そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月30日(月)

2008年06月30日 | 昔日記
 六月の夏越の祓へする人は…もう7月になるな。今日締め切りの入力データを提出。ほっと一息。

 朝いちの演習は、もう秋学期に読むテクストについて相談した。六百番歌合を取り上げるつもりだが、学生は「野分」と「寄衣恋」がいいと言い出した。「寄衣恋」なんかあなた、最初に難物が出てくるんだけど、まあいいか。

11:00に卒論指導の学生さんの相手をし、11:30から出版社の担当者と本の企画について打ち合わせ。あっという間に13:00となる。教育学研究科の演習室に走って行き、10分遅れで大学院の授業を始める。昼を食べそびれたので、変な時間に「志乃原」に入ると、ご主人は俳句をひねっていた。品書きが目に入り「冷やしたぬき」を頼んだが、これは失敗。

 研究室に戻って5限の基礎演習のレジュメを印刷する。あっという間に時間となる。5名のプレゼンテーションを予定していたが、3人しか出来なかった。それぞれ面白い発表だったけど。来週残りの2名に発表してもらうことになる。予定が大きく狂っちゃったけど仕方がない。夏休みに4000字の課題を書かせないといけないし、仕込みが大変なのである。

 夕食を食べに行ったら30分かかった。夜学の講義は自転車操業状態。ようやく12世紀の話が終わって、来週13世紀の話をしたら、もう試験である。試験といえば、H先生と新学部の演習・講義の試験について打ち合わせた。7月17日に教場試験を行って、その日のうちに採点してしまいましょうということになる。もたもたせぬにしくはない。

 NYへ旅立ったTさんからメールが来た。元気にやっているようだ。すると、苺白書大学の院生H君からもメールが来る。今日はすいぶんNYとの連絡が頻繁だな。帰宅したら、Hさんが近江の銘菓を送ってくださっていた。夏越のお菓子を早速いただく。千歳の齢が延びるかな?

 井上宗雄先生からお葉書をいただく。佐藤文香嬢の句集をお送りしたのだが、ずいぶんと褒めてある。「取合せの妙も大きな特徴」とは、さすがに井上先生らしいご指摘だと思った。

6月28日(土)

2008年06月28日 | 昔日記
 バースデイだったので、早朝、田舎の老母から電話がかかってきた。家人からシャツを2枚プレゼントされた。そのうちの1枚を早速着て、東大の研究会へ行く。

 赤門のところで、立っている男性の脇を通り過ぎたら、私のすぐ後からその男に向かって女性が近づいてきた。ああ待ち合わせなんだなと思った瞬間、男はやおら右手を振り上げ、その女性の頬を平手打ちにしたものだから、吃驚仰天。衆人環視のさ中である。痴話喧嘩かと思ったが、そのまま赤門研究棟へ向かった。すると私の後から、Tさんがおいでになったので、赤門のところでしかじかと申し上げたら、その男らしいのが女性を足蹴にしていたわとおっしゃる。ひどい野郎だな。完全な暴力行為じゃないか。「私人逮捕」してケーサツに突き出してやればよかった。

 研究会は注釈の初度の発表が今日で一巡した。研究誌の企画について確認し、来年出版する本の報告もあって、18:00頃には終わった。そうだ、G先生にシャツを褒められました。いつもの「チムニー」は今日は失礼して、帰宅する。

 家族で近所のイタリア料理店へ。来週が誕生日の姑と、一緒の誕生祝いである。ワインはシャルドネにしたが、結構うまかった。ただこのお店、以前よりずいぶん料理の品数が減ったような…。味は結構いけるんだけど、フロアのおねえさんの客あしらいがいまいちだな。でもテーブルは満員、繁盛している。もう少し気の利いたレストランが、近所にできないものかなあ。

6月27日(金)

2008年06月27日 | 昔日記
 墨田区の××中学校へ教育実習生の研究授業の参観に行く。9:55から始まるというので、9:30ぴったりに到着。今日は浅草経由で行ってみた。まず校長先生とお話しをする。実習生はなかなかよくやっているらしい。研究授業は3年生の国語で、俳句を扱ったもの。ずいぶんユニークな学習活動を展開した。終了後、講評会に参加する。実習生は声がよく通って素晴らしかった。教師にとって、よく通る声は、何よりの財産だと思う。聞いてみると、A師匠の和歌披講の講義を受講したのだそうである。A師匠の薫陶の賜物かも。指導の先生は、今までに担当した7名の実習生の中で最高であると評価してくださった。国語は説明するのではなく、どのような学習活動をするかだという、先生のご指摘には感銘を受けた。いい学校だな。自分の大学の学生が手放しで褒められるのは、よい気持ちである。

 13:00から会議なので大学へ。昼食は「すゞ金」に入る。W中高の事務長さんがちょうど食べ終わったところだった。隣の研究室のT教授がカウンターにいらっしゃったので並んで腰掛けた。ビールの大瓶を頼み、T教授に1杯すすめる。これから大学院の授業らしいが、まあいいではありませぬか。そうしたら英文学のE先生も入っていらっしゃった。しばし3人で歓談。

 大学本部のただっ広い会議室に、出席者はちらほら。教務主任会の直前に開かれたので仕方がないらしい。多くの学部で教務主任が委員になっているせいだが、私は教務主任じゃありません。同じ教員組織に所属するA教授の隣に座る。ひょんなことで、過日の教授会において我々がこの委員に就任するハメになったのである。法学部はH教授。私の中学・高校の先輩である。中学の時に入っていたクラブの部長さんだった人が、今やローマ法の専門家である。しかし、喋ると出雲弁っぽくなるので、笑ってしまった。なつかしやH先輩! 商学部はパートナーと仲良しのS教授だし、J学部は助手を一緒にやった社会学のI教授。皆顔見知りなので緊張感がない。担当理事もT先生とN先生。委員長はT教務部長。やっぱり緊張感がない。A教授が鋭い質問をした。あとは自学部の利害ばかり。大所高所からの話には、なかなかならないものだ。

 A教授から、誕生日の祝いだと言って「うさぎや」のドラ焼きをもらった。太れということか? 帰りに神楽坂で買い物をした。久しぶりである。「ラ・カーブ・イデアル」でワインを2本選んでもらい、「アルパージュ」でブルーチーズを買い、「緑の豆」で神楽坂ブレンドを200g焙煎してもらって、「ベッカー」でフォカッチャを3個買った。そうそう、「うつわや釉」できれいなマグカップを選び、包んでもらう。7月から某研究機関の研究員に就任するFさんに、お祝いに差し上げようと思ったのだ。勤務先で使ってください。

6月26日(木)

2008年06月26日 | 昔日記
 昼休みに教室会議があったが、人が集まらなかった。卒論ゼミ、皆ちゃんとやっとるんかいな? 午後、博士課程の研究指導は、Nさんに博士論文の構成案を示してもらった。そろそろ個別的な研究内容だけではなく、博論全体の構想や進捗状況を意識してもらうためにも、こうしたプレゼンもお願いしたほうがよいと思った次第。修士の演習は、Mさんのかっちりした報告を聴く。整理された諸資料を丁寧に読んでいくと、いろいろな発見があるね。ふ~ん、久米の仙人の原話は『遊仙窟』にあったのか、知らんかった。U君、ちゃんと見習ってね。引き続きU君の個別研究指導を行う。昼飯抜きだというので、仕方がない、「西北の風」へ連れて行って食事をおごる。つられて生ビール2杯も飲んじゃったぞ。考えていることを大雑把に聞いたが、なかなか面白い。あとは資料の整理力だな。

 学生の研究会があるので、正法寺の研究会に走って行き、今日は欠席する旨先生方にお詫びする。7月の研究会には参加できると思います。さて、学部に戻ってIさんの発表を聴く。

 今宵は私の誕生会を院生・学生諸君が設定してくれたという。誕生日は数日後なんですがね(ジャン・ジャック・ルソーと一緒でありんす)。研究会を早めに切り上げて、高田馬場の「チャイカ」へ移動。NさんとK君が先日、TさんのNY行きの壮行会をここで開いて気に入ったらしい。コース料理が注文してあった。参会者は私を含め11名。ありがたや。せめて飲み物は私が提供いたしまする。スパークリングワインと、ややドライなグルジア産赤ワインを2本ずつ。やはり日本酒の1升瓶のほうが安いな。U君はウォッカもきこしめした。最後に花束をいただく。花束持って山手線に乗るのは、卒業式の日くらいだが、案の定乗り換え駅を1つ乗り過ごした。

6月25日(水)

2008年06月25日 | 昔日記
 MH-WAYバックパックを愛用している。数年前に、面白そうだなと思って通販で購入したのだが、ストラップの長さ調整のあたりが気に入らず、しばらくそのままにしておいた。ところが、使い出したらこんなに勝手のよいものはない。構造は、簡単に言えばモナカの皮みたいになっている。中には薄い仕切り布?が1枚あるだけ。チャックを閉めると、取り付く島もない。整理の悪い私にはピッタリ。ストラップも使っているうちに馴染んで、気にならなくなった。MHは蓮池槇朗氏のイニシャルだ。ミラノ在住の日本人デザイナー。ただしこのバックパック、現在日本では発売停止中だとか。

6月24日(火)

2008年06月24日 | 昔日記
 教員組合の次期執行委員の第1回会合を開くという通知が来た。選挙結果はまだ出ていない。しかし、「結果集計にはいましばらく時間がかか」るのだそうである。何をもたもたしているんだっろう? それにも関わらず「不信任されることはまずもって考えられない」と書いてある。分からんぞなもし。小生が常任理事のT先生の子分であることは、全学周知の事実である。不信任される公算大だ(大であって欲しい!)。

 会合では、その場で執行委員会の役職を互選するんだそうだ。追伸として「これまでの例からも、ご欠席された方が重い役職を引き受けざるをえない場合が少なからずございます」とは、まるで脅迫だね。感じの悪い文章だな。気分を害したぞ。出席したら「重い役職」から遁れられるということらしい。これは出席するにしくはない。

 私は附属高校の教員になった時から組合に加入しているが、大学の教員組合が日教組に加盟した時に一時脱退した。そして附属校から学部に移った際に、再加入して現在に至っている。私の所属学部ではコースの輪番で執行委員を出すことになっていて、コース内ではまた順番である。ただ、今まで執行委員の枠が所属コースに回ってきた時、たまたま教務をやっていたり、役職者をやっていたりで、引き受けそびれていたのである。この歳になって執行委員はいささか辛いが仕方がない。住民税みたいなものだ。

 朝一番にジムへ行く。インストラクターのアドバイスで、ウェイトトレーニングはマックスの重量で10度ずつ、3回行うことにした。どうも腕力が落ちている。足腰は大丈夫なのだが。肩の痛みは無くなった。腰痛も、腰を伸ばす機器を使ったせいか気にならなくなった。体重はあんまり減らないけど。

 帰宅してテレビをつけたら、NHKで「きょうの健康」をやっていた。ありゃりゃ、通風の病院でお世話になっているY先生じゃないか。よくテレビやラジオに出演していらっしゃる。尿酸値の高さとメタボは正比例すると話しておいでだ。まさしく我が事にほかならない。

6月23日(月)

2008年06月23日 | 昔日記
 朝いちの演習は、前期の発表にようやく一段落がついた。教場試験をするので、あと2回で補足的な講義と後期の仕込みをしなければならない。演習後、郵便局へ行く。先週土曜の学会の資料を、京都と福岡にいる研究仲間に送る。井上宗雄先生には佐藤文香嬢の句集『海藻標本』をお送りした。お昼はパートナーが財布を忘れたというので、一緒に「五郎八」で蕎麦をたぐって、私が支払いをした。あと1万円くらいしかお金が無い。

 教育学研究科の授業の前に図書館へ行き、Mさんに、土曜に取り違えた傘をお店に届けてくれるよう依頼する。「太郎月」は図書館のすぐ近くにある。飲み屋は夕方からしかやっていないからね。3限の後は研究室に戻って仕事をした。今日は基礎演習を実施しない週である。仕事はかなりはかどった。そうしていると、S君から突然電話、ご長女が今日、無事産まれたとのことである。第3子だからスムーズにいったらしい。体重を尋ねると、ずいぶんと大きい。待望の女児で、うれしさもひとしおだろう。

 18:00を過ぎたので、「AMA」へ行き夕食を摂る。Uちゃんを誘ったが、ホームページの仕事で手が離せないという。また今度ね。フロアのお姉さんと世間話をしながら、チーズ入りほうれん草のカレーをナンで食す。雨が滂沱と降ってきたが、カレーを食べ終わった頃には小降りとなる。

 19:40から夜学の講義。これもあと2回でけりをつけて、教場試験を実施する予定。だいぶ先が見えてきたぞ。いま12世紀の話をしているのだが、この時代が私にとっては最も面白い。前期に話した4つのテーマは、まあなんとか相互に強引に結びつけることができる。とはいえ、概論とは名ばかりで、かなりマニアックな内容かも。半期で概論というのもしんどい話である。

 講義が終わったら、1人の学生さんに捉まった。いつも最前列で熱心に聴いてくれる人である。要するに進学か就職かで悩んでおり、内定はもらったが、大学院進学にも思いがあるという。こうしなさいと断定するわけにもいかないので、あやふやなアドバイスに終始。成功するか失敗するか、それはどのような道を辿っても一緒だろう。個々の境遇や条件も違うことだし。まあ食べたいと思った時にトンカツを食える程度の暮らしが目指すべき目安じゃないかななどと、どこかで聞いたような話をした(う~ん、その程度の経済水準は確保したが、いつも寿司―回転寿司ではない―を食える身分にはついに到れなかったなあ)。私自身は大学院の博士課程を2年で中退した。正真正銘の中退者なので、履歴書に「博士課程修了」だとか「単位取得退学」(もっとも私のいた博士課程は単位なんかなかったけど)だとか、あいまいなことを書く余地はない。そしてそのまま高校教師になったけれど、既に院生の時に結婚していたし、それは主として生活のため選択した道だった。生活基盤の確立ということも、大切なんだと思う。何かを選び取るということは、その他のものごとを捨て去るということでもある。でも、人文学のへっぽこ学者をつかまえて、人生相談されても本当に困んだよね。なにしろ当初から、「身をえうなき者」に思いなしているんだから。

6月22日(日)

2008年06月22日 | 昔日記
 11:00から研究会。30分前にお茶のペットボトルを買って駆けつけると、既に3人ほどやって来ていた。急いで会議室の鍵を開ける。今日は関西や中京方面からの参加者もあった。K先生に古今六帖の写本をお見せし、画像データをお渡しした。爾後は「××(小生の苗字)本」として扱ってくださるそうだ。思えば書肆にはこの会議室から電話して注文したんだった。タッチの差でH氏が電話したけど、今売れたと言われたらしい。こういうものは本当に運というか、僅かなタイミングである。K氏は入手された法輪寺百首断簡のツレを見せてくれた。これまた仰天すべき新出資料なのである。研究会は18:00過ぎまで続いた。

 途中、Fさんが会いに来てくださった。大学に所用があったついでだそうだ。7月から某研究機関の研究員に採用が決まったのだそうだ。いやはや、おめでたい。長年苦労して来られたが、語学がものすごくよくおできになるところが、今回の採用には大きく作用したのだろう。よかった、よかった。

6月21日(土)

2008年06月21日 | 昔日記
 和歌文学会の例会が日本女子大で開かれた。いつもとは違って、依頼発表による特集である。「表象される和歌」と銘打って、音楽・書・絵画と和歌との関わりを新たな切り口から考えようという企画。いつもは会場に来た人を適当に捕まえて司会を過飲むのだが、今回はあらかじめ司会者まで決めてあり、仕込みも気合い十分だ。

 私は現在、例会を運営する委員会の副委員長なのだが、今日は全体の進行役を務めた。会場校挨拶に続き、例会委員長の趣旨説明、そして3名の発表があって、もう一人の副委員長が締め括った。いや勉強になりました。

 短時間の委員会の後、懇親会も設定していただいた。他に学会もかちあい、また大学の記念行事も行われる中、会場校にはご負担をかけてしまった。T先生には申し訳ないと思う。参会の人数を心配したが、研究発表も懇親会も、なかなか盛況だった。大成功と言ってよかろう。どたばたしたので、懇親会の司会も結局私が務めた。さらにアトラクションまでかり出され、汗びっしょりになったが、賑わし役はまあいやではない。久しぶりに学会においでになったK先生に、最後をまとめていただいて、万歳三唱のうちに散会。懇親会などというものは、食い物が無くなったらさっと切り上げるのが粋なのである。会場校にもご負担がかからないしね。

 坂を下り、A師匠と文科省のT氏、それからAさん、Nさんと一緒に「太郎月」へ行く。そうしたら店は満員だった。無理矢理隅の一角に入り込む。演博の前々館長鳥越文蔵先生、前館長伊藤先生や、T元助手などがいらっしゃった。双柿会の総会があったとか。ご挨拶する。鳥越先生、この店は「鷹ばん」じゃないのかとおっっしゃる。そりゃ前はそうだったんだけど…。A師匠は声優としてのお声を大奮発、女将さんに大ウケしていた。A師匠を一度お連れすると、女将には約束していたからな。越乃景虎を3杯ほど飲んで切り上げた。

6月19日(木)

2008年06月19日 | 昔日記
 昨日飲み屋で勘定を支払った記憶がないんだけど…とM教授に言ったら、オレも記憶がないと言う。フロアのおねえさんに見送られて店を出たから、払わなかったはずはない。いやだなあ、6時間の教授会で脳が壊れたかな? A教授の姿が見えたのでつかまえて、昨夜金払ったっけ?と尋ねたら、割り勘でちゃんと払ったよとの返事である。三人の中ではA教授が一番若いからな。といっても1歳ずつ違うだけなんだが。

 卒論指導は、教育実習から帰ってきた1人だけがやってきた。事前にメールをくれたので、11:00から始めることにする。この学生はユニークな人だ。外国に行って環境問題に目覚め、そういう方面からのアプローチを模索している。教育実習はとても充実していたらしい。そろそろ卒論のほうも本腰を入れてもらわなくては。話を聞くと、私の専門領域とは少しずれる所に焦点が定まってきた。そこで、隣の隣のK准教授の研究室に連れて行って、基本的に読むべき研究書を教えてもらった。餅は餅屋である。K准教授の専門とバッチリなのだが、今から指導教員を変更するわけにはいかない。そこはそれ、より相応しい指導者に紹介することも、我々のりっぱな仕事である。

 卒論指導が昼休みに食い込んだので、慌てて構内で売っているランチボックスを買いに行く。それを掻き込んだら、Oさんがおにぎりや唐揚げ、卵焼きをいっぱい持ってきてくださった。博士課程の研究指導の時間に皆でいただく。しまった、ランチボックス食うんじゃなかった。唐揚げはつまみは始めると止まらなくなる。

 中国からの研修生Rさんの研究発表を聞く。まだ未精選の状態だが、筋道は見えているような気がする。帰国するまでにもう少し方向性が定まるといい。修士の演習も一段落。詠歌例を丁寧に歴史的に追って行くと、やはりいろいろな発見がある。悉皆調査は大切だ。続いて修士1年生の個人研究指導。先週同様に「Cafe Goto」へ行った。ケーキはいらないと言うので、冷たい飲み物だけを注文。18:00からは学部生中心の研究会につきあう。

 研究会の終わり近く、佐藤文香嬢が顔をみせた。先日、出版した句集を届けてくれたのだが、あいにく研究室に居合わせなかった。その後メールがきたので、食事でもという話になっていた。研究会のメンバーに文香嬢も加わり、「かわうち」へ行く。1升瓶が例によって1本空いた。

 佐藤文香嬢は新進気鋭の俳人である。高校2年生の時に俳句甲子園で最優秀賞を受けた。たしか神戸生まれで、俳句の本場松山の育ち。ご両親ともに私にとっては学生時代の研究会の後輩であり、パートナーとも同期生。そのご両親の結婚披露宴に出席した時、隣に座っていた女性に体調が悪いから自分のステーキも食べてくださいと頼まれて遠慮なくいただいたのだが、その女性こそが現在の私のパートナーなのである。いろいろ因縁がある。大学に入った文香嬢の、最初のクラス担任も私だった。入学祝いに、「高田牧舎」でランチおごったのも昨日のことのようだ。

 文香嬢の第一句集『海藻標本』(ふらんす堂)は、俳壇では至極評判がよいらしい。紀伊国屋書店の俳句コーナーでは平積みにしてあるという。

少女みな紺の水着を絞りけり
友に友と思はれてをる端居かな
蜩や神戸の地図を折りたたむ
秋の野にゐてポケットのある不便
スケートの靴熱きまま仕舞はるる
初夏のタクシーは朝拭かれをる
停留所まで豆腐屋の打水は
焼鳥の我は我はと淋しかり
蜥蜴の尾つるりと黒を選びとる
青に触れ紫に触れ日記買ふ
祭まで駆けて祭を駆けぬけて
音いつぱいにして虫籠の軽さかな
長恨歌のちに冷たき手となりぬ
見せ消ちの棒一本や夾竹桃
冬めいて李陵のごとき鼻柱
みつちりと合挽肉や春の海
水加減見に行つたきり敗戦日
逢ひみてののちの郭に朝顔を
空蝉に指の湿りを移しけり


この間1冊献呈を受けたが、
今5冊持っているという。
研究会の学生たちが次々購入、
好きな句とサインを書いてもらっている。
私も1冊お願いしててサインしてもらった。
この前頂戴したのは井上宗雄先生に差し上げよう。
井上先生は加藤楸邨のお弟子だからね。

そんなわけで、佐藤文香嬢の『海藻標本』
ぜひぜひご購入いただきたく、願ひ上げ候。
紀伊国屋書店でも売っとります。

6月18日(水)

2008年06月18日 | 昔日記
 見計らいで取り寄せてもらった写本が届いたと連絡を受けたので、図書館に見に行った。こりゃいけません。なにが江戸初期写だ。18世紀の写じゃないか。がっかり。調査役に返品してよと申し上げる。お騒がせいたしました。NYのお土産にMetのロゴ入り鉛筆削りをいただいた。狩野探幽が広げてある。どうですか?とKさんに聞かれたので、いいみたいですねと答えておく。もっとも、私の持っている探幽は、絵じゃなくて古筆切の臨写なので、絵のことはよく分かりません。 

 14:00をちょいと過ぎて始まった定例教授会が終わったのは20:00少し前だった。A教授の予告通りである。しかし、いくつか大事な局面があったので、トイレに1度行ったっきり、久しぶりに真面目に付き合ったぞ。昼は「すゞ金」で燃料補給しておいたからね。ウルシー環礁まで飛んでいけそうな気分だった(二式大艇か?)。

 A教授、15:30やってきた学長に噛みつくこと予告の通り。昨日聞かされたのは、まさしくリハーサル。立て板に水で学長を追及する。見事なものだ。私なんかより余程教員組合の執行委員に向いている。いつも軍旗をひったくって、先頭を突撃する御仁なのだ。その後始末でで、A教授が目で合図をするものだから、私まで塹壕を飛び出して弾に当たるような仕儀と相成った。戦友は裏切れない。義を見て為ざるは勇無きなり。何のこっちゃ。

 大政翼賛会選挙は無事終了。結果は圧倒的。でも文句をつける人は、やっぱりあった。その後、私が基幹委員長として説明した提案も、予測通りの反応が出る。今回は継続審議にしてもらえばよい。

 さあ用は済んだぞ。17:30である。抜け出して麻布十番の御稽古事に行こうかなと荷物をしまい始めたら、A教授が帰るな!と合図を送ってくる。最後のほうで一山ありそうだと聞いている。仕方ないなと覚悟を決め、そうして紛糾議題に突入する。U教務主任の説明は至極丁寧だった。それをどう受け取るかは、もうその人の思想信条、いやいや人品骨柄の問題ですな。あまりにも変なことを言う御仁がいるので、少なくとも私には全く違和感がないと発言した。あるスタンスををとることに囚われているとしか思われない。思想家とは不便なものだ(文献学者は楽ちんだ)。私が調査した客観的事実?「客観的」が聞いて呆れるぜ。我々は大学教授である。個々が自己の責任においてアクションを起こせばいいはずだ。それに組織を巻き込むな。

 A教授、M教授と「すずはん」に行く。今日は3機編隊でだいぶ活躍したからね。この顔ぶれになると、まったくもって戦友会だな。軽く食事を摂るつもりが、ついつい盃を重ねてしまった。「めのは」が本当に美味しい。ここで炙っているのかと板さんに尋ねたら、そうではないという。どこの製品か、今度聞き出すことにしよう。「にほんばし島根館」で入手できるかもしれない。

6月17日(火)

2008年06月17日 | 昔日記
 通風の病院に行って、帰りにジムで1時間半ほどトレーニングをした。久しぶりに運動したので、体がだるくなった。やりすぎたかな?

 夜は「蕎麦の会」。顔ぶれはA教授(英文学)、O教授(社会学)、K教授(露文学)、M教授(西洋古典学)に私で、この前オイスターバーへと繰り出したメンバーと全く同じ。結局、ある時期に学部の正副教務主任を一緒に勤めた仲間ということになるのだが、こういう繋がりは結構強いのだ。今回の幹事は私である。最近見つけた、なかなかよいお店に案内する。蕎麦懐石のコースを予約してあったが、追加注文した鴨肉を柔らかくたいた一品が実に美味しい。お酒も結構飲んでしまった。

 明日の教授会はものすごく長引く可能性があるらしい。学部長選挙はすんなり行くだろうが(候補者1名のみなので)、A教授の言うように推薦人の顔ぶれを見ると左右相乗り、大政翼賛会みたいである。候補者の先生はそれを言われるといやだろうね。推薦人を集めたのは私の隣の研究室の御仁だから、そのあたりに嫌味を言うことにしようかな。そろそろ人に嫌われる言動を心掛けなければならない。教授生活?の極意は、事務能力のないアブナい人だと皆に認められることに尽きる。勲章でももらいたいのならば別だけれど。

 教授会の途中で学長もやって来るらしい。寄付金集めへの協力に対するお礼を述べに来るんだとか。A教授は、噛みついてやると息巻いている。話を聞くともっともだが、今回やってくる趣旨から言えば、軽くいなされるんじゃないかな。でも、A教授は□○でも何でも、一旦緩急あれば真っ先掛けて突進し敵をさんざん懲らしめる勇士だから(戦死するなよ)、きっと学長に襲いかかるに違いない。当方も次期教員組合執行委員候補者の端くれでもあるし、つきあうかな。う~ん、私が委員長を務める基幹委員会からの提案事項もあるぞ。協議事項が終わってから、学長来てくれんかな。

 そのほかにもやっかいな問題があるという。我ら戦中派の神経を逆撫でするような内容らしい。戦争に行って、最前線の塹壕に入って鉄砲を撃っていた我々ような世代は、だんだん少数派になって行く。フロントで戦ったこともないやつが綺麗事をほざくなよ、と内心言いたい気持ちはよくわかるが、老兵は去りゆくのみ。

 麻布十番の御稽古事には、行けないかもしれない。今年から教授会は初めだけ顔を出して、あらかたサボることを決意したのだが、戦友を見捨てるわけにはいきません。でもやっぱり、サボろうかな。状況次第、ということにしておこう。

 ベッドに横たわったら、急に両足が攣った。激痛なんていうものではない。呻き声をあげることしばし、なんとか収まった。やはり運動をやり過ぎたようだ。

6月16日(月)承前

2008年06月16日 | 昔日記
 今週、月曜は4コマ入っている。朝いちの演習は予定の半分しか進まなかった。ついつい補足説明を始めちゃうのである。「正三位」をあなた、「せいさんい」なんて読まれた日には、放置しておけないもの。位階の読み方を試験に出しますからね。しい(四位)らないよ。だいぶ(大夫)難しいかも。

 式子内親王について発表した学生さんに、生年はいつなの?と意地悪な質問をする。久安5年(1149)と判明したのは、『兵範記』裏書を発見された上横手雅敬先生の手柄だが、小生も『定家小本』の記載を年齢注記と見るべきことを述べて、上横手説を支持したのであった。上横手先生からお手紙をいただいたもんね。というわけで、人名辞典などが最新の情報を反映しているかどうかを確認するには、式子内親王の生年の記載をチェックすればよいのである。しかしこのことが世に知られてからもう20年にもなるが、なかなか改められないものである。なお、ついでに藤原清輔の生年が1108年になっていたら、その文献はたいしたスグレものだ。

 昼はパートナーとAMAでカレーのランチを摂って、教育学研究科の授業に行く。夏休み前までの報告者を決定。自学部に戻ると、コース研究室にW君の姿が見えたので、亡き父上からその昔頂戴した古筆切を1葉お返しした。『拾葉和歌集』の序について発表していた時に、参考資料だといって頂いたもの。やはり坊ちゃんの手元に戻るべきだと思う。ご尊父はA女子大の学長までつとめた方である。

 W君を相手にくだらないお喋りをしているうちに、基礎演習の時間となった。夏休みの提出課題について仕込みを始める。次回発表者を募ったら、次々と手が挙がって、たちまち予定の5名が決定した。よい兆候である。

 一休みして先週の出席カードを付け込んだら、もう夜学の講義の時間。落ち着かない。1限の演習で話したネタとかなりカブった話をしてお茶を濁す。そろそろ試験問題を考えないといけないかな。

 帰路、地下鉄の中で留学センター長と一緒になった。政経の先生だが、そういえば昼間、道で政経のO先生に出くわしたな。2年間フランスへ行っていたのだそうだ。いいですなあ。当方、せいぜいNY1ヶ月である。次期組合執行委員候補者について、あちこちから文句が出ているらしい。ただし私のことではないらしいが…

6月16日(月)

2008年06月16日 | 昔日記
 昨夜は娘の帰りが0:00を過ぎたので、仕方なく車で駅まで迎えにいった。サークルの発表会だったらしいが、今年は1年生が50人も入ったのだそうだ。ずいぶん大きなサークルだな。娘はその副幹事長をしている。飲み会で潰れる1年生が多かったんで介抱が大変だったって、…おいおい、未成年に酒飲ませてはいかんぜよ。

 朝4:00に起きて朝食を作る。米をといで水加減をし、30分ほど置いておく間に、しらたきと豚肉を炒め、グリーンアスパラと玉蜀黍を茹で、わかめを戻して昆布酢で味付けをした。あとは出汁巻きでも作るか。

 月曜は朝1限の授業がある。8:30には大学へ着いてレジュメを印刷しなければならない。出が早いのだ。自分で朝食を作るしかない。今日の発表者は指定通りレジュメをインターネット上に提出してくれた。5限の基礎演習の配布資料も作ったが、課題を出してないのが4人いる。困ったものだ。

 先週抱え込んだ仕事はさっさと済ませた。懸案の原稿も約束通り仕上げて送信した。しかし研究会の発表が2つ、それに辞書の項目とかごちゃごちゃした仕事が山のように残っている。頭を抱え込んだら、博士課程の院生から論文が添付ファイルで送られてきた。おいおい、今晩中に添削せよというのかい? まあ仕方ないので直し始める。しかし40枚の論文を、短時間には直せはしない。しかしひどい文章だなとイライラしてきたら、前に送ったのは未整理の原稿だったと、またぞろ送ってきたのもだから、もうキレた。ああ、6月も半ばである。かくしつつ今年も暮れむ、と思ふこのごろだ。

6月14日(土)

2008年06月14日 | 昔日記
 中世文学会の大会へ行く。会場は國學院大学だが、渋谷駅の新南口ができたので、歩いて10分ほどと便利になった。12:00からの委員会に出席する。

 F女子大のI氏の隣に座る。彼は私と大学院のほとんど同期生であり、さすがに「白菊特攻隊を送り出す鹿屋基地司令のような心境」という比喩を即座に理解してくれた。赤トンボでないだけマシだが、せめて九七艦攻で行って打ち落とされるのなら本望であろう…とは何の話ぢゃ? 研究指導を担当する者の昨今の心境である。

 秋の大会の実地踏査の案について報告があった。ガソリン高騰で参加費の見積もりがでないそうだ。バシー海峡で米潜のため我がタンカーがバシバシ沈められているせい…ではないが、バイオ燃料とか戦時中みたいな話である。もしかしたら実地踏査は…「木炭バス!」とI氏と全く同じ言葉が同時に口をついて出たのには笑った。バイオ燃料なんて、松根油採るような話だが、「欲しがりません勝つまでは」と言って、いつ勝てるものやらわからない。

 ところで朝の東北の地震は大きかった。NHKのテレビを見ていたら、もうすぐ地震が来ますとアナウンサーが急に青ざめてしゃべり出した。しばらくして床がゆっくりと揺れ始める。震源地近くでは警報が間に合わなかった所もあったらしい。それにしても画期的なできごとである。中世文学会の委員会でも、東北大学出身の先生は、これから各地に連絡を取らなければとおっしゃっていた。岩手にいる昔の教え子のところに電話してみたがつながらない。災害ダイヤルとかいうのにかけて、伝言を吹き込んでおいた。