そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

1月31日(土)もものくわい

2015年01月31日 | 公開

  もものくわいの会場提供のため大学へ。筒井先生のお話は三千家の成立について、細かな考証の過程をうかがった。

  終了後、お弁当をいただいてから、懇親茶会の打ち合わせ。懇親会の司会をさせられるという話だったのが、免除されるよしで胸を撫で下ろす。私はまあ、おまけ席の運び担当で、掛物を提供するよう言われていたが、4月に好適な軸はあいにく持ち合わせていないのだ。J堂の床は大きいから、春のものといったら上冷泉為泰の和歌懐紙があるが、題が「梅」では時節が合わない。夏、秋、冬のものなら無くも無いがなあ。仕方がないので、2011年のH先生茶会に出した定家自筆の明月記断簡で勘弁してもらうことにした。まあ、所持の幅では一番高価なものではある。

  懇親会費と宿泊費も支払った。老母が上京してくるので、ホテルの部屋はツインだが、別々に支払えるようにしてくだすった(高い!)。おかげで財布がカラッポになったぞなもし。

  受付担当の方々が、仕込み?作業をなさるのに付き合う。14:30過ぎまでかかった。その荷物を大学から宅配便で送る手配をして、研究室へ。web上で演習のレポートの提出締め切りが本日23:59に設定してあるので、未提出者にリマインダーを送り、提出分を採点した。

  私の研究室は研究棟の5階にあるのだが、同居人は4階で研究会に出ているらしい。お先に帰ることにして、魚屋と八百屋に寄る。刺身と百合根を買う。百合根は酒蒸しにしようっと。晩酌は「藻塩の舞」の残りを空ける予定。


1月30日(金)担当正規授業は終了せり!

2015年01月30日 | 公開

  雪が降ってきた。イヤーマフが役に立つ。2時限の花札演習が、今学期正規授業の最終となる。転ばぬよう気を付けて大学へ。

  最終回は実はすることがなく、花札の勝負をしてもらって、チャンピオンに賞品を差し上げることにした。先週は補講期間で休みだったし、学期末それぞれに忙しかろうに、受講者の半分が出席、トーナメント戦を行う。チャンピオンに輝いたのはS君。賞品はレリーサのクッキーである。

  講義の出欠入力も、TA君が作業を完了してくれた。受講生に間違いがないか確認するよう一斉通信を送る。演習のレポート提出期限も、明日の23:59に迫ったので、未提出者にリマインダーを送った。web上であれこれできるので、大助かり。

  電車の中で、神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫)を読む。旧版も読んだけどな。ふうん、利休の師は辻玄哉に間違いないのか。連歌や和歌の研究文献も読み込まれている。ただし学術論文だったら、影山純夫氏の論考の扱いがこのような形でいいのかな?とは思ったがな。

 


1月29日(木)今日も口頭試問

2015年01月29日 | 公開

  昨夜はA教授から飲みに行こうと誘われたが、採点に追われておるのでお断りした。神楽坂辺で「鹿ケ谷」だったそうで、大物がご参会だったよし。我は多田行綱みたいな人品なれば、行かなくてよかったと思う。されば、チクることもないからね(分かる人しか分からんギャグなり)。

  本日はE研究科の修士論文口頭試問。副査を依頼された。本属の研究科では昼食券の類はとっくの昔に廃止になっているが、E研究科はまだ支給してくださるので、14:00の開始時刻前に「たかはし」で鰤刺身定食をいただく。100円追加料金を払いましたがな。金子みすゞ教授が先客で召し上がっていた。補講の教室手配について大変お世話になったので、平身低頭。

  エレベータに乗ったら、修論提出者本人も乗ってきたから、一緒に研究室階へ。15分前にT教授の部屋をノックすると、前の口頭試問実施中で、慌てる。廊下のソファで待っていると、F教授やN教授、H教授に声を掛けられた。N氏も出てきたから、お子さんは元気か?とお尋ねした。

  さてさて、修士論文の口頭試問というのは、主査1名に副査2名で、あれこれ質問や指摘をするのである。まず副査のO教授、そして私が話し、主査のT教授がかなり細かな指摘をなさった。その後評価点数を決めるわけだが、本属の研究科とは少し基準が違う感じ。ぶっちゃけ、本属のほうがやや辛いように思う。まあ、修論の点数は進学や奨学金に連動するから、これはこれで致し方あるまい。

  口頭試問には1時間かかった。神楽坂で少し買い物をして帰る。


1月27日(火)散髪する

2015年01月27日 | 公開

  社会人講座へ向かう。昼食は久しぶりに上野駅で立ち食い寿司をたべたが、最後にアン肝をお願いしたのは失敗であった。

  事務室に顔を出すと、Kさんに、月釜に呼ばれたんですけれど、いくら包めばよいのでしょう?と尋ねられる。遠州流とのことで、私にはよ~分からんが、片手包んでおけば恥はかかないのではないかな?と適当なお返事をした。外に出ると、ちょうどお着物姿のTさんがお出でだったので、お尋ねすれば千円か二千円、せいぜい三千円とのことで、Tさんの袖を引いて事務室に戻り、KさんにTさんから相場を教えていただくようにと申し上げる。こういう事柄は、腹の探り合いでござるな。

  さて講座、本日は鎌倉時代のお話をする。気温が高かったのを幸い、愛用の黒いマオカラーのジャケットの下、ヒートテックの黒い長袖下着の上に、ネタのTシャツを着込み、話の途中でジャケットを脱いだら、大受けだった! 社会人向け講座は、時にエンタテイメント性?も必要かも。で、何の話をしたかといえば、六百番歌合の枯野十三番判詞を版本で読んだわけであ~る。

  帰りの電車賃を節約すべく東京駅まで歩きに歩き、京都館に立ち寄って抹茶と京番茶を求める。

  帰路、これからスケジュールが立て込むし、少し鬱陶しい気もしてきたから、明日午前中に予約を入れようと近所の床屋立ちよれば、大旦那と若旦那が暇そうにしておいでだったので、今できます?とお尋ねすれば、どうぞどうぞと招じ入れられる。若旦那が刈ってくださった。

 


1月26日(月)まだまだ続く

2015年01月26日 | 公開

  同居人に、まだ授業があるの?と言われた。ありますがな、今週末までは通常授業。同居人の勤務先はとっくに後期終了とのことで、そりゃ半期授業15回をやってないんじゃないの?と聞き返せば、やってないとのお返事。文科省の言いなりにならないのは、帝大やKOだけかと思いきや、女子大もそうであったか! なんだか不公平である。

  そういうわけで、朝いち演習からかっちりこなす。この演習は春学期と秋学期がセットなので、1年のまとめとして非常に重要なテクストを影印で読み、予定のところまでちゃんと読み切れたので、頂好であった。レポート提出期限を確認し、出さないと単位は与えないからなと脅かしておく。下手に「不可」を付けると後が面倒である。

  昼食は「高七」へ行くも、お弁当の天丼の仕込みで大わらわをなすっていた。日替わりを御飯少なめでお願いし、さっと食って坂を下る。坂の途中で「セスキ炭酸ソーダ」を売っていたから、1袋買ってみる。

  博士の研究指導はK君の学位請求論文構想発表会のリハーサル。本質的なアドバイスを行う。続く講義は「理解度の確認」と称する、実質教場試験だったが、「持ち込み可」としたから、PCをネットに繋げたり、スマホを見ながら答案を書いている学生も出現。まったく構いません。ただし他人と相談してはならぬとした。

  修士の演習は1時間ほど版本を読み、30分研究指導とする。続く学生の研究会も、学期最終回で。発表者は留学生だったが、本質的なポイントは外れていなかったので、「よろし」と思った。

  6名で「かわうち」へ。入口辺の席をA学部の元学生部長I教授ご一行様が占めておられたが、ドイツ語のクラスの打ち上げみたいだった。ドイツ人の学生さんがいたから、ドイツ語でご挨拶する。小あがりにはB学部の前役職者の教授が大勢で飲んでおられた。箇所長業務でいろいろ言ってくださった御仁だが、もう箇所長ではないので、円形脱毛症が治りましたとご挨拶した。そして我らはフランス語で乾杯する。

  「銀盤」が無いと言われ、「真澄」の一升瓶を神速で空ける。我が研究室は日本酒しか飲まないから、やっぱり一升では収まらない。参加の顔ぶれは、修論を書いた二人に、来年度修士課程に入る二人、それから地元での就職が決まった学部4年のM君で、それぞれめでたいことである。

  今週は金曜に、花札演習がまだあるのだ。

  そうそう、広島のお土産に牡蠣の燻製をいただいた。お心遣いいたみいり候。


1月25日(日)ノン・ギャラのお仕事?

2015年01月25日 | 公開

  土曜日は修士論文の口述試験だったが、私が主査の論文が2本、副査のものが3本だった。まあ、多い方なんだろうが、もっと多い人は私の3倍以上というから、私立大学の教授というのも大変なのである。

  本日は終日、レポートの採点をしながら、来週のノン・ギャラの仕事?の仕込みをする。

  レポートは、web上で提出できるようになっており、web上のテキストをコピペしたかどうかを自動的に判定してくれるという優れたシステムも導入されていて、五月雨式に点数を入力しておけば、あとは自動的に評価を出してくれるという、すてきな世の中になったものである。これならば、受付管理も厳密にでき、レポート自体を持ち歩く必要もなく、インターネットに繋がった端末さえあれば、どこでもいつでも採点可能。しかも、最終的には採点簿もweb上で確定できて、捺印も不要。レポートも、私は紙媒体に出力しなければイヤという人間ではないので、すべてがヴァーチャルに処理されて行く感じだ。

  ノン・ギャラの仕事は、実は、昨年秋まで校長をやっていた高校で、大学進学に関係する「ガイダンス」を頼まれたという仕儀である。この忙しいのに・・・と思わんでもないが、断れない御仁に頼まれたから引き受けた次第。ppt紙芝居を作っている。

  冗談でギャラはいくらか?と尋ねたが、聞き合せて、出ませんとのこと。交通費は出るだろうが、事務方から出迎えと弁当について言ってきたから、不要と返事をした。高校の弁当は食堂か、鳥飯かで、この県のすべての産物が茶色いのである。

  明日は「理解度の確認」と称するペーパー試験を実施の予定。TAさんの出欠処理が少し遅れていて、大丈夫かいな?と心配だが、100枚強の採点くらいは朝飯前ではある。1~2月の大学教授は、本当に忙しい。他の事は何もできしません。世間ではそういうことを分かってくださるかな?


1月21日(水)単位パン

2015年01月21日 | 公開

  新聞に、首都圏の大学生協で「単位パン」108円也が大人気と記事が載っていたので、同居人に頼まれて図書館で本を借りてから、勤務先の生協を覗けば何個か売れておったので、早速購入、研究室で昼食に食ってみたところ、そんなに美味いものではなかった。「単位パン」なら、124円で売ればよいと思うが、この味では難しいか。

  教室会議の後、14:00から教授会。講習みたいなのが20分あったが、16:05に終了したので、学部長閣下を褒めちぎっておきましたわ。まあ、会議は2時間であろう。

  研究室に「単位パン」はまだ残っているが、もう食う気はしないなあ。


1月16日(金)ハンバーガーを食いに行き

2015年01月16日 | 公開

  研究室で仕事をしていたら中途半端な時間になったので、遅まきながら昼食を食って帰ろうと思う。メトロの地上出入口前でO教授とばったり、先般の夜の会議で、先生との根回し会合に私も加わる事になりまして…とご挨拶しておく。で、しばしその場で意見交換。前向きなお考えであった。O教授と別れ、ふと脇を見ると「紅閣」の扉が板で塞がれていた。いよいよご閉店か? まあ、あまり客は入っていなかったけれど、味は悪くなかったがな。ここは昔々は喫茶店だったな…と思いながら信号を渡ってひたすら東へ歩く。目的のハンバーガー店は中年のアベック客がおいでだったが、すぐに出て行ったので、独りでビールのMサイズとウェストサイドをお願いした。

  そのまま神楽坂を通る。「うつわや釉」でNさんにお茶を淹れていただき、新入荷の岸野寛さん作の刷毛目茶盌などを拝見。それから「緑の豆」でコーヒー豆を焙煎してもらい、八百屋の「瑞花」も覗く。Nさんもお求めになったという、秋田の天然きのこの水煮缶をいただいた。そのまま水ごと、鍋の具材になるらしい。

  今日は娘が帰って来るというから、苺を1パック買っておく。岡山から送っていただいた牡蠣で炊き込み御飯を仕込み、卵焼きを焼く。娘の好物をいろいろ用意したところで、同居人が帰って来た。娘は明日から結構ハードな仕事らしいが、その勤務地は、今住んでいるマンションよりも実家?の方が、JR1本、乗り換え無しで早く着けるらしい。7:00過ぎの電車に乗るというから、駅まで送ってやらねばなるまい。

  


1月16日(金)芥川賞

2015年01月16日 | 公開

  芥川賞は小野正嗣氏に決まったが、正月休みに娘がしきりに作品を読んでおった。娘はどうも同氏とは親しいらしく、受賞よかったねと連絡したら、1月13日にサインをもらっていたのだとか。まあ、私の同僚教授にも、同賞受賞者はおいでになるけど…。

  花札演習は、一応のまとめを行なう。邦画と花札の関係について若干の補足を行なったが、「乾いた花」の予告篇を流して、加賀まりこがどんなに素敵な女優か、余計なことをべらべらと喋ってしまったわい。

  そうそう、同居人は「ケロヨン」はご存知だったが、「ケロヨンの歌」は知らないということが分かった。そこで、手当たり次第、「ケロヨン」を知っているかどうか聞きまくったが、現役の院生諸君はもちろんご存知ではなかった。私は着ぐるみのケロヨンに隣に座られて、帽子をとられ、坊主頭をぐりぐり撫でられたことがある。松江市公会堂で行われた、ケロヨンショー?での一幕。(汗

うれしいときは ケロヨン
かなしいときは ケロヨン~♪
・・・

  メンツに入れられた某研究所のHPが出来ていることを教えていただく。画像を出せと言われたので、仕方なく高校の校長業務中のものを加工したが、これは教授業務中の姿ではない。

 


1月14日(水)夜の会議

2015年01月14日 | 公開

  結局修士論文は2本しか読めなかった。コラム原稿の修正も行って、担当者へ送る。18:30から委員会で、会議室へ行く。

  会議室には一番乗り。おお、お弁当が用意されている! 事務方に「食べていい?」とうかがい、早速いただく。会議の弁当は、とっとと食うにしくはなし。存外美味い弁当だっった。

  20:00までの予定が、少しだけオーバーする。納まることころに納まりそうな風情である点まことに結構だと思うけれども、発案者の皆様が企図されているような方向へちゃんと着地できて動いていけるか、正直いささか疑問ではある。しかし、余計なことは言うまいと黙っておったよ。擦り合わせ、根回しを要するなあと考えていると、その根回し役の一員に指名される。給料と弁当分は働きますがな。

  「草枕」冒頭のような心境だ。先に読み終わった修論が、やたら難しかったということもあったかもしれぬ。改革の前提となる基盤が、すでに崩壊寸前であることを、発案者の皆様は分かっていないのではないかあと、ふと思った。私がこういう論文の副査をさせられること自体が、間違いなくそのことを物語っているぞ。まあ、早く隠居せよといふことならむよ。

 


1月14日(水)鱸が美味だった

2015年01月14日 | 公開

  会議日。したがって、歌会始の儀は見そびれる。お題は「本」であった。

  次の会議は夕刻開始で、その間は修士論文を読みまくり。う~ん、難しい。何しろ6本もあるでな。(汗

  昼食は「たかはし」へ行く。鱸と鮪の盛り合わせ刺身定食にしたら、鱸がバカに美味かったので、花番さんにその旨を申し上げた。美味い時には即座に美味いと申すべし。年明け初めてだったので、お年賀のタオルをいただく。


1月13日(火)社会人向け講座からお通夜へ

2015年01月13日 | 公開

  本日から冬学期の社会人向け講座開始。講義は13:00からだが、12:00に最寄りメトロ駅に到着し、どこかで昼食をと焦る。数年前から一度入ってみようと思い思い、なかなか果たせなかったカレー屋に入ってみた。そうしたらウェイトレスのお姐さんに、外で食券を買ってくださいと指示される。

  カツカレーを食ったが、子どもの頃、松江大橋北詰お店でよく食べたカツライスみたいな味だった。

  さて、社会人講座今季は歌合をテーマにしたが、一番しか読めなかった。それも、後半は超特急で、後で文句を言われた。ころあいというものは難しいや。

  夕方はお通夜に参らなければならず、直帰する。苺が食いたくなり、近所の八百屋で購入。

  同居人から連絡があって、自宅最寄りの隣のJR駅改札で待ち合わせ、斎場へ。一般参列の最後の席に座れた。

  お清めのお寿司には食指が動かず、結局、近所の伊勢丹地下食料品売場の閉店間際安売りのお寿司を買って帰って夕食とした。


1月10日(土)おうた文学会

2015年01月10日 | 公開

  おうた文学会の年度最後の例会に行く。1月は新年の懇親会が予定されているので、研究発表に先だって委員会が開かれる。私は某委員長なので原則出席せねばならぬ。開始30分前に新宿経由で会場校最寄り私鉄駅に到着、道すがら、午前中に編集委員会があったらしく、隣のT教授や、Kさんとすれ違った。また、華族大学のS教授に声を掛けられてご同道する。私が長に指名された委員会の委員にご就任いただいたので、御礼申し上げた。

  委員会はさほどモメる議案も無く、研究発表会は14:00開始。最初のOさんは私の専門中の専門といった内容で、司会してあげようか?と話していたら、例会委員に司会を頼まれた。それで、てっきりOさんの司会と思いきや、2本目のSさんについての依頼だった。ああ勘違い。

  Oさんの発表にフロアから質問というか、ちょっとした意見を申しあげて、2本目の司会席へ。こちらについてはフロアから次々積極的に質問が出て、面倒は無かった。休憩の後の、Mさんの発表も面白く、近世のいわば歌壇研究みたいな話だったが、お大名の名前を~さん、~さんとお呼びになり、まことに聞きやすいことであった。Mさんのキャラもあるが、プレゼンに聞きやすさは重要である。

  懇親会の参加者は、いささか少なかった。学会員数も800名を割ったとかで、またセンター入試前週末は、いろいろなイベントが立て込むようになったことも一因ならむよ。来年はウチの大学で1月例会を引き受けたが、ははあ、40名としておけば大丈夫だなと確信する。

  食べ物が十分に供されたので、お腹がいっぱいになった。アイビー大学のH先生は遅れて見えたが、駅伝優勝でご機嫌なご様子だった。アイビー大学出身の面々は、日本海海戦に勝利した直後の大日本帝国…という気分であろう。H先生と少しお話したが、UWのA先生と12月のH文学会でお逢いになったよし。A先生のお弟子を、4月からH先生のところに受け入れの予定で、まことに懇切、周到なことだと思った次第。

  修論を出したA君も、にぎり寿司いっぱい食べられてよかったね。英語、しっかりやってください。

  帰路、また足が攣って、同居人に迎えに来てもらった。同居人に頼まれていたリーフレットは、全部配布してきたからな。


1月9日(金)死にたい気分

2015年01月09日 | 公開

  どうも重篤な気塞ぎというか、端的に言って、これは完全な鬱状態なんじゃないかと思う。意欲のレベルが非常に低下していて、もうどうでもいいや!という投げやりな感じに支配されている。

      かしは手をうつのやもひのうつうつとゆめゆめ人にあひたくもなし 昔男

  四谷の国際なんとか本部へ行く。大学最寄りメトロ駅からは最低料金で行けるのだが、乗り換え2回でその間結構歩かされたので、30分以上かかった。受付で名札をもらうと、京都の大学のA教授のお名前が。この御仁とは外国でしかお目にかからぬが、珍しや。ご勤務先大学はSビール工場跡地を入手し大展開のよしなるも、広すぎるのだとか。さて、18:00から懇談会が始まり、私が受け入れ役となっているウズベキスタンのH教授ご一家と落ちあってご挨拶した。お嬢ちゃんは東京タワー下にあるロシア語の小学校にお通いなるも、12日は祝日じゃないそうで、それはそうであろうよ。

  トップのご挨拶に続いて、国際なんとかだけに外務省の偉いお役人様が長々スピーチされたが、こういう場に出つけぬせいか、正直アホか!と思った。要するに、世界は日本をクールだと思っているのに、日本人はそう思っていないというのだが、そもそもどういう調査なんだよ。それに、アメリカ人じゃあるまいし、日本人はそんなこと思っても口に出すまい。謙譲の美徳というもんがあるけんね。

  旧ソ連邦諸国担当のお役人にも声をかけられた。また、気を使って、本部の女性スタッフの方が話し掛けてくださったが、大学院の博士課程に在籍されているそうである。お嬢ちゃんが付かれないように、H教授ご一家が途中でお帰りになるというので、私も失礼する。

  帰宅してからひと悶着。同居人に、離婚しようか?と申し出たが、しばらく考えましょうよと保留になった。昨今は時々死にたい気分になると言えば、お義母さんより前に死ぬのはいけないという。じゃあ、老母が死んだら、私も死んでよいということか。電車に飛び込むのだけはやめてよね、えらい賠償金を取られて迷惑…と仰せなので、じゃあ回送電車ならよかろう、会葬御礼になる…と言い返した。出家遁世いたしたし。


1月9日(金)失念連発

2015年01月09日 | 公開

  お昼前の花札演習は韓国の花闘のプレゼンだったが、なかなかよく調べてきてくれた。漫画や映画の「タチャ」も取り上げ、凝った分析まで、聴きごたえがあった。北朝鮮や韓国に行った思い出話なんぞを喋ってしまったぞなもし。さて研究室に戻り、出欠の処理をして、コース室で修士論文を受け取る。もしも全部提出されていたら卒論より本数が多くなるところだったが、そんなことはなくて助かった。しかし、このほかにE研究科で頼まれている分もあるから、どっこいどっこいというところか。

  その後うかうかと昼食を摂りに行き、また研究室に戻って予定をチェックすると、ありゃりゃ、本日13:20から某研究所開所式とな!? 手帳には「19日」と勘違いして記入しておったぞ! めっきり目が悪くなったせいで、ずう~っと19日だと思い込んでいたが、あとの祭りである。まあ私は、この新しい研究所のメンバーに名目的に入ってはいるけれども、何かのお役に立つとは到底思われない。もう定年退職目前だし、意欲的に、新しいことに取り組む気力も能力も無いわいなあ。まさしく有若亡、ありてなきがごとし、これを退職までのモットーにと思う次第だ。それでも悪いから、事務所の偉い御方に、日程を勘違いしていましたと謝罪したら、勿論おいらが居なくても立派につつがなく何の問題も無く開所式は挙行されましたぜとお返事がきた。治まる御代…である。

  そのうえ今夕は、四谷の国際なんとか本部へ行って、懇談会に出ることになっておった。これも手帳を改めて確認、すっかり忘れて帰宅をするところだった。

  同居人は卒論を読むために大学へ行ったが、今夕は帰れないと電話をしたら、提出された21本のうち7本を読み終ったところだという。同居人の勤務先大学の場合は、いちいちコメントを文章化しなければならず、いい加減なことはできないらしい。来年度はさらに増えて26本の予定だとか。うちの学部では一人マックス20本と定められているが、同居人のところでは、どうしてそんなに語学系に人気が集まるのか理解できん。

  早速修論を読み始める。最初から結構力作。資料と対照表がやたら多いのもある。まあ、自分の修論も資料篇がかなり厚くなったが、研究テーマによるだろう。