そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月26日(土)和歌刻土器

2017年08月26日 | 公開

  和歌を刻んだ土器が出土したそうである。

     われによりおも/ひくるらむしけい/とのあはすや(み)/なはふくる/はかりそ

    (我により 思ひ括るらむ 絓糸の逢はず止みなば更くるばかりぞ)

  
  修辞的には「より(撚り」「ひ(杼)」「くる(繰る)」で「絓糸」に続け、絓糸は横糸に用いる(クロスしない)から、「逢はず止み…」に続けたもの。縁語仕立ての歌である。

  どういう経緯で作成された遺物なのだろう?


8月25日(金)鎌倉掃苔記

2017年08月25日 | 公開

  大学院合宿最終日は、鎌倉散策とのことだが、今年最後の猛暑ということで、あまり頑張らないようにお願いした。鎌倉駅まで移動して荷物をコインロッカーに入れ、伝阿仏尼墓と、実朝墓を見てから、浄光明寺の冷泉為相の墓に参った。本日は公開日ではなかったので、庫裏で鍵を借りて、裏山に登る。

  全身、汗まみれになった。小町通りに出て蕎麦を食い、解散する。ショートステイに出していた老母を迎えるため、15:30には帰宅できているようにJRに乗る。東京の北の端まで乗り換え無しに戻れるのは、まことに楽チンだった。荊妻は名古屋方面へ調査に出かけたので、夕食は姑殿、老母の分と3人前用意した。サザエが安かったので、壺焼きにしてみると、喜んでお召し上がりになりましたわ。


8月24日(金)逗子合宿

2017年08月25日 | 公開

    大学院の合宿は23日から2泊3日で、ほんとうに久しぶりに逗子で行った。

    研究発表を7本聞いたが、まあ、レベルはいろいろ。直近、10月に学会の大会発表をする博士課程の院生については、これで発表資料を確定しなければならない。内容についても、あれこれ指摘があった。

    いったい何のために、その研究をする必要があるのかという、「動機」を明確にする必要があるだろう。他人が手を付けていないというのは、大きな「動機」になるわけだが、研究する価値があると、きちんとアピールできるかどうかも、大切だと思う。私が院生の頃には、先輩から、お前の研究はいったい何の意味があるのか?と、しつこくしつこく、意地悪く問われたものである。

    発表が終わり、少し時間があったので、近くの海岸に出てみた。

    生しらすを食おうと思ったが、適当な店が見当たらず、結局A君と駅近くまで行って、「吉田類」を決め込む。生ビールの中ジョッキを飲んで、宿に戻った。


8月18日(金)娘が結婚した

2017年08月18日 | 公開

  ひとり娘が結婚した。「これから区役所へ行って婚姻届けを出してくるからね。長いあいだ、大事に育ててくれて、有り難うね」と挨拶して、家を出て行った。10:15に受理してもらったと連絡がきた。じゃんけんで、自分が世帯主になったとか。昔流とは、大いに異なっている。

  夕刻、新宿西口で、相手のご両親と私たち夫婦、それに、新郎新婦?の6人会して飯を食った。こんなことなら、入籍後、神社で挙式だけしてしまったらよかったのにとは、荊妻の言だが、確かにそのほうがリーズナブルだったかも知れない。披露宴は、仕事の都合もあって2ヶ月半ほど後となっている。

  食事の後、結婚指輪を交換して、お店の入り口で記念撮影した。新宿駅構内で解散したが、別れてから、荊妻が急に泣き出したのには、まいった。自分もまた、なんだかとても、さびしい気がしてきた。

    百千万 億のちちはた むかしより かかるおもひを いだききにけむ(右往左翁) 

  


8月16日(水)松江をあとにする

2017年08月16日 | 公開

  チェックアウトの後、実家を最終チェックしてから、菩提寺へ行き、お墓の供花などを処理する。時間が少しあるので、荊妻が佐太神社へ参りたいと言い出し、車を飛ばす。誰もいなかった。

  湖北線に出て、秋鹿の道の駅で宍道湖の波打ち際に出てみた。穏やかで、きれいな湖水だった。宍道湖は、蜆湖だなあと、貝殻を見て思う。

    しんじこを しじみのうみと おもひなす みづのふるさと あとにするひに(雲州甲乙人)

  レンタカーを11:00までに返す手はずで、ガソリン満タンにして、30分前に営業所に到着。問題はなく、空港まで送ってもらった。飛行機の出発まで時間が十分あり、また出発も機材の関係で15分遅れたから、空港3階の食堂、向かって左のお店に入って、割子蕎麦を食べ、七冠馬を2人で4合ばかり飲んだ。蕎麦は店の前で打たれており、水準のものであった♡

   おぢぢうつ いづものそばは おだしくて ふとくもあらず ほそくもあらず(雲州甲乙人)

   みひらなる わりごのそばの ひとひらに とりのたまごを わりいれてくふ(雲州甲乙人)

  帰宅すると、ちょうど老母がショートステイから戻ってくるところだった。明後日の入籍を控えた娘も、トランクを引きながら帰ってきて、夕食は、娘のリクエストにより天麩羅にした。ただひとり持ち得た娘なので、感慨深いもの、無きにしもあらずだ・・・。古い写真、松江から持ってきたものを含め、すこしながめながら。

    ただひとり わがもちえたる むすめなり もとめにこたへ たまねぎを揚ぐ(右往左翁)


8月15日(火)掛幅の整理

2017年08月15日 | 公開

  荊妻が老母から、実家にある掛幅でよいものは、与謝野鉄幹が糸原家で揮毫した短歌幅くらいだが、よかったらあげると言われていたので、押し入れの中の掛幅を整理する。大きな櫃一合分と、箱も大量にあったのだが、全部開いて内容を記した紙を付けていった。肝心の鉄幹幅は、ようやくほとんど最後になって発見。そのほか、式亭三馬や冷泉為村、北村季吟など風呂敷一包み分ほどいただくことにした。そのまま宅配業者のステーションに持っていくと、米30㎏を入れる箱にぴったり入った。

  残りの幅は、風を当て、デパートで防虫香を買ってきて措置をした。句幅がやけに多かったのは、誰の趣味ならむ?

  夕方、盆送りをして、ホテルに戻る。夕食は京店の中華料理店に入ってみた。

  終日、掃除と整理で、疲れ果てた。


8月14日(月)棚経

2017年08月14日 | 公開

  宿泊しているホテルの朝食バイキングは、もちろん、地元の産品が用意されている。当然、蜆汁もあって、蜆と刻み青葱が入れてあるお椀に、味噌汁を注ぐようになっている。昨日は蜆の量が物足りなく思ったが、そうか、勝手に増やせばよいのだ!と思いつき、3碗分の蜆を一緒にして、空いた椀は食器を下げるワゴンに返して、汁を注いだ。明日は5杯分入れてやろう。松江人は身を食うわけで、これくらいでないと吸った気にならない。

  さて、今日は午後、棚経に来ていただく日なので、実家へ行き、少なくとも食料品類は始末してしまうことにした。市指定のゴミ袋をコンビニで買ってきて、冷蔵庫の中をあらかた空にし、ストックされていた味噌や梅漬けも処分することにした。ガラス瓶が大量に出たが、リサイクルスポットへ出しに行った。

  菩提寺から棚経にみえ、これでお盆のメインイベントが終わった。ほっとした。

  「向月庵」でお菓子を買う。昨日は休み、明日からも2日はお休みで、ちょうどよかった。配送をお願いしていると、クロネコヤマトさんがおいでになる。ホテルにトランクが着かず鳥取へ行ってしまった件を申し上げると、ああ、××ホテルの・・・と、ご存じであった。関東からの荷物はいったん広島に届き、そこから配送するのだそうだが、その際の誤配だったらしい。非常に珍しいケースだそうで、私もこんな経験は無かった。

  早めにホテルに戻り、温泉に入って、夕食は和食が続いたから、「西洋軒」へ行く。1階カウンターでシチューとエビフライのセットをお願いした。エビフライは背開きにして揚げてあり、珍しい調理法だが、武家の城下町らしいと思った。

  雨が降り出したので、ホテルに戻り、ワインのボトルを空けた。あとは盆送りをするのみだ。


8月13日(日)我が故郷、我が鎮魂

2017年08月13日 | 公開

 

  泊まったホテルの食堂からのレークビューはみごとだった。バイキング形式だったので、仏壇のお供え用の白飯などを、こっそり確保した。(笑

  実家へ帰り、掃除をする。半年締め切っていた家を開け放ち、風をいれ。掃除機を掛けて拭き掃除をすれば、さほど傷んではいなかった。外に出していた鉢植えは、枯れ果てていたけれども・・・。近所にご挨拶に回った。

  11:00に南田町のゲストハウスの見学に行く。中学高校の同級生H君の妹さんがやっておられる、古民家再利用。ご祖父母が暮らしておられた、大正期の民家を、貸家にしておられて、リニューアルされたものである。本当に素敵だったが、何気なく置いてあった竹製屑籠に、感激。これは、かつておそらく、松江のどの家にでもあった屑籠ではないだろうか? 私の育った家にもあって、今でもなつかしく思い出す。今でも作られているのであれば、入手したいとずっと思ってきたものである。いやはや、ほんとうに懐かしかった。

  妹さんと、ご友人のインテリアコーディネータのKさんを御案内し、実家を見ていただく。Kさんの姉上は、どうやら、H小学校が私と同期らしいのだが、人数も多かったし、記憶にない。(汗

  結果、家屋自体はしっかりしているので、片付けさえすれば、貸家もしくは貸しオフィスなどにすぐ使えるのではないかとのこと。まあ、ロケーションは国宝松江城のすぐ横で、最高である。実妹と相談してみよう。

  それから墓参り。花を立て、灯明と線香をあげて、本日のメインイベント終了す。

  昼食は「ろんじん」へ行く。かつて松江にあった、しゃぶしゃぶの名店だが、堀端に開店、オーナーも何もかも代わり、店名と調度類だけ引き継いだとのことであった。まあ、このロケーションなら、観光客は入ることだろう。

  それから、家の管理をお願いしている従姉の婿殿、T宮司のところにご挨拶に行った。

  夕方は、I電鉄会長ご夫妻との会食で、T宮司も呼ばれ、電鉄駅近くのお店で、すっかりご馳走になった。正真正銘、宍道湖産の鰻と、モロゲエビが供されたのには、しんそこ感動いたしました。

これやこの 宍道の湖(うみ)に 棲むといふ あをてふ名なる 鰻なりけり(雲州甲乙人)

これやこの 宍道の湖(うみ)に 棲むといふ もろげえびなり てながではなく(右往左翁)

 

  明日は棚行である。それが済んだら盆送りで。明後日帰京し、娘を嫁?に、出さねばならぬ。

 

 


8月12日(土)松江に到着

2017年08月12日 | 公開

  お盆の墓づとめのため、荊妻と一緒に松江に帰った。老母をショートステイに送り出し、羽田空港へ向かう。昼飯は焼き肉定食をたべたが、美味くなかった。搭乗口が変更となり、バスで搭乗機まで連れて行かれた。

  車は処分してしまったので、レンタカーを借りる。そのまま、同級生のH君が経営している花屋へ乗り付け、かねてお願いしていた墓と仏壇の供花を受け取り、スーパーで供物を買って、半年ぶりに実家へ行ったが、掃除は明日ということにした。市役所近くのホテルにチェックインすると、出身高校27期の同窓会場の表示が。私は26期だが、還暦同窓会ならむよ。知り合いは数名いるけれど、面倒なので、荷物を置きに部屋にあがる。そうしたら、12日夕刻までに届くはずの宅配便が、まだ届いていない。フロントに頼んで追跡していただくと、トランクは鳥取へ誤送されてしまい、明日朝にならないと届かないとのこと。もう一つの土産は、遅く届くようだ。まあ、仕方ない。控えにはちゃんと、「島根」と書いてあるのだが、「鳥取」と見誤ったか? まあ、参院選挙区は合区になったから、似たようなものなのかもしれない。

  さて、夕食はと街に出る。お盆休みだからなあ。「西洋軒」は、仕舞いになっていた。京店商店街を抜け、大橋の北詰に出ると、「中村BAR」のマスターとばったり、「先生!」と声を掛けられた(ちぇっ、松江でも「先生」かよ)。どこで飯食ったらいいですかね?と相談すると、即座に、「やまいち」に行きなさいと勧められた。そこで大橋川端を新大橋までたどって、道を渡る。

  松江で、飲み屋に行くことはほとんど無い。「やまいち」は有名店だが、1978年に母校で教育実習をした際、毎晩いろいろな先生に東本町のあちこちの店に飲みに連れていかれたが、その時に入って以来だと思う。実に40年ぶりということになる。

  豊の秋の冷酒を3本空け、美味しそうなものをいろいろいただいた。中でもめばるの唐揚げは、なかなか美味しかった。また来ようかな。カウンター席左隣の男性お二人は、蜆汁を吸っていらっしゃった。おでんも美味しそうだが、また今度ということにした。

 

 


8月10日(木)娘の転居手伝いほか

2017年08月10日 | 公開

  娘の引っ越しの手伝いに行く。自家用車に荊妻を乗せて、高速は使わなくていいんじゃないと言うから、一般道を行けば、渋滞につかまって予定到着時刻より30分余計にかかった。その後、荊妻を勤務先まで送って引き返し、荷物を積んでほど近い新居まで運んだ。そこで、老母から預かった結婚祝いを渡して、はい、さようなら。帰りは高速に乗ったから、13:00前に帰着、老母の昼食を10分で作って、食べさせることができた。

  荊妻、今晩は同僚および非常勤の先生と飯を食うよしで、そんなことは聞いてないぞと言えば、カレンダーに書いてあるでしょとのたまふ。うつらうつらしているともう夕方。老母と姑殿の御飯を作らなければならない。

  御飯は今朝の残りがある。おかずは、大量にストックのある玉葱を切り、豚肉と木耳を炒め合わせて主菜とした。味付けは、モランボンの焼肉のたれで誤魔化す。枝豆を半袋、さやの端をキッチンばさみでカットし、味噌をまぶしてスチームケースで2分電子レンジにかけ、味噌を洗ってから塩をふって、また1分半レンジにかける。うまい具合に味噌が染みて、歯でさやをしごけば、美味しいつゆと一緒に枝豆が口に入ってきて、まことに結構な一皿となった。これは、「高七」で時々出てくる、お酒の突き出しをパクった一品なのでありんす。

  ちょっと何か、足りないなあと思い、久しぶりに卵焼きを作る。卵三個を割り、つゆの素とみりんで味付けして、三回に分けて焼いては巻き込む。もちろん専用のパンを使う。最後に表面にみりんをたらし、てりを出す。老母は大きなものは食べられないから、縦に切ったうえで、横に切った。ふと思いついて、一つおきに向きを変えてみる。いかがであろうか?

  まあ、この程度のおかずを5分で作ることができるのは、水準の手際なのではと思う。部屋の片付けはできなかった。荊妻が帰ってきたら、叱られるに違いない。

  で、帰ってきたら、痛い痛いという。東京駅で転倒して、手首のところを打撲したという。それはご災難だった。

  高校野球は、島根代表は負け、大学の系属校も負けたようだ。北朝鮮がミサイルを発射するという。島根上空を通過すると、TVは騒いでいるが、まあ、人口密度が低いから、危険は少ないのでは・・・などと思っては、不謹慎なのだろうけれども・・・。ホワイトハウスの前には、大統領をたしなめるチキン風船が出現したという。ううむ、やはり現実は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」しにくい世界と、あいなったということか?

  「卵焼き 上々首尾に 焼き上げて ミサイル飛ぶ世 横に眺むる」雲州甲乙人


8月9日(水)難波の食事は

2017年08月09日 | 公開

  昨日は終日、ぶっ通しで文楽を観たので、いささか疲れた。本日も午後は蝠聚会で、午前中は空いていたので、東洋陶器美術館へ行ってみたが、休館だった。仕方が無いので、中之島図書館で時間を潰した。

  11:00になんばで同志社の学生M君と待ち合わせ、551の本店で昼飯を食う。

  蝠聚会が終わって、新大阪へ。もう1時間遅くしたら、梅田で古書店へ行けたのだがな。新大阪もすっかり変わってしまって、時間つぶしにスペインバルで1、2杯。鱧のアヒージョというものを食してみた。

 

  ポスターの文言、「若手の・・・」が「岩手の・・・」に見えた。老眼が進んだらしい。(汗

  


8月7日(火)台風接近

2017年08月07日 | 公開

  やっとこさ春学期の成績処理を完了した。8月8日が入力締め切りである。インターネット上で実施している講義は、「不可」が半数以上というか、4分の3になった。3分の2以上のコンテンツを受講していない者は自動的に「不可」であり、試験を受けなかった者も「不可」であり、試験が0点だった者も「不可」である。まあ、こんなものかもしれない。単位取得となった受講者の成績分布は、至極正常だった。心を鬼にするも何も、対面授業では無いので、情けは掛けようもない。本科目を学部の「ドハマリ科目№1」と称する。えいやっと、成績を確定した。な恨みそ。

  台風が接近している。明日は荊妻のお伴で大阪行き。老母はシュートステイに預けた。部屋を片付けるよう命じられているが、はかばかしく行かない。来週はお盆で、墓づとめのため帰省する。レンタカーを手配し、土産をホテル宛送ってもらえるよう手配した。

  荊妻は、昨年度の卒論を刊行すべく、執筆した元学生と、編集者と、打ち合わせとのこと。夜はギンザのワインバーだそうだ。夕食は姑殿と二人ということになる。この卒論は、ちらっと読ませてもらったが、たいへん上首尾な作物だった。さすが、女子大学である。

  明日は本当に、大阪に行けるのかいな? 文楽をずっと観るのだそうだ。