「コロナは、人の手指をなかだちに、よろづの粘膜へぞ移りける。世の中にある人、接触しげきものなれば、咳くさめ、触るるものにつけて、感染するなり。満員の電車、病院の待合室の様を見れば、生きとし生けるもの、いづれかウイルスを遁れざりける。知らず知らずのうちにクラスターに連なり、目に見えぬ病毒を油断せしめ、男女もかまはず罹らせ、猛き警官をも陽性とするは、コロナなり」(ご臨終かな?序)
「いづれの御時にか、コロナウイルスあまた罹患したまひける中に、いとやむごとなきコメディアンにして、すぐさま身まかりたまふ、ありけり」(追悼志村けん)
「感染の数は絶えずして、しかも元の患者にあらず。コロナに罹る輩は、かつ死に、かつ治りて、久しく留まりたるベッド無し。世の中にある人とウイルスと、またかくのごとし」(かもね長命)
「外出自粛の安倍の声、諸業萎縮の恐れあり。飲食遠慮の知事の言、歓楽衰退の状況を齎(もたら)す。老いたる者は久しからず。ただ肺炎重症化多し。若き者もつひには罹りぬ。ひとへに風の前の灯(ともしび)に同じ」(平気物語)
「すれすれなるままに、防疫、コロナにあらがひて、手指に付きたるウイルスを、ごしごしと洗ひ流せば、確かにこそ心安けれ」(健康奉仕)
「コロナは百代の災厄にして、人行き交ふ場所にまた感染あり。満員電車に通勤をいたし、夜街に歓楽を求むる者は、日々接触して、クラスターを形成す。古人も多くウイルスに死せるあり」(命の細道)