そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月31日(月)満開

2014年03月31日 | 公開

  まったくもって、ピーカンカンの快晴である。桜は一気に満開と化す。画像は自宅脇の公演の桜。町内会の花見は週末だが、この調子では到底持つまいよ。

  大学へ行っていろいろ手続き。最初の授業の配布資料ももう印刷した。なにしろ明日が入学式で、5日から授業開始なのだ。高校よりも早い、小中学校よりも早いだろう。我が国はどうなっておるのだろうか?

  本日読むべき一冊は、間違いなく水原紫苑さんの『桜は本当に美しいのか』であろう。和歌の読解が半端じゃない。さすが一流歌人。

    消費税が上がる前に、駆け込み需要が高まっているらしい。同居人も、この際、冷蔵庫を買い替えると言い出し、注文して金払ってきたという。私は税金を払うのはよいことだという変てこな教育を施されてきたので、税率上がってから買うかな…とヘソ曲がりな発想をしてしまうんだなあ。だいたい、私一人が払う税金総額で、公務員の一人も雇えないだろう。消費税を上げるのも国をたちゆかせるためと考えれば、お国の為に税金は払うべしとなる。どうせ取り立てられるんだから、爪に火点すようなことをしても仕方なかんべ~と思いまするがな。

  というわけ?で、 昼食は同居人にナイショで「とん太」へ行った。一番乗りで並んだら、すぐに長蛇の列。特ロースは1枚しかないとのことで、勿の論でゲット、こいつア春から縁起がいいわへ。 


3月30日(日)講演と宴会

2014年03月30日 | 公開

  姑殿と同居人は、お彼岸に行けなかったからと墓参りに出掛けた。あちらで娘とも落ち合うらしい。桜御飯を炊いて、おにぎりにして持たせた。さて、私は、E区にある公園内施設で催される「花の宴」で講演を頼まれている。

  E区は東京都の東端なれば、日本橋でメトロを乗り換える。いったん改札を出て、「丸善」から、このたび中京地区でのご就職が決まったTさんにお祝の品を送った。長らく苦労されてきたが、よいところに専任が決まり本当によかった。どうかお使いくだされ。

  講演の1時間ほど前に会場に着いたが、雨がひどかった。公園内の桜が美しいが、あいにくのお天気である。講演は90分で質疑も受けた。90分は、大学教授なら誰でも、目をつぶってもきっかり喋れる時間である。まあ、お客?の顔を見て、標準を団塊の世代ないしその上に定めた。

  しかし、金日成に似てるだの、柳亭痴楽に似てるだの言うと、なんであそこまでウケるんだろう? ラチもない話ですなあ。

   来聴者の中に短歌をお詠みになる先生がいらっしゃった。御作を披講したが、ついでに自分も腰折れを一首詠む。「雨中花」の題にて。

      雨もよは泣きの涙か たちまちに開けし今日の花のゑみ顔 有若亡

  呈茶などがあり、その後宴会が始まる。床は烏丸光廣卿の古歌短冊だった。茶杓の筒を拝見、「やまでら」とのご銘である。高校の茶道部を指導してくださっている先生に黒柿の茶杓を差し上げたら、銘を付けてと頼まれている。出雲国の黒柿材だから、ここはひとつ、「やへがき」とするしかないように思っておるのだが、如何?

  お土産などを頂戴して帰宅する。今日は入籍、明日は挙式した結婚記念日である。娘が祝いにワインをくれたとのこと。結婚した年のワインである。なかなか気のきいたことを考えるものだ。「たのしみは春の桜に秋の月夫婦仲良く三度食ふめし」という、万載狂歌集の1首が添えてあった。さすが、国文学者と国語学者の間に儲けた子どもだけのことはある。保育園児にして上代特殊仮名遣いをすべて覚えていたという、特殊な子だったからな。  家中、日本酒とワインだらけになった。当分酒には困らないぞよ。


3月29日(土)古記録研究会

2014年03月29日 | 公開

  同居人はオープンキャンパスなのだそうで、もうやるのか!と絶句した。高校生が結構やって来るよし。

   浅見先生と伊東さんから新しく出たご共著を頂戴した。古典の文庫本テクストは昨今、充実著しいものがある。

  古記録の研究会のため本郷へ。ここのところ校長の用務と重なりずっとサボっていたが、幹事役のWさんから、今日は必ず出席するよう念を押されたので、謹んで参上した次第。注釈の発表が1件、研究発表を3本聴く。いや~勉強になった。学問の最先端、最前線とは、まさにこの研究会のことである。Sさんの平家の登場人物に関する考証は、今せっせと論文を書いているテクストにも直接関係する面があり、大きな刺激を受けた。尊卑分脈の注記がいい加減であることは、最近のO氏の論文でも痛感したところである。またOさんの陽明文庫の史料調査から浮かび上がってくる報告も、近衛家が本当にゴミのかけらまで保存していることの意義を感じた(研究会の親分もゴミ先生だが:笑)。後徳大寺左大臣の自筆書状がレジュメに掲載されていたので、余部をいただいてNさんにお送りすることにする。

  明日は大雨らしい。講演を頼まれているので、飲み会は失礼して帰宅した。春休みのせいか人出が多い。桜もずいぶん開花した。気温もあがって、なんだか疲れた、


3月28日(金)缶詰研究会2

2014年03月28日 | 公開

  京都での輪読研究会第二日。9:00スタートなので、直前にチェックアウトして会議室へ。延々17:00まで、ただ只管原稿の点検を続ける。途中、13:00から1時間昼食のため、向かいの町屋改装中華料理店に皆で行っただけ。昨日と同じ定食をいただく。今日は置くの2階だった。

  昼食後はスタバのコーヒーを注入したのが効いて、突如進度が上がった。というか、やや荒っぽくなったかもしれない。差し戻しが結構出て、私も不参加者の面倒な手直しを請け負うことと相成った。17:00に会議室を退出、ロビーで1時間ほど作業を続けて、すべてのチェックが終了した! 頭のなかはグズグズ、ずくしのようになってしまった。

  19:00過ぎの新幹線の指定をとっていたので、余裕で京都駅へ移動。車中で食うべく伊勢丹の地下で、筍料理の肴セットに清酒、それから林万昌堂の甘栗の一番小袋のやつを購入。列車を20分早いのに変更して飛び乗ったら、ガラガラだった。

  眼精疲労の極致である。目がくらくらする。昨日は10時間、今日は9時間ぶっ通しで作業したからなあ。

  明日は本郷で研究会。校長の業務とは異なって、学問なれば、ちっとも苦では無いが…。

 


3月27日(木)缶詰研究会

2014年03月27日 | 公開

  7:00の新幹線に乗って9:30前に京都駅へ付く。そのまま地下鉄で四条へ移動、錦市場の「千波」で同居人にリクエストされた紫蘇の実を買い、「ぎぼし」で吹き寄せの発送をお願いして、酢昆布と求肥昆布も購入。さて、研究会は10:00のスタートである。

  今秋出版する注釈の入稿原稿チェックを延々。13:00にいたり1時間ほど昼食とする。皆でK元助手の好きな、京町屋改装の「菜根譚」へ。瓶に桜が投げ入れてあった。都の花だな。

  平日お昼の定食?はお得である。小食のKさんも、たくさん召し上がった。

  研究会は21:00近くまで続いたが、半分も進まない。やばい、やばい。明日は9:00スタートで、17:00撤収となるが、ど、どうなるか?

  私は会場にそのまま宿泊。宿泊組と、いったん帰宅するK元助手とで、「晃庭」という銘酒とおばんざいとうどんのお店へ行った。K元助手に薦められた「蒼空」という伏見の銘酒が美味しかった。このお店は坂本龍馬の妻お龍の実家があった場所なのだそうだ。

  いやはや疲れ果てた。高校の卒業式では、ものごとを為すには1万時間かかると式辞で述べたが、1日10時間ぶっ通しで研究会を続けて、頭はすっかり回らなくなってしまったわい。


3月27日(木)夫婦別々に関西へ

2014年03月27日 | 公開

  岸野寛さんと、兄上の承さんから、それぞれ横浜高島屋での展示会のお知らせをいただく。私は何を隠そう寛さんの大大大大大ファン?であり。茶盌はかなりいただいたが、今は普段使いの飯茶碗から取り皿まで寛さん作を愛用している。お人柄を彷彿とさせる、やわらかく、やさしい作風なのだ。

  さて、京都の研究会へ行くからねと同居人に告げれば、あら、私も大阪で文楽なのよ!だと。お互い、聞いてない!とののしり合った。私は1泊するが、同居人は日帰りのよし。本当に相性の悪い二人である。「ちぎりを込むる?」と話しかけたら、またぞろ殴られた。

  高校の入学式の式辞は、完全に暗唱した。今度は翌日の始業式の訓話?を作らなければ。こちらはまあ、5分でしょうな。時節がら、コピペはいかん!という話にしようか?

 


3月26日(水)ポルノ女優!

2014年03月26日 | 公開

  「ごちそうさん」も終わりですなあ。あと「モヤモヤさまぁ〜ず2」をよく観るが、狩野恵里アナウンサーは誰かに似ているなあ…とずっと考えてきたけれど、昔、浅見美那という80年代にっかつロマンポルノの女優さんがいた!と思いいたった。こういうことを回想する大学教授ないし高校の校長は、さて不謹慎なのでありましょうや?


3月25日(火)大学の卒業式

2014年03月25日 | 公開

  携帯電話を無くした。最後に使ったのは昨日立川の居酒屋で、確かにバックパックに入れたつもりだったんだが…。したたか酔っぱらっていたしな。老耄の身は情けなし。朝からどど~んと落ち込んだ。

 大学の卒業式は決まって3月25日なのである。コースの学位記授与に間に合えばよいのだが、早めに出掛けて「高七」に一番乗り。これが大正解で、15人の予約などが入っていたから、店はたちまち超満員。仏文のK教授も、空しく帰って行かれた。

  ハートランドで喉を潤し、掻揚げ付きをお願いする。「高七」の搔揚げは絶妙に生姜が絡めてあって、えも言われぬ美味さである。カウンターの隣に座ったお客も、掻揚げだけ追加していた。大根の天麩羅が絶品であることいふもさらなり。昨日は「無庵」、今日は「高七」と、生けるしるしあり。昼から飲めるしなあ。掻揚げ食わずんば人に非ず!

  どたばたして大学院の学位記授与の途中から会場へ。続いて学部生への授与。主任が一人一人呼名して、授与して行く。学部の総代は我がコースから出た。面目といふもおろかなり。

  引き続き会議室で会費1000円の「謝恩会」。数年来の伝統だが、これはとてもスマートだと思う。花束をいただく。別に、卒論指導をした女子学生たちから、それぞれ頂き物をした。お気遣いいただき恐縮である。中身は例によって酒らしい。一人は卒業間際になって、内定をもらっていた会社がどうしてもいやになり、教職に就きたいと言い出したので、慌てて口を紹介したが、非常によい結果が得られ大喜び。これは「運」と言うしかない。

  16:30から博士学位授与者の祝賀会へも顔を出す。主査を務めたEさんは母堂とご一緒だった。ご結婚も決まって頂好、頂好。学長と記念撮影。今日の学長は、記念撮影が仕事だろう。会場で教務部長殿とお話できたので、人事の件について念を押しておいた。誰に言うべきかよく分からんが、6月までには何とかして欲しい。

  道でE学部のS教授とすれ違い、ご挨拶した。お弟子さんに新年度から高校の生物の教諭にご着任いただくし、生徒が研究室訪問でお世話になったお礼を申し上げた。S教授とは時々「高七」でご一緒になるので、今日は「高七」で始まりS教授で終わる卒業式の一日であったよ。

  さて、無くしたと思った携帯電話は、やはり立川の居酒屋に忘れていた。問い合わせたらあ「ありますよ」と言われる。きょうびノキアの携帯で、輪ゴムで電池の蓋を押えているのなんか、見向きもされないことであろう。どうも掘り炬燵式座席の、穴の中に落していたようだ。大学から立川へ移動し、駅構内でお菓子をもとめて、居酒屋へ行って引き取った。

  同居人は大学の同期生と食事だとかで、まだ帰っていなかった。すると今度は、眼鏡をどこに置いたかものか見当たらない。もう、ほんまに情けない。風呂に入ったから…。結局、新聞紙を積み上げた間に入り込んでいた。先は長くないように思う。人事の件、よろしくお願い申し上げ候。

 

 

 


3月24日(月)学校法人本部から立川へ

2014年03月24日 | 校長は日々是口実

  早朝から総長閣下(学校法人理事長閣下)の呼び出しを受ける。理事長および理事連と両高校の懇談だそうだ。1時間ほどで何ほどの懇談が…と思うけれど、やらないよりはマシである。10分前には兄貴分弟分高校の校長や事務長、教務あい集い、雁首揃えて指定の部署へと赴く。ちなみに兄貴分の教務主任のお一人は、弟分第三代校長のご子息であらせられる(私は八代将軍…)。

  教務部長から包括的なお話をうかがったが、この御仁も兄貴分高校の出身者である。歴史・規模と兄貴分のほうがずっと古く大きく、弟分は太刀打ちできないが、このたびは県下で偏差値的に最難関校になったことは、理事会側もよく承知しておられたが、だから何だというのか?

  兄貴分は男子校で、弟分は男女共学。兄貴分は中学併設で、弟分は高校のみ。闘い方は相当違うはず。国際化関係で注文を付けられそうだったから、防御線を張った。ジェンダー・バランスの問題で積極的に発言すると、担当の女性理事はニコニコしておいでだった。レジュメも、絶対に弟分のほうが分かりやすくポイントをまとめてあったと思う(私が書いたからな)。

  1時間を少しオーバーしたのは、兄貴分が最後になってごちゃごちゃ要望を述べたからだ。当方はさっさと帰り支度をした。お前のところは赤字である!と言われたけれど、寄付金が全然集まらないから仕方が無い。公的な補助金額も、県は東京都の何分の一かである。

  次期教頭、事務長と「Cafe GOTO」でコーヒーを飲み、情勢分析をする。私の任期は9月20日までだが、それまでにせめて将来計画、ロードマップを明確にしておかなければならない。大学の学部のように検討委員会みたいなものを作ろうかとも思ったが、結局迂遠なことになるだろうと思いいたり、今のところはトップダウンで、やれることはやっちゃおうという気になっている。どこかのお国の総書記になれたら素敵だが、所詮は雇われママであるからなあ。

  メールボックスを確認に行けば、審査を引き受けた博士論文まで届いていたが、それらは明日の話ということにする。H教務主任につかまり、立ち話をした。高校からの進学者の中に少し面倒な事案が含まれている。でも、今の教務も新年度の科目登録を乗り切れば、もう「死に体」だ。もう少しのご辛抱ですなあとお慰め申し上げる。私自身は、もう死にたい!

  15:00から立川のK研で、私が委員長を務める会議が招集されている。12:30に立川へ着くように移動し、「無庵」へ駆けこむ。お銚子1本なら15:00には醒めるだろうとの魂胆。

  ご主人が迎えてくださり、しばらく待って、相席の大テーブルに案内される。燗を1本、それに筍の炊いたんと、蒸し牡蠣をお願いし、普通のせいろを1枚。せいろはおかわりをお願いした。

  左斜め前の男性のお客は、片口で冷酒をやりながら、次々美味しそうな料理を召し上がっている。私も会議が無ければなあ…とうらやましく思いながら、仕上げに蕎麦湯を飲んでいると、ご主人が隣席にお越しになり、先生、もう少しお飲(や)りになりませんか?と蕎麦猪口に銘酒を注いでくださった。斜め前のお客も常連さんとのことで、3人でお話をする。

  常連さんに、蕎麦のおかわりの注文のタイミングが絶妙でしたねェと、変なことで褒められた。蕎麦をたぐっていると、妙な点に目をつけられることがある。大学の近くの蕎麦屋のカウンターでたぐっていたら、隣に座るご老人が突然「えらい!」と大声を上げ、私の蕎麦を啜る音のたて方があんたは只者では無い!と、褒められたことがある。娘の蕎麦食いを自認して、蕎麦部なるサークル活動みたいなことをしているから、これはDNAかもしれん。(笑

  常連さんは地元の図書館の元副館長さんだそうだ。名刺を交換して、ご用があれば講演でも何でもいたしますぜと売り込んでおいた。時計を見たら14:30!

  モノレールに乗ってK研へ行き。定刻通りに会議を始める。Ⅰ時間半ほどかかった。大型の予算が取れたそうで、その対応に大変な様子だった。私は当該委員会の委員を3期6年務め、しまいには委員長を仰せつかったが、これでめでたく任期満了、退任とあいなった次第。最後にご挨拶をさせられた。それから立川駅で懇親会。くまもん大学のM教授のお隣に座らせていただき、光栄であった。KOのOさんの兼好の論文がとにかく素晴らしい!といった話をした。M教授はこのたび定年ご退職とのこと。反対は共産大のK教授だったが、彼がこれほど文楽に造詣が深いとは知らなんだ。浄瑠璃の手ごろな小事典がないという話になったので、同居人に電話しておく(同居人の専門の一つが浄瑠璃なのである)。

  M教授からはウチの高校のK教諭のことを尋ねられた。K教諭はくまもん大学の出身なのである。北海道のH君など、くまもん大学から大学院は××田へ出てきて、活躍している人が何人かおいでになる。

  委員会では相当酒臭かったそうだ(ぜんぶ「無庵のせいだ)。いつものことだから仕方が無いとTさんにも言われた。帰りはT先生と途中まで電車をご一緒する。今度副館長にご就任のよし。国際共同研究って、どうするんでしょうねえ?みたいな話をした。私の研究室で引き受けていた波蘭人院生Gさんの、前の引き受け先がT先生だったのだ。

  明日は大学の卒業式。とにかく今日は飲み過ぎたわい。 同居人はA先生に娘を引き合わせがてらの会食。今夏、娘が亜米利加でお世話になる予定なのだ。


3月22日(土)今日のシンポジウム

2014年03月22日 | 公開

  女子大学のシンポジウムに行く。メジロ通りを東へ歩いていると、先方にご婦人の二人連れ。シンポジウムのリーフレットをお持ちで、会場はどこかしら?という風情なので、もう少し先の、旧田中角栄邸の一部ですがなと教えて差し上げた。

  会場に着けば、もう長蛇の列。後ろのほうに座ったが、一席残らず埋まってしまい、スタッフが追加の椅子を出して右往左往。後で聞けば140名キャパの会場に、180名押しかけたのだそうである。

  内容はなかなか興味深く、前半は和歌、後半は能がテーマだった。正徹の話をした外大のM教授、彼が初めて学会発表をした折に司会をさせられた御仁だが、パワーポイントのスキルが今いちだったぞ。もっと文字を大きく。個人的には、舎路からお越しのA先生の話が面白かった(亜米利加人なのに駄洒落を連発しておいでだった)。また、「ちぎりをこむる」という言葉が相当エッチだというのもしっかりメモった。「夜のちぎり」とは言はずもがな、ベッド・シーンのことですな。

  懇親会にも参加させていただいたが、たいへんに充実した、近来稀に見るシンポジウムだったと思いまする。

  帰宅して同居人に、「ちぎりをこむる?」ともちかけたら殴られた。入学式の式辞で、高校生の時はじめて女の子とキスした時の話をしようと思うが…と相談したら、そんなことは止めときなさい!と窘められる(ちなみに相手は、もちろん同居人ではない)。

  M教授はずいぶんスリムになられたなあ。こっちは、いつもは何とも思はぬからだが、今日は重うなつたるぞや(平家物語・木曾最期)である。あやまちすな!


3月19日(水)新年度教務スタッフの顔合わせ

2014年03月19日 | 校長は日々是口実

  高校の教務スタッフは4月1日付で、教頭以下全員総とっかえとなる。その顔合わせというか、打ち合わせのため高校へ行く。新年度の1年クラス編成や、2年の特殊なクラスの構成に関して、実に心配な状況が続いていたのが、本日そのいずれもがクリアされたのでひと安心。併行して、落第生の面談も進められていた(ウチの高校は進級の成績要件が厳格なので、落第は普通のことなのだ)。現教頭は明日から、東日本大震災被災地へのボランティア生徒引率のためご出張。お土産に大量の饅頭を持っていくとのこと。現地では大歓迎だそうで、饅頭の数が間に合うか心配。いざとなったら1コを分割して配るしかないかも。

  高校の統治システム?は、校長の私が学校法人に任命されて落下傘降下し、パートタイム(時給500円也)で箇所長を務めているが、実際の切りまわしは、職員会議の選挙で選出される教頭が行政権を掌握しており、正副教務主任など組閣人事も教頭の専権事項である。すなわち、校長は単なるお飾りにすぎない(だから時給がこんなに安いわけだ)。例えれば校長が大統領(総書記と称する人もある。それならば実権をともない素敵だがね)で、教頭が総理大臣、そして理事長が神様という仕組みである。

  この点、兄貴分高校は、内部の教諭が職員会議の選挙によって校長候補に選出され、それを理事長が承認するシステムをとっており、弟分とは全然異なる。兄貴分のY校長はもう10年も長をなさっているが、私の任期は2年限定、本年9月まであと半年の命?なのだ。

  このたびの教頭以下の全交替は、共和党から民主党に政権が交替したみたいなところがあるかも。まあ、好きなようにやってくだされと、新政権と良好な関係を構築することが目下の課題なのだ。打ち合わせで繰り返し申し上げたことは、この校長を悪者にして改革を進めてねという点。こんな校長も珍しかろうが、高校でどんなに業績をあげたところで、私自身のプラスには何ひとつならない。本業とは、全然関係ないことだからだね。だから気楽なのさ。

  来週は理事長閣下に呼びつけられている。そのことについても皆さんにご意見を求めた。学校法人理事連は、高校への理解が欠如していて、正直ケッ、アホどもが!と思うのだが、昨今対話も必要と感じているらしいのは、一定の前進である(私が五月蠅いことを喚くからかも知れぬ)。高校側もいい加減、被害者意識、ルサンチマンをつのらせているばかりでは、どうにもしようがなかんべ~よ。要は、どうやって攻勢をかけ、どうやって勝利するかだ。高校の運営は、軍事作戦、戦争と一緒と、軍事オタクの私なんぞはついつい考えてしまうがなあ。校長室の抽斗の中には、K教授に校長就任祝いとしていただいた南部式拳銃に、実弾を込めて、常に自決用として用意してある。それぐらいの覚悟は、一介の校長だって持っているのであ~る。

 


3月18日(火)送別会

2014年03月18日 | 校長は日々是口実

  退職される教員の送別会が開かれた。このたびは体育科の2名が定年を迎えられた。恒例により、校長が最初の挨拶を言上する。お1人は元世界チャンピオン、もう1方は小中高の教員を経験され、この高校の立ち上げ準備の段階から参画された最古参の先生である。

  まあ、教師の話は長いのは相場が決まっているが、ちょっとしんどかった。それでも20:00過ぎの新幹線に乗れたが、正直へとへとである。

  同居人は編集会議が22:00まで長引いたとかで、さらに遅く帰ってきた。成績はといえば、またぞろ壊滅、玉砕らしい。ううむ、論文指導に自信がなくなってしまったぞなもし。(涙


3月18日(火)進級判定会議

2014年03月18日 | 校長は日々是口実

  1、2年生の進級判定会議と、臨時職員会議を開くため高校へ。持参の報告資料は印刷に間に合った。進級判定会議というのは、まあ、落第させるのは誰か?という厳しい会議である。進級については非常に厳格な学校であり、成績に関して情状の入り込む余地は全くない。ただし出欠要件はいろいろな事情が斟酌される。例えば部活動中の大怪我で入院したとか、そういう場合は実質上問題とされない。

  臨時職員会議の最後に、退職される教諭に感謝状をお渡しした。理事長閣下の代理である。お一人の先生の感謝状に年号が抜けていて、焦った。

  昼食は近所の蕎麦屋へ行く。短冊を三つ折りにして筆ペンとともに持って行き、このお店を詠んだ愚作を揮毫して花番さんに呈上したところ、突き出しをサーヴィスしてくださった(実はビールの小瓶を飲んだ)。短歌1首で1品ゲットとは、大もうけである!

     店の名は螺か喇かさては裸ならむとおもひめぐらし蕎麦切たぐる

  HPに載せる文章の推敲などをして、時間を潰す。17:00から退職教職員の歓送会。

 


3月17日(月)松江から

2014年03月17日 | 校長は日々是口実

   昨日の強風は、春一番だったらしい。さて今日は、St Patrick's Dayだったんじゃなかったかな? 緑色のものを身に付けねば…。

  松江を発つ日である。老母が、李朝の雲鶴青磁茶盌を持って行く?と言うので、呉れるというなら…と貰った。家にある茶碗で一番好きなのは実はこれなんだけど…と持って来たら、それはあげられない!と拒絶される。これは空斎(二代長岡住右衛門)なのよ!とのこと。知らなんだ。すると古楽山となるのかな? 道理で素敵な茶盌である。

  十一時過ぎの空港連絡バスに乗り、十二時半前のフライト便に搭乗した。富士山が雲の間からよく見えた。

  羽田から大学へ直行する用務があり、日本橋で乗り換える。その辺で食券買って、だし茶漬けを食って遅い昼食とする。それでメトロに乗り替えたところ、偶然、車中で東京出雲学生会のIさんとばったり。松江からの帰りなんですよ~とお話しして、出西生姜餅を差し上げてしまった。いやはや、奇遇といふもさらなり。

  「Cafe GOTO」でカプチーノを飲んでから、大学へ到着。今朝の教務部長との会談はどうでした?と教頭に電話したら、先方ほくほくでした…とのお返事。まあ、そりゃそうかな。