そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月31日(火)

2010年08月31日 | 昔日記
 29日から、大学院の研究室合宿で戸倉上山田温泉へ行った。幹事のK君が長野のご出身なので、探してくれた宿での開催とあいなった。他に客は居ず、閑散としていたが、単純硫黄温泉の源泉掛け流しで、なかなかようござんした。29日は新潟の学会シンポジウムに出てから回ろうかとも思ったけれど、この歳になるといささかしんどく断念する。

 仕事や急病で来られなくなった人も出たものの、まあ、ほぼ予定通りの研究発表漬けとなる。当地は「姥捨山」の近くであるわけだが、山容どころか照る月も見で終わってしまった。「オバステ正宗」のワンカップというのをK前助手が買ってきたので、少し分けていただく。すっきりとした飲み口だ。

 上田に出て、新幹線で帰る。上田の街も久しぶりで、飯島商店へ行き、「みすず飴」を松江の老母へ送り、ルバーブのジャムなんぞを購入した。上田高校は隣の研究室のT教授の母校だが、昔、高校教諭をしていた頃、バスケット部を引率して練習試合に行ったものだ。

 いったん家に戻ってから、教科書会社の編集会議に出掛ける。16:00開始で晩飯が出て、少し早く終わるかと思いきや、やはり21:00近くまでかかったが、なかなか捗らない。帰路、帝国大学のM教授から、新潟の学会の様子をうかがった。

8月28日(土)

2010年08月28日 | 昔日記
 ここのところ徹夜で仕事をしているので、眠くて眠くて仕方が無い。今日はまた炎天の下、茶道の勉強会に行く。10:00きっかりに御茶ノ水の会場に到着。筒井先生は30分ほど経ってお見えになった。私はといえば、明日から大学院の合宿なので、明日のcucumberの会は欠席することになる。そこで、季節のご挨拶をガマ仙人先生に託しておいた。

 茶の趣向立てに『公事根源』が参考になるというお話は、なるほどと納得。月に駒牽を合わせるのは、「望月の駒」だからか。本歌は紀貫之ですわいな。

 家人が貧血気味なので、レバーとニラと豆腐を買ってきた。今夜はニラ豆腐と、レバーの赤味噌煮込みを作ってさしあげましょう。

8月25日(水)

2010年08月25日 | 昔日記
 神保町でO社長と待ち合わせ、「こんごう庵」へ連れて行っていただいた。越後の酒と肴を豊富に揃えたお店で、お酒もリーズナブルなお値段。越乃景虎を頼んでいたはずが、途中から勝手に麒麟山に変わっていたような…。まあ、いいわ。景虎の梅酒というのも飲んでみた。〆には「へぎそば」をいただく。ありがとうございました。

8月24日(火)その2

2010年08月24日 | 昔日記
 向源寺の駐車場脇の建物に「観音検定」の立看が。きょうび、何でも検定だな。

 米原は番場の蓮華寺を最後に拝観する。ここは北條仲時ら432人が集団自害した地、太平記の世界であるな。米原駅から新幹線で帰京。駅で「走り井餅」を買った。東京駅でも、平田牧場のコロッケ1つ200円也(高い!)を人数分買って帰宅。「桑酒」飲んで絶句した。

8月24日(火)

2010年08月24日 | 昔日記
 白鬚神社からスタートして、湖北・湖東の寺社探訪に同道する。

 画像は羽衣伝説の「余呉のうみ」。
   余呉のうみに来つつなれけむ乙女子が
     天の羽衣乾しつらむやぞ  曾禰好忠

 赤渡寺、石道寺、鶏足寺、己高閣・世代閣、向源寺…と拝観、あたかも観音巡りである。「こちらの観音様を拝すれば、コロリと極楽浄土へ行けます」とは、浄土が違うような気もしたのだが…。

 無住のお寺も多く、地元地区の方々が交替で管理に当たっておられるという。仏像等の盗難が実に多いそうだ。「桑酒」なる面妖なものを、土産にもとめてみた。

8月23日(月)

2010年08月23日 | 昔日記
 長浜市で行なわれた古記録研究会の原本調査に参加。23日午後はチャーター舟で竹生島詣をする。舟で島を一周してもらう。湖面はところどころ「鏡の如き」で、入道雲が映っていた。

 宝物殿を観ていたら、S君から電話。博論のチャプターの件らしかったが、後日にしてもらった。教授職を年中無休、24時間営業でやっているわけではないわいな。

 今津に上がり、夜は「湖上月」を見る。

 

8月21日(土)

2010年08月21日 | 昔日記
 昼食は外で食おうということになり、「SuraBaya」というインドネシア料理のチェーン店に行く。「空芯菜とセロリのサラダ」には、肝心の空芯菜が入っていなかったような? あとは「焼きビーフン」「揚げ豆腐と野菜のサンバル炒め」、それに若鶏と羊のサテを取った。

 インドネシアへは一度だけ行ったことがある。最初の夜食ったナシゴレンがゲゲゲッというようなシロモノだったので、インドネシア料理によい印象は持っていないのだが、キンタマーニ高原(「金玉」ではない!ただし語源は如意宝珠の意なのだそうだが)で食ったサテは美味かった。今日の若鶏のサテは、正しくピーナツソースがからめてあって、往時を思い起こした。

 さて、「Surabaya」と聞けば当然誰しも「スラバヤ沖海戦」を連想しようが、駆逐艦「雷」(艦長工藤俊作中佐)が行なった敵兵救助は、忘るまじき戦場美談であろう。

 支払いの時、お店の人に「スラバヤ沖海戦」を知っているか尋ねようかと思ったが、止めておく。コラソン、デメロン、デメロンメロンメロンメロンメロ~ン、こら損~♪ と唄いながら店を出た。

 家人は新橋の「インドネシアラヤ」へ行ったことがあると話していたが、あそこはもう閉店したんじゃなかったかな? しかし「indonesia raya」といったらあなた、インドネシアの国歌ですがな。

8月20日(金)

2010年08月20日 | 昔日記
 「ゲゲゲの女房」の話題の続き。村井修平(風間杜夫)が歌っているのは「Corazón de Melón」だが、ここは森山加代子.verですかなあ。

 森山加代子といえば「ズビズビズ―」、はたまた「じんじろげ」か。「じんじろげ」は三高寮歌が元で、さらにルーツはインドの歌らしい。「パイのパイのパイ」の元歌は、いうまでもなく「東京節」ですが、遡れば「Marching Through Georgia」となるわけで…。それが、「もしもメロンに 生まれたら あたしもスターになれたのに~♪」ときたもんだ。それを思うと、知らず知らずに泣けてきますわいなあ。
 
 私的にベストは、「五ひきの仔ブタとチャールストン」です、はい。まあ、"Pocket Transistor" をAlma Cogan.ver聴き比べるのもすてき。 でも、一番好きだったのはFrance Gallだったかも。「にんぎよ~」と唄う日本語.verあり。

 こういうパターンだと、Peggy Marchなんぞもありまするな。ちょ、提灯が~。…60年代ポップス談議でした。

8月18日(水)その2

2010年08月18日 | 昔日記
 帰宅すると、娘が、松屋銀座の「ゲゲゲ展」を観に行った土産のTシャツをくれた。

 娘は私が「ゲゲゲの女房」を何度も観るので、すっかり呆れている。まず1回目はストーリーを辿って、台詞の雲伯方言(つまり「出雲弁」)を楽しむ。そして次に、セットの細部を確認する。神は細部に宿るのだ。NHKの時代考証恐るべし。

 台所の棚の上には「チキンラーメン」が3袋積んであり、その隣には「あけぼの印の鮭缶」が重ねられている(さらに「サバ缶」も見える)。この「チキンラーメン」は、いつ「出前一丁」に変わるだろう。冷蔵庫の上の「クリープ」の瓶にも注目。まあ、これらの「商品」はうまいことボカされている。流しに置かれた「カネヨ」のクレンザーの箱に、「カネコ」と記されているのも笑える。それから、登場人物がかけている眼鏡も、年代とともに細かく変わっていく。布美枝が取得した免許証の本籍が、「島根県境港市」となっていたのも、きっとワザとに相違あるまい。虚実皮膜のあわい、いや~、実に細かいものである。

8月18日(水)

2010年08月18日 | 昔日記
 麻布十番のお稽古事に行く。今週もU先生、A師匠とほぼ同時に稽古場へ到着。一番乗りはHさん。

 この暑さで誰も来ないのではと思っていたのに、新入会の熱心な方々が結構お見えになった。初心の基本練習で、甲調をおさらいしてから、乙調に移る。A師匠はずうっと喋りっぱなしなので大変、割り稽古?のように進められたせいか、途中で乙と甲の旋律を混同なすってしまった。そこをすかさず、「丙調ですかい?」と冗談を言って、「へいちょうは上等兵の上」と続けたところ、ふふふと笑ったのはU先生だけであった。…まあ、誤調の下でもありますがね…。

 乙調の説明に関連して、A師匠に促がされて冷泉の乙を歌わされる。歌い出すと、しまった、発声は師匠だったんだと思った時は後の祭り。結局初句から合唱してしまいましたわ。冷泉はぶつぶつ、切れ切れなので、歌いやすい。

 お稽古は20:00に終了し、幹部会に顔を出す。公演に向けての方針固めの話し合いだったが、まあ何とか筋道はついたような気がする。N先生と金陵の冷酒をいただく。

8月14日(土)

2010年08月14日 | 昔日記
 お盆の墓参りの運転手を命じられて、片道80㎞ほどをぶっ飛ばす。帰途、山道の中途でガス欠になりそうになる。このあたりはレギュラーがリッター128~129円をつけているので、うわ~高いなあと騙し騙し下るが、もういけません、仕方なく入った所は、お婆さん1人で切り盛りするとても小さなスタンドだったが、奇蹟のように123円だった! 20リッター入れてもらう、ふう。

 遅い昼食は「埼玉種畜牧場」で摂った。スペアリブグリルが美味い。さて、売店で買い物をしていると、なんとCMS(「コンテンツ・マネージメント・システム」ではない)が売れておるではないか。ラベルを替えてオリジナル・ワインみたいにしてあるが、中身はWA産、HEDGES2008年CMSに間違いない。値段はシアトルの3倍だ! この超円高の折から、何だろうねと思いつつも、なつかしさの余り1本購入した。

 ゲッゲッ、ゲゲゲのゲ~♪で、「ピロリは死な~ない~♪」と唄ったら、同乗者に呆れられましたわ。娘も全く同じ替歌を唄っていたらしい。DNAと生活環境が一緒だから、仕方があるまい。「ゲゲゲの女房」は19:30からBSで観る。出雲弁なつかしや。

8月11日(水)

2010年08月11日 | 昔日記
 午前中、母屋から、少し離れた仕事部屋へ、書架を3連ほど移設してもらった。作業に来てくれたオジサンは以前、近所にお住まいのウチの前学長宅の書架移設も請け負ったよしであった。前学長は一度、この仕事部屋にお越し願い、焼酎など一献差し上げたことがある。最近は大相撲問題で、よくテレビニュースに映っておいでである。

 編集会議は14:30の招集で、延々と続いて20:30に終わった。さすがにオヤツが出たので、編集部も気を遣っているのが分かる。しかし6時間!、 昔の文学部教授会みたいである。しかも、なかなか捗らない。予定がどんどんズレて行くので、これぢゃあ「徒然草」ぢゃなくて「ずれずれ草」だと冗談を言ったら、隣のN先生が、ガハハと大笑いをなすった。ずれずれなるままに、日暮らし会議だわい。とまれかうまれ、とくはててむ(帰宅したし)。

 老人の集中力は、2時間以上持続不能だ。私がオヤヂ・ギャグを連発し始めたら、それは悲鳴を上げていると解してもらって過たない。

 まあ、それでも比較的早く帰宅できたので、NHKの終戦特集、「わらわし隊」()を取り上げた番組を観ることができた。ミスワカナに焦点を当てて、秀逸でありました()が、ネタモトは早坂隆『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録 芸人たちが見た日中戦争』でしょうな。

日支親善の歌
熱海の海岸 リュタ リューター
貫一お宮の リャンコレン
共にショウファも チンテン限り
共にリュタリュタ チンテン限り

ああ宮さん アノ月カンカン
来年のチンテンワンシャン
十五年後のチンテンワンシャン
オデの涙でシヤオチヱライクゥー

8月9日(月)その2

2010年08月09日 | 昔日記
 家人が軽井沢から帰宅途次の電車の中とのメールを送ってきたが、私は神楽坂下のお稽古事へと向かう。本日は参加者がごく少なかったので、N先生にみっちりご指導をいただいたが、私より下手な人はいないので皆さんが安心するとは、慰められているのか何だかよく分からん。まあ、この歳でやや本格的に始めた手習いで、思うこと無きにしもあらずである。

 お床のお花は、ミニひまわりと、白い日々草と、青々としたフウセンカズラだった。N先生から、お花は時間と空間を活けるのだというお話をうかがう。なるほど、ひまわりと日々草は、それ自体が時間のシンボルということだな。お軸は、東大寺長老上野道善師の「吾心似秋月」、『寒山詩』ですな。促がされて「意味は?」と尋ねたら、そういう聞き方はいかんと窘められましたわ。「秋」に「飽き」が掛かっているのかなと、見当違いな解釈を述べて面白がられた。禅語はよ~分からんごとある(ウチの菩提寺は臨済宗花園派なんだがね)。おいどんをしていかが説かしめん。

 終了後、N先生のお相伴で、Oさんもご一緒して近くの「あまくさ」へ。お稽古場のご主人のご案内であった。Oさんは日本酒の輸出関係のお仕事に就かれたとか。そういえば、シアトルでも結構珍しい日本酒が見られたが、昨今は高級な銘酒がどんどん海外の日本料理店向けに輸出されているらしいな。しかし、結構なことである。「治まる御代」といふべし。

 N先生はジャズ・ピアノがお好きらしい。私もビル・エヴァンズあたりからジャズは聴き始めた。まあ、同世代といふことならむ。