そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月31日(水)亀の甲より…

2017年05月31日 | 公開

  朝から会議で、消耗する。夕方からは、修士課程の院生の面談を連チャンで行う。その間の空き時間に、「竹むら」まで走って行って、クリームあんみつを食ってやった。

  帰りに「草木堂野菜店」で山蕗とルバーブと青実山椒を買う。

  キャンパス内のタイサンボクが、手の届く高さに、大きな花をつけていた。

  夜はお稽古事。八ヶ岳イヴェントの練習だった。その後、学生サークルの寄り合いに出る。2時間かかった。ひとまず情況に筋道を付けた格好だが、なんとか事が穏便に収まってくれたらよいのだけれども…

  まあ、こういう光景は、何度も見てきた。亀の甲より…ということだな。


5月30日(火)忙しい一日

2017年05月30日 | 公開

  午前中は痛風の病院へ行く。メトロの車中、目の前で乗客同士が喧嘩を始めた。蹴った、蹴らないで、何かのはずみで一方の足が当たったのだろう、睨み合いのあと殴り合いになり、掴み合いを始め、巻き添えになった乗客が、俺は関係ないと叫ぶ。駅に着いて、一人は降りていったが、蹴り合いをやっていた。ふう、目の前で「お客様同士のトラブル」を見たのは、初めてだった。日本人って、短気なのかな? 次の駅で降りることになっていたので、車中に残った喧嘩の御仁の前を、相済みませんと恐る恐る通ったけれど、何も起こりませんでしたわ。(汗

  さて、主治医のY先生からは、塩分に注意するよう言われた。検査結果、ずっと尿に蛋白が出続けているのだが、何が原因なのだろうか? 薬を貰って坂を下り、メトロに乗る。

  社会人講座の最寄り駅一つ前で下車し、兜町にある地方銀行東京支店で、老母の通帳の記帳をしてもらった。1冊終わって、新しいのをいただく。昼食は「如月」で、生しらすのせいろをりんだもぢり、「そんなバナナ」でバナナシェイクをテイクアウトした。ちなみに、「そんなバナナ」のお姉さんは、たいへんに可愛らしい。♡ それくらいの「眼福」は、お許しあれかし。

  社会人向け講座は、定家の晩年の作品を中心に読んで、解説した。これで1本、論文が書けそうなくらいの内容だった。来週で春学期の講座は終わりで、どこぞの取材が入るらしい。予告をしておいた。

  急いで帰宅。しかし、うっかりメトロをひと駅乗り過ごした。16:00近くに家に着く。

  今日は、先週からお願いした訪問介護の日であったが、妹に応対してもらった。夕方、病院に連れて行くので、看護師さんが帰ったら風呂に入れてくれるよう頼んでいたが、運動になるからと、看護師さんが入浴させてくださったという。有り難いことである。

  車に乗せて、数分で着くクリニックへ、月に1度の通院。6月からショートステイにも行ってもらうため、パスの健康診断も受けさせていただいた。区から健康診断の補助書類が来ていたので、提出すると、ずいぶん安くやっていただけた。いったん老母を家まで送り、コンビニで処方箋をコピーして(ケア施設に提出しなければならない)から、薬局へ行く。帰宅して、夕食を摂るかどうか老母に確かめ、支度をする。19:00までに供しないと、食事を摂ってくれない。

  そうこうしているうちに、荊妻が帰宅。ケア施設で使う上履きを買ってきてくれた。これでひと安心である。冷凍焼き鳥を解凍し、姑殿、荊妻と3人で食事をした。いつも美味いと思って飲む赤ワインが、今日はあまり美味く感じられなかった。

  ああ、JAFの退会手続きやら、証券会社へのマイナンバーの通知やら、次から次へと雑用がわいて来る。松江の従兄から留守宅についての手紙が来ていたので、その返事も書かなければ。論文、ちっとも進まない。(汗


5月28日(日)なかつよ文学会

2017年05月28日 | 公開

  26日はとある公演に出演。ちょっと、むかむかすることもあるのだけれど、隠忍自重した。公演を観に来てくれた荊妻と、四ツ谷駅でワインを飲んで帰る。

  27日、28日は、なかつよ文学会の大会である。会場は、駿河台大学。28日研究発表会の前座は、ウチの研究室のA君だった。質疑で、K氏から全く思いこみの断定的指摘を受けたのに対し、うまく反論できていない。テクストの全体をきちんと読めば、そういうことにはならぬのは明明白白なのだが、大物の指摘に、フロアの印象は悪くなったかも。いやはや、何事も経験である。

  選挙で委員に選出された。しかし、常任委員はまぬかれたから、ほっとする。

  急いで帰って夕食の支度をしたら、老母は要らないと言う。何のために早く帰宅したのか、甲斐が無い。不機嫌なまま。姑殿と食事をいした。荊妻は終日、歌舞伎座で長唄のご鑑賞だった。


5月25日(木)するすると

2017年05月25日 | 公開

  するすると時間が経過していく。月曜は午前中の授業を終えて直帰した。老母の夕食を準備したが、食べてくれなかった。火曜も社会人向け講座を終えて直帰。この日から老母の訪問看護をスタートしていただき、私が応対できないので実妹に代わりを頼んだ。ベテランの看護師さんが来てくださり、関係も良好との話だったが、初めてのこととて、老母は少し興奮した様子だった。

  水曜は朝から、オムニバス講義担当回をこなした後、会議の連続。私が委員長を務める会議は、10分で終わってやりましたわ。(笑 会議の取り捌きが早いのだけは、私の取柄である。その後、主任出張のため代理出席が1件、院生と修士論文についての面談をして、18:30からお稽古事に参加する。金曜の公演のリハーサルも行われたが、まあ、なるようになるかな。終了後はLove先生を囲んで軽く食事をした。

  今日は今日とて、午前中から喋りっぱなし。卒論ゼミは、教育実習に行った学生と、体調不良でお休みの学生があって、1人を相手に喋りまくる。昼休みには打ち合わせがあり、3時限は博士課程の研究指導。A君の論文を寄ってたかって叩いたが、致命的な欠陥?を発見。そこを手当てして、関西方面帝国大学系雑誌に投稿してみたら、という話になった。昼飯が摂れなかったので、学食へ行き、掻き揚げ蕎麦を注文したら、台が不味いといふもさらなり。でも、313円だったから、文句は言うまい。修士の演習は面白かった。やっぱり、月詣集はぶっ壊れているんだなあということが、よく分かったぞなもし。

  老母は本日も夕食を食べてくれなかった。衰弱して死ぬつもりなのかな? でも、朝には、プリンとか食っていた。大丈夫なのよと、荊妻は言う。心うき身にもあはれはこたへけり…だな、まったくもって。


5月21日(日)文楽を観に行く

2017年05月21日 | 公開

  朝いちで選挙に行き、その足でパン屋へ回ってサンドイッチを購入。11:00から国立小劇場の文楽公演を観に行く。荊妻と私、それに愚娘とその婚約者と、永田町駅改札で待ち合わせる。開演15分前に劇場に入ると、桃太郎大学のTさんがいらっしゃった。さすが、久保田淳先生のお弟子である。

  呂太夫の襲名公演で、客席はぎっしり埋まっていた。寺入りの段、寺子屋の段、よかった。8列32番席で、三味線の息遣いまでびんびん伝わってきた。

  終焉後は燕三師の奥様のお手引きで、舞台裏を見学させていただいた。愚娘は荊妻に連れられて小さいころから観ているので、〇〇太夫は上手くなったわねえ…などと、一丁前の感想を述べている。婚約者氏は初めての文楽鑑賞だったようだが、このレベルのものも観られたのは、僥倖といふべし。

  夕食は帰りがけに買った刺身にする。鮪が美味かったが、ワインがいまいちだった。(汗


5月20日(土)おうた文学会

2017年05月20日 | 公開

  おうた文学会の例会が学習院大学で開かれるので、目白へ赴く。例会の前に、所属委員会が招集されている。会場建物1階で催されている装束展を参観し、10階へ。

  委員会は1時間超かかった。いろいろ懸案がある。私は前委員長で、今期は事務局派遣委員なのだ。

  研究発表会の開会挨拶は、文学部長のKさんだった。昨日、もとの勤務先高校に行き、四半世紀前に使っていた教員室の机を見て感慨に耽ったが、私の前にこの机をお使いだったのが、Kさんだったのだ。

  研究発表3本のうち、トリのTさんのものは、さすが、さすがで勉強になった。匡房集の前半部分って、拾遺愚草に似ているなと思ったので、発表後、その事を申し上げておいた。

  委員会も長くかかった。常任委員会も開かれたからである。秋の大会のプログラムがほぼ確定したが、シンポジウムの司会を指名される。パネリストは5名、有名人目白押しで、どうなることやら。

  事務局スタッフに、大会会場校のN氏と飲む。宛にしていた店が満席で、学習院の大学院に在籍していたねこさんの先導で、和食系居酒屋へ。アベックさんのお邪魔をしながら席につき、どんちゃん騒ぎ。「相模湖」という銘酒を2本空けたが、ピクニックみたいだった。(汗


5月19日(金)古巣勤務先へ

2017年05月19日 | 公開

  年に1度、高大連携ということで、勤務先大学の附属高校へ授業をしにいく。四半世紀前、8年ほど勤務していた学校だが、校舎もずいぶん建て直され、面目を一新している。かつての同僚も、ずいぶん少なくなったが、それでも何人かの先生に、やあやあやあとご挨拶した。

  50分授業を2つ。だいたい、予定した内容を話すことができたが、ハンドアウトに誤植があって冷汗一斗。文学部へ進学したいのですが、就職はどうですか?と質問されたので、おやめなさいと言っておいた。

  午後は新橋方面で打ち合わせがあったので、メトロを乗り継いで虎ノ門へ。「竹泉」でりんだもぢり、ほど近いカフェで書類に目を通してから、約束の時刻に事務所を訪ねる。降りかかってきた火の粉を払うの体で、相談相手に災難でしたなあと同情されたが、これもまあ、人生勉強だ。考えてみればバカみたいだが、利益相反ということは十分に理解してつもりだが。

  新橋まで歩いて、JRに乗る。魚屋で宍道湖産の蜆を買ったが、存外小さいものでがっかりした。砂出しをして洗い、小分けにして冷凍した。松江人には、蜆汁が必須なのだよ。

  さて、松江の家をどうする?と老母に話を向けると、不機嫌になった。帰るつもりはないらしい。仏壇には位牌が入っている。ご自分の位牌も、文字を赤くして入れてあるのだが、さてさて、どうしたものか。なにしろ国宝松江城至近の、茶室付きの昭和家屋だから、手直ししてゲストハウスにしようかというアイデアが、最近、頭をよぎっている。


5月16日(火)今日は保険の更新手続き

2017年05月16日 | 公開

  社会人講座へ行く。昨日の昼食は最寄り駅構内の立ち食い蕎麦屋で、掻き揚げ蕎麦をりんだもぢったが、台が残念であった。そこで「湯津上屋」へ開店と同時に入り、「冷やかけすだち」の今夏食べ初めをする。

  講座では「無常」の歌を読んで、直帰。乗換駅でワインを買ったが。

  老母の傷害保険の更新に、保険会社の人が訪ねてきた。説明を受け、松江で継続していたものを、そのまま更新した。本人が署名しなければならない。今はまだいいが、こういう手続きは、状態が状態になったら、どうするんだろう? 存外日本社会は、そういう究極において冷たいのかもしれない。老人は早く死ねということなのだろう。

 

 

 


5月15日(月)訪問看護

2017年05月15日 | 公開

  要介護2の老母へのケア措置として、訪問看護をお願いすることになり、ケアマネージャーさんと看護師さんに来ていただいた。週1回、訪問していただき、1時間ほど様子を見たり、運動の指導をしていただくことにする。

  そろそろデイケアや、ショートスティもお願いしなければならない。ほんとうはあちらこちら、下見に連れて行くべきなのであろうが、そんな時間は無いし、先日、ケアマネージャーさんお薦めの、比較的自宅近くの施設本人がつむじを曲げないようにと、恐る恐るだ。


5月14日(日)下見がてら

2017年05月14日 | 公開

  愚娘から荊妻に、母の日の贈り物が届いた。離れて暮らしていると、気を遣うものなのであろう。遠きにありて想うものなるべし。

  さて、サントリー美術館の絵巻展が最終日で、ついでに愚娘の式場、披露宴会場も下見しようと、六本木へ赴く。結構歩いた。

  隣駅のデパートへ移動して、荊妻注文の靴を受け取り、夕食の総菜を購入する。なんとなくローストビーフが食べたい気分で、安めのものを買ってもらい、帰宅する。稚鮎と山菜の天婦羅も作ったから、豪華な夕食だった。


5月13日(土)打ち合わせの後、バーへ

2017年05月13日 | 公開

  おうた文学会関係の打ち合わせが15:30。その前に1件、面会を受ける。打ち合わせは1時間半を要し、その後、一同で軽く夕食を摂る。へえ、Mさんが研究院長をおやりになったのは、一般でいう学部長、研究科長だったのか。さすが、帝国大学を出た方は違う。Mさんと、私の指導教授のご長男であるFさんは、大学院教授なのだそうである。私と、事務局のNさんは、ただの学部教授である。大学院本属になると、大学院の定員を充足しなければならぬから、大変でしょうと申し上げた。私にとっては、大学院はおまけであり、エフォート換算されないかわりに、人気が無くても目くじらは立てられない。定年間近の二流大学教授というのも、気が楽といえば楽ちんだ。

    事務局のN氏を誘い、「家鴨社」へ入ると、ちょうど浜田真理子の新しいLPが届いたところで、マスター、早速かけてくださった。

    帰宅したら、夕食を摂って帰ることを荊妻に言いそびれていて、叱られる。コミュニケーションを密にしておかなければ、それぞれの母親と同居生活は、うまくたち行かない。深く反省。


5月13日(土)いやな気分で

2017年05月13日 | 公開

  結局、どうしても気に入らぬ人間というのが存在する。どこをどう、逆立ちしても、不快この上なく、その御仁と関わりを持ったこと自体、我が人生の誤算と言わざるを得ない。しかし、過去はリバースできぬ。今できる最大限度の「善処」を措置して、遠く逃げ去るしか手は無い。そういう御仁には、今まで2人出会った。その2人は、非常によく似通っている。思い出すだにすらさへ、不快である。ああ、おいらはほんとうに、お人好しだ。お人好しは、最後に、損をする。(涙

  昨日の夜の会議は、弁当を食って、1時間で終わった。意識的に私がリードしたからだが、もうこの歳になると、人生の時間は、貴重である。 Le Temps mange la vie.とならぬよう、用心せにゃならんぞ。

    砂時計の 砂落ちて行く 絶え間なく 遅くもならず 早まりもせず(右往左翁)


5月12日(金)てんやわんや

2017年05月12日 | 公開

  春学期は金曜に授業が入っていないのだが、その分、あれやこれや、変則的な予定だらけとなる。今日の為事は、かくのごとし。てんやわんや、だ

(1)ゴミを出す。

(2)家の周囲と、横の公園を掃く。

(3)一家の朝食を作る。

(4)9:00、自家用車にガソリンを入れる。

(5)9:30、姑殿を車で地域センターまで送る。

(6)ドラッグストアで買い物をする。

(7)11:00、老母をケアセンターの見学に連れて行く。

(8)老母の昼食を作る。

(9)16:00、法律事務所で打ち合わせ。

(10)18:00、大学で会議。


5月11日(木)しゃべりっぱなし

2017年05月11日 | 公開

  昨日の学位委員会で、S君の博士学位請求論文受理の件が承認された。予想通り、タイトルについて若干の質疑が生じたが、このまま来週の教授会が通れば、神速で事を進めることにしようと思う。秋にももう一人、提出を予定しているOBがいる。

  さて、本日は、午前中から卒論ゼミに大学院関係の授業、そして研究会と、なんだかずっとしゃべりっぱなしだった。昼飯は交差点脇の「てんや」でうどん付きを食べたが、大失敗。老人が飯を食う店では無いと知る。(汗

  研究会終了後、例によって「かわうち」へ。「銀盤」の一升瓶2本を空ける。ううむ、もの要りなことだ。そのうち、荊妻に、殺されるかもしれない。(汗

  居眠りして、電車を1駅乗り過ごした。荊妻に電話し、バカ!と言われて、引き返す。駅からの道すがら、新しいコンビニが開店したので、買い物をしたら、オープン割引券をもらった。帰宅してそれを荊妻に渡すと、私も行ったのに貰えなかったわ!とおかんむり。

  今週は、明日も、明後日も、予定が立て込んでいる。まったくもって、飛び立ちかねつ、鳥にしあらねば、である。昔の人も同じだったということが分かるのが、けだし、人文学というものなのかもしれない。

  そうそう、先日新調した、カメマンネン製跳ね上げ式眼鏡は、至極具合がよい。

 

 

 


5月9日(火)ケアマネージャーさんと契約

2017年05月09日 | 公開

  社会人向け講座の前に、山陰合同銀行の東京支店に行って、松江の家屋の植木管理についての費用を振り込んだ。講座の会場のこんな近くに支店があるとは、知らなんだ。老母の講座は合銀しかない。そうか、ここに来れば記帳も可能であることを知る。

  昼食はカレーを食った。注文してから、朝も残り物を食べてと荊妻に言われて、カレーを食ったことを思い出した。呆け呆けである。(汗

  社会人向け講座は、1回で13首の歌を読む。2人1組のペアワーク?をしてもらったので、5分延長した。それで、教卓の脇に忘れ物をして、あとで連絡が来た。(汗

  急いで直帰する。実妹が来てくれていた。1時間ほどして、ケアマネージャーの方がおいでになり、老母と話をしていただき、契約を交わした。要介護認定が出たので、今後のケアについて要望をお話しする。しかし、どうもここに至って、老母はデイケアに行くことに気乗りしない様子を示し始めた。このことは、かねて予想はしていたのだが、私の胸にどんよりとしたものが兆してきたのも事実。ケアマネージャーさんがお帰りなるのと入れ違いに、荊妻が帰宅、食事の用意をしながら、報告を行った。実妹の家も、大きな試験をいくつか控えた甥っ子のことなどがあるので、気安く手を借りるというわけにもいかぬ事情がある。しかし、そのあたりの受け止め方は、すっきり行くものでもなく、正直、ちょっと、しんどくなってきた。

  老母と話すと、最後は、お前にお任せである云々と言う。それなら言うことを聞けと、強圧するしかない。今まで、松江から連れて来る際も、こちらで医院に掛かる際も、最初はひどく渋ってきたのを、無理強いに断行したが、移動も意外なほど楽ちんで航空会社の方々には非常に親切にしていただき、新しい医院でも看護師さんや先生がたいへん懇切で、すっかり気に入ってしまった。しかし、松江の病院では、若い医師と完全にミスマッチ状態となったこともある。

  新しい事態に乗り出すことの不安は理解できる。それが、かえってよい思いに繋がるかどうかが肝心で、さて、どうなるか…。今週末にケアをお願いする候補施設の見学に行くことになったが、納得してもらえるよう、うまく取り計らわなければならない。そこが、分かれ目だな。

  実妹に、長期的にはどうするの?と問われたが、早晩、そういうことも決断しなければならないだろう。そうこうしているうちに、私も死ぬに相違ないが、先の見通しは全く立たない。

  今日は社会人向け講座で、おそらく死ぬ間際の老歌人の歌13首を読んだ。昨年度は学部2年生の演習で同じ作品を読んだところ、学生にはピンと来なかった様子で大失敗したが、老齢となった自分には、いたいほどよく分かる歌境と思う次第であった。