そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月30日(木)よその大学院は?

2015年04月30日 | 公開

  結局、大学院の授業のスタイル、研究指導のやり方は、自分が指導教授から受けた形を踏襲するんだなあと思った。研究室の諸君には、もぐりでも他流試合でも何でも構わないから、好きなところへ行っていろいろ経験してきなさいとリリースしてしまう。それでも余所様のやり方は気にはなるので、何人かに聞き合せてみると、帝国大学でもE研究科でも、教授は全然喋らなくて、最後に一言二言、全体は先輩院生方の主導で進めて行くという感じなのだそうである。私はちょっと、喋り過ぎなのかも知れません。それに、博士課程と修士課程は峻別し、基本的に混ぜないというやり方も、故指導教授の踏襲である。それに、修士演習は自分の研究室の院生ばかりではなく、留学生も多いから、教育的?配慮も必要となるのだ。

  卒論演習は研究文献の集積の方法をほぼ学んでもらい、各自の文献リストができたから、連休明けから研究発表を開始することにした。まずは教授がお手本を示すことにする。

  博士の指導はA君の論文を俎板に載せれば、先輩方よってたかって叩きに叩く。まあ、それぞれ前向きな指摘という感じで、我が意を得たり。A君、ご精進あれかしよ。続く空き時間には、本年度修論を書く予定の院生を面談し、研究指針を行う。修士演習は丁寧な発表だった。

  学生の研究会を19:30まで行い、男だけ4名で「AMA」へ。ワインを3本空ける。羊串を注文したら、3本しか無いと言われる。構いません、稲門式で食うからといただく。鉄は熱いうちに打て、串は熱いうちに抜け…である。渋谷神道大学出身のA君に、稲門式を伝授する。串物が運ばれてきたら、無意識に串を抜けるようにならなければ、とうてい稲門の学生・院生とは言えませんのでな。


4月29日(水)授業実施日たる祝日

2015年04月29日 | 公開

  自由が丘で拝見した国書総目録未掲載本は、結局図書館の貴重書室で購入していただく方向で話をまとめた。課長からメールが来たので、近所で菓子を買いメトロに乗って図書館へ。ご挨拶申し上げて、なにぶんよろしくと平身低頭してきた。

  本日は昭和の日、祝日なれど、文科省さまのお達しにより授業実施日である。大学は学生で溢れかえっているが、法人本部の教務部署へ出頭。その前に、エイトマン先生のお稽古場を覗くと、本日は写真撮影だとか。なにやらアイロンを当てておいでであったよ。

  教務部で6月13日の講演出張の書類に捺印させられ、航空券を受け取って、リーフレットとポスターも頂戴した。学長を前座に、講演をあい務めることになっておるのだよ、えへん。この部署は、高校の校長をしていた時は、肩で風をきって出入りしておったが、今や只野教授だから、卑屈な態度で案内を乞うた次第。職員の方々に嗤われました。(^_^;)

  所属学部に着いてエレベータに乗ると、文芸のK教授がお乗りになってきた。今度、渋谷神道大学から私の研究室の修士課程に入ったA君が、先生の授業を履修させていただいておりまして…と、ご挨拶申し上げておく。

  さて、印刷など雑務をこなすうちに時間が経っていく。夕刻はお稽古事の適任証試験。


4月28日(火)自由が丘へ行く

2015年04月28日 | 公開

  社会人向け講座には、天気がよければ掛軸をひとつ持って行くつもりだったが、幸か不幸か?よいお天気、箱ごとだと面倒なので、風呂敷に包んで下げて行く。百何十万円也の軸を気楽なものである。

  さて、昼は人形町を経由し、なぜだか「小春軒」で特製フライ盛り合わせを食った。まあ、美味いかどうかよ~わからんが、昭和レトロであることは確かだったよ。新大橋通りに出てメトロ2駅分歩いたが、途中引き返して、よせばいいのに「今半」自家製メンチカツを1ケ買っちゃったりした。これ、美味いんだよね。私しゃなにしろ、3年間教授会で発言し続け、一般入試業務の際の昼飯を、人形町今半のすき焼き弁当にしてもらったという、同店大のご贔屓筋なんだから。

     社会人向け講座は大型連休前の前半の締め括り、鎌倉時代の星占い師の話をまとめる。軸を黒板に掛け、受講生にご覧いただく。なんだか絶好調。先生、お酒飲んでます?と尋ねられた。「小春軒」にビールやワインはあったけれど、ぶるぶるぶる、飲んでませんがな。連休明けには、「できの悪い大歌人の長男」の話を展開する予定である。

  そのままメトロから私鉄に乗り継ぎ自由が丘へ。ものずごく久しぶりに来た気がするが、このお洒落な街に私はほとんど縁は無い。このたびは、国書総目録未載の本を拝見するために、某古書店をお訪ねした。古書店といっても、マンションの1階に事務所を構えていらっしゃる業者さんである。お約束の16:00きっかりにインターホンをプッシュ。

  拝見した本は享保頃の写本で、不思議なインターフェイス。絵も何枚か入っている。いやはや、面白や。図書館もしくは個人的に購入する線で、確保をお願いした。ABAJはおいでになりましたか?と尋ねられたから、もちろん!とお答えすると、漱石ほかの書簡巻を見せてくださる。眼福といふもさらなり。

  帰路は渋谷経由で、存外楽だった。しかし渋谷というところは、全然わからんようになったわい。只管方向案内に従って進むだけ。学生時代は渋谷経由で世田谷方面で家庭教師などしていたから、よく分かっていたつもりなんだけどなあ。

  帰宅して御飯を炊き、おかずの準備をしていたら姑殿が帰っておいでになる。すみません、いま夕餉の支度をしていますからとお断りし、魚を焼いたり、作り置きのハンバーグを暖めたり、かぼちゃは皮を除去して、きんとんみたいにしてしまった。

  同居人は勤務先女子大で、リカレント教育の総責任者というハイレベルのポストにご就任あそばされたので、ここのところ多忙であらせられる。私は文学部只野教授に戻ったから、ヒマといえばヒマなのだ。夕食の後、買ってきた蕗を処理した。先日、近所の八百屋でもとめた蕗がとほほだったので、リベンジである。茎は茹でて皮を剥いて晒す。葉っぱもさっとアク抜きして、味噌と合わせ、味醂や砂糖を加えて熱した。即興の「蕗味噌」だが、なんだか色鮮やかな一品に仕上がったぞなもし。もう少し味を整える必要がありそうだが、悪くない。ひょっとしたらこういう方面に、おいらもいささかの才能があるのかもしれない。

 

 


4月27日(月)神田で買い物

2015年04月27日 | 公開

  朝いち演習はやっとこさDBの使い方を説明し、来週は大型連休で授業が無いため課題を出しておく。DB使って調べて、web上の科目プラットフォームのレビューシートに書き入れるよう指示。続く古ほん講義では、東博の新指定国宝・重文展観の案内をして、できるだけ観に行くよう勧めた。講義はもっぱらパワポ紙芝居で進め、実物の回覧を織り込む。今日はインドネシアの貝多羅経を回した。デンパサールの空港内骨董屋で、100弗で購入した古物である。

  昼食は「高七」へ。今日はなんだか暑いくらいだ。ハートランドがあっという間に1本空いたから、仕方なく冷えた太平山も1杯いただく。座敷のほうには外国人のお客集団があがっていたが、若女将、英語でご応対、天だねもすべて英語で説明なさっている。たいしたものだ!

  N坂を下って行くと、「たかはし」の大将が自転車を押してのぼっておいでになる。坂の上の病院に女将さんがお入りになっているのだ。今日は「高七」へ行きましてね…とご挨拶申し上げる。「高七」の若女将は、「たかはし」の女将の姪御さんなのだ。

  郵便局で冷泉家時雨亭文庫の会費を払い込み、研究室に帰って雑用を続ける。気が付けば16:00過ぎ。神田の扇子店ショールームへ、お願いしていたものを受け取りに行った。

  ついでに神田辺をぶらついて、茶入を購入。いたづらごとですがな。

  帰宅して姑殿の夕餉をおつくり申し上げた。

  同僚教授から珍しい「柿酢」を頂戴した。これで「牡蠣酢」を作ったらどうなるかな?などと、バカなことをふと思った。

  松江での講演のための航空券が用意できたので届けに行くと大学本部から連絡がきた。教授何様というのだろう。いえいえ、当方から受け取りに出向きますからとお返事しておく。職員と教員は、イコール・パートナーである。それを、教授が偉いなどと、とんでもない心得の御仁が多い世の中だ。

 


4月27日(月)アロエジュース

2015年04月27日 | 公開

  同居人がアロエのジュースを取り寄せて、私に飲めと言う。飲んだら、通じが極端によくなって、弱るほどである。元来、そちらのほうはあまり悩みもなかったのだけれど、これは凄い。体内からいけないものが排出されていくような実感がある。

  要するにあなたは痩せなさいと痛風の主治医の先生から言われ続けて何年にもなる。同居人からは、結婚して20年間は、毎年きっちり1㎏ずつ太ったと言われたけれども、昨今体重が3㎏ほど落ちた格好である。少し意欲も上向いてきて、季節もいいし、ジョギングでもしてみようかと思わんでもない。もう5㎏ほど落とせたら、体調がよくなるかもしれない。

  伯父上の歌集を読む。戦時中、彗星艦爆に搭乗しておられたのである。

      やすやすと命惜しまぬと歌ひたる空の少年兵われ老いにけり

      梅雨の雨あつめて速し湖と湖つなぐふるさとの川

      級友の軍事郵便のことごとくを今も守りて持つ友のあり

      とろとろとお宮の太鼓鳴る音のふとかき消えて蜩の声

      湖の方よりきたり風は今我が棲む谷を鳴りつつ過ぎぬ

      犬も猫も死んでしまへりこの家は人間ばかり二人残れり

      音たてて取壊さるる向かひ家は名残りもあらず共に建てしに

  注を少々。「ふるさとの川」は、大橋川。「お宮の太鼓」を叩くのは、田原神社(春日神社)の藤脇宮司であろう。「我が棲む谷」は奥谷で、入沢康夫が「谷の奥のきわまるところ」と記している(『わが出雲・わが鎮魂』)。

 

 


4月26日(日)エイトマン先生の新活動拠点

2015年04月26日 | 公開

  エイトマン先生が早稲田大学大隈講堂から徒歩15秒の地点に開設された新活動拠点のお披露目会に参上させていただいた。いや、ほんとに徒歩15秒なのである。

  私の前に入って行かれる方に見覚えあれば、ご挨拶すればTG大学のK教授であらせられた。大昔、座談会をご一緒したり、K研のシンポジウムでご一緒したが、本当にお久しぶりであった。

  お披露目会では、結構なお弁当をいただいたうえ、長柄の銚子で御酒を勧められたので、(銚子だけに調子にのって)数献に及んで、アルコールが体を駆け巡った。夏直衣、武官束帯、女子の裳唐衣装束の着装を拝見する。御礼に当座一首を詠じ、Hさんの講師、I 社長の発声、A師匠と私の講頌にて甲調披講二反に及ぶ。

    早稲田なる賢きを待つこの殿に むべ尋ねけり 故(ふる)き実(まこと)は 有若亡

  K先生、A師匠と軽くお茶を飲んで解散。

  ちなみに愚詠は、祝言として催馬楽「此殿」の詞章をあしらったものであります。分かるかな?

 


4月25日(土)つつじまつり

2015年04月25日 | 公開

  荊妻が勤務先女子大へ行くというので、根津神社へ躑躅を見に行こうと誘った。メトロ駅で降りて歩く。根津交番のある信号のところで、皆が赤信号で立ち止まっている。交番があるから信号無視しにくいですなあと、脇に立っている老婦人にお声を掛けると、ほほほとお笑いになりましたわ。

  根津神社はたいへんな人出で、花ももう真っ盛りは過ぎている感じだった。200円支払って躑躅苑に入って見た。白い花が清楚でよかった。

  早めに「よし房 凜」でりんだもぢらんと並ぶも、開店と同時に入れたのは我々の2人前の方までで、しばらく外で待つ。同居人はごぼう天蕎麦、私は越前おろしと決め、瓶ビール1本と一緒に花番さんにお願いしておく。ささっとたぐって、お後にご迷惑のかからぬよう退出。同居人は早稲田行きの都バスに飛び乗り、私は坂を上って東大の農学部脇の口から入ってメトロで飯田橋へ。神楽坂で買い物をした。ワイン、塩ココナッツ、アンチョビ缶に野菜…「haze」がお店を出していたが、大きなお兄さんとは別れたんだそうである。応援せねばと200gいただく。

  K教授の情報通り、「jokogumo」に立ち寄ったら店内籠だらけだった。オーナー女史がS太郎ちゃんを連れておいでで、私の顔を見て笑ってくれた。かわいいなあ。小久慈焼の小片口と、塗物のバッヂ?を買う。小ブローチと申すべきか? こいつは超傑作で、蕎麦食いは抱腹絶倒間違いなし。わんこそばの器が重なっておりますのじゃ。妙な物を持って来るより、どんどん商品を買うことが、お子のためであろうと思うので。


4月23日(木)授業しっぱなし

2015年04月23日 | 公開

  午前中の卒論ゼミは、欠席者があまり無く、研究文献リストの作成を課題として指示した。とにかく本年度は全員が女子となり、揃いも揃って真面目な人ばかり。ちょっと疲れますな。月曜朝いち演習の成果物をちょこっと見せたところ、この学生は芸能人じゃないんですか?とのご指摘があった。へえ、知らんがな。乃木坂なんとやらだった子は知ってましたがな。欠席もあったから、顔は記憶に無いし。まあ、自宅の真ん前も、某芸能人さんのご実家だし、そんなこと言われても別に驚きません。

  例によって昼飯は食えず、博士の研究指導はK法師の学会下発表。まあ、筋としては悪くないかな。タイトルをカッコよく、皆で考えた。次の修士演習までの空き時間に何か食おうと、結局「Cafe GOTO」へあがったら、K法師君がちょこんと座っている。なにやら高い飲み物を頼んでおるようだったが、おごって差し上げたわい。

  修士演習は先週のふつつかをリカバリーで、一気に片付ける。5分超過。引き続き学生の研究会。艶書合を読み始めたが、なかなか面白いテキストである。終了後、3人で「かわうち」へ。3人でも一升瓶が1本空きました。

  帰宅したら、伯父が出した歌集が届いていた。亡父と同年齢だが、新聞の短歌欄に投稿して選ばれた作品を編集した集となっている。伯父は実母の姉の連れ合いで、長らく高校の歴史教師をやっていたが、いろいろと才能に恵まれた人である。谷岡ヤスジの恩師だったというのが、ちょっとしたエピソードなのである。

 


4月22日(水)歩け歩け

2015年04月22日 | 公開

  ともあれ新指定の国宝重文を観に行く。今回は本館2階の第八展示室すべてを使っての展観である。展示室に入ると、KOのSさんがちょうど片仮名本古今集をご覧になっていた、お話をしているうちに声が大きくなったらしい、見張りのおねえさんに、声を低くしてください!と叱られた。(^_^;)

  さて、蕎麦を手繰らんと思へど、しまった、水曜である。「池の端」もお休みだわ。仕方がないので延々と歩き、「文行堂」をちょっと覗いて秋葉原を通り過ぎて、「まつや」へ。昨日の今日とて、花番さんの客あしらいは水際立っていましたわ。

  1人なのでもちろん相席だが、隣のサラリーマン風おやじも、煮にしんでお銚子を傾けておいでになる。酒をスマートに飲むには、「まつや」では「うに」を頼むのがよいと私は思う。燗酒にうに、それから大盛りを出来次第でお願いする。つきだしの蕎麦味噌で数杯なめてから、「うに」にかかる。とはいっても、ほんのちょびっとだから、持参の箸の先端に引っかけてしゃぶり、それで酒を飲むのである。お隣は花番さんに、「そろそろお蕎麦をお持ちしますか?」と尋ねられたが、「もうちょっと待って」とじたばたなさっている。こう声が掛かっているのは、催促されているのだと知るべし。

  蕎麦も数本、肴にしながら銚子を空け、あとはずずっとりんだもぢる。お隣は手を挙げ「すみませ~ん」と声を立てて花番さんをお呼びだが、手が一杯でそう簡単には反応してくださらぬぞなもし。野暮なやつだな!と心の中で軽蔑しつつ、手のすいた花番さんにアイコンタクトし、右手の親指と人差し指をパチンと弾いて算盤を入れるジェスチャーをする。これでチェック・プリーズは通じるのだ。

  「まつや」から日本橋まで歩く。神田駅の近くで、気のきいた扇屋を見つけた。拝見して、素敵なのがあったので、お願いしたら、ディスプレイ用のものしか今はないので、後日倉庫から出しておきますと言われた。今度立ち寄った時に頂戴します。また、化学実験用のガラス器具を売っているお店もあった。前から、広口試薬瓶を茶入に見立てたら面白かろうと思っておったので、立ち寄りたかったのだけれど、後の予定時間が迫っていたので、また今度ということにする。薄茶器には薬器・薬籠起源のものがあるので、あながち狙いは悪くなかるまいよ。

  大学へ回り、研究室へあがると、A師匠がTAさんを連れておいでになった。研究室に請じ入れて、栗焼酎をご饗応申し上げました。

  で、18:00からA師匠お肝煎りで、装束講義のTAさん、スタッフ連慰労?の一席に加わる。エイトマン先生もご参加にて、上機嫌であらせられた。その後、いろいろ展開があったらしいが、私は一次会で失礼いたしましたわ。

 

 

 

 


4月21日(火)山蕗を買う

2015年04月21日 | 公開

  社会人向け講座の受講生の方に、越前蕎麦の「御清水庵」を奨められたから、さっそく日本橋へりんだもぢりに行く。このエリアは我が「日本橋しまね館」をはじめ、新潟奈良とアンテナショップが並んでいる。ついつい入り、「一の白」やフキノトウ、それになんと山蕗までごそっと購入してしまった!

  「御清水庵」は二人目のお客となり、大きなテーブル席の端に座る。壁には越前和紙、雲紙が額装して掲げられており、なかなか雰囲気はよい。ただし、最低最悪なのは、花番さんが大声でくだらん私語を交わしておいでの点で、いただけなかった。お蕎麦自体は、辛みの利いた汁につけて美味しくいただきましたがな。それにしても、お店の名前が…ねえ。←私の配偶者をご存知の方にしか分かるまいが。

  三越前からメトロ2駅分を歩き、左折してまた2駅分歩いて社会人講座へ。本日は鎌倉時代の占星術師の歌集の話の続きで、自宅から伝藤原家隆筆の掛軸を持って行った。本物を見せろとの受講生の方々のご要望が強く、ご満足いただくためのサーヴィスである。この掛軸、娘に頼んでヤフオクにて6万円也で落札したものなのだが、了音極めの、箱書きは了信。だから表具は新しいものの、結構なシロモノなのである。ただし、いけない点はというと、後から金泥で下絵を加えているところ。しかし、高松宮旧蔵の御手鑑に貼られている断簡の、紛うこと無きツレであり、私はこの歌集の清書原本そのものの一部なんじゃないかと、密かに思っている次第。こんなものを、気楽に教材にするのが、研究教育者というものであろうよ(ついにお数寄者にはなれなかった)。

  最寄駅からは魚屋へ寄って、同居人の好きなホタルイカと赤貝の刺身と、煮こごりを買って帰宅。さっそく山蕗の下ごしらえにかかった。湯を沸かし重曹を入れてからあく抜きをして、何度か洗って皮を除去、また水に晒しておいた。夜中頃にはきれいになっているだろう。味付けはそれからだ。

  フキノトウは、これまたさっとあく抜きをしてから、ザクザク刻んで小鍋に入れ、、味噌と味醂を加えて火にかける。焦げないようにヘラで混ぜながら水分を飛ばしていく。アクセントにエゴマを煎って少し混ぜ込んでみた。フキノトウ味噌、一丁あがり。

  今の季節、こういう山菜めいたものが無性に食いたくなる。食いたければ自分で調理するしかない。まあ、比喩的に申せば、写本からテクストを読むとは、そういう事だろうと考える。素材から処理できる料理人となるか、レトルトパックを暖めて供する者になるか。レトルトだって今日びはたいへんに発達し、下手に作るよりも美味しいが、大学の専門コースって、そういうものじゃないはずだろう。


4月20日(月)同居人の代講をする

2015年04月20日 | 公開

  FDだ、アクティヴ・ラーニングだと、かしがましく急き立てられる昨今、そりゃ、おいらの如き老教授も、授業を弛みなく改善することにやぶさかではない。今まで、アプリオリに、「わかってるでしょ」の前提でテクストの解読作業に入ってきたが、どうも今日びの学生諸君、そういうことでは通用しないというか、そもそも「わかって」いないのでは…ということが痛感せらるるようになって、数年前から、自分がやってきたことは全て間違いだったのではないか、と思うにいたった。

  そこで今般の朝いち演習では、読解に必要なDBやらツールを紹介する前に、江戸時代頃のお公家さんが歌を詠んでいたプロセスに従って自分自身で歌を作ってもらうところからスタートした。本日はようやく仕上がった歌を装飾短冊に揮毫させ、28首すべてを詠みあげて(大変だった!)、よいと思う作をひとり3点ずつ「入れ札」を指示した。結果、なるほど!という結果が得られたので、来週は何故その歌は高得点が得られたのかとの分析から、短歌のの生理といった、かなり本質的な問題に降りていけるような気がしてきた。東直子氏が教授に着任された大学で、私のごとき素人がおこがましい限りなるも、創作が目的ではないのだから、ゆるさせたまへ、ゆるさせたまへ。渡部泰明さん風の、もっぱらレトリックからのアプローチをいくら重ねてみても、けっきょく埒があかないと思っておりますのぢゃ。演習がおわって、受講生を一人つかまえ、「こんな授業で面白いか?」と尋ねたが、世辞にせよ「面白いですわ~」と言ってくれたのに慰められた次第。

  続くふるほん講義は、教室変更をしていただいた甲斐があった。設備のよい新教室があてがわれて大満足。しかし、ppt紙芝居のためブラインドを下げようとしたが下がらない。施設担当スタッフに来ていただいたが、誰かか調整ヒモを引っ張り過ぎたためで、修理要請を出しておきますと言われ、おいおい、まあ本日は曇天なりで暗いから何とかなろうと、電気を消して紙芝居。調査に出掛ける際には、手土産は何がよいかというところを延々と喋くって呆れられたか。陽明文庫へは黒松白鷹を持参するのだぞなど、こんなことまで教えてもらえる講義はめづらしや。

  さあ昼休みだが、今日は3時限の代講を頼まれており、飯も食えない。同居人はめでたく、勤務先大学の某役職を1年だけ拝命し(手当が2万円ちょい出るらしい)、その公務で講義ができないが、補講予定日も都合が悪く、私が代わりに教室へ行き、説明して師弟のDVDを見せてレビューシートを書かせることを請け負ったのであります。道理で数日来妙にお優しくあそばされ、大阪で拾った紙屑の代金も、ため込んだ学会費と一緒にぽんと出してくださるし、イタリア製のボルサリ―ノの帽子まで買ってくださるし、まあ物事には裏というものがありますな。茶道にも裏はあります。(~_~;)

  50名ほどの科目で、「アホバカ分布考」のDVDを見てもらったが、皆ぎゃはぎゃは笑っておりましたわ。

  やっとこさ「Cafe GOTO」へ行って、昼食代わりにタルト・タタンとコーヒーをいただく。GOTOさん、チェスの試合準備に余念がない。

  18:00からK書院の研究会。それまで雑用をこなし、神楽坂へ移動、雨の中「うつわや釉」の「坪島土平追悼展」を観る。

  研究会は「志満金」さんで、いつものお茶の稽古場の上だ。顔見知りの女性がお運びをなさっていた。ご主人のKさんにお菓子を持参したら、わざわざ挨拶に出て来てくださった。お運びさんには、先生もちゃんとした学者でいらっしゃるんですねとか、変なことを言われる。K書院も社長が交代したが、人文学系出版はなかなか厳しいようだ。前席が広島の角筆大家先生、左隣が前社長さんで、右には京都から総持寺附属大へ移られたK先生が遅れておいでになった。同居人の所属学部長先生もお見えで、ご挨拶する。今朝逢いましたよとかおっしゃっていた。こもごも、狭い世界である。


4月18日(土)西宮へ行く

2015年04月18日 | 公開

 おうた文学会の関西例会に日帰り出張する。昨日から大阪へ文楽観に出掛けていた同居人と、11:00に阪急梅田駅下で待ち合わせ、もちろんそのままN書店を物色、2枚ほどブツを頂戴した。梅田で昼食を摂り、阪急電車で夙川へ。

 少し早かったので、駅前でコーヒーを飲んでから、JRの踏切を渡って会場校へ到着。学長が開会挨拶をされたのには驚いた。我々が渡ってきた踏切は、谷崎潤一郎のところへ来た編集者が事故に遭い死亡した場所なのだそうである。これも文学遺蹟の一種であろうよ。キャンパス内には谷崎の歌碑も建っている。

  研究発表は期待通りで、私もAさんの発表に質問させていただいたが、私の前はNさんが質問したので、何のことはないY輪読会の研究仲間で完結したような格好になった。トリのKさんの発表に対しては、隣で同居人が首をかしげていたが、前の質問が長引いて手を挙げることができなかった。まあ、同居人はこの学会の会員じゃないし、仕方ないのだが、関西例会は時間厳守、懇親会が必ず設定されるため、質疑が中途半端になる憾み無きにしも非ずと思わんでもない。

  実は私はおうた文学会の某委員長であり、その懸案事項について関西の委員会のご意向を確認したかったのだが、その件はうまく行ったので胸を撫で下ろした。終了後、懇親会は失礼し、同居人とさくら夙川駅まで歩いて、新大阪へ。画像は駅ホームからの夕景。

  お土産と酒肴を買って新幹線に乗る。大阪辺だと日帰りも、さほど苦にはならぬことよ。

  

 


4月17日(金)高大連携授業

2015年04月17日 | 公開

  練馬の大学附属校へ、標記の授業をやりに行く。10:40と11:40からの2時限連続、受講者22名の選択科目である。

  この高校、施設はずいぶん新築されたが、教員室は私が務めていた頃と変わらず、汚いことこの上も無い。

  2015年度入試問題を使ってのレクチャー。本日が初回だったが、キックオフはうまくいったかな?

  12:30に終わって、13:00に井荻駅前で妹と待ち合わせ、「みわ」へ。軽く飲んで天麩羅を食い、蕎麦をたぐって話をする。

  大学へ回り、なかつよ文学会の事務仕事。大会の資料集の編集はなんとか進んでいる。


4月16日(木)辛辣なる指導教授

2015年04月16日 | 公開

  卒論ゼミから始める。就活優先でと宣言しているが、出席者は多い。各自のテーマに関連した論文を1本ずつ持ち寄ってもらい、その紹介と問題点を発表させ、今後のアプローチのポイントをアドバイスした。これをお互い見せ合うことで、刺激を受けながら要領を会得してもらおうという寸法である。時間一杯かかった。

  そうこうしているうちに博士課程の研究指導の時間となり、いつのまにか昼食を摂りしびれる。Uちゃんの論文を吟味したが、こいつは存外文章が悪い。自分では分かっていることを、人様に分かっていただくという配慮に欠けるというか、難しい言い回しや、同じ単語の繰り返しも目立って、読む方に過剰なストレスを与えてくる。そのことを率直に申し上げた。研究指導は13:00から最大16:30まで連続できるように組んだから、今年はたっぷり時間をかけることが可能。やはり90分じゃ足りませんわ。

  修士演習も輪読の初回だったが、発表者の準備に手間取り、予定の半分しかできなかった。最初だからめちゃくちゃ厳しいことを言おうと初めから思っていたのだが、まあ、いろいろ教えることはある。とにかく本年度は、辛辣かつ厳しい指導教授でいくつもりだから、覚悟めされよ。

  学生研究会は解題的な発表をお願いした。結局、かなり独りで喋くりまくった感じで、大いに反省する。明日は高校の模擬授業に出張らなければならないので、飲みは失礼して帰宅すれば、同居人はまだ帰っていない。つまみを作って焼酎飲もうとしていたところに帰ってきて、とっとと姑殿のところへあがって飯を食いはじめた。おいおい、おいらも食ってないぞよ。陰険な雰囲気になり、こちらは勝手に酒を揉ませてもらった。「川辺」は実に美味い。なんと、なんとクリアな酒! あんまり美味いので松江の老母へ1本送ったのも、今日着いたよと電話があった。明日は実妹と会う予定だが、そちらにも1本用意している。また、エイトマン先生にお呼ばれしているが、1本下げて行こうかな。


4月15日(水)給料日そして会議日

2015年04月15日 | 公開

  12:15からコースの会議に出る。学位委員としてこまごま報告した。14:00から教授会。年度初めなので新任の先生方、助手諸君のご挨拶があった。任期付きで着任されたH教授、著名な歌人であらせられ、思わずサインがもらいたくなりましたわ。でも、任期付きで教授会挨拶をされる方は珍しい。まことに好もしいかぎりである。

  議事はさくさく進んだ。気の重くなるようなこともあった。守秘義務があれば詳しくは書かぬが、教授も倫理徹底のレクチャーを至急受けるよう、文科省に強要されたらしい。どんどん、どんどん面倒なことが課せられるようになっていく。今日は発言すまいと心に決めていたけれども、大学の中長期的計画に関連し、学生数に関する公約?はどう具体的に進めるつもりなのか、機会があったら確認して欲しいと学部長殿に要望した。最後に学部史の編纂に関しても、ことさら笑いをとるような冗談を申し上げたが、これまた詳細は伏す。とまれ、新幹線で東京から京都へ移動するくらいの時間で終わったのは、記録的な短さと申すべし。

  関西のK大学から着任されたT教授に、学部はどちらだったんですか?とお尋ねすると、文学部とのこと。古筆切先生伊勢物語先生はよく存知上げておりまして…とご挨拶し、お近づきを乞うておいた次第。

  昼飯を摂りそびれた。キャンパス図書館へ赴き、課長がいらしたから、来年1月に引き受けたおうた文学会例会の際に、関連資料展示をお願いしておいた。それから生協食堂へまわり、学会の懇親会の相談をする。会費いくらでできますか?と尋ねると、3000円で飲み物付きと店長。3000円なら一般も学生も区別なく会費設定できるか。あとは委員会の会場さえ押さえれば、何とかなりそう。こうして、学界の研究コミュニティに協力するのも、研究者の重要な務めだと思う。腹が空いたので、生協食堂でつゆ蕎麦をたぐった。

  18:30からお稽古ごと。O社長がご出張中で、参加者やや僅少なるも、A師匠の冷泉流に関するレクチャーを有り難く拝聴。

  いつもはO社長とちょっと飲むのだが、本日は独りさうざうしく、「十六公里」へ向かう。そうしたらカウンター席に、B学部教授で昭南島高校の校長を兼務しておられるK先生が、お連れと飲んでいらっしゃった。いやはや。白州ハイボールを3杯あおって、腸詰を生姜添え(にんにく添えだと臭うからね)にしてもらう。「十六公里」の腸詰は、本当に絶品である。

  K教授ご入院あそばしたとか。心よりお見舞い申し上げます。