そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月30日(水)

2010年06月30日 | 昔日記
 17:30に神楽坂駅の東の出口のところでS教授と待ち合わせて、工事中の赤城神社の前にあるアイボリーショップでペンダントヘッドやネックレスなど3点ほど選ぶ。誕生日プレゼント用なのだが、ネックレスはS教授がお気に召したのでお買い上げになった。こちらでは琥珀や土耳古石などのアクセサリーも作っておいでのようなのだが、そのうちに、昔、エストニアのタリンで買ってきた蛙入りの琥珀を加工してもらおうかなと思う。

 時間があったので、神楽坂をぶらぶら下り、扇子と帽子を衝動買いした。

 約束した18:30の5分前に芸者新道の「Gio」に入ったら、BC大学のCLさんはもうお見えになっていた。京都から直接だそうだ。阿仏尼のご著書をまとめるための取材とのこと。久闊を叙し、さっそく白ワインを飲み始める。19:00少し前にE学部のT教授もお出でになった。きょうび、阿仏尼研究といえば、T教授が№1である。歓談数刻に及ぶ。中右記の英訳が進められているなど、仰天すべきお話も聴いた。

 「Gio」のピザは娘が大好きで、乾燥トマトがあしらわれた単純なやつ注文したら、やっぱり美味かったので、娘にもテイク・アウトすることにした。持って帰って、土産に渡すと、早速召し上がっておりましたわ。

6月29日(火)

2010年06月29日 | 昔日記
 そうそう、昨日地下鉄に乗ったら、目の前に、先の学長選挙で落選されたK教授が立っていらっしゃった。やあやあ、大変でござりましたなあと、ご挨拶を申し上げる。文学部は投票率が低くて…、でも先生、ありゃ選挙対策的には最悪でしたぜ。私を推薦人にすればよかったのに…と冗談を申し上げると、済んだことはもう言うなとの仰せであった。(笑

 今日は今日とて、ロバート・キャンベルさんの講演を聴きに行く。会場の前で、丁度キャンベル先生にお会いしたので、ご挨拶申し上げた。講演会はなかなかの盛況。竹盛天雄先生までお見えになっていた。近世文学のI教授と並んで拝聴する(ちと居眠りをしてしまいましたわ)。左は、図書館資料担当副館長殿がお座りになっていた。

 コース研究室には梅ちゃんとIさんが居たので、「緑の豆」で買ってきたドーナツを提供する。それから、あれこれ雑用に時間をとられる。土曜の学会出張の書類をやっと提出。夕方からは今成元昭先生のお宅で研究会だ。

6月28日(月)

2010年06月28日 | 昔日記
 山のような郵便物を最終的に処理したら、東京出雲学生会の通知が一番下に紛れ込んでいた。げげげ、今日ではないか! 新幹事のYさんに電話したら、当日でも構わんとのこと。出席する旨を申し上げる。

 郵便局に行き、溜まっていた学会費や書籍代を振り込む。55,000円ほどになったかな。それから大学へ行って書類の作成などに走り回った。14:00からは図書館で論集の打ち合わせ。HS先生の着想に舌を巻き、Tさんの適確なアイデアによって、あれよあれよという間に骨格が完成した。実現すればたいへん魅力的なものになるだろう。

 打ち合わせが16:00過ぎに終わったので、「Cafe GOTO」で一息ついてから、有楽町へ移動、17:30に東京出雲学生会の会場である東商ビルへ行く。この会は明治16年に岸清一らによって創設された、出雲国から東京の大学へ進学した者が組織する団体で、年に2回、6月に講演会と、12月14日に赤穂義士の講談を聴く会を催している。今回、1976年以来幹事を務めてこられたHさんから、新幹事にバトンタッチされた。

 島根県東京事務所長の斜め前に座った。現役学生も7名参加しているが、ほとんどは東大生である。まあ、地方出身者にとっては、東大生に非ずば人に非ずで、私大出身の私なんぞはまったく肩身が狭い次第だ。今日の講演は日本百貨店協会常務理事のA氏による「百貨店業界の現状と課題」、詳細なデータを示されてまことに勉強になった。聴きながら、メイシーズとノードストロームの違いをぼんやりと考えていた。

 その後は乾杯、会食、写真撮…影。先輩方のお話はまことに長い。乾杯までにビールの泡は完全に消えてしまったわい。

 2次会は有楽町のガード下へ行く。「時間」に対する人間の意識を研究対象とすることにしたという東大の院生君とお話をしたが、とても面白かった。視覚情報と聴覚情報は、どちらが脳の処理が速いかという問題。視覚のほうが速いと思ったが、さにあらずで、断然聴覚が速いんだそうである。また、赤ん坊の脳にどのようにして自身の身体感覚が形成されていくかという話も非常に興味深かった。それで、脳のメカニズム的には、日本人がダジャレや掛詞(つまり同音異義のズレ)を面白がるのはなぜだろうと尋ねてみた。なかなかそこまで研究は進んでいないらしいが、彼の述べた見通しはなかなかはかばかしいものであった。さすが東大の院生、全然レベルが違うわい。

 2次会参加者8人の半分が学生なので、もちろん社会人がおごる。ワインのボトルを3本空けたのに、払いは全部で8,000円ほどだった(つまみをほとんど取らなかったからな)。ガード下は安いよなあ。Y新聞の民主党担当記者氏も付き合ってくれたが、今度の参院選は菅政権の勝利に間違いないということで、皆の意見が一致する。私も、前回の総選挙では立場上仕方が無いので共産党に投票したが、今回だけは民主党に入れようと思っているくらいだもの。まあ日教組が政権を握った格好なので、教育関係者は民主党支持が絶対的に多いかもしれないね。

  梅雨空は鉛のごとく重くして ヒトラーの自殺せし歳となる 雲州

6月27日(日)

2010年06月28日 | 昔日記
 終日、お茶の御稽古に行く。私の渡米中にいろいろあったよしで、ガマ仙人先生から概ねの事情は伺ったが、H先生に遅くとも11:00までには来るよう指示されたので、10:30に到着すべく神谷町へ向かう。

 それから16:30まで、昼食をはさんでバッチリ勉強するも、促成も促成、年末年始に老母から特訓を受けただけの、風炉なんか全くやったこともない超初心者なものだから、冷汗一斗、葉蓋の平点前をご教授いただくも、柄杓の扱いがどうにもこうにも…。皆さんの失笑をかったが、教室とは恥をかく場所であることは、教育者として私も十二分に心得ている。つまり自分の身体の動きについて、自分が一番分かっていないというのが何とも情けないが、右手の構えは陸軍式敬礼をそのまま降ろしていけばよいのだと得心したことは、本日唯一の収穫であったかもしれない。

 来月からは、毎月の初心者の御稽古にも出させてもらうことになった。松江から少し、稽古用の道具をかっぱらって来ようか。

 体重はリバウンド気味。85㎏まで戻ってきた。シアトル生活に比すれば、明らかに運動不足だ。

6月26日(土)

2010年06月26日 | 昔日記
 O社長のご趣向による「香あそびと和歌の会」に参加する。五反田駅を降りて「ゆうぽうと」へ向かって歩いていたら、偶然、今成元昭先生のお宅で開かれる研究会でご一緒のOさんとお会いした。これから立正大学で今成先生のご講演があるそうだ。先生は?と聞かれたので、「北島三郎ショー」と答える。来週の研究会には出席いたします。

 香席は16:00開始で、まず六国香を六歌仙に寄せ、続いて古今伝授の三鳥に寄せた鳥寄香が行われた。なるほど、これは面白い遊びである。嗅覚はさまざまなファクターに左右されるから、微妙なゲーム。自分の身体や感覚を観察するような仕儀とあいなるのだなあ。香席は初めてだったが、奥が深そうだ。その後の直会にも出て、日本酒を飲む。

 帰路、五反田駅のホームで電車を待っていたら、またもやOさんにお逢いした。今まで今成先生に付き合っていて、お別れしたところとのこと。よほどご縁があるようだ。電車の中でうつらうつらして、隣の乗客にこづかれたりしたが、無事に帰宅。明日はお茶の御稽古に行く。

 研究指導担当の院生からメールが来ていて、先生はいつも大学に居ないとボヤかれた。私、大学が嫌いなんだよね。特に自分の研究室には、できるだけ居たくない。勤務先自体も大嫌いなんだけど…これは大きな声では言えません。だから必要があればメールでアポをとってねと返事をした。万事さやう心得られたし。

6月25日(金)

2010年06月25日 | 昔日記
 9:30に教職員健康管理室というところに出頭を命じられていた。3月に受けた定期健康診断をネタに、産業医の先生から説教を受けるのである。ただでさえ気が重いから、都電が渋滞に巻き込まれたせいもあって、5分ほど遅刻してしまった。

 3月から6㎏体重が落ちた計算になる。だから体調はすこぶる付きでよくなっており、問題は何もござんせんと申し上げたが、胃にピロリ菌がいるだの、胆石があるだの、次々に脅されるので、気が滅入ってしまう。当方、長生きするつもりもないし、娘も自立したから、もういつ死んでも結構ですと申し上げると、変な顔をされた。

 1日6時間寝なさいとか、肉は豚にしなさいとか、お酒の飲み過ぎですとか、指示はやけに具体的である。しかし、痛風の病院で言われることと、結局何ら変わるところはない。運動不足解消のため今から始めるスポーツとしては、「社交ダンス」を勧められた。おいおい、おいら××歳だぜ(来週の28日が誕生日だけれど…)、ダンスがスンダの年寄りである。わたしまけましたわ、イエイ。…だったらK教授にお願いして、バレエでも始めますかな?

 「健康指導」が終わったのが11:00で、出頭命令書には「30分を予定」と書いてあったのに、ずいぶんたっぷり説教を食らったなあと聞いてみると、私の次の予定者が急にキャンセルしたのだそうだ。それなら早く終えて、先生もコーヒーでも飲みに行けばよいものを…。お蔭でへとへとになりましたわい。

 昼食は「五郎八」へ行く。ずいぶん混んでいた。ご繁盛、ご同慶のいたりである。まず生ビールのジョッキを空ける(いかん、いかん)。アボガド蕎麦にしたが、美味かった。

 13:00から中央図書館の会議。副館長殿からは昨日、岩波文庫の『小説神髄』をいただいたので(こういう仕事は実にいいなあ!)、そのお礼を申し上げて、シアトル・チョコを1枚進呈した。1時間の会議は、やはり居眠りをしたらしい。目を覚ますとインターナショナル・リベラルアーツ学部の委員が、ライティングセンターがどうのこうのと発言しておいでなので、シアトルの洗井大学ではかくかくしかじかと、見て来たような(本当に見て来たんだけれど)話をしたら、K図書館長から、また詳しく聞かせてよと言われた。K館長は9月20日でご退任とのことで(政権交代もあることだし)、最後に挨拶をなさったから、拍手の音頭を取る。ご苦労さまでした。

 ちょっと書店に立ち寄って光人社NF文庫を購入し、E研究科のシンポジウム会場へ行く。E系大学院をめぐる国際シンポジウムが行われたけれども、正直何じゃこりゃ?という内容だった。まあ、お祭りということだろう。M先生のご提言は大いに参考になったが…。E学というものはどうも苦手で、何が面白いのかさっぱり分からんなあ(メシのタネの一つだから、おろそかにはできませんがね)。

 会場には名誉教授のE先生やI先生がお見えで、ご挨拶申し上げた。J教育研究科のK教授の奥様と一緒にその後の会にも顔を出す。学長の話が長くて辟易した。お蔭で、教科書会社の編集会議に1時間遅刻したわい。教科書編集も山場を迎えているが、私は3カ月ぶりの出席で今浦島、またまた居眠りをしてしまったようだ(Tさん、申し訳ありません)。

 東大のM先生、国文研のFさんと3人で電車に乗った。アメリカから帰ってこのかた結構忙しく、来月は唐津に行かされることになって…とボヤくと、Fさんが、唐津はいいところですよ、佐賀牛も美味しいしと、産業医の先生が目をむくようなことをおっしゃる。でも、牛はいまあの口蹄疫問題ですから、遠慮されたほうがいいかも…とFさんが言うので、じゃあユンケル黄帝液を飲んでお茶を濁しますかな、わっはっはとお答えしたら、あきらかに周囲の乗客がどん引いて行くのが分かった。ううう、もしかしたらこれは禁句だったのかもしれん。そういえば最近、ユンケルのテレビ・コマーシャルとか観た記憶が無い。傍若無人のオヤヂ・ギャグも、少しは考えた方がよいかもしれんなあ。

 袖丈を直してもらった麻のジャケットをおろしたが、とってもいい。ここ数年来、黒かブルー系ばかり着ていたけれど、少し心境に変化があったので、茶の入ったこのジャケットに、沖縄の鮮やかなウージ染めのネクタイを合わせてみた。それで新調したサングラスを掛けてキャンパスを歩いたら、ビラ配りの学生がなぜか私だけ避けて行く。やっぱり日本人には見えないのだろうか? よほど怖くて寄りつき難い感じがするのだろうね。

6月24日(木)

2010年06月24日 | 昔日記
 朝一番に郵便局へ行き、シアトルのA先生に約束していた資料等を送った。5,000円ちょっとかかった。これで一段落。 

 7月中に唐津に出張しなければならん仕儀となって、その日程調整メールに時間をくわれた。やれやれと研究室受付に降りたら、エレベータで唐津行きの一件の下命者であるT常任理事と一緒になって、よろしくねとか言われてしまった。こうなったら美味い魚でも食ってくるか。

 13:00に某書店の営業さんに写本を持ってきてもらった。拝見すると実によいモノだ。明日はボーナス支給日で、思い切ってもらうことにした。補修して帙を誂えたら渡してくれるそうだ。その全くのツレの写本は、経済力及び難く図書館に購入方を依頼した。明治古典会で大物が出なければ…と管理課長はおっしゃったが、このあいだの大阪で消耗しきったから、まあ大丈夫でござんしょう。営業さんはこれもついでにと、当方が食いつくような別の写本も持っておいでだった。上手いなあ。10万円ちょっとだから、これまた図書館で一緒にという話にした。

 まあ三流の文献学者を自称しているだけあって、こういう「新出資料」にはめっぽうかいに弱いのである。きっと、ものすごい美形を目の当たりにしたエロ爺(セクハラ!)のような表情で、涎をたらしていたに相違ない(後で見たらシャツに涎がたれていた)。納品されたら、三晩くらい股に挟んで寝てしまうな。下調べしたかぎりでは、まったくの新出作品なのだ。ああ、これでボーナスは風の前の塵に同じ…。

 研究指導はNさんの学会下発表2回目。いろいろ不備も見つかったが、本番までにはもう1週間ほどある。修士課程の諸君も積極的に発言して、なかなかよかった。学生の研究会にも付き合って、またいらん長口舌をしてしまった。大いに反省する。

 研究室にかわいいキーホルダーのついた鍵が忘れてあった。聞き合わせると、梅ちゃんの部屋の鍵だという。いま図書館に居るというので、指導教授おん自ら図書館の門のところまでお届け申し上げた。不在でいろいろ迷惑かけたからねえ。でも、こんなにサービスする指導教授も滅多に居ないぞなもし。

 ここまで来たので「鷹ばん」に寄った。「太郎月」の後のお店、というよりは、「鷹ばん」が「太郎月」になって、「鷹ばん」に戻ったのである。ご主人が昨年亡くなられて、女将さんが一人でまた店を始められたのだ。開店直後にシアトルへ行っちゃったので、カウンターに座ったのは初めてとなる。

 「李白」をもらって(「花薫光」は手が出ない)、肴はづけとトバの燻製にした。相客はご近所にお住まいの老夫婦とか。木曜はとくに客の入りが少ないらしい。するとE学部の新任の先生たちがどやどやとお出でになった。うかがうと死んだN君(教授に着任してすぐに逝去した私の学部同期生)の後任の先生とのことで、名刺を差し上げる。大学の近くで飲むと、こういう仕儀になるわいな。

 帰りの電車では、また寝込んで乗り過ごしてしまった。気が付いたら荒川車庫前。まあ、被害は最小で済みましたがね…。

6月23日(水)

2010年06月23日 | 昔日記
 水曜は会議日だということをすっかり忘れていたが、12:10から臨時教室会議を開くとの連絡があり、また13:00から某基幹委員会がある旨のリマインダ―を事務所の担当職員の方からいただいたので、さて「どぜう鍋」でも食いに行こうかと呑気に構えた気分はいっきに吹っ飛んだ。

 教室会議は実験実習費云々の件で、これに関して我がコースの取る道はひとつしかないが、皆がついでにいろいろなことを言い出すので、正直辟易してしまった。それから、どうやら私は9月からコ―ス主任に就任することになっているらしい。現主任から、大丈夫ですか?と確認されたが、あ、結構ですとしか答える術はないぞなもし。前に主任をやった時には、途中で学部の教務になったから、任期をきちんと勤めあげていない。今般シアトルにも派遣してもらったので、喜んであい勤めさせていただきます。主任の任期が終わったら、特別研究期間を取らせてもらうことにしようっと。

 13:00からの委員会は、2時間かかった。本格的な委員会に出たのは久しぶりだ。事務長の隣に座る。この委員会では、M委員長のお捌きまことに見事であり、私は心の底からご尊敬申し上げている。なにしろM先生は、かつて特別研究期間を中途休止し、教務主任職を引き受けたというあっぱれな御仁である。こういう価値観は、正しく我ら「ウルトラマン世代」のものだからな。

 盟兄現教務主任殿がちらちら発言する真意も、私には手に取るように分かるから、面白かったというか、なんだか可笑しかったな。まあ、教務主任経験者は、裏事情・裏情報を、「人格」を含めていろいろ心得ているからね。(嗤

 サングラスを新調したので、これから当分はこいつを日常的に装着することにしよう。教組の執行委員の業務中もずっとサングラスをかけて顰蹙をかったが、私にとってメガネは仮面であり、かけているメガネによって人格を使い分けているのである(このブログのタイトルと一緒ですわ)。


 近時の愚詠両三首。

  わたくしの 六月 あなたの六月に 重ねてみたき 夕暮れの雨

  あぢさゐの 花切る露地は 昔せし 泥といふに さも似たるかな

  「紺碧」の インクにペンを 充め換へて 君への手紙 書き改むる

6月22日(火)

2010年06月22日 | 昔日記
 江東区芭蕉記念館に「風雅の伝統」展を観に行く。会期は27日(日)まで。目玉は定家自筆の『明月記』建久五年十二月十六日・十七日条断簡である。これは、史料纂集本に〔○某氏所蔵〕として収録されているもの。会場には釈文のプリントまで用意されていて、実に力の入った好展示である。観覧料はわずか100円で、参観者は他に2名だけ。じっくりと、心ゆくまで拝見する。

 釈文プリントは正確だったが、惜しむらくは「十七日」の日付の下の「天晴」の二文字が脱落している。キャプションや釈文の間違いを見つけるのは、大学院OGのOさん(現在、鎌倉で有名進学校の国語教諭をしている)が得意だったな(土曜のW文学会例会に見えていた)…。まあ、こういうのを一般参観の大学教授が指摘するのも大人気ないかなあと思いつつ、一応受付の職員の方に、名乗らずに申し上げておいた。会期も残り少ないので、訂正はなされないだろうが、これから観に行く人は注意されたい。

 せっかくここまで来たのだからと、新大橋を渡って浜町の方へ歩いた。「高虎」が開いていたので、入ってみたら、女将さんと若旦那みたいな人がお客の応対をなさっている。若旦那に、卒塔婆小町の手拭はありますか?とお尋ねすると、?????。ほら、髑髏の眼窩から薄が生えていて、後ろに卒塔婆が立っている柄の手拭…と説明すると、ああ、あの不気味なヤツと2枚出してくださる。どうも柄の由来をご存知ないらしい。これが最後の2枚で、染めが悪いともごもごおっしゃるが、そもそも不気味な柄だから、不気味な染色でよいのである。

 仕方が無いので、能楽ネタで、平安時代に遡る説話を意匠化したものであることをご説明申し上げた。この髑髏は小野小町なのですぞ。外国の日本文学研究者に差し上げると喜ばれます。欧米人はスケルトンが好きですからね。国立能楽堂の売店あたりに出したら、飛ぶように売れますぜと、いらぬことまで付け加えた。女将さんからは、まあいろいろ教えていただいて…と感謝された。最後の2枚なら2枚ともいただきますと、値札は1,680円。若旦那は、いやいや500円で結構ですと、結局2枚1,050円にしてくださった。ゴミを処分できたようなものですからとは、売ってる商品の価値を知らない御仁である。で、もう高虎に卒塔婆小町手拭はない。また、もう作るつもりも無いそうである。

 スサノオの尊の手拭は?と尋ねたら、それは辰歳に染める柄なのだそうだ。なるほど、ヤマタノヲロチだからなあ。これはまた入手できる可能性がある。

 昼は「並木藪」まで行き、蕎麦をたぐる。もちろんその前にビールを1本、肴は山葵芋にした。上野まで歩いて戻り、途中下谷神社にお参りした(茅の輪をくぐった!)。今日の歩数は無慮2万歩を超えましたわ。

6月20日(日)

2010年06月20日 | 昔日記
 娘から父の日の贈り物だとTシャツを2枚もらった。私を「お父さん」などと言ってくれるのは、世界中でたった1人きりなので、感慨無きにしもあらず。

 11:00から輪読研究会。久しぶりで、私が最初の発表者になっている。早めに大学へ行くと、K前助手はもう研究室でごそごそやっていた。

 18:00過ぎまでかかって、20首ほどの和歌を読む。岡山からN氏、関西からK女史もおいでだった。合間に、N女史から某学会の委員会に出た様子を聞かされたが、T氏がとんでもないことを言っていたという。実はその件については、私は昨秋本人から直接聞かされていて、ひどく不快な思いを抱いた。ひとことでいえば、彼は学会を私物化しているのである。こんな暴挙は全力で阻止せにゃならんという話になったが、Dの世代はなかなか手強いぜよ。我ら根回しの嫌いな、初代「ウルトラマン世代」だからなあ。

 輪読会終了後、N氏・K前助手と3人、ミャンマー料理店で飲む。K前助手には、はやく著書を出すよう発破をかけたが、博士号を取った直後でノリノリの時期なんだから、公募なんぞも積極的に動いたほうがよい。N氏からも適確なアドバイスをもらって、その気になっているのは結構なかぎりだ。K前助手は今のところ、修士課程入学時から博士学位所得まで一貫して面倒をみた唯一の御仁なのだが、全くもって慾が無くはらはらする。

 ミャンマー料理店のココナッツのアイスクリームは美味かった。たまには甘いものも食わんと、エネルギーが補充できない。N氏は今夏ブラジルで集中講義だそうだが、我らの業界もまことに国際的となったものである。

  シアトルやヤンキ―ガールのほととぎす
       スターバックスの香りこそすれ 雲州(再録)

6月19日(土)

2010年06月19日 | 昔日記
 11:00からY氏の博論公開審査。やはり1時間半はかかった。それから豊坂を登ってW文学会の例会へ行く。途中バナナを買って昼食がわりにした。

 五月の例会は出られなかったので、久しぶりである。後から井上宗雄先生がお出でになり、私の隣にお座りになった。松野陽一先生や後藤祥子先生もお見えだった。会場校のT先生に、いろいろとお世話になった御礼を申し上げる。

 N君やF氏の発表は、それぞれたいへん面白かった。F氏の発表では、司会のT氏が目で合図をするものだから、仕方なく質問をした。

 委員会が存外モメて、委員長殿のおさばきも妙にゆるゆるしていたので、こりゃ教授会が長くなるパターンだなと気をもんだが、まあ明るいうちに終わったのだから問題はない。JRの駅まで歩いて、駅前の「Zoka」でコーヒーを飲み、山手線に乗る。

 新橋というか汐留で、高校の同期会である「松江どげだ会」(私の命名による)が開かれることになっている。1次会には間に合わないので、2次会からの参加だから、時間には余裕がある。お腹が空いたので、オイスターバーを見つけて入ってみたら、結構よかった。電通の本社と連結しているビルなんだそうだが、酒屋なども優れている。

 2次会のお店の前で待っていたら、S君がやあやあとやってきた。先週松江に帰ったら、彼の堀端の旧宅が除却されていた。そのことを言うと、取り壊しの直前、2週間前に行って写真を撮ってきたと見せてくれた。なつかしい顔がいろいろ。安来勢が多いのは「ゲゲゲの女房」のお蔭か。しかし、出雲弁ドラマが「だんだん」に続いて放映されるとはなあ。

 私の隣には、農林水産省のエライさんとなっているS君が座った。そして、反対側に座ったのにワインをぶっかけられたが、酔後不語酔中だわい。来年はM君が幹事とか。結構松江から人が来ていたらしい。Yさんには逢いたかったな。新橋駅まで歩き、有楽町でS君と別れて、ひとりふらふら帰宅した。今夜は終点まで乗り過ごさぬようしなくては…。

6月18日(金)その2

2010年06月18日 | 昔日記
 付属高校へ授業に行く。私は十数年前、ここで教諭をしていた。だからE学部のO教授(この人も当時、職員室で私と机を並べていた)がコーディネ―タになっている高大連携授業というのに、文学部からただ一人協力しているのだ。自家用車を運転して練馬の高校へ。

 環八がやけに混んでいたのではらはらしたが、ちょうどよい時間に到着した。かつての同僚もどんどん退職して、顔見知りは皆白髪か頭が薄くなっている。50分授業を連続2コマ、「中世の旅と和歌」というテーマで行なった。

 ロシア語(この高校は第二外国語の授業がある)のK教諭と、同僚K教授の噂話をした。ここの出身の学生が大学のK教授の授業でけしからんことをして、それをK教諭に伝えたら大騒ぎになったという愉快?な事件があったのだ。だから、年に1度K教諭にお目にかかると、話題はいつも同じになる。

 そういえば昨日、大学の秘書課から電話が掛かってきたのだった。ちょうど大学院の研究指導中で、こちらから掛け直しますと断ってそのままになっていた。T常任理事に頼まれている九州の高校での講演の件だろうと、付属高で電話を借り秘書課に掛けてみた。T常任のご依頼の件ですか?と尋ねると、そうではなくて、××××理事から留学生向けに英語で日本文化について講演して欲しいとの依頼らしい。即座に、二つ返事?で(笑)お断りした。T常任理事以外の大学本部役職者に、私がサービスするいわれは全くない(T常任理事は過激派学生どもに吊るしあげられた時助けてくださった命の恩人なのである)。

 大学には用がないので、自宅へ直帰。すると明日の「どげだ会」の幹事から電話があり、お前は2次会から来いと言われた。学会の委員会があるため、到着が中途半端な時間になると伝えておいたのだ。了解!と返事をする。 

6月18日(金)

2010年06月18日 | 昔日記
 17日午前中の卒論指導には全員が顔を揃えた。就活はもう目途が立ったそうで、これからは少し卒論に集中して欲しいと思う。昼食は「たかはし」の刺身定食。やっぱりここが世界で一番美味いと世辞を言っておいた。

 大学院の研究指導の時間は、梅ちゃんの壮大な研究計画を拝聴する。P先生から、このままだと何年かかるか分からないよと、まことに適確なご指摘をいただく。もう梅ちゃんの世代では、3年で博士号が取れるように計画を作らなければダメである。

 学生の研究会に付き合い、その後、さきの戦争の時一緒に戦地へ行った同僚教授の戦友と飲みに行く。人聞きがあるから、近場は避けて、イデアルが旧店舗に開いた「Les Cave Prive」へ。もう我等のごとき年寄りには、食い物はどうでもよくて、酒だけ飲めればよいのだ。追っ付けもう1人の戦友も到着し、3人で結局赤ワイン3本を開けてしまった。

 まあ、話題は自然、学長選の裏話や学部長選の背景ということになる。また、仲間の病気についての話は、聞くにつけ人ごとではない。なんだか酔っぱらい、ずいぶん遅くなった。

 それで、電車に乗って、気が付いたら終着駅だった。既に終電は出てしまった。タクシーを拾おうかとも思うが、えいままよと歩きに歩く。8㎞も歩けば自宅なのだ。シアトルのことを想えば何でもない。軍歌を歌いながら、おいちに、おいちにと進軍した。深夜にJRの駅5つ分を歩いた計算になる。ああ、歩兵出身でよかったわい。

 結局信じられるのは、一緒に死線をくぐった戦友である。歩兵の本領、ここにあり。私なんぞは、敵のトーチカを破壊して拝領した功五級金鵄勲章が、何よりの自慢だもんね。

6月16日(水)

2010年06月17日 | 昔日記
 庭の紫陽花を三輪切った。昨日頂戴した枇杷のお礼である。君がため梅雨の庭に出で紫陽花切る我が衣手は露に濡れつつ…だな。この紫陽花は、熱海にある逍遥書屋に植えられているのを、特にお願いして挿し木で頂戴したものなのだ。

 12:10から教室会議。その前に「ミルクホール」で、カロリーの高くなさそうなパンと野菜ジュースを買ってきて昼食とした。14:00からは教授会。畏兄教務主任殿はシアトル土産に差し上げたものを身に着けてくださっていた。私はといえば、コルセア柄のネクタイを着用。二翅プロペラ型のペーパーナイフをくるくる回転させて自慢していたら、S教務主任殿に、こらっ!と叱られましたわ。

 学部長選挙もつつがなく終了。U次期学部長殿は私の背中あわせにお座りであった。その昔、一緒に助手を務めた人である。

 教授会では、入試業務はちゃんとやれ、会議にはちゃんと出ろという、きついお達しがあった。だから、少なくとも協議事項の終わりまでは教授会に出ている義務があると思ったが、時間が押してきたので逐電し、麻布十番の御稽古事へ向かう。地下鉄の中でMさんとばったり、御稽古場まで同道した。

 今月末の歌会や、秋の公演についての話が中心となり、歌会の練習を一渡り行なうと、終了時間が来た。帰りはI主宰のお誘いでさぬきうどんを食べた。渡米前の日常が再び戻ってきたという感じだ。Nさんがお見えにならなかったのが、少し寂しかったのだけれども…。