そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

9月30日(水)

2009年09月30日 | 昔日記
 キャンパス図書館の展示ケースが空っぽなので、展示物を持って行く。買ったばかりの佐佐木信綱の自筆短冊にする。ま~読めませんわ。

【本日の一首】
行秋のやまとの國の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

 司書のTさんに、薬師寺東塔の写真か何かをあしらってくださるようお願いした。この展示ケースは、オンデマンド授業の教材展示用に私が購入してもらったものなので、その運用にはいささかの責任を負っているわけ。

 授業開始後はじめての会議日であった。10:30、12:15、13:00、14:00、18:00と、小刻みに会議が続く。昼食も夕食も会議用弁当を供されたが、昼は余分に2つもらったので、K助手と、居合わせたMさんに差し上げる。食い物にありつけるのは結構なのだが、教務でもないのにこういう仕儀では、集中力は到底維持できない。最後はふらふらで、半分眠っていた。麻布十番へは行けなかった。

 夕方の会議までの合間の時間に、授業で配布する資料を印刷した。これでまずひと安心。UちゃんはN先生から、学会下発表についてかなり厳しいご指導をいただいたらしく、いささかヘコんでいる。ご精進、ご精進。そろそろK君の発表についても対応しなければいけないなあ。今秋も我が研究室のOB&院生は、都合3名が学会発表する予定である。

 来年度の非常勤依頼に関する手配があれこれ。お電話するもお留守の先生がいらっしゃり、A氏にメールアドレスを尋ねたら、海外ご旅行中とのことだった。メールでお願いを出しておく。やっとこさ送った英文履歴書と研究計画書についても、Wordで作り直すよう指示された。脈絡のない所用がわんさか湧き出てくる。

 水曜は「太郎月」がお休みなので、そのまま帰宅したら、娘がスーツを着ている。明日が内定式なのだそうだ。それはそうと、卒論はちゃんと書けているのかな? 4年生というのは、考えてみると授業料が本当に割高だわい。 

9月29日(火)その2

2009年09月29日 | 昔日記
 痛風の病院へ行く日なのだが、なぜかパートナーが診療費を倍額くれた。なんでかな~?と首をかしげながら、新宿へ。体重はやや増加気味で(90㎏。先生には89㎏と嘘をついた)、数値もはかばかしからず、血糖値も尿酸値も下がらない。

 そうか!診察が終わったら、今日は「とん太」でトンカツを食べなさいという有り難きご示唆だったか!と気付き、開店の11:30ちょうどに暖簾をくぐった。2人目の客。でも、11:45にはカウンターは満員となった。

 「特ロース」を注文。大将から、Tさんはお元気ですか?と声をかけられる。Tさんとは隣の研究室のT教授のことで、学生時代、彼はずっと「とん太」でバイトをしておいでだったのである。昨日は一緒に昼飯を食ったな。

 供された胡麻を擂って、それをベトナム産の塩と混ぜ、「胡麻塩」にしてカツにつけてみた。胡麻の香りがフウッと立って、なかなかオツでありましたぞ。本日の揚げ具合はまた一段とすばらしく、サクサクの衣と柔らかい肉、得も言われぬ脂の風味に陶然となる。

 それから、「Cafe Goto」でコーヒーを飲む。お気に入りの千曲川の絵の下の席に座れた。ウェイトレスのおね~さんに、トンカツ食ってきたんだよと告げたら、美味しいお店があるんですか?と尋ねられた。そりゃもう、この辺では「とん太」に勝る店はありませぬと、ご参考までに箸袋をお渡しする。おね~さん、かつて「とん太」の近くに住んでおいでだったそうで、お店は知っているが、入ったことはないとのこと。

 大学へ。門のところで学生に、フリーペーパーを手渡される。中身を見ると、な、なんと畏友教務主任殿のインタビュー記事が載っておった! うわ~、写真入りだぜ。

 S君がいたので、論文のことや、その他あれこれについて相談にのる。それから、修士課程への進学が決まった卒論指導の学生を呼び入れて、少し話をした。また、Uちゃんに「世界カメラ」というものについて教えてもらった。そこいら中の空間にファイルがおけるのだそうで、いよいよ凡慮の及び難き世界になってきたものである。そうこうしているうちに、16:00近くになった。木・金の授業の配布資料を印刷しようと思っていたが、明日に延期だ。

 教育学部のO教授の研究室へ行く。T教授と3人で、鳩首会談。なんだかんだで、結局面倒は皆こちらに押し付けられそうな形勢となったが、仕方あるまい。40分ほどで、話がまとまる。

 そして、S寺の研究会へ顔を出す。高子の歌のところの報告を聴いて、いろいろとご意見を申し上げた。終了後、「五郎八」で蕎麦をたぐる。まだ暑かったので、ついつい「アボ蕎麦」にしてしまった。あ、そうか! トンカツじゃなくて、夜の研究会の後の食事代をくれたのかと、ようやく気がついた。お酒を飲まなかったので、安くあがった。

 パートナーは先に帰宅していた。観世銕之丞さんのパーティとやらに行き、知り合いにたくさん会ったのだそうだ。「とん太」へ行ったことはナイショにしておく。バレたら殺されそう…

9月29日(火)

2009年09月29日 | 昔日記
 サンフランシスコから送られてきたものがあったので、何じゃらホイと開けてみたら、アマゾンで注文したCDだった。物流の仕組みは、今やグローバル化しているのだなあ!

 名前にひかれて、Pekka Toivanenの「ARCTIC BRAMBLES」を買ってみました。フィンランドのJazzプレーヤーですぞ! 「Summertime」以下、スタンダードばかりだが、なかなかよい。「太郎月」のBGMにもピッタリなんだけどね。

9月28日(月)

2009年09月28日 | 昔日記
 とうとう授業開始となってしまった。9:00から専門演習。春学期から引き続いての受講者がほとんどだが、新顔も少しばかり。去年レポートを提出せず不可を付けた某君…レポートさえ出したら単位はあげるからねと耳打ちした。

 影印を使って、高度な内容にもっていく予定だが、まず変体仮名の読み方を手ほどきする。配布資料は先日印刷しておいたので、楽ちんだった。何でも仕込みが大切ですな。

 10:30まできっちり授業をして、まあ快調なすべり出しである。一息入れ、11:00に苺白書大学から受け入れた博士候補生R君と面談する。大学院の教務や、コース主任にも同席していただく。2008年3月にNYで行った私の集中講義を受講してくれた学生さんなので、名目上研究指導の受入れ教員になった次第。受講科目と要領について説明。それから、彼をキャンパス図書館と中央図書館に案内した。

 お昼は帰りがけに「たかはし」で済ませる。刺身定食の鮪にした。隣の研究室のT教授が召し上がっていたので、その隣に座った。すると、日本史のAB沢先生が入っ来られたから、今しがた中央図書館で受け取ってきた明月記断簡の写真をご覧に入れ、コピーをメールボックスにお届けする約束をした。共同申請者にお加わりいただいたモノなのだ。本屋で光人社NF文庫の新刊を買い、コンビニでお茶のペットボトルを5本買う。

 さて14:00からは、私が主任となっているWさんの博士学位請求論文公開審査会だ。時間ぴったりに始める。400字詰原稿用紙1200枚を優に超える大論文。一般参加の聴衆は3名だけだったが、1時間半ほどで公開審査を終え、引き続き私の研究室で審査委員会を開く。報告要旨の原案は私が作ったけれど、審査会で出た指摘を加えたり、あれこれ後処理をしているうちに、17:00をちょっと回ってしまった。ああ、今日は報告書等を事務所に提出できないなと思ったが、ダメ元で持って行ったら受け取ってもらえた! 助かりました。

 夕食は「AMA」へ行く。春学期と全く同じパターンだな。緑色のカレーとナンを食った。そして、夜学の講義が19:50から。もはや登録者は僅少で、出て来るのは予測通りその半分ほどだった。それが非常に大きな教室をあてがわれていたものだから、来週からは小さな教室に変えてもらえるよう事務所にお願いする。今日は仕方がない。大教室で、小人数を相手に、大声で講義をするのはしんどい。マイクも使えないし。夏用のチロリアンジャケットを着ていたが、汗びっしょりとなる。

【本日の一首】宿屋飯盛
歌詠みは下手こそよけれ天地の動き出してはたまるものかは

9月27日(日)

2009年09月27日 | 昔日記
 お茶のお稽古が12:00からに繰り上がったというので、東京タワーの近くの会場へ10分前に到着する。H先生から、牡丹花肖柏と後柏原院の軸が床に掛けてあるから、それについて少し講義するよう下命されていたので、短冊についてのお話ができるように準備をして行った。

 井田法に関するN先生のお話をうかがい、おいなりさんと海苔巻きをつまんだ後、私はもっぱらお点前を見学した。T大学のI先生が練お練りあそばした濃茶は、ううう、ダマが残っていたぞなもし。最後に全部吸いきれなんだ。

 N先生のご指導は、ほんとうに勉強になる。茶とはイメージの世界なんだなあと、つくづく思った。それが分かると楽しいことだろう。

 薄茶の後、いよいよ掛幅の話をさせられる段となる。ところが、鎌倉末の禅僧の漢詩を読まされる仕儀となり、冷や汗をかく。当の後柏原院短冊も、非常に変わった書式で、詠進短冊とは大いに相違して困り果てたが、持参した室町~江戸の短冊をいくつか並べ、一般的な書式の話でお茶を濁した。こういう場では、小林一茶の和歌短冊が、やはり衆目を集めまするな。文献学者は現物で誤魔化しちゃうのである。

 実は会場は、ある骨董屋さんのお店に併設されている茶室なので、いろいろお店のお道具を拝見できるのだが、状態のよい百万塔を触らせていただき勉強になった。いわゆる最古の印刷物というやつ。

 17:00に終わって帰路へ。途中まで地下鉄で、I先生とご一緒する。I先生は、ついこの間お亡くなりになった私の同僚T教授が、蝦蟇油大学にいらっしゃった時に研究指導を受けたというお方で、仲人もしてもらったという。T教授のご所蔵本がウチの大学図書館へ寄贈されることになったこと、勤続年数が規定に僅か数ヶ月足りないため奥様へ大学年金は全く行かないことなどを、I先生からうかがった。何とも不仕合せというか、巡り合わせということだな。私自身は、既に年金貰える年数はクリアしているが、後は取られるだけなので、ウチの大学年金は、年数は満ちてしまえば、勤続年数が長くほど損?(一方的拠出分)が拡大する仕組みとなっている。つまり、勤続20年ちょうどで退職するのが、一番条件が良いことになうるのだ。もっとも私もこの体では、定年前後に死ぬことになるだろうし、パートナーは扶養家族でも何でも無いので、同じことかもしれないが…。

9月26日(土)

2009年09月26日 | 昔日記
 二次というのは要するに面接試験なのだが、ずいぶんな人数だった。やはり不況のせいか。昨今は超領域といおうか、従来の枠組に当てはまらないケースもあるので、必要ならば別の教員も呼んで来て入ってもらったり、複雑な配慮が必要である。まあ、私自身が、専門の時代的には、もともと研究指導担当枠とズレていたりするものだから…

 お昼前には終わり、主任に結果をご報告する。今日は研究会も行われるが、そちらのほうは他の会議もあるのでパスさせてもらう。J研の院生さんたちが運営のため集まってきたので、来月挙式するNさんにお祝いの品を差し上げた。島根県出身者がお相手のよしである。結構なことだ。また、修士1年の諸君に、秋学期のテキストについて確認、了解を得た。

 昼食に行くと、考古学のK教授がいらっしゃった。世間話をしていたら、T大のN氏がお弟子さん連れで入ってきた。研究会の会計監査なのだそうだ。まあまあ1杯とビールをすすめる。お弟子さんは相当強いようだ。

 N氏、一時期はずいぶん痩せて、うらやましかったが(パートナー情報では、かりんとうを食べるのを止めたら痩せたのだとか)、元に戻ったみたい。忙しかったみたいだねと言うと、こき使われるとはああいうことだと思いましたとの返事。いづくも同じ秋の夕暮れ【本日の一首】

 14:00から会議で、16:00からまた会議。その間、研究会をちらっと覗いたら、A氏と目が合った。会議は両方とも、ひじょ~にスムースに終了した。それはよかったんだけど、終わってからT先生に、ちょいとばかりショックなことを宣告される。まあ弱い立場なので仕方がないが、正直面白くはない。今までの貢献は何だったの?と、一瞬むっとするが、人事権は領土だからな。遠からず退却するのなら、一気に絶対国防圏まで下がって、守りを固めるのも一見識であろう。

 神楽坂でワインと豆腐とチーズとコーヒーを買って帰路に着く。研究会の懇親会に出てもよかったのだが、中途半端なのでやめにした。仕事もいっぱい残っているし、夕食の用意をしなければ。ところが、近所の八百屋で、奥様はパーティだと言って出かけられましたよと言われる。ああ、そうだ、前学長G先生のご講演とパーティがあると聞いていたんだった。それならば研究会の懇親会に出るんだったな。姑と2人で夕食を摂る。相手がいないので缶ビール1本にしたが、今宵の「ロックフォール」はまことに美味であった。

 G先生のご講演はどんな内容だったの?と尋ねると、清少納言は実は清原元輔の女じゃなかったというお話だったとか。げげげげ、百人一首の近著には、元輔女と書いちゃったぞ(藤原清輔の生まれ年が通説より4年遅いというのはちゃんと反映させたけど)。要するに、俊成卿女と同様のケースだということ(専門外の方は何のことか分からんだろうが…)。それなら、あながち間違いでもないとは言えましょうかな?

9月25日(金)その2

2009年09月25日 | 昔日記
 私、わりとジャズ・ヴァイオリンが好きで、Stéphane Grappelliなんぞはよくかけているのだが、さすがにこれを聴きながら論文は、ちょいと書けませぬな。日本人はジャズを、言語中枢で聴くんじゃないかな。

【復活!本日の一首】明治天皇御製
あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

9月25日(金)

2009年09月25日 | 昔日記
 今日中に何とかしなければならない事が山のようにあって、しかもどんどんメールも入ってくるし、も~パニック状態である。息ができない。あまりに~もお馬鹿さん。メール送って来ないで欲し~! 

 大学院入試の一次合格発表日だ。合格した人はおめでとさん(本当にめでたいのかどうかは保証の限りではない)。明日は二次試験。朝から駆り出されている。

 A師匠、水曜はすみません、行けませなんだ。適任証は、パートナーを拝み倒して先ほど書いて貰い、投函しました。明日には届くことと存じます。

 修士課程の演習はどうしようか。源氏物語が専門の受講生諸君に、秋学期は好きな私家集を選ばせてあげると水を向けたら、揃いもそろって紫式部集と言ってきた。まあ、当然か。しかし、研究史も膨大だし、ちょっと準備がやっかいですな。伊勢集くらいにしておきませんか? 学部の演習は、やっぱり影印にいたしませう。でも、甘露寺親長筆では読みにくいか。親長の自筆短冊(画像参照。署名部分のみ拡大)を、近時京都のB堂で購入したから、ちょっと使ってみたいんだけどね。
 
 雑誌編集上の問題は無事解決したが、これから編集委員全員にその報告をメールせねばならん。科研費の申請もあるしなあ。為すべきことをポストイットに書いて、PCに貼り付けたら、とんでもないことになった。このまま~死んでしまいたい~♪ 

 消えたもの、戸川純、鴨川つばめ(「マカロニほうれん荘」)…

9月24日(木)

2009年09月24日 | 昔日記
 連休が終わった途端に、スズメバチの来襲という感じである。頭の周りを何かがワンワン言い出した。予定表はびっしりで、何が何だか分からない。

 14:00から教授会。席に座ると、社会学のM教授に今日は長くなるぞと嚇かされた。主任会がモメたのだそうだ。あんたが長くするんだろとお返事する。最重要議題は最初のほうにあって、これはまことに結構至極な結末だったが、後もずるずる続いて、終わったのは18:00(それでも早く終わったと言ふべし)。私めの交換研究員派遣の件は、異議なく承認されました!(人事委員長殿に、反対してやろうと思ったと嫌味を言われたが…) M教授がモメると言っていた話は、私もその一員であったカリキュラム委員会に矛先が向いてきたのだが、Y委員長のご答弁まことに要領を得て水際立っていた。いや~Y教授、ホントに冴えている。将来の学部長、間違いなしだろう。

 18:00から教組の執行委員会なので、急いで移動したが、30分遅刻した。まだ定足数に達せず、報告事項から始まる。「八幡寿司」のにぎりをパクついた(昼飯抜きだったのだ!)。夏休み明け最初の執行委なので、議題も多い。春闘もまだ終わっていないからね。春闘団交については、方針の転換が付議されたが、何のことはない、私の思っていた通りの方向性…(だったらスト権確立投票など、面倒をしなければよかったのに)。職組と平仄を合わせる必要があるというが、ひどく強硬な意見も出た。人間関係というのは難しいですわね。今日の執行委では、声を荒げる御仁もいて、一瞬険悪な雰囲気となる。年取って、こういうシーンに出くわすとしんどい。喧嘩するのには、相当のエネルギーが要る。ああ、でも、執行委員の任期もあと1ヵ月ほどだ。ちなみに、それまでの組合関係スケジュールを以下にご紹介してみようか。

  9月30日 職場討議
 10月 1日 執行委員会
 10月 6日 拡大中央委員会
 10月 8日 団交
 10月 9日 団交
 10月13日 執行委員会
 10月20日 団交
 10月27日 執行委員会
 10月29日 定期総会

 10月は校務関係の会議も目白押しだし、もちろん授業もやって、この間、札幌と新潟へ学会出張せにゃならん。ど~なるんだろ? よく、「教授はお忙しいのですね」と言われるが、これが現実なのだよ、へへへ。スケジュール表を全部公開したいくらいですわ。そうしたら誰も、ウチの大学の専任教員になんぞ、なりたいなどとは思わぬことだろうて。多くの先生方が、ご定年前後にお亡くなりになるのも、道理というものだ(いや、不謹慎な発言でした)。私は定年まであと7年ほどだが、果たして持つかなあ。年金貰わずにあの世へ行くのが、御国のため、大学のためではありまするが…

 21:30に終わったので、お前渡りなし難く「太郎月」に1時間だけ寄る。先客は1人あったが、私の後からどばっと団体さんが入ってきた。まずハートランドで喉を潤し、サンマの刺身と、「越乃景虎」を1杯。やはり飲み屋はBGM。「太郎月」に流れる有線は最高だなあ。

9月23日(水)その3

2009年09月23日 | 昔日記
 「折句」というのは、「君が代行進曲」である。外国にもこういう曲の作り方があるのかいな? ご存知の方は教えてくださいまし。

 ところで、上記YouTubeはなかなか秀逸だが、非公式の2番とされているのは、『小学唱歌集 初編』所収の歌詞であり(ただし曲は全く別物)、その出典が源頼政の和歌であることを知る人は、多くあるまい。

  君が代は千尋の底のさざれ石の
      鵜のゐるほどに顕はるるまで (源三位頼政集309)

 今撰集165だと、第三句「さざれ石も」、第四句は「鵜のゐる岩と」であるから、歌詞の「鵜のゐる磯と」は、明治の改作であろうか。

  君が代は長井の浜のさざれ石の
      岩根の山となりはつるまで (藤原顕綱)
  君が代はみなわに浮かぶさざれ石の
      山よりたかき岩となるまで (藤原範兼)
  君が代はちくまの川のさざれ石の
      苔むす岩となりはつるまで (式子内親王)
  君が代はちくまの川のさざれ石の
      さながら岩と顕はるるまで (藤原公継)
  君が代は五十鈴の川のさざれ石の
      したつ岩根の数そふるまで (津守国道)

 ともあれ、こういうパターンの1首。う~ん、全くもって和歌は「類型性の文学」(小林一彦氏)ですなあ。それにしても、式子歌は1200年、公継歌は1201年の作なのだけれど…。完全なパクリやね。いいのかいな、こんなんで?

9月23日(水)その2

2009年09月23日 | 昔日記
 関東で醤油の産地といえば野田であろう。では、酢の産地は?

 醤油は野田。
 酢は?                             鎌倉。
 
 「ものはづくし」でやんすな。古いギャグぢゃ。

 F女子大のTさんから、執筆者紹介欄のご著書の書名に「たち」が抜けていたとメールをいただいたので、「質が悪い」と返信したら、「座布団1枚」いただいた。分かるかな? 漢字の読みの問題ですわ。

9月23日(水)

2009年09月23日 | 昔日記
 名誉教授のM先生が日曜にお亡くなりになったよし。前日夜の集まりには顔を出していらっしゃったそうで、まことに無常迅速の世の中である。昨年、定年退職されたばかりだ。K教授はM先生が指導教授でいらしたから、さぞかし衝撃を受けておいでのことだろう。

 M先生は学部長時代、夜学の社会人入試制度導入に尽力された。学部広報誌の編集を担当させられていた時に、その社会人入学第一期生を集めての座談会を企画し、私は司会者をつとめたが、M先生にも座に加わっていただいた。その時の、当該入試制度の意義を熱く語っていらっしゃったお姿が想い起こされる。ご冥福をお祈りいたします。

 雑誌の編集の関係の事で、ちょっとしたトラブルが生じている。頭が痛いが、私がぼんやりしていたのが悪いのである、きっと。今後は先手、先手で行くべいな。ああ、それにしても気が重く、やっかいだぞなもし。

 秋学期の演習のための、配布資料の準備を始める、明日は大学へ行くので、合間に印刷をしておくことにしよう。この春からカラー印刷もできるようになった。現段階の登録者数はweb上で確認できる。でも、花札演習の後番組?は一向に人気が出ない。しかし、昨年のように数名ということはないので、まあ何とかなるだろう。「研究会」にはまた1年生が2名、参加を申し込んできた。こちらはすこぶる好調だ。会議室を確保したが、入りきれないかも。 

9月22日(火)

2009年09月22日 | 昔日記
 パートナーのところにKさんから、鳴門のワカメとカボスが届いた。届かない届かないと気を揉んでいたが、やっと届いたので、安堵しておいでになるわい。私のところへもA先生から岡山の葡萄など、結構なものを頂戴して恐縮のいたり。松江からも出西生姜ほかが届いた。今夜は生姜御飯にしよう。

 昨日、9月21日は、正規には秋学期の始まりの日であった。S先生から、その昨日付で、我が大学に着任された旨、わざわざご挨拶のメールをいただく。S先生は、毎年1月に必ず全国TV生中継される某行事で重要なお役をお勤めになられる御方であり、ウチとは段ちに偏差値のお高い某国立大学の先生であらせられたが、このたび転任しておいでになったのである。こういう方が、最近はちらほらいらっしゃる。今、一緒に教組の執行委員をつとめているJ教授も同じ。以前、J教授にお伺いしたところでは、ウチの大学のほうが給料が高く(私立大学だからな)、定年が長く、かつ落ち着いて基礎学問ができるからなのだそうだ(ただし持ちコマ数は倍、会議時間は数倍だと思うが…)。ところが今春闘、理事会は各期手当を下げると言い出したし、定年も付属校から下げ始めた。外部資金、研究費を獲得せよと大号令もかかる。これからはどうなることやら。S先生には、ご着任学部の教授会は長くて大変ですねとお返事を申し上げた。A師匠も誘って、神楽坂で歓迎会を開くかな。

 校務で大学へ行かねばならぬ。13:00集合だが、30分早く着くように電車に乗ったら、車内でK書院のOさんにばったり。お墓参りにいらっしゃったそうだ。7月末までとお約束した仕事がまだ終わっていないので、平身低頭する。悪いことはできないものだ。天網恢恢、疎にして漏らさず。 

 校務は2時間半ほどで終わる。急いで帰宅。途中、本屋で、佐藤文香嬢が載っている『サライ』を遅まきながら購入、魚屋でサンマの刺身を買った。文香嬢はご活躍だな。彼女の俳句は、中世歌論で言うところの「疎句体」であると、私は思う。まあ、俳句とは本来そういうものか。文香嬢の作品は井上宗雄先生も絶賛しておられた。ご両親もさぞかしお喜びであろう。この前岡山で、H夫妻と噂話をしたんだけど…。へえ、文香嬢のおじいさんは町長さんだったんだ! すると、Aちゃんのお父上が町長だったことになるのか、知らなんだなあ。さすが校長先生が勤まるわけだ。

 そのAちゃんの同期生であるパートナーから、ユニクロに連れて行くよう命じられる。車を出すと、隣の奥さんが掃き掃除をしていらっしゃった。カボスを5個おすそ分けすると、今夜はサンマなのが見えましたか?と言われた。とんとんとんからりんと隣組である。

 車で近くのユニクロへ行き、頼まれていた娘の部屋着を買い、ドラッグストアを回って帰った。晩御飯パートナーが作るというので、お任せした。

9月21日(月)

2009年09月21日 | 昔日記
 お彼岸なので、お墓参りに行く。往復80㎞強の道のりを、車でぶっ飛ばした。といっても、ちょうど中間地点あたりに季節の行楽地があるため渋滞が心配され、7:00前には出発する。赤い花なら~♪

 行きは、まあそうでもなかった。途中、パートナーの姉夫婦の家に寄り、それから渋滞懸念地帯を抜けると山道である。そこそこに到着。まず本家筋をお尋ねし、お寺に行って、姑の実家にも立ち寄る。たくさんお土産をいただいた。

 昼食は「道の駅」で蕎麦を食ったが、学食に毛が生えたようなものだった。まあ、不味くはないが…値段は倍だな。地場産の農作物などを少し購入する。

 帰途は大渋滞、まだ上りは動くだけマシという感じだった。途中、ファームに寄ろうということになったが、これがまた大失敗で、たいへんな渋滞に巻き込まれる。意地でたどりつくと、場内は人でいっぱいで、この「シルバーウィーク」は近場に人が殺到したようだ。まあ、我々が来るぐらいだから、推して知るべし。

 結局ずっと運転したので、どっと疲れた。本家筋でいただいてきた地元のワインを1本空ける。フルボディのよいワインである。そのほか、いただいたお寿司やオハギ、ファームで買ってきたトンカツなどで、豪勢な夕食となった。

9月20日(日)

2009年09月20日 | 昔日記
 「シルバーウィーク」というのだそうである。五月の「ゴールデンウィーク」に対して、九月の連休を左様に称するという。それじゃあ「カッパーウィーク」は何時ならむ? 

 一日中寝てしまった。もうすぐ新学期なのに、あんまり準備ができていない。仕事の残りもいくつかある。余計なことはせぬにしくはあるまい。教育者たるもの、「五省」を拳拳服膺すべきか。

 老母に電話をかけたら、出西のなま生姜素麺南瓜を送ってくれるそうだ。後者は、これでスープを作るとたいへんに美味しいのだ。敬老の日に間に合うよう、娘の布哇土産を送った。

 昨日買って飲んだロゼ・ワインは失敗だった。ラベルのデザインや名前に騙されてはいけませんな。ワインを買った「ラ・カーブ・イデアル」は昨今、一杯飲み屋と化している。いま、オーナーは仕入れに渡仏しておいでらしい。今日は生協で頼んだ長野産のメルローを開けたが、いまいちだった。「オイスターバー」に行きたくなった。

 夕食後、お茶を飲んでいたら、雨が降るような音がする。水仕事がしんどいというので、姑が食器洗い機を買ったのである。大袈裟な器械だ。まあ、雨の音と思えば、風情が無くはない。