そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月30日(金)7:30Seattle

2010年04月30日 | Seattle日記
  日本で研究指導を担当している大学院生や、退院者?(課程修了者)の評価書や所見書を何通も書かなければならなくて、連日徹夜状態である。昨夜はようやく2通を仕上げたが、あと2通作らなければならなくて、吐き気がしてきた(なにしろ褒めちぎらなければならないからね)。アメリカには印鑑を持って来なかったので、コース主任に捺印をお願いしなければならないのも面倒だが、ファイルで日本に送ればOKという点では、郵送するよりはずっと楽に処理がきる。

 29日の大学院ゼミは、テーマに関連する論文を読んでの議論となった。火曜にどばっと渡されたのは川本皓嗣の論文の英訳44ページ分。これを2日間で読んできて、内容について批判を含めかなり突っ込んだディスカッションをする。A先生は東大で川本皓嗣の授業を受けたそうだが、人物のエピソード紹介から始まる。授業には必ず20分遅れて来たとか、進度がものすごく遅かったというのは、ひと昔前の日本の大学らしい話だわいと思い笑った。しかし、A先生の教材選択の眼はまことに確かで、いままでの回で私が口を酸っぱくして強調した"essential implications"の重要性が、川本論文には冒頭からバッチリ指摘されている。また、最終的に提出する受講者各自のペーパー作成に向けての示唆の仕方も巧妙。Eさんは言語学のバックボーンがあるからか、実に興味深い切り口について質問してくれた。このテーマは、そのまま日本でも論文として通用することだろう。

 どうやらTAの待遇改善ストというのが、来週実施されるようだ。そのキャンペーンみたいなのをやっていた。キャンパス内で時々、日本語の会話を耳にしてギョっとするが、日本人留学生も結構多いのかもしれない。レッドスクエアのあたりでは、下駄を履いた東洋人の一段がけたたましい音を立ててタップダンス?の練習をしていた。もしかしたら日本人学生たちだったかも知れないが、声をかけるのはやめにした。

 木曜は博物館や美術館の開館時間が長いので、バスに乗っシアトル・アジア美術館へ行く。SAMの分館。日本美術関係は館蔵浮世絵展が開催されていたが、たいへん充実しており、有名作品を本当に数ミリの近さで鑑賞することができた。美術館は大きな公園の南端にあるが、近くで演劇の野外公演?もしくは練習をしておった。同じバスに乗って大学へ戻り、料金はトランジット時間内(ただしピーク時間帯料金)のため往復2$25¢で済む。

 酒が切れたので、宿舎近くのリーカーショップに立ち寄ってから部屋に帰った。実は私は、ワインを水で割って飲む。それなら、そんなに高いものを買う必要もなく、今日は8~9$のWA産MERLOTを2本、それに焼酎代わりのフィンランディアを1本もとめた。これで数日はやっていけるだろう。

4月28日(水)17:00@Seattle

2010年04月29日 | Seattle日記
 洗井大学の学長が、全米大学体育協会みたいな団体の長に就任することになったとのニュースが昨日流れ、私のところにも直接、大学構成員向けのメールが届いた(私ももちろん、こちらのIDを発行してもらっている)。今日、A先生にうかがうと、大学学長の年俸は約1億円だが、その体育協会の長になると2億円に倍増するとか。いやはやすごい話だ。副学長はナイキの重役を務めており、学長に昇任するつもりはないという。在職期間は6年ということになるらしい。その学長が就任した時に、教授連が何年在職するか予測したそうだ。そのリストを見せていただいたが、的中した人もいる。何か掛け金でももらえるのかな?

 洗井大学は州立だが、学長は州が決めるのであって、大学の教員には関係ない話だとか。現在、私の日本の勤務先は学長選挙の最中で、来月中旬までに候補者が揃うという段階にある。今日も日本からその選挙に関する文書が届いた。教職員の投票なんて、アメリカでは考えられないとA先生。ふ~ん、そういうものかねえ。今回の文書には推薦委員名簿というのが入っていたが、見ればありゃりゃん、こりゃりゃんである(いささか憚りあれば、以下愚生の率直な所感は「教授のナイショ話」ご参照)。「海外からの郵送投票」に関する文書もあって、これを受け取ったら返信せよとのこと。事務局には以前ウチの学部事務所にいたHさんのお名前があったから、ご大役お疲れさまとメールを出した。一応、投票日までには帰国する予定なり。

 そもそも学長選挙には興味も関心も無い。ウチの大学の学長選挙は、それはも~大変なのである。前回選挙の時には、副学部長在任中で、変てこりんなことにも関わり実に不快な思いもしたから、今回海外に居て局外を守れるのは、実に幸福といふべし。

 学部の授業は百人一首を50首終了。中間試験の後、残りを1ヶ月でやらなければならない。しかし、2ヶ月で百首全部をアメリカ人に教えるのだから、驚異的なスピードともいえようか。今日は少し時間が余ったので、カルタをした。50首を読み上げ、声がかすれてしまったわい。

 Nさんに送る書類は、院生のUさんが出しておいてくださることになった。郵便局まで行く手間が省けて、ありがたや。宿舎のベランダの壊れた雨樋に、小鳥が巣を作っている。日本は燕が来る時節になったかな?

4月28日(水)3:00@Seattle

2010年04月28日 | Seattle日記
 いや~食った、食った。私は「蟹食ふ人」なのだ。なにしろ幼少のみぎりより、ズワイガニやベニズワイガニを食いまくってきた松江人だからな。蟹の処理はお手のものだ。

 買ってきた「Dungeness crab」は、下茹でのしてあるものだった、電子レンジに少しかけ、それをもう一度塩水でざっと茹で直してから、冷水に上げた。茹で過ぎると美味くないだろう。大皿に載せて食卓へ。キッチンには蟹の解体に便利な刃先の短いナイフも常備されている。

 脚やハサミを捩り取り、まずそこから食う。うわ~、身がいっぱいに詰まっていて、しかも甘いわ。ほくほくしておる。今度は甲羅の腹側を外す。フンドシを除去すると、ここも身がいっぱいで、味噌も豊富だ。当地はまた玉葱が美味しく、細切りにしてスモークサーモンを合え、すし酢で揉んだ付けあわせを作っておいたのを、甲羅の中の蟹味噌のあるところに突っ込んでぐぢゃぐぢゃにしてみた。玉葱が蟹のエキスを吸って、なんともオツであった。

 う~む、確かにワタリガニのでかいやつのような感じではある。しかし、身がたっぷりで、実に食いでがある。本当にうまい、yummyだわい!

 満腹になったが、まだ外は明るい。20:00過ぎにならないと日が沈まないのである。近くのカフェにコーヒーを飲みに行った。「University Zoka」という「Zoka」のチェーン店が、NE Blakeley St.に面してある。宿舎脇から続くトレイルの、1本外側の道になろうか。「COLONEL FITZRPY'S BLEND」という豆を挽いてもらい、外の席でモカを1杯飲んだ。店中の席は学生たちでいっぱいだったが、皆静かにペーパーを書いていた。非常に知的な雰囲気のお店である。「Zoka」は目白駅前など日本にもあるのだが…。

4月27日(火)17:00@Seattle

2010年04月28日 | Seattle日記
 連日、日本から荷物が届く。近江のHさんから、依頼していたブツ(物騒なモノではない)が到着。ありがたや。

 大学院のゼミは、クローズリーディングの回だが、要領がよく分からない。A先生に、お好きなように進めてくださいと言われる(そう言われてもなあ…)。結局は、ついつい説明をしてしまうことに。もっと院生各自の理解度が分かるように仕向けなければならないそうだ。次回は英語の論文を読んでのディスカッションとなる。

 さて、キングサーモンは食ったから、ここはやはりご当地名産の「Dungeness crab」に、だんじて挑戦せねばと決意する。宇和島屋や、近くのスーパーの鮮魚売り場でかねて目星をつけていたのだが、2ポンドを少し切るくらいのを16$ほどで買ってきた。1,500円くらいですな。レストランに食いに行くより絶対安上がりにちがいない。茹で直して食ってみよう。

4月27日(火)4:30@Seattle

2010年04月27日 | Seattle日記
 Nさんから書類が届いたが、記入方法について要領を得ない。時差が16時間あるのでややこしいが、面倒だから電話をください。日本の私の携帯にかければ繋がります。正午前だと、ちょうど部屋でワインを飲んでいる時間になると思いまする。

 NYは苺白書大学のHS先生からメールをいただいた。ご親戚にご不幸があったので、お悔やみを出したついでに、米国滞在中のご挨拶を申し上げた返信である。洗井大学の授業でもHS先生著の文法テキストが使われている。

 A先生に冷泉家展の図録を差し上げたら喜ばれた。学部の授業は今週中に百人一首が半分終わる。驚異的なスピードといふべし。来週の頭は中間試験となる。

 帰りがけ、「University Bookstore」に行って、気が早いが少し土産物を購入した。なにせ洗井大学のロゴマークはわが勤務先と同じ「doubleV」だから都合が良い。それに、パイク・プレイス・マーケットで見たものの値段より、あきらかに安い(ここは大学生協みたいな店だから、それはそうだろう)。昔、学会でウィーンへ行った時、土産はすべてウィーン大学構内の売店で購入したが、だいたい空港の半額だった。土産は大学の売店か、スーパーで買うにしくはない。娘に似合いそうなTシャツも選んだ。スクールカラーのパープルに、マスコットのハスキー犬が描かれ、星が散らばっている。Sでよかったんだよね。

 そうそう、日曜にA先生のお宅でやったゲームは、「Tip It」という名前なのだそうだ。調べると、任天堂が1960年代に販売していた「バランスゲーム」というのがこれと同じもののようだ。やじろべえの原理を利用した玩具だが、酔っ払った時にやると実に愉快である。私ら老人にも、脳とバランス感覚の活性化に資すること請け合いである。日本では現在、まったく売られていないのだろうか? 絶対に売れそうな気がするんだがなあ。

4月26日(月)0:30@Seattle

2010年04月26日 | Seattle日記
 日曜は穏やかに晴れた。午後、少し歩こうと歴史産業博物館(MOHAI)へ向かう。土曜日、K先生にSeattle市内をご案内いただいた折に、宿舎からは徒歩圏内にあって興味深いから、ぜひ参観するよう勧められたので、早速実行に移した次第。

 宿舎脇のトレイルをスタジアム近くまで辿り、歩道橋でMONTLAKE Blv.NEをクロスして南下、運河にかかるMONTLAKE橋のところまで来たら遮断機が降り、橋の中央がガガガッと跳ね上がったのである。うわ~これも勝鬨橋だ。マストのものすごく高いヨットが通って行った。

 橋を渡って東に折れると、すぐMOHAIに着いた。シアトルの街の歴史と産業について、よく分かる。街は大火で一度灰燼に帰している。その火元と伝えられるモノも展示されていた。「THE ENEMY WITHIN;TERROR IN NORTHWEST 1776 to Today」と銘打たれた企画展には、なぜか零式艦上戦闘機の残骸が置かれていて、触ることができた。

 MOHAIはユニオン湾の水辺にある。外には戦艦の大砲なんぞも置かれていたが、水辺の散歩道を辿って帰った。洗井大学で貸してもらえるボートやカヌーを漕ぐ人たちがたくさんいた。私もやってみたいが、転覆・水死したら娘が悲しむだろう(喜ぶ人も多いかもしれんが…)。

 往復7㎞ほど歩いた勘定になる。パイク・プレイス・マーケットで買ってきた鮭の燻製を切って肴にし、まだ日が高いのによく冷やしたWA産の白ワインを開けた。燻製の香りが体に染み込んでいく。帰国したら鮭燻臭い身体になっていることだろう。それまた一興なるべし。Seattleは鮭だ。MOHAIの展示を見ても、そのことはよく分かった。

4月25日(日)8:00@Seattle

2010年04月26日 | Seattle日記
 K教授から、私が食っているオートミールって何?とのご下問があったので、画像をお示しいたしまする。決して行列して配給を受けているわけではありませぬ。

 左から、Regular、CinnamonRoll、Apples&Cinnamon、Strawberries&Creamの4種類が選べるが、もちろんRegularが一番汎用性が高い。ボウルに入れたのはRegularの中身。Strawberriesも、中に大きくカットした乾燥苺?がたっぷり入っていて面白い。

 無料朝食に供されるので、ごく安価なものなのだろうが、こいつを朝昼各1袋で十分なのが、我々ロハスな?日本人である。

 今朝はこのRegularに、パイク・プレイス・マーケットで買ってきた鮭の燻製を小さく切って混ぜ、ミルクを注いで電子レンジに2分かけたら、鮭雑炊風になった。いや、美味いですわ。インスタント味噌汁に入れるとイケますと、昨晩A先生の奥様に申し上げたら、そういう食べ方は発想したことがありませんとおっしゃった。どう取り合わせたら面白いか、おいしいかを考えるのが調理の醍醐味だと、私なんぞは思いますな。

 娘によれば、日本では碌なオートミールを売っていないそうだから、K教授には、なんでしたらこのインスタントを山ほど土産に持って帰りましょうかな。なにせ無料ですから。

4月24日(土)23:30@Seattle

2010年04月25日 | Seattle日記
 あ~面白かった。Seattleに来て、最高に充実の一日だった!

 10:00に、こちらのコミュティ・カレッジで日本語教育を担当していらっしゃるK先生に、車で宿舎まで迎えにお越しいただいた。Seattle市内を案内してくださる約束だ。まずワシントンパーク樹木園の一角にある日本庭園を見る。回遊式のみごとなお庭で、茶室もあった。裏千家の社中の方々が、お茶事の準備をしておいでのようだった。

 それから、ダウンタウンへ向かい、フェリーで到着したNさんをピックアップ。橋の下のトロール像を見た後、チッテンゲン水門へ連れていっていただく。魚道やパナマ運河式の船の誘導を見学、いやはや、大変な水位! 画像は水門の海側(西)見える鉄道の跳ね橋。

 昼食はユニオン湖畔の「IVAR'S SALMON HOUSE」へ行く。ネイティブアートの意匠に溢れたユニークなシーフードレストランである。この前、院生諸君とお食事会をしたウォーターフロントのお店の同系列らしい。まず、クラムチャウダーのカップを試すと、これが美味いのなんのって…。NYで食ったものよりずうっと濃厚で、タルタルソースみたい。「Ivar’s World-Famous Clam Chowders」と称するだけのことはあった。メインはもちろん鮭にする。「Alder Grilled Alaskan Salmon Sampler」$17也を選ぶ、「Wild Coho and King salmon, red mashed potatoes, seasonal vegetable」と説明されていた。当地はやっぱり 「King salmon」だ。いや、このレストランは素晴らしい。もしもSeattleにみえたら、ぜひ訪れてご覧なされい。

 会話を楽しむうち、時間はどんどん過ぎて行った。ダウンタウンに戻り、「パイク・プレイス・マーケット」で鮭の燻製を買う。K先生によれば、高いけれど、ここの燻製を食べたら他のは食べられないそうだ。スモークがかなりきつい。店のあんちゃんが試食させてくれたが、なるほど、オツな味だ。しかし、ものすごい人出である。平日の午前中とは大違いだ。騎馬警官も出ていた。もしや観光用か?

 宇和島屋の駐車場に車を入れて、パイオニアスクエア辺のポイントを徒歩でご案内いただく。このあたり、路面をかさ上げしたとは驚きだ。アンダーグラウンドツアーの群れがひっきりなし。このツアーも面白そう。パイオニアスクエアに面したスターバックス(日本人の女店員さんがいた)でコーヒーを飲み、トイレを借りてから、K先生、Nさんとはお別れする。

 それから、214 1st Ave.S B10の古書店へ。地下への入り口のところでA先生と太郎君が手を振っている。A先生と待ち合わせ、洗井大学のライブラリアンKさんが、お連れ合いと経営している本屋さんをお訪ねする約束なのだ。お店は小さいけれど充実している。日本のものもいくつかあった。『お鯉物語』の正続セット、野口米次郎(イサム・ノグチの父)の詩集など。面白かったのは、日本の名所や文化財の写真セットで、裏には丁寧に英語のメモが書かれているのだが、その一番上に出雲大社の写真が載っていた。床下の柱がむき出しで、昔はこんなふうであったのかと興味を引かれた。Kさんがタイで作らせている楮紙・竹紙製品をいくつかもとめた。また訪ねてみたい。

 古本屋の隣には、製本工房があった。聖書などの装丁を受注するところで、職人さんに日本人女性がいらっしゃった。お伺いすると、11年仕事をなさっているという。そのほか、この地下にはユニークなお店がありそうだ。

 その後、Kさんに案内されて、近くの骨董品店「CHIDORI」(108 So.Jakson St.)を訪ねる。加賀千代女の掛軸を鑑定して欲しいと頼まれていた。箱には明治期に表具をした旨の書付があったが、ごく新しく改装がなされている。本紙はよさそうで、絵入で鶯の句が書かれている。インターネットからプリントアウトした、千代女筆跡の画像をいくつか、ご主人にお渡ししたら喜ばれた。店内には日本・朝鮮・中国モノを中心に、質もよいアジアの骨董品・美術品が山と積まれている。ちょっとすてきな玉があったが、値段は聞かず仕舞い。ちなみに千代女は1600$とかおっしゃっていたが、表具がああだと、ちと高いかなあ。正式には「応相談」らしい。

 A先生の車に乗って、それからトランクを買いに連れて行ってもらった。シータック空港で受け取った際に、トランクが破損していたので、買い換えることにした。結局、jeepの頑丈そうなのを選んだら、70$ほどだった。トランクを車に積んで、A先生のご自宅へ。夕食に招待されているのだ。焼き鳥をたくさんと、ワインはWA産2007年ピノノワールの例外的に美味しいのを開けてくださった。次郎君は大暴れ。太郎君は来週、カソリックの初聖体拝領を行なうよし。皆で面白いゲームをした。酔っ払ってやると面白い。買って帰ろうかな。

 A先生の奥様が宿舎まで送ってくださる。緯度が高いせいか、宵はいつまでも暗くならないが、さすがに夜の帳がすっかり下りた。部屋に帰って、スモークサーモンを肴にナイトキャップを飲む。サーモン、実に美味い! 体中に燻製の匂いが染み込んで行く。

4月24日(土)4:30@Seattle

2010年04月24日 | Seattle日記
 娘は高校生の時、オレゴン州でしばらくホームステイをしたことがあるのだが、「フルーツロールアップ」を買ってきてと幼児みたいなことを言ってきた。「のし梅」のようなものだったっけ? ならば「のし梅」を食え!

 昨日、スーパーで物色したところ、「all-natural fruit strip」というのがあって、どうもこいつが近いものだと思う。WA産。買って食ってみたけれど、まあ、不味いものではない。

 TVはケーブルテレビで、やたらチャンネルが多いが。ついつい「FOOD」チャンネルを観てしまいますな。このチャンネルの英語だけは、隅から隅まで完全に聞き取れる。しかし、アメリカの料理番組における砂糖・バターの使用量は、半端ではない。出演者も「ふくよかな」御仁ばかりである。私の贔屓は「Giada at home」というイタリア生まれのお姉様がやっている番組で、エラの張った顔で歯をむき出しにしてのべつ幕無しに喋くりまくるのがカワイイなと思わんでもないが、胸の谷間にはついつい目が引き付けらるる(自発の助動詞「らる」)ことに…。なにしろ、渡米前に離婚して来たからなあ。

 TVといえば、韓国ドラマが観られないので、禁断症状が出てきた。「風の絵師」を無料配信しているというから、アクセスしたが、日本国内からしか視聴できないそうだ。このドラマは一種「とりかへばや」的かつ推理小説的で面白い。

 大学院生の×××さんは、政府の奨学金を受けて韓国語を学んでいるとおっしゃっていた。アメリカ政府はこうした点、語学教育というか人材育成に極めて戦略的であると思う。昨今は韓国語とアラビア語に力が入れられているらしい。日本は、もはや世界の主導権を取る気などさらさらないから、どうでもよいのだろう。鳩山政権は、アメリカではまったくバカにされているし。

 しかし、例えばロシア語履修者には政府奨学金が付くとなれば、安定的に受講者が確保できるでしょうなあ、K先生。でも、日本には巨大諜報機関もないから、就職先に困るかもしれませんな。

4月24日(土)3:00@Seattle

2010年04月24日 | Seattle日記
 朝昼、無料のオートミールを食っているとメールしたら、2つ隣の研究室のT教授から、行列してもらっているのか?と返事がきた。ちゃいまんがな。インスタントオートミールをゲットしてきて、自炊の具にしているという話である。そのT教授や、E学部のN教授などと画策していたK文庫の件は、首尾よく進んだという情報が入った。学長への直談判が功を奏したわけである。まあ、こういうのは、時と場合によりけりだが、よかったよかった。

 新聞は、無料朝食をいただく部屋で読めるのだけれども、大学に行けば無料の日刊紙がある。なんでも滞在している大学地区で、銀行強盗があったらしい。物騒な世の中だ。FBIが捜査に動いているという。

 23日の朝は、大学の東に広がる谷のエリアを、ぐるりと一周してみた。ほぼ1時間、4kmほどであろう。湾に近いあたりは自然公園地区になっている。バードウォッチングの老夫婦の姿などが見られた。そこから大学のグラウンドに出るが、サッカー場?の芝生の上に、巨大なグースがたむろしていたのには仰天。ハスキースタジアムもすぐそばである。

 23日の授業も予定通り。A先生は会議だそうだ。ご長男の初聖体拝受も間近で、いろいろお忙しいご様子。

 夕食は、キャンベルのニューイングランドクラムチャウダー缶(2$もしない)に煮タラの残りを加え、無料朝食時に確保しておいた牛乳で溶いて煮詰めたものをメインにした。久しぶりに御飯も炊く。また、カボチャを買ってきて甘く煮てみたが、あまり美味くない。スーパーに干し葡萄が見当たらず、代わりに干しベリー?を加えた。大豆モヤシで作る即席ナムル?は、クセになってきたぞ。本日はベーコンをモヤシ大に細く切って合えたが、う~ん、ヤミ(yummy)つきになる味である…掛詞が分かるかな?

4月22日(木)18:30@Seattleああカン違い!

2010年04月23日 | Seattle日記
 大学院のゼミでは、担当の院生さんの基礎的発表を聴く。A先生から、あくまでも院生同士に質疑をさせるようにと釘を刺されていたから、余計なことを言わぬよう注意した。一応、漏れなく概説をしてくれたのだが、肝心のテクスト本文はほとんど読んでいない感じで、我々が日本で行なうゼミとは方向性が違うような気がした。しかし、あくまでも院生自身に考えさせることを徹底するとの方針は、優れた指導法であると思う。学ぶところは大きい。

 キャンパス内のギャラリーに入ってみた。現代アートの展示スペースだが、なぜか明治20年の浮世絵「貴顕納涼之図」が展示されていた。明治天皇と皇后が描かれている。カフェがよさげだったが、本日はパス。

 なんだかむしょうに天麩羅が食いたくなったので、夕食は宿舎のすぐ近くの「旬」へ行く。天丼と牡蠣の天麩羅、それに鮭皮サラダに茄子の田楽まで注文してしまった。「旬」は日本語が通じる。板さんに「燗酒はできますか?」とうかがうと、「大丈夫」とのお返事。そこでウェイトレスのヤンキーね~ちゃんに、「お酒は燗をください。銘柄は何がいいですか?」と尋ねたら、「かしこまりました」と行っちゃった。

 しばらくして、「飲みにくいので容器を変えておきました」と持ってきたのが、冷酒である。??? そ、そういえば、「ふなぐち菊水一番しぼり」の空き缶がトレイの上に載せてあったわい!

 きゃああ、「燗」と「缶」を間違えられたんだ。でも、これはおいらが悪かった。それに、細やかなお心遣い、かえって恐縮である。冷酒をありがたくいただく。板さんからも「すみませんねえ」と詫びを言われたが、どうして、どうして。愉快な「カン」違いであったわい。2本目は「男山」の熱燗を注文した。箸と猪口は持参。例の黒江塗を持って来ているのだ。

 帰りにリカーショップでスピリッツを買う。もうワインだけでは飽きてきたのでな。

4月22日(木)9:30@Seattle

2010年04月23日 | Seattle日記
 "Oh my God!"という言葉はよく耳にするが、これを語の全き意味において邦訳するならば、「なむさん!」ということになるのだろうね。しかし、「なむさん」などという言葉も、きょうび、本チャンの僧侶でもあるウチの研究室の院生K君でもないかぎり、理解されないかもしれん。「南無三宝」の略で、「三宝」は仏・法・僧のことですな。

 「なむさん、し損じ」は落語の「山号寺号」(恵方参り)だが、娘が小さい頃大好きなネタだった。「かんごふ山せきじゅう寺」でゲタゲタ笑っておったっけ。その娘から、初めて給料をもらったとメールが来た。結構な手取り金額である。家に食費を3万円入れるように指示。就職祝いのお返しも自分でやるんだよ。どうにか身の立つようになってくれて、親としても感慨深いものがある。

 シンクの上の電球がとんでしまったので、直してもらった。チップは2$渡す。アメリカで生活するのに必要なものは、カードと、1$紙幣なのであった! それ以外の貨幣は必要ないといって過言ではあるまい。バスに乗るにも1$札が要る。なにしろこちらのバスは、釣りをくれないのである。チップは本当に面倒だが、都バスの乗車賃くらいを渡せばいいのだと得心したら、さほど苦にもならなくなった。A先生に、チップは最初うんとはずんでおくのだとコツを伝授されたから、部屋の掃除に最初は5$札を置いた。なるほどサービスがよい。掃除は3日に1度くらいお願いする。部屋はほとんど汚れないし、キッチンのゴミを処理してもらい、タオルやトイレットペーパー、シャンプーと石鹸を補充してもらう程度である。下手にカーペットを掃除してもらうと、部屋中に有機洗剤の匂いが立ち込めて気分が悪くなる。

 ワークショップは5月11日の15:30~17:30ということに決定。もうpptは作ったから、あとはUさんと細かな打ち合わせをすればよい。大学院のゼミは今日から本格的なセッションに入るので、予習を綿密に行なう。

4月22日(木)3:00@Seattle

2010年04月22日 | Seattle日記
 21日の出来事。雨の中を洗井大学へ行く。トレイルは緑のトンネルと化しているが、雨が降ると寒い。NYで買ったドミニカ共和国製のウール・ジャケットを着用する。

 文語の授業は、百人一首を全歌やるので、もはや1回5首のペースを維持しなくてはならない。途中、余計なことを挟んだせいで、5首目の質問は次回へ繰越しとなった。

 余計なことというのは、友則の歌の枕詞を説明したついでに、「アメリカ」にかかる枕詞は何か?というクイズを出したからだ。案の定、これは結構ウケた。

  ひさかたのアメリカ人の始めにし
       ベースボールは見れど飽かぬかも(正岡子規)

 言うまでもなく当地は、イチローの活躍するマリナーズの本拠であるからして…。升正岡子規が「野球(のぼーる)」という号を用いていた話も、受講生の目が輝いていたから、効果的であった。時々こういう「つかみ」が必要であること、日米変わりはありませんな。

 A先生と、大学院のゼミの今後の進め方を相談する。1つのテーマ・テクストは4回で1つのセッションを形成し、明日は基礎事項について院生に発表してもらうことになっている。最後はディスカッションの回となるが、中の2回をどうするかが問題だった。そのうち1回はクローズリーディングに当てるとして、もう1回については、A先生の提案により、そのテクストに関連する論文を読むことになった。どうなることやら、やってみないといまだイメージが掴めない。最初は英文の論文を取り上げることで合意。

 帰宅して、夕食には、焼きそばを作り、生サケの切り身を調理した。当地はサケがとても美味しい。バター焼きにしてから玉葱スライスを載せ、朝食の際に確保しておいた牛乳で少し煮込む。ソースをもうちょっと濃厚にすべきだった。もう1品に、大豆モヤシをスチームケースに入れて2分電子レンジにかけ、お湯で洗って小丼に入れてから、ダシつゆ、みりん、マヨネーズ少々をぶっ掛けて揉み、最後にすり白ゴマを合えて即席ナムルにしてみた。これは実にオツである。私には、もしかしたらよほど調理の才能があるのかも。また、スモークサーモンとチーズを小さく切ってツマミとする。本日のワインは、これまた10$ちょっとで買ってきたSaint Michelleの" Sauvignon Blanc Horse Heaven 2008"なる白ワインを開けた。毎日がWA産のワイン三昧だ。

 いささか旧聞に属するが、なにはの歌会は盛況であったよし。担当した選歌について気になっていたのだが、やはり秀吉の辞世を入れておいたのが効果的だったらしい。

4月21日(水)3:00@Seattle

2010年04月21日 | Seattle日記
 夜の雨が降っている。気温は高くないが、すっかり新緑、初夏という風情だ。これでホトトギスでも鳴いたら…涙な添へそ、だな。とほほ。

 20日の出来事。早朝、殊勝にも30分ほどジョギングをする。宿舎の脇のトレイルを、先日とは逆方向(時計まわり)に走った。大学のある丘の続きが谷になっており、その周縁に沿ってトレイルが設定されている(谷底にショッピングモールがある)。朝はオートミール。昼もオートミール。無段階ベルトが最短のところまできた。体重計がないので詳細は知りがたいが、80㎏台の半ばに近づいているかもしれない。しかし、腹のあたりには脂肪がだぶついていて、実にみっともない。できるものなら、包丁で切り取りたくなる。褌を洗って干す。

 火曜は大学院のゼミである。古今和歌集の仮名序を読んだ。次回から新古今和歌集に移り、院生の発表とディスカッションが中心になる。まだアメリカ式のやり方がよく飲み込めない。A先生にお尋ねするも、私の頭が固いのか、何を到達点にしたらよいのか確信が持てないのだが、いつもの出たとこ勝負である。

 ワークショップや、こちらの日本人学校でのレクチャーなどを打診されている。やぶさかではないが、日程についてはA先生によく相談・調整してくださるようお願いしておく。民族音楽がご専門の院生が特にご熱心で、当方は圧倒されるばかりだ。受講生へのバランスをよく考慮しなければとも思う。それなりに気を遣っている次第。

 夕食のワインは、A先生お薦めのHEDGESの「CMS 2008」を12$ほどで買ってきて開けた。日本でも見たことがあるボトルで、いかにも地酒!という感じだ。バランスがよく、飲みやすかった。せっかく当地にいるのだから、WA産のワインをもっぱら飲むことにしたい。日本酒はバカに高い。米国産日本酒があれば飲んでみたいけれども。

4月20日(火)3:00@Seattle

2010年04月20日 | Seattle日記
 アーティチョークを茹でて食ってみた。茎と、先端のほうをザクッと切除し、酢で色止めしてから、大きめの鍋に湯を沸かして塩と酢を入れ、様子を見ながら40分ほど茹でた。皿に取り出すとバラバラになったので、マヨネーズをつけて食った。なるほど、ソラマメみたいな味だ。芯?の部分は栗みたいである。それにしても手のかかる食材だな。ヨーロッパあたりには、好きでたまらぬ人も多いとか。ソウルフーズというやつだろう。我ら松江人にとっての、蜆の身のごときものならむ。

 アーティチョークに手間取ったので、主食?はうどんにする。スチームケースに宇和島屋で買ってきた冷凍うどんの玉を入れて電子レンジで解凍、湯でざっとほぐして小丼に入れ、ダシ醤油をぶっかけ、老母が渡米に際し持たせてくれた出西生姜の粉末をふりかけた。

 アイスランドの火山噴火のニュースばっかりやっている。私の親戚の中にも、フランクフルトで足止めになっている者がいるらしい。