そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

10月31日(月)睡魔に襲われる

2011年10月31日 | 公開

 朝いち演習のため8:00に大学へ。本当は学会3日目で京都に居て見学に参加してもよいところだが、月曜朝いちは基本形固定の演習だから、在職中にはそうした楽しい機会はあり得そうもない。本日からやっと、学生の本格的なプレゼンを開始する。ハンドアウトを印刷し教室へ行く。

 引き続いての講義も、学会の話から脱線して、時間かせぎをする。朝から完全に落語家モード。

 昼休みは教務主任殿と面会し、引き続き学生との面談が1件。昼食が摂れそうもないので、すまんが蕎麦屋で話を聞こうと13:00過ぎに「五郎八」へ連れて行く。まあ、せいろ1人前はコーヒー1杯よりちょっとだけ高いだけだから、受忍範囲?の内である。お蕎麦は好きですと言っていたが、たぐり方がなっていない。いや、そうじゃなくてね、せいろはこう、お箸を立てるようにして、エッジをうまく使って残った蕎麦を摘むんだよと、いらんことまで教育に及ぶ。少量手繰ってね、お抹茶とお蕎麦は飲むんじゃなくて、啜るんだからねと、だいぶ格好がついてきたぞ。蕎麦の食い方という講義でも作ろうかな。御目出亭流暢とでも名乗るか(柳朝師匠、ごめんなさい)。

 研究室へ走って帰って、14:00から特殊演習。A君至極熱心で、2時間みっちりとテキストを読み込む。朗詠って何ですか?と尋ねられたから、こういう時にyoutubeは便利ですな。ついでにA師匠のご大著も紹介しておいた。

 出席カードのつけ込みや、明日の社会人講座の資料作りなど、バタバタするうちに1時間。あれれ、財布が無いぞと青ざめれば、案の定印刷室に置き忘れていたのだった。研究室受付で笑われた。もの忘れがひどくなったわい。身慎莫だにすらさへおぼつかない。

 18:00開始の編集会議へ行く。締切の原稿はもう一両日待ってもらい、仕上がった分だけお渡しした。本日の検討課題は得意分野だったが、襲いかかる睡魔と懸命に闘う。写本を確認して来いとの宿題を与えられる。しかし、審議はサクサク進み、ななんと21:00前に終了。家に帰って風呂に入り2階のダイニングに忍び足で行るまで、家人は誰も私の帰宅に気付かない。みんな刑事ドラマに見入っている。きゃ~、お父さんが!と悲鳴を上げられた。2世帯住宅とはいえ、あんまりだ! というか、無用心極まりないぞよ。


10月30日(日)学会2日目

2011年10月30日 | 公開

 ホテルには、10:00のチェックアウト時刻ぎりぎりまで居た。七条通りを西へ歩いて会場校へ。今回は研究発表数が少なく、午前の部は10:30のスタートだ。1本目の発表に、記憶違いの質問をして冷汗一斗、さて、2本目の司会をする。発表者は昔からよく知っている御仁だが、時間をオーバーするものだから、質疑を短時間で捌く。あまりうまく司会できなかったと大いに反省。

 昼休みには、会場校が新しくお作りになった博物館を見学、「慕帰絵詞」が出ていたので感激した。午後の発表を聴き、総会はパス。雨が降り出したので、タクシーで駅へ。Nさんのほか、Kさん、Mさんも乗り込んで来る。伊勢丹で土産を買い、酒も買ってNさんと新幹線に乗る。2人で缶ビール各1つと、日本酒5合瓶を1本空けた。

 今回の大会では、ある仕事の関係から和泉式部日記に大いに注目していたのだが、結局よく分からなかった。類型性の中ですべてを解釈するということでよいのか? Kさんの発表は、資料の見方を柔軟にすることの大切さを教えてくれる内容で、さすがに秀逸。トリのF氏―会場校に大トリがおいでなので、自分は小トリだと変なギャグを懇親会で連呼しておいでだった―の発表は、安芸集の当該写本を国語学的に分析するとどうなるのかな?と質問したかったが、混乱するといけないと思い止しにした。擬定家本=資経本の表記や仮名遣いは、一度検討されるべきかもしれない…とまあ、日ごろ国語学者と同居している者としては、ついつい思いましたわいな。

(後で)同居人に聞けば、過日、遠藤邦基先生が、そのようなお話をなさっていたとか。さすがであらせられる。

 


10月29日(土)京都で学会

2011年10月29日 | 公開

 京都で学会。会場はR大学で、駅から程近い。12:00からの委員会に出て、明日2番目の研究発表の司会を担当することになる。御弁当は下鴨茶寮製。1,000円徴収される。

 隣に京都F大のA教授がお座りになった。シアトルのA先生が新居に越されたそうですよと申し上げた。A先生はかつて、A教授のところへお出でになっていたのだ。

 公開講演会の合間に、近くにとったホテルにチェックイン。懇親会には舞妓さんが登場し、一緒に写真を撮らせていただいた。

 駅前の居酒屋で2次会。へろへろに酔っ払った。(吐


10月28日(金)こいこい

2011年10月28日 | 公開

 シアトルのA先生が新居に越されたとうかがい、お祝いをお送りしようと同居人と相談する。アメリカへ送るのだから壊れにくく軽いものがよいというわけで、結局漆器との結論とあいなる。「うつわや釉」で適当な品を目にした記憶があり、夕方の花札演習の前に訪ねてみた。女主人のお話によれば、アメリカは所よってずいぶん乾燥しているため、漆器は扱いが難しい面もあるらしい(降る雨リカなのにね…)。しかしシアトル辺は始終雨が降っているから大丈夫だろう。根来塗風のと、大胆でモダンな感じのが候補となり、画像を同居人に送って検討の結果、後者を選ぶ。来週発送してくださるよし。気に入ってくださればよいが…。

 花札演習は本当に「こいこい」を教えた。「こいこい」を会得すれば、PCゲームの花札にはほぼ対応できる。来週は珍しくお休みの祝日で、土日は学園祭である。先生は一度も学園祭には来たことはありませんぞと話すと、皆目を丸くしていた。昔の学園祭は入場料を500円取られ、それがある特定組織に入るテラ銭になっていたからイヤだったのだよとは、今は昔の物語か。しかし、その正常化?のため、どれほどの労力・時間が費やされたことか(ねえ、A先生)。おいらも最前線で三八式歩兵銃を撃ちまくっていた戦中派なのだ。この教室棟のあそこの階段の途中で集団に吊し上げられ正直足が震えたし、人生最大の晴れ舞台?は創立者銅像前に「反動助教授××」の大看板が立てられた時で、終においらもここまで来たかと感慨深かったよと語れば、皆笑ってくれた。ヤクザの出入りの昔話だな(その時の名誉の負傷者が、今や教務部長殿だ)。さて、再来週から学生のプレゼンテーションを始めることとする。

 しかし、花札やらせると、韓国からの留学生はやたら強い。お国を見倣って、キムチ食って花札やれば、我が国も復興に拍車がかけれられるかもしれんねと言ったら、笑っておった。(島根県人としては竹島返せ!と言い添えたいが、まあ一学生にそう言っても詮無いし、大人気も無いので、止しておく)。

 終日プリプリしていたような気がする。研究体制委員をしているJ教授に会ったので、来週の急遽召集はありゃ一体何事ですか?とお尋ねすると、T学部の主任には説明したから一応U学部にもということらしい。大学院は関係ないそうな…。それならそうと、召集メールに一言説明すればよいものを。大学というところは、こういう手合いが実に多い。ご存知の通りと言って、受け取る側の立場についての配慮・想像力を欠く事柄がまま見受けられる。入試なんぞもそうだよなあ。受験生の立場をもっと考えるべきだと、強く思った一件が最近あったばかり。大学教授なんて皆、独りよがりで防衛本能過剰なヤツばかりだ。年金受給資格分はとっくに払って後は寄付するばかりだから、一刻も早く退職して隠居するのが、世のため人のため国のため…いや自分のためだ。

 帰りがけ、所定のスペースを溢れて滅茶苦茶に置かれている自転車を黙視し難く、正門受付から事務所の施設関係担当部署に内線電話をかけ、学担への善処方依頼を伝えてもらう。昨日、同居人からも、いつからあんなこと許すようになったの?と言われていたのだった。受話器を置いたら、受付のガードマンの方に、ありがとうござました、私たちがいくら言っても事務は全く対応してくれませんと、礼を言われた。学担はキャンパス内を見回っておらんのかなあ? 学担も職務怠慢だ。ペンチ腰に下げて学生イベントに駆けずり回るだけが能ではなかろう。そういえば、私設看板を我が物顔で出している箇所があるが、考えてみるとありゃルール違反だなあ。よし、今度の主任会で暴れることにいたそう。


10月28日(金)短気は損気か

2011年10月28日 | 公開

 朝からムカムカしている。来週の会議日は何もないぞと喜んでいたら、急に召集がかかった。出席できないなら必ず代理を出せと居丈高である。研究体制をめぐる拡大委員会らしいが、学部コースの主任宛となっている。学部はあくまでも教育中心の機関であり、さしあたって研究体制は関係あるまい。私は大学院の主任を兼ねているので、そちらのほうで呼ばれるならば得心もいく。いや、こういう事柄は大学院の主任をこそ呼ぶべきなんじゃなかろうか。どうも現政権の管掌・区処に関する取り扱いは、無神経の度が過ぎる。いつまでたってもこんな素人っぽい運営をなされては堪らん。ああ、早く引退したい。もう死にたい。

 虫の居所が悪く、誰が出るか! 代理も出さんぞと返信する(担当事務の方、ごめんなさい)。おいらはヤクザだからな。引き続き、呼ぶなら大学院の主任を呼べと、追伸の意見具申メールも送った。

 本日の花札演習は、本格的に「こいこい」を取り上げることにして、現在プリントを作成中。だんだん自分でも可笑しくなってきた。大学でこんな内容の演習をやっていて、本当にいいのかなあ? 故指導教授は、「花札こそ本意・本情の結晶」とのたもうていたがなあ。まあ、ポルノ小説を教材になさるY教授もおいでになることだし、何でもアリということだわい。

 

 


10月27日(木)水が木で

2011年10月27日 | 公開

 T准教授にいくらメールを差し上げても返信が無い。おかしいなあ、水曜にご帰国とうかがったのに。よしゑやし、ご自宅にお電話申し上ぐれば、勘違いして木曜の帰国を水曜と言ってしまいましたとのこと。なるほど、水と木は文字が似ているからな。こういうところから誤写が生じるとは、かの池田亀鑑先生も書いていらっしゃることだしな。

 卒論演習は題目届の捺印を全員分処理した。「…について」を「…論」に変えることになったSさんに、用紙をもう一度事務所で貰ってきなさいと指示。結局訂正印だらけになったぢゃないか! 昼飯おごって欲しいというようなことを言い出したから、はいはいと全員を「馬車道」に連れて行って好きなものを食わせた。きゃ~、眺めがいい!と写真を撮りまくる人あり。

 博士の研究指導はまた延々と意見を申し述べる。修士の研究指導はなかなかの完成度だったが、文体のクセが露わに見えて面白かった。「かかる」「~なる~」と、文語調が頻出し、「ゆきたい」「ゆきたい」と「ゆく」の連発が目についたが、まあよいでしょう。かかる仕儀とはあひ成りて、ゆきゆきて神軍、「勇敢なる水兵」「有閑なるマダム」「夕刊なるゲンダイ」…。

 コース研究室で誰かさんの誕生パーティが始まった。ケーキがありますが…とお誘いを受けくるも、太るからと謝絶。ケーキはあんまり食いたいという気が起こらなくなった。

 せ、先生にご相談が!と、青ざめた顔をして女子学生が研究室に駆け込んできた。webで確認したら、卒論指導教授から秋学期から先生に変更になっているんです…ですと。そりゃ大変だ、一緒に事務所へ参りませうとご同道。担当事務職員の方はすでにいらっしゃらなっかたが、あんた管理職だろとOさんを呼び、かくかくとご説明。どうやら主任である私の名前に、webの見かけ上変わっていたということらしい。そりゃ近代で卒論を書くつもりが、中世専門の教員に急に変わっていたら吃驚するわな。この機会に中世やりませんか?とは言い出せなんだ。

 18:30から学生の研究会につきあう。このテキストの作品は、どうも道具立てが多すぎる上に、賛辞が過剰だが、どういうことなのだろうか。20:00頃終了。


10月26日(水)組合総会

2011年10月26日 | 公開

 10:00から準備に奔走した会議の後始末は、結局16:00近くまでかかる。もうフラフラ。コーヒー飲もうと「cafe GOTO」へ行ったが超満員で、やっとこさ相席で座ったとたんに数名のグループが入ってきから、席を譲って退出する。

 B部に立ち寄ってハンコを捺す。終業の17:00にぎりぎり間に合う。しかし、こんなに委員長の印を捺さなければならなかったっけ?

 そのまま教員組合総会の会場へ。参加者名簿に署名して委任状を1通引き受ける。少し時間があったので、大学直営のカフェに行き、カフェラテを注文したが、あまりの不味さに悶絶する。

 18:00開始予定が、成立したのが18:10。400名以上が出席していることになっているが、場内には40名ほどの組合員が着席しているだけである。「通過」「委任状」というからくりによる一種の退廃といふもさらなり。

 小生議長に選出され、副議長のH教授とともに議長団席に座り、後はもうすいすいすい~の議事進行。伊達に副学部長をやったわけではないんだよ。しかし、落語家モードは変わらず。ウチの職場区の新執行委員T教授なんぞ、笑いころげていらっしゃる。

 19:59終了予定が、終わってみれば19:35。総会成立が10分遅れたから仕方があるまい。19:30終了の心算通りに行ったわい。いささか自讃の思ひあり。

 胸を張って慰労会に顔を出す。前執行委員長殿、前書記長殿以下ご機嫌だ。ここでも完全に落語家モードで、茶化し続けて握り寿司をたくさんいただいた。現S県知事のかつての醜聞を聴いたのがおもしろかったな。

 

 

 


10月26日(水)今半といふばかりにや

2011年10月26日 | 公開

 「偶(たま)には人形町今半の弁当でも出せ~!」と、常日頃大声で叫んできた甲斐あってか、なんと本日の会議には、ホントに今半弁当の一番安い「つくし」が出た。それでも、ありがたや。ほんに我、生けるしるし~あり♪ 今半の 折詰弁当 食へらく念へば

   

  今半といふばかりにや弁当にすきやき無しも尊かりける


10月25日(火)赤坂で酔っぱらう

2011年10月25日 | 公開

 社会人向け講座へと赴くため、12:30頃に中央区内の横断歩道で佇んでいたら、前に立った警官みたいなユニフォームの御仁の背中の文字に吃驚仰天。「路上弁当監視」とある。中央区では路上で弁当を食ってはいかんらしい。あるひは無許可の路上弁当販売を取り締まるということかな?

 こんなものを目にしたので、講座のほうも完全に落語家モードに。受講生から、先生、今日は一体ど~したんですか?と言われてしまったぞよ。

 さて、17:30からご馳走していただく約束が18:00からに伸びたので、どこで時間を潰すかな。弾正橋方向へ歩いて行くと、3人の受講生とご一緒となった。どこかでお茶でも飲みましょうかと、京橋の骨董品街を行けば、折紙詠草の幅が目に入った。先週の講義で説明した形式だったので、あれを御覧なさい、折紙詠草ですね、読んでみましょうかとお店の中に入り込む。若いご主人に断って拝見。中院通茂の詠草で、点は後西院とのこと。二重箱入りだが、そんなに高くはなかった。

 申し訳ないことに椅子をご用意いただき、お茶にお菓子まで供してくださる。こりゃ買わなければならんかなとビクビク。ご主人とお話ししてみると、ナントわが大学の卒業生で、中学高校は、これからお会いするY教授が現在校長を務めていらっしゃる学校にお通いになったよし。安心して、買わずにお茶を2杯いただいた。

 日本橋美人博覧会というのをやっていて、着物の展示を見る。それから「にほんばし島根館」「一の白」30g×3箱をもとめ、「丸善」で本を買って赤坂へ移動。岡山のH氏から、これから研究室へ行くとメールが来たが、残念ながら大学へはまわらんのよと返信。

 赤坂は「たけかみ」という蕎麦懐石のお店にご招待いただいた。赤坂は全く土地勘がない。探し当てると、元料亭という何ともりっぱな店構え。部屋に通されたが、こりゃ完全に茶室である。床には大徳寺の坊さん揮毫になる「喫茶去」の幅が掛かっていた。

 昨年、シアトルへ交換研究員で行っていた時、現在W中高校長のY教授から高校時代の同級生に頼まれたという文字翻読の依頼を頂き、お安い御用とお読みした御礼だとか。そのもともとの依頼者Yさんは、銀行関連会社の社長様であらせられるのだが、京都などに赴任しておられた関係からか、ナントカ検定の類の級をたくさんお持ちであるとのこと。向学心に燃えていらっしゃるご様子であった。

 生ビールを1杯いただき、後は〆張、浦霞、黒龍と行って、すっかり酔っぱらった。閉めにせいろを2枚たぐる。給仕の仲居さんをずうっと笑わせ続ける。落語家モードは終わらず。

 自宅最寄駅まで辿りつき、お願いだから迎えに来て~と同居人にSOS。前後の通行人が私の顔をしきりに覗き込んでいたというから、実にみっともない酔っぱらいだったらしい。帰宅すると東京古典会の目録が届いていた。うわ~原稿全然書けない。Wさん、ごめんなさい!


10月24日(月)今半と…

2011年10月24日 | 公開

 Facebookにブースカ貯金箱の画像を投稿したら好評を博した。家宝にはならないが…。

 さて、朝いち演習のため、ラッシュを避けるべく6:30過ぎに家を出る。8:00前には大学辺に着く。マクドナルドで今春ご退職になったO前教授がハンバーガーをパクついておいでだった。ご挨拶申し上げる。月曜1限は学生の集まりもよくはない。30分くらい遅刻するのがぞろぞろいて、交通機関の事故等も起こりやすいから、始末に負えぬが、先週からグループワークを始め、来週からはグループ発表をしてもらうことになっている。輪読部分の版本をすべて翻読し終わったので、予定通り。

 2限の講義は、この字が読めたら全部欠席してもA+を付けると宣言するも、誰ひとり読めない。「穉」という漢字。後でコース室にいたウチの研究室の院生どもに尋ねたが首をかしげるばかり。ところが、近代文学専攻のTA氏は、旁は室生犀星の「犀」ですねと、すんなりお読みになる。さすが、さすが。「穉竹可人」という和歌のお題なのであった。「穉竹」とは要するに「若竹」のことですな。

 昼飯は「たかはし」で、刺身弁当の鮪にする。TVの前にオジサン客がどかっと座ったせいで、「カーネーション」見損ねたぞ。支払いの時、オタクはサンマの塩焼き弁当肉じゃが弁当の配達もやってるの?と聞くと、あれは××××の特別なご注文で…と大将、あらぬことを口走るものだから、シッ静かに!と制した。剣呑、剣呑。その後、某先生の研究室へお届け物をして、本屋で戦記の文庫本を買う。

 午後はA君相手の特殊演習、難しいところに突入である。A君に、キミのことが千宗屋氏のブログに写真入りで出ていたけど、知ってる?と言えば、知りませ~んとのたまふので、早速ページを開いてお教えした。演習が終わってから、マシュマロをお菓子に、正宗千春作備前焼茶碗にて薄茶一服お点て申し上げた。

 さて、出席カードのつけ込みやら、もろもろ雑務を処理するうちにもう17:00をまわり、編集会議へ移動する。木曜締切の原稿があることを失念していたが、間に合うかなあ。久しぶりの全体会議。M先生、タイの洪水の影響のため、眼鏡を作りに行ったらタイで製造されている安価なレンズが品切れで、高い国産を選ばざるを得なかったとか。いろいろな影響が出ているものだ。

 で、本日のお弁当は「人形町今半」の「名月」に、吸い物付き。

   今半と 聞きしばかりに 

  弁当の すきやきの肉を

  待ち出でつるかな


10月24日(月)瓦斯のムラ消え…

2011年10月24日 | 公開

  うすくこき~

…と、若草の宮内卿ならぬ、「わっ臭い」の放屁をしたら、同居人に殴られた。

  のべつまくなし わあくさい

  あとまでにほふ 瓦斯のむらぎえ~

 このところ、完全に江戸の狂歌師のノリである。言霊の幸ふ我が国では、古来同音異義を興ずること、尋常ではありませぬな。

 日曜はダイニングの片づけをさせられた。IKEAから同居人と娘が買ってきた棚に、テーブル周りのごちゃごちゃを整理する。無印良品から収納用品を買ってきて、とっちらかった文房具を分別。お茶関係の雑具を入れる抽斗も作った。

 

…というわけで、棚の上に怪獣ブースカの貯金箱を飾ってみた。おならがブーすかではありません。


10月21日(金)ホントは休講のはずが

2011年10月21日 | 公開

 銀行で残高確認したら、先月の集中講義の手当がどばっと入金されていた。これでしばし息がつける。同居人には黙っていよう。月末には印税がどどど~んと入る予定だが、こちらは完全に把握されている。娘が車を買い換えたいと言ってたし…。とほほのほ。

 学則上ホントは全学休講のはずが、文部科学省様のお蔭で授業実施日とあいなった。キャンパス正門のわきに、「ホントは休校日」という立看が、ご丁寧にも立てられている。ケッ。大学創立者の胸像のところにも生花が飾ってあったが、こりゃいったい誰の葬式?と思った次第。

 15:00から来週の教員組合総会の打ち合わせ。書記局からIさんにお出でいただく。薄茶を一服お点てした。紛糾しそうなのは年金問題だそうだ。18:00開始で19:59終了予定だが、私が総会議長だから、30分は早くお開きにしたいところ(終わったら組合御用達の寿司屋で慰労会!)。しかし、なかなかそうは問屋がおろし大根…らしい。当該問題には組合員間に意見の相違があり、論客・原理主義者も多いということだ。また、なにしろ2009年の春闘だにすらさへ、いまだ妥結していない。過去の経緯はえいやっと政治的に整理しないと、原理原則論はよいが労力のムダではないか。人生、そんなに長くはないぜよ。

 16:00にはコース所属の学生さんと面談。留学に関する相談を受けて書類を作ったが、肝心なものをお忘れで、埒が明かなかった。ホントに外国行って大丈夫かな、このお嬢さんは?

 16:30からの花札演習は、本当に「花合わせ」をやった。ホントは休講日なのだから、まともな授業なんぞやる気がしない。受講生が5セット持ってきたので、私の5セットと合わせ10グループを編成、超簡略版のマニュアルを配って、とにかく札に触ってもらう。やり方を全く知らないという学生が半分ほど。

 親決めはジャンケンで済ませ、自動的にその右を胴二、そのまた右をビキとした。とにかく場六の手七に配って、さあスタート。出来役は代表的なものに限定し、得点は単純加算とする。基本をのみ込んでもらえたところで、改めて出来役を確認、また、札をよくよく観察してもらった。坊主をよく見ると、やっぱり芒が生えていましょう。ここは武蔵野なのです。赤短をピックアップして、文字を読んでご覧なさい。「みよしの」「あのよろし」? 「みよしの」って何ですか? そう、「吉野」は桜の名所。「あのよろし」ではなく、「あかよろし」と読むんだよ。「の」みたいな字は「可」の崩しで、kaの変体仮名です。変態じゃないよ。「御手茂登」 「生楚者゛」の類ですな。変体仮名が今の仮名文字に統一されたのはいつだと思う? 明治33年、西暦1900年…受講生諸君、目を輝かせ、しきりに頷く女子学生も。知るは楽しみなり、汁は蜆なり。???

 松に鶴、梅に鶯、桜に幕は「表菅原」と言いますが、なぜだか分かる? 「菅原」は「菅原伝授手習鑑」、そう歌舞伎などの演目だよね。ありゃりゃ、諸君は歌舞伎観たことないか? 登場人物に松王丸・梅王丸・桜丸という三兄弟がいるんだ。性根を据えてさァ松王丸、しっかりと見分せよ~。かやうに花札には、演劇がらみの要素も多いんだね。

 韓国の留学生が一人混じっていて、花闘のセットを持参していたが、やはりこの人が一番強そうだな。花闘の図柄は、日本の花札とは少し違う。そこがまた面白いところで、異文化接触の好事例と私は思っているのである。H社から新書出しませんかと言われているが、花札の本出したら、暴力団に風当たりが激しい昨今、社会から追放される虞がある。

 時間が来たので続きは来週ということにして、研究室へ戻り出欠をすぐPCに入力、別キャンパスで開かれる夜の会議へ走って行く。本日の夕食はあな珍しや、「たかはし」の肉じゃが弁当?であった。

 21:00までかかって、懸案の処理が終わる。半分居眠りをしていたようで、初めのところしか記憶がない。途中でトイレに立ち、戻ってきたら、もう議事にはついて行けなくなった。突然C教授から意見を求められて弱った。お前さんの専門分野だろ?と言われても、ワカりませ~ん(駄洒落です。おいら非行老年だからな)。来週以降の会議は中止だそうだ。10月の大学専任教員は、気がおかしくなりそうに忙しい。


10月20日(木)教務室へ出頭

2011年10月20日 | 公開

 A教授には、どこか飲みに行きましょうよと話しかけたが、そうだ、K教授と焼き鳥屋へ行く約束も果たしていない。でも、焼き鳥屋と聞けば、痛風のくせに!と同居人が目を剥くこと必定。丸ノ内OL様たちと夏に通った茅場町のお店のニンニクの芽炒めが、またぞろ食いたくもなる。

 卒論題目届の提出締切が28日なので、本日の卒論演習は半分ほどタイトルを確定し捺印する。残り半分の人は来週に持ち越しとあいなった。

 昼休みに組合総会の出欠報告を出すと、明日打ち合わせに来ると書記局からメール。総会の議長を引き受けておるのだ。ウチの職場区が運営当番に当たっており、巡り合わせ悪く、職場議長の乃公出でずんば、他に誰か引き受けるものかは。

 博士の研究指導は、おいおい大丈夫かよ?という体たらくでも、1ヵ月でなんとかするのがこの人のすごいところである。しかし、ついつい指導?の言葉が激烈になるので、知らぬ人が聞けば、アカデミックハラスメント以外の何物でもないと思われかねん。まあ、ゴルフクラブで殴ったりはしませんがね。修士の演習は、修論の一部発表をしてもらったが、K君が30,000字分ほどをいっぺんに持ってきたので、時間内に半分発表してもらい、続きは研究室でサシで聴く。K君の文章はクセが強いなあ。そうそう、修論題目届も提出期間なのだそうだ。2人分に署名捺印する。その間、研究科長殿と教務委員殿に呼び出され教務室へ出頭、某事の善処方念を押される。縷縷ご説明申し上ぐれば、ご両所ともやや安堵の色を浮かべておいでだった。研究科長殿は元の助手仲間だが、同じく同期助手だったI教授が復帰されたら一席設けようと、昨日懇親会の席上話したのであった。いまの教授連には、同期の助手がやたら多い(学部等殿もしかり)。私は当時最年少だったので、いつも飲み会の幹事をさせられていたのだ。

 Y教授からは何も言って来ない。来週火曜にご馳走してくださるはずではなかったか? 大学傘下の中高の校長先生をなさっているから、さぞかしお忙しいのだろうね。

 18:30から研究会。実質的な初回で、A君が丁寧な発表をしてくれたが、「石」を「いは」と読み調べそこなったと言い訳していた。まあ、これはまるまる源氏物語歌の享受だよね。終了後「かわうち」へ。文芸のA教授が学生さん3人とお飲みになっていた。

 Nさんから下命された資料を速達で送る。大学へ送ってと言われたので、自宅近くのポストに投函するのが速かろうと、気をつかったつもり。帰宅したら蜜蜂大学のN氏から電話があったとのことで、遅くに申し訳なかったがお電話して、ご迷惑をおかけすることをお詫び申し上げた。またぞろ、かりんとうを大量にお送りするかな。


10月19日(水)教員懇親会

2011年10月19日 | 公開

 お昼にかかる会議で弁当をもらう。なかなか気がきいておった。12:30から予定していた教室会議は、開始が40分ほど遅れ、教授会ぎりぎりの14:00までかかった。ここにきて頭の痛い問題がいくつか発生。調整に悩む。明日も教務室に呼び出しを受けている。

 教授会の議事内容は、あらかた16:00には終わっていた。斜め前にお座りになっている朝鮮史のR先生と、やればできる!と微笑み合う。その間、来週の教員組合総会の出欠確認のため、会議室内をかけずりまわった。小生、職場議長なのである。教授会の席上で組合活動をしてはならんとのきついお達しがあるのだが、この機会をとらえないとはかばかしく出欠確認なんぞできはしない。ノルマの人数を確保して安堵、安堵。

 ところがところが、17:00に常任理事が将来計画について話に来ると予告されていたので、こりゃてっきりブレイクを入れるのかなと思いきや、学部長殿つまらん報告事項を延々と話し出して、ミエミエの時間延ばしをお始めになったものだから、皆が皆鼻白んだ。学部長殿の隣に座っている、元助手仲間の副学部長殿に泣っ顔を送るが、つれないご反応。それでも常任が話す内容の前触れを始めて、17:00に理事がお見えになる。

 H常任理事は、私が委員長を務めている某委員会の所管理事で、常々りっぱなお方だなあと感服申し上げているが、お話や質疑応対も堂々としていらっしゃった。文学部ならではのいろいろな意見も出て、私もひとつ質問した。なにしろ、「模範国民」ではなくして、「非国民」を造ってきたのがわが学部の伝統と言えないこともないからなあ。歯の浮くような美辞麗句が並んでいると、とてもついて行けない気がする。、少なくとも四半世紀後のわが大学には、私なんぞはもとより全く不要の人材である。将来計画には、そう書かれているわい。

 18:30から2年に1度の教員懇親会なので、学部長殿今度は閉会を急いだが、教務主任殿が余計な念押しをしたものだから、またぞろA教授が食いさがって、終了時刻がいささか引きずられることになった。会議の取り回しは厳格にやらないといかん。A教授に深く同感。

 今夜のお稽古事は申し訳ないがパスして、懇親会場へ赴くと、A名誉教授や、S名誉教授がお見えであった。全体に参加者が少し寂しい。はじめ日本酒は無いと言われたが、言えば出てくるものである。お寿司を美味しくいただいた。

 これはケーキコーナーの画像。同居人に送信したら、食べちゃダメよと返信が。痛風の先生にきつく注意されたので、食ってはおりまぬ。