤出目金柄の手ぬぐいを進呈しようかな。夏合宿の幹事長で苦労しているし、ご褒美をあげなくてはね。

 18:00ちょうどに教員組合に着いたら、誰も来ていなかった。書記局の方々と世間話をして待つ。18:00集合だと、打ち合わせが始まるのは18:20からだとか。それなら最初からそう言ってよ!そのうち書記長が見える。夕食が届いたので食べるよう言われた。

 私は会議などでやたら食事が出るのには抵抗感がある。ところが組合では、食事が供されることが常態化しているようだ。まあ、食事時に会議をするなら仕方ないが、18:20だったら食事はいらんだろうと思う。しかし、今現在執行委員というわけでもないので、黙っていた。書記局の斜め前のY寿司のちらし寿司でありました。

 19:00過ぎから大学本部棟で団交が始まる。一番後の真ん中の席に座った。組合側は9名で、遅れて2名が加わった。さびしい団交である。大学側はT理事とT教務部長に事務方という陣容だ。T理事はずっと女房役を務めていた先生だし、T教務部長は同時期に教務主任をやっていた人なので、なんだか変な感じである。T理事の父上は警視総監、T教務部長の父上は右翼の大物だったので、迫力が違いますな。

 本題に入る前のやりとりが延々と続いた。付属校の定年を新規採用者から変更したいという提案の説明会を開く日程が不適切でけしからんと組合側は主張している。書記長はどなっている。T理事は目を合わせずに、扇子をぱたぱた使っている。T先生、ご機嫌斜めであること手に取るようにわかる。長いこと隣に座って女房役を務めてきたからね。ついついT先生をお助けしたくなるが、おっと、今は立場が違うのであった。しかし、聞いていてばかばかしくなってきた。遠隔会議システムやオンデマンドを使ったらいいじゃないか。付属校からの執行委員のY君が隣に座っていたので、ネット使ったらいいんじゃないの?と囁いたら、いやそれは、とか言う。Y君は私が付属校の教諭をしていた時の教え子なのである。度量の狭いやつだな。

 T教務部長はさすがにどすが利いている。書記長の声はキンキン響く。委員長はぼそぼそ何いってんのかわからない。教研部長は明瞭なお人のようだ。N副委員長は相変わらずせっかちだな。途中で話の筋道が分からなくなった、21:00を過ぎると私は眠くなる。どうも居眠りをしたに違いない。鼾をかかなかったかな?

 終わったのは3時間後。N副委員長によれば、今日は軽い断交だったそうだ。こんなことが毎日のように続くことになるのか。組合も大変だけれど、本部役職者も大変だな。T先生に心よりご同情申し上げる。

 家に着いたのが23:30近く。すぐにweb試験を確認すると、案の定、PCのトラブルで答案が提出できなかったと泣き言のメールがいくつか届いている。善処方を指示する。教育コーチのKさんが、もうどんどん採点を始めている。おいおい無理しなさんなとメールを送った。

7月18日(金)

2008年07月18日 | 昔日記
 昨日実施した教場試験科目の成績を事務センターへ提出しに行く。インターネット上で入力・確定できるシステムになっているのだが、プリントアウトした成績表に署名・捺印して提出しなければ、正規に受理されない仕組みになっている。インターネット上で捺印はできないから、面倒なことこのうえもない。

 14:00から委員会。予定は2時間だったが、1時間で終了した。少々、こまごまとした雑務をこなす。17:00に北京から来たR君が研究室に見えた。修士論文の序文について話す。それから、K助手と3人で大学構内のホテルの和食レストランへ。R君は今月末に帰国するので、チューター役を務めたK助手と一緒にご馳走した次第。刺身がいいというので、お寿司のコースにする。記念品として、R君が専門としている歌題の部分を含んだ、室町後期写の新古今和歌集の断簡を進呈する。最近、外国の方への引き出物?には、古筆切を使うことが多い。一点ものだし、内容を吟味すればたいへん喜んでいただける。文化財の海外流出と言われるかもしれないけれど。

 お腹いっぱいになったが、「太郎月」で軽く仕上げをする。ここは大学の周辺で最も美味い飲み屋だと説明した。「越乃景虎」純米吟醸酒をまず飲んでもらった。米の味と水の味が、実に微妙に舌の上に染み透っていく。

 R君を池袋までタクシーで送って、帰宅した。

7月17日(木)

2008年07月17日 | 昔日記
 昨日の教授会は20:15までかかったんだそうだ。私が17:00前に抜け出してから3時間以上! 開始からだと6時間以上か。主要議題はだいたい継続審議になったらしい。現在の学部長・教務執行部による最後の定例教授会なので、最後まで残っていて拍手するのが礼儀とつきあったんだけど…とカリキュラム委員長のI教授はぼやいていた。麻布十番の御稽古事が終わって、「もち玉」でMさんと飲み始めた時刻まで続いていたとはねえ。

 さて大学に着くと、そのまま検収センターへ。Hさんに昨日の入力ミスを詫び、ウチの近くのパン屋で買ったお菓子を少し差し上げる。気は心というが、大切なことだと思う。職員の方々に支えられて、我々は教育も研究もはじめてできるのだから。それから図書館へ回って、オープンキャンパス向けの展示について話した。

 卒論演習の最終回。かなり下書きを作ってきた学生がいた。今後の指導体制について打ち合わせて、時間を超過して終了する。すぐに成績をつけ、取り纏め役のT教授のメールボックスに入れておく。成績システムにも入力を行った。

 博士の研究指導はOBのK氏の発表を聞く。私家集史の重要な問題を扱っているので、俄然興味がわくテーマだ。私は結局、私家集研究者なんだという自覚がある。S集の位置づけは、その影響のほうからも検討すべきではないかと意見を言っておいた。

 修士の演習は、後期に読むテクストを決め、担当箇所をあてがった。来週は国立新美術館の展観を、希望者と一緒に観に行くことにした。

 5限と6限は教場試験である。H教授と2人で担当している科目なので、それぞれの問題を解いてもらって、即座に採点した。幸か不幸か履修者が少ない科目なので、成績処理は神速で終了。今日は3科目分の成績がついた。いくぶん心が軽くなった。

7月16日(水)

2008年07月16日 | 昔日記
 午前中、研究費による機器の発注を行った。某理工学部の超大物教授が研究費の不正を行って以来、3万円以上の物品購入は検収センターを通さなければならなくなったので、まことに面倒である。案の定、研究室受付の係の人に、検収センターのHさんが先生を捜していましたよと言われた。慌てて電話すると、発注システムの入力にミスがあったそうだ。費目と会計箇所に誤りを指摘された。今回はセンターの方で直しておきますと言われ、平謝り。お菓子でも持って、改めて誤りに行かなければ…。

 14:00から教授会である。今日は議題が多いが、さくさくと進んでいくなと思いきや、やはり暗礁に乗り上げた。17:00近くになったので、今日は途中退出する(先月はA教授に睨まれて逃げ出せなくなった)。後に私が委員長を務める委員会からの提案議題で、継続審議になっているのが残っているが(学部長のアホが後回しにしやがった!)、もう知らないよ。会議室を出ると、反執行部的お立場の教授お三人が鳩首会談中。報告事項のところで学部長をやっつける段取りをつけているのが聞こえる。学問しないで、こういうことばかりに血道を上げるって、一体どういうことなんだろうなあ? あなおそろし。紅旗征戎、吾が事に非ず。

 そういえば次期学部長から、副学部長人事について提案があっった。副学部長は2名置かれることが決まったが、正副の3名とも「大」で始まる苗字の先生になったのはおかしかった。次期学部長にそのことを申し上げると、偶然偶然と笑っておいでになる。「三大」なんとやらだな。

 さて、教授会を後にして神楽坂へ。一昨日N君が結婚したと聞いたので、「ラ・カーブ・イデアル」から紅白のワインをお祝いに送った。それから麻布十番の御稽古事へ。参会者は少なかったが、国際短歌大会表彰式の練習をみっちり行った。私はまたぞろ読師である。I主宰のお歌がすばらしい。一番の出来なんじゃないかな。

 帰りにMさんと「もち玉」で飲む。Mさんはホッピー、私は獺祭を注文。前の扉が開け放ってあるので気持ちがよい。店長さんが変わったらしい。フロアのお姉さんもフレンドリーな人である。店長さんは広島の出身だという。名刺をくれた。

7月15日(火)

2008年07月15日 | 昔日記
 痛風の病院へ行く。数値はあまりよくない。ジムに通ってもすぐに体重が落ちるものでもないそうだ。代謝がよくなって、それから減量していくという。

 最寄駅から大学までバスに乗った。そうしたらF准教授が乗ってきたので、お宅の院生を1人ウチにスカウトできないかねと相談したら、彼は就職志向が非常に強いんですよねと言われた。なかなか筋のいい人なので、もったいない気もするが、大学院は高学歴になればなるほど就職難になるからなあ。学問的に才能のある人でも、きちんと就職の世話までできる自信はない。だから最近、大学院進学の相談を受けると、もっぱら東大へ行きなさいと勧めることにしている。某君なんか先生にウチに来いと言われたがってるんじゃありませんか?とF准教授は言うが、そんなオソロシイことは私の口からは申せません。

 10:30から会議なのだが、30分前に大学近くまで移動できた。通院の日は朝飯抜きなので、「黒猫」でモーニングセットでも食べようと上がっていくと、ちょうどH教授がコーヒーを飲んでいらっしゃった。H教授とは学部の授業を2つ一緒に担当している。本来はK教授と三人で担当する科目なのだが、K教授が入院されたため、春学期は2人で分担した。ところがそのK教授が、秋学期も授業を持つことが難しい旨の連絡があったと、主任のT教授から昨日言われた。急遽H教授と相談しなければと思っていた矢先、ちょうどよかった。調整はうまくいった。今夜私からK教授に連絡して、了解を求めることにしよう。非常によいアイデアが浮かぶ。我ながら傑作だ。

 会議の前に、H教授との調整結果をT主任にお話した。T先生も安心されたみたい。さて、会議は15:00過ぎまで延々と続く。昼食を食べそびれた。モーニングセットだけではもたないよ。ようやく終わって、吉野家で牛丼の並をかきこむ。久しぶりの牛丼。ニューヨークで食べてくればよかったな。

 J准教授のところで秋の学会発表の下発表をさせてもらっていた院生のEさんが、研究室に顔を出した。J准教授も一緒だった。どうやらうまくいったみたいだ。細かな修正点の指摘を受け、いろいろ資料も教えていただいたという。これでほぼ完成だな。後はひたすらブラッシュアップ、読み原稿の推敲である。今のところ22分で収まるようになっているそうだ。発表時間は25分だが、少なめにしておくにしくはない。年に1回の学会発表と、1本の論文発表はいいペースである。

 17:30になったので「Cafe Goto」に行く。Nさん、Mさんと待ち合わせて19:00まで校本データ点検の打ち合わせを行う。必要な機器とソフトは明日注文しにいこうと思う。分担も決めたが、アルバイトの院生を2人徴発しなければ。字の読める院生があまり思い浮かばない。今、鎌倉の女子校で教諭をしているOさんみたいな人が、何人かいればいいんだど…。ひらがながちゃんと読める修業だけは、きっちりとやっておいてほしいものだ。

 帰宅したら京都のA氏から電話がかかってきた。しばらく世間話をする。A氏は最近よく電話してくる。K先生にお電話して、秋学期の科目担当に関するH教授との調整についてご説明した。了承していただくことができた。これまた明日、事務所へ行って講義要項の変更などについて相談してこなくては。

7月14日(月)

2008年07月14日 | 昔日記
 今週は前期最後の山場である。1限目の演習は教場試験を実施。30分くらいでできる簡単な問題にしたが、45分ほどかけて、提出してもらった。それから雑誌を配り、先週欠席した人に、秋学期の発表担当箇所を割り振って終了する。それにしても、試験をすると出来不出来、大きな差が出ますな。

 11:00から卒論指導を1件入れた。就職の内定が出たそうで、これから落ち着いて卒論に取り組めそうだと報告を受ける。テーマの方向性もかなり絞られてきた。目次や内容構成について細かな指示を出す。

 昼食はパートナーと「すゞ金」へ。注文してから、隣の郵便局へ走り、自分の論文が掲載された雑誌を4人の方々に送った。店に戻ると、中国文学のI先生が召し上がっている。I先生はパートナーの中国語の先生だった方。ご挨拶して、瓶ビールを2人で1本だけ飲んだ。

 教育学研究科の授業も、前期最後の発表を聞く。ちょっと調べが大雑把だった。用例をもっと検索しないと、細やかな考察はできませんぞ。後期読むテクストについて相談。28日もやりますか?と聞くと皆いやそうな顔をするので、後はメールで担当箇所を調整することにした。講師控え室に顔を出すと、非常勤で出講しているN君がいる。4限が終わったら研究室に行ってもいいですか?といわれたので、どうぞどうぞと歓迎する。来週は祝日なので、学部の授業は今日で終わりだからな。受付のKさんにプリンをもらった。先週の飴のお返しだろう。自学部キャンパスへの帰り、「Cafe Goto」に寄ってアイスコーヒーを飲む。明日、17:30から打ち合わせを行うので、席を予約しておいた。

 17:00過ぎ、N君が研究室にやってきた。ちょっと行こうよと「AMA」に誘う。おつまみを品々頼んでビールを飲んだ。6月に結婚したんだそうだ。知らなかった。お祝いに赤白のワインでも届けておくかな。N君は、大雑把にいえばサークルの後輩である。縁あって修論の副査もつとめた。指導教授だったT先生が昨年急逝されたので、頑張って博論を出す準備を進めているという。大いに激励しておきました。

 「AMA」で生ビールを4杯飲んだのはまずかった。顔を石鹸でジャブジャブ洗い、水を大量に飲む。19:40からは夜学の教場試験。60分ほどで切り上げることができた。私は納得の行くまで時間を与えて答案を書いてもらう主義である。しかし、全然できてない人もいる。どうしたものかなあ。歳とともに成績評価はどんどん甘くなっていく。 

 パートナーは法政大学で所用があったので、飯田橋で待ち合わせて一緒に帰宅した。僻案抄に見える定家の受けたインパクトというテーマが、ここのところ夫婦間の話題となっている。電車の中でもすっとそのことを話した。