そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

9月30日(日)台風接近

2018年09月30日 | 公開
  今年は台風の当たり年?である。このたび接近の台風は、なんだかものすごい予測進路である。「チャーミー」というのが名称だそうだが、なるほど「O型で非常に強い」と、擬人化されている。

  俳人の佐藤文香さんに、あなたには俳句の才が全く無いと評されたことがある。すぐに縁語、掛詞を使いたがる私は、どちらかといえば短歌の人であろう。俳句はイメージ合成だからね。新古今の研究者だったんだがなあ・・・

  でもって、一句。
    台風や 欠航機だらけ 害だらけ(寅猫)

  修士課程の二次試験日。なんとか平穏のうちに、実施できた。しかし、京都へ帰るという受験生、新幹線が停まったと思うのだが、どうなっただろうか・・・。
  

9月25日(火)誤用、御用だ?

2018年09月27日 | 公開
  今夏の、コース学生合宿に参加して、軽井沢だったので、堀辰雄「風立ちぬ」の発表を聴いた。小説のタイトルは、ポール・ヴァレリーの詩句、「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を堀が「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳したのにちなむが、この「めやも」は反語であり、誤訳であると指摘されている。

  発表は堀の意図を深読みし、理解しようとするものだったが、和歌研究者としては、これは万葉集に載る大海人皇子歌、「紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも」の下句を誤解したところに発するのではないかと、ふと思った。
 
  上句の仮定条件節と呼応して、歌末の反語と呼応している。高校教師をしていた頃、この歌は万葉集教材の定番なのだが、生徒にはなかなか理解してもらえなかった。一首は要するに、あなたに恋している!と言っているわけで、短絡的に「われ恋めやも」を、「あなたを恋しよう」と解する者が後を絶たなかった。

  堀もまたこの誤読から、古い言い回しを訳に用いたくて、「いざ生きめやも」としたものではないか。そう考えれば、脈絡がつく。事は単純なのだと思う。しかし、これをもって国語学者のように難ずる必要はあるまい。作家の意図を正しく理解して、評価すればよいだけの話だと、私は思う。

9月22日(土)土曜の編集会議

2018年09月22日 | 公開
  土曜なのに、夕刻、編集会議が招集された。まずはお弁当をいただく。土曜は社食がお休みなので、なんと人形町今半だった!


    今半と
    いひしばかりに
    ながつきの
    土曜の会議を
    まちいでつるかな

  こりゃなかなか、出来のよい「本歌取り」じゃ、ござんせんか?

9月20日(木)軽井沢にて

2018年09月20日 | 公開
  今夏は旅行続きだった。松江、イリノイ州、京都、岡山、そして沖縄へ行く。安室奈美恵引退の土日だったが、私はアムラーではない。

  帰宅して、溜まった仕事を一気にやっつけて、昨日今日は軽井沢。本日は夏休みの最終日なれど、学部コースの学生合宿に付き合っている。

  句会が面白かった。兼題「恋」の拙作「秋冷や 午前四時半 別れどき」は、そこそこ点が入った。自由題の「あかあかや あかあかあかや アキアカネ」は、全然ウケなかった。明恵のパクリだから、当然か。(笑

  学生作「古めがね ススキの原に 落ちてゐる」に点を入れ、これは卒塔婆小町だ!と評したら、作者もそのつもりで作ったとのこと。国文の学生らしい作品であった。

9月11日(火)ジュ・ボケール(2)

2018年09月11日 | 公開
  痛風の病院へ行く。血液検査の値が思わしくなく、本気で生活改善をするように言われた。主治医のY先生は、先日亡くなった中学以来の悪友I君の、別れた奥さんのご親戚だ。I君の逝去を報告した。

  娘の悪阻がひどいというので、訪ねて行った。あと2週間くらいが、悪阻のピークらしい。柑橘系が欲しいと言われ、河内晩柑を少し持っていった。香りがよく、気分がよくなったと言われた。

  池袋で実妹と待ち合わせる。田舎の、相続した家屋を先般、処分したという。一気にやってしまうしかないのよと言われた。まあ、そちらは旦那のご両親ともお亡くなりだから、思い切りもできようが、こちらは老母がだんだん元気になってきた。そうこうしているうちに、自分の身じんまくも考えないといけないかなと、思うようになった。

  帰宅して、晩ご飯の用意を仕掛けて、なんと、寝入ってしまった。遅く帰った荊妻に起こされ、しまった、姑殿と老母に食事を供しなかった。あとのまつりである。まあ、すぐに死にはしまいが。

9月10日(月)卒論指導

2018年09月10日 | 公開
  久しぶりに勤務先へ。卒論指導を頼まれた。集中講義の連チャンで、半月ぶりか。メールボックスにはいろいろなものが届いていたが、画像のご新著も、恵送されていた。昨日、アマゾンで注文するところだった。


  11:00から1時間ほど、お相手する。実は建築学科の4年生、春学期、私の講義にモグっていた女子学生さんである。古典文学の科目は理工学部にはないそうで、卒論のテーマにしたがい、文献の紹介や、内容についてアドバイスした。お役に立てば幸いである。

  郵便局で老母に頼まれた振り替えや、菩提寺への彼岸の布施を送り、「にほんばし島根館」へ。隠岐誉と奥出雲ワインを買ってくるよう、荊妻に頼まれた。T先生に献上するのだと。隣の「主水」で、割子をたぐったが、鶏卵を付けてとお願いすると、怪訝な顔をされた。そんなに変な食べ方なのかな? 生卵をからめて割子を食うのが、私のスタイルである。

  隠岐誉は本日まで特別販売中で、M社長さんに改めてご挨拶した。ちょうど、4日に亡くなったI君をご存知の酒屋のご主人も来合わせておられたので、名刺交換をして、故人を偲んだ。合掌。

    鬼の籍に 入りつる友は 酒かもす 人らにふかく したはれてをり(雲州甲乙人)
  

9月9日(日)ジュ・ボケール

2018年09月09日 | 公開
  浴室の前の、洗面所付近、脱衣スペースで、むかし酒場で使われていた古い椅子を台にして、上の棚のものをとろうと乗った途端、いったい何が起こったのか、気がつくと床に落下していた。四本ある椅子の脚の一本が、外れたのだった。

  身体の右側を強打した感じ。右足の脹ら脛あたりの皮がささくれ立ち、打撲擦過傷状態になっている。右股にも二カ所、大きな傷が付いていて、血が流れている。右手の親指からも出血。右肩のあたりも打撲したようで、上半身全体が、箱をぐしゃっと潰したみたいに、なんだか歪んでしまったような感覚がする。登頂部も、何かに当たったようだ。しばらく声も出なかったが、さいわい致命的なこともなくて、寝室まで這っていって、打撲箇所に湿布をする。

  先日は、中学以来の悪友I君が、白血病で亡くなったとの報せを聴いたばかりだ。昨日見舞いにいった友人も、まさか急に、こんなことになるとは思わなかっただろう。この歳にいたれば、何が起こるかわからん。人生百年時代というが、死ぬ者はひょいと死ぬものだし・・・。

  身体は痛いものの、動けはするので、買い物に出る。お釣りをもらって、帰ろうとしたら、店員さんに「お客さま!」と呼び止められた。トレイに5円玉がひとつ、残っていた。「歳はとりたくないものですなあ」と申し上げる。「まあ、ご縁(五円)がありましたな」と言うと、店員さんは嗤った
  いやはや、インチキフランス語、ジュ・ボケール・・・である。ヌ・ボケロン、ヴ・ボケレ・・・と活用するか?

  まことに「残骸」の「残涯」である。セクハラ事件など決して起こさぬように、おとなしく、定年まで静かに過ごすにしくはないな。

9月8日(土)病院を間違える

2018年09月08日 | 公開
  岡山から帰って、リハビリ病院に入院中の友人のお見舞いに行くことを、思い立つ。少々、相談したいこともあった。

  銀座で買い物をして、三越前から半蔵門に乗る。てっきり「Tリハビリテーション病院」のつもりが、まてよ、鐘ヶ淵って千葉県じゃないよなと、押上で気づく。あらら、東武線じゃないぞと、押上のホームで途方にくれたが、調べると「T『湾岸』リハビリテーション病院」だった!

  京成線に乗り換えて、谷津という駅で降りれば、病院はすぐであった。しかし、谷津に着いたのが15:00。友人の本日のリハビリ・スケジュールを、奥様から伺っていたのだが、15:00~16:00に運動訓練が入っていた。

  昼飯を食いそびれたので、時間つぶしがてら、駅前の商店街でカレーを食う。これが大失敗で、ナンが腹にもたれて、いささか難があった。(汗

  15分ほど面会し、大急ぎで帰路に。なにしろ18:00過ぎには、老母に夕食を摂らせなければならない。幸いうまく乗り継げて、17:30に最寄り駅に着いた。家まで一目散。15分で夕食の準備をする、ふう。

  研究指導を担当し、今春、博士学位を取得した××君から、大学の公募に応募、なんと採用された旨の報告をもらった。あな、うれしや。私の様な二流学者でも、ちらほらと大学の専任を、輩出することができている。そうはいっても、私の指導教授に比べれば、半分以下の数でしかない。もう、ひとふんばりかな。

9月6日(木)岡山滞在中

2018年09月06日 | 公開
  4日は休講となり、5~7日を5コマ(90分)ずつ15コマでこなすこととあいなった。台風一過、4日夕は出向先のK先生に同じく集中講義でおいでになった国立金鯱大学のA先生、地元国立大学のM君に、私が研究指導教員だったEさんで、フランス料理をいただきに行った。ラングドックのワインが、美味しかった。

  5日から講義を始め、受講生の都合などを斟酌しながら、当初の予定を少し組み直しながら進める。この日は約束がなかったので、4年前学会で来た時に入った大衆居酒屋に独り入って、1500円ほど飲み食いした。

  6日。肝心のプリントの版下を1枚、持参し忘れたことに気づく。データも持ち合わせておらず、無しで誤魔化す。夕食は学部同期生夫妻と、またぞろフランス料理?のコースをいただいた。

  中学以来の「悪友」の訃報に接した。白血病を患っていて、長入院し、先日退院したよしを仄聞、京都滞在中に会いに行けばよかった。亡くなる前日までフェイスブックに書き込んでおり、今となっては、哀切なことと思う。

  さて、勤務先で10月に、素晴らしい展観が催される。図書館のMさんが肝煎りで企画され、私も少しだけアドバイスした。春のなかつよ文学会の大会で、H先生が紹介された新資料も、特別に出陳される。正徹の句が、はじめて出現した。どうぞお見逃しなく。

9月3日(月)岡山と台風

2018年09月03日 | 公開
  4日、5日、6日、7日と、岡山の女子大で恒例の集中講義。いつもは日曜に岡山入りし、月曜から始めるのだが、京大での集中講義が入ったので間合いをとった。大型の台風が接近中である。もしも4日に直撃したら・・・と、女子大の先生や研究室と連絡をとる。ともあれ岡山に来ていてくださいというので、新幹線に乗った。


  結局、4日は休講ということになって、3日間に15コマを圧縮して講義をすることになった。
  
  夕刻、お約束のKさんが迎えてきてくださって、「旬席 いし田」にご案内いただく。Kさんのお仕事先の、すぐ近くであった。