そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

9月30日(金)九月尽日

2011年09月30日 | 公開

 来年度の科目編成の締切が近づき、うっかりしていたことなどあってバタバタする。本年度で定年を迎えられる非常勤の先生がお一人いらっしゃることを、すっかり失念していた。後任について心当たりを打診、関係分野の教員間の調整を行う。出講可とのお返事を得て、根回しにも異論は出ず、うまく事が進んだ。

 九月尽日である。旧暦ならば秋の終わりだが、今年はようやく夏が終わり秋になるかという感じだ。本日まで半袖シャツで家を出る。

 まず、締切の再校を届けに神保町へ赴き、最近移転したS舎をお訪ねする。裏から入ったため、非常用階段を10階まで上るはめに…。フロアは以前の3倍くらい広くなった感じで、アルバイトの方も1人勤務していらっしゃった。社長のOさんにゲラを渡し、問題点をNさんに伝えていただくことにする。今秋、上巻が刊行予定で、出ましたらぜひ買うてくだされい。

 下りはエレベータで正面入口から出て、ほど近くの「奥野カルタ店」で本日の教材用花札を1セット購入。花闘やハワイ花は置いていないよし。

 結局飯田橋まで歩いて地下鉄に乗る。夕方、T学部の演習が一つ。定員いっぱいの受講者数なので、意外や意外の人気科目だ。本属のT学部の担当科目より、この演習のほうが評判がいいみたい…。初回なので、まず平均3人ずつの13チームにグループ分けする。昨年度まではいちいち希望を聞いて調整したが、面倒なので、まず誕生月ごとに分け、多寡を見合わせて他へ移動してもいいという人を募り調整、もう一つ、今年もまた都合のよいことに韓国の留学生が1人混じっていたので、韓国チームを作る。ほんの10分ほどで編成完了。来週はゲストスピーカーを招いてのディスカッションをすると予告する。2年生が多いので、フレッシュな印象のクラスである。

 少し早めに終わって、編集会議へと移動。やはり45分ほどはかかった。さっそくお弁当をいただく。編集者の方々はお若いので、左卜全をご存知ないという。ましていはむや、やん坊にん坊とん坊をや。して、会議は定刻に終了した。さっさと帰宅すると、まだ娘が帰っていない。残業らしい。昨日、Yさんにいただいた町田の銘酒?をソーダ割にしていただく。

 町田市内藥師池に栽培される大賀はすを、焼酎に漬け込んだものらしい。ドライで美味しかった。昨日はA君にも「蘖」という大分麦焼酎を頂戴した。

 娘はずいぶん遅く帰ってきて、お化けだか幽霊だかを見たと震えている。霊感の強いところがある人だが、勤務先が江戸川乱歩旧邸近くなので、本当に出たのかもしれない。九月尽日のお化けとは、これも地球温暖化の影響かしらん?


9月29日(木)バタバタ

2011年09月29日 | 公開

 卒論演習、博士の研究指導、修士演習と「指導」系の授業が目白押しだ。秋学期のスケジュールについて相談し、当面の担当者を決定する。

 博士の研究指導はOさんの学会発表資料を吟味する。う~、大丈夫かいな。ついつい声を荒げてしまったが、まあ、何とかなったかな? 読み原稿をよほどみっちり作らないと失敗するぞよ。修士演習は、皆の希望を集約し、輪読するテキストも決めた。

 大学院OGのYさん(旧姓Aさん)が訪ねてきてくれた。専門学校と、蜜蜂大学のメディアセンターで非常勤をしているよし。お元気そうでなによりである。Yさん、Uちゃん、K君を誘って「AMA」へ行く。おっつけA君もやってきた。A君の授業の関係で、研究会は18:30開始となりそうだ。輪読テキストはプリントを作ったから配布し、残部はA君に託す。

 ワインを4本くらい空けたかな。仕事は一向に進まない。

 


9月28日(水)大学の授業で着物の本だたみ!

2011年09月28日 | 公開

 午前中から私が進行役をつとめる会議。3時間ほどで埒があいた。教員ロビーに戻ると、はやばやとA師匠がお出ましになった。薄茶を2服ほどお点て申し上げる。お菓子の東京松屋本店「吉野山」がお気に召したらしい。

 A師匠にはこの秋学期、非常勤講師としてご出講たまわるのだが、TAの手配ができていないらしく、機器の操作などの裏方をかって出る。体験型の講義なので、受講生に実技指導を施すという内容で、私も少しだけお手伝いした。来週からはTAを手配してくれるよし。

  本日の主たる授業内容は、着物の本だたみ。ココのサイトが参考になるかな。着付けができるという学生さんがそこそこ居たのには感心した次第。

 それはそうと、昨日のN先生の講義の時居眠りしていたヤツは、誰だ! 


9月26日(月)授業開始

2011年09月26日 | 公開

 いよいよ授業開始。秋学期は月曜に3コマ入っている。9:00からの演習は例年通り歌合を扱うことにした。さしあたり何の題がやりたいか希望を聞くと、「秋雨」がよいそうである。はい。分かりました。めんどうだから、テキストはK文庫の版本にしてしまおうかな。写本は朱の書き入れだらけで、学部2年生にはちときついような感じだから…。

 引き続き10:45からは、サバティカル中のT教授の代わりに担当する講義科目。70名ほどの受講者数で、あてがわれた教室はほぼ満杯。最初からマニアックな話に突入して、困惑させたかもしれない。あまり抽象的な話にはしたくないんだよね。でも私の場合、玩物喪志と言われるかもしれない。17世紀の自筆資料を回覧に供する。

 山里の付属校出身の女子学生(1年生)に、文法が全然分かりませ~んと泣きつかれた。いくら受験がないからといって、そんなことはないでしょう、一体誰に国語ならったのよ?と尋ねると、Y先生、K先生、N先生…と、よく存じ上げている方々の名前がずらずら(ねこさんの名は出てこなかったので胸を撫で下ろす)。大学の講義では、高校で習う文法はマスターしていることが前提なんですか?とのたまふ。あ、当たり前だのクラッカー。弱ったなあ、文法の教科書は持ってるでしょ? それを見直しておけばいいですからと優しくアドバイス申し上げた。おいらもずいぶん丸くなったな。

 一息入れて昼飯を食いに出る。ついでに、過日落掌した伝後光厳院筆の小六半切の代金を振り込むべく銀行で金をおろし、郵便局へ立ち寄った。用紙に印紙を貼付してもらったから、推して量るべし。あっと驚くためごろうな断簡だったんだなあ…これが。

 14:30からは大学院の特殊演習。Uちゃんにもつきあってもらって、説話集を読み始める。面白い問題が次々と浮上してきて勉強になった。毎週、かなりのハイペースで読み進めないと、予定箇所をこなし難いが、ある程度の速読も有益であると思う。

 終了後、K君がお菓子を差し入れてくれたから、薄茶を点てた。A君はなにしろ、外国人ながら奥伝までおやりになったという御仁であり、ふつつかな盆略点前にてお恥ずかしや。なにせ研究室では、鉄瓶のかわりはガラス製のコーヒーサーバーなのだ。茶碗について尋ねられたので、備前焼で正宗千春作とご説明(岡山でA先生に頂いた茶碗の一つ)。自服に用いた明治期のぼてぼて茶碗がお気に召したらしい。

 さて、夕刻からは別キャンパスにて会議。夕食にはサンマの塩焼き弁当が出る。


9月25日(日)ガード下

2011年09月25日 | 公開

 お茶のお稽古に行く。ガマン専任先生とは入れ違いになったようで、お目にかかれなんだ。J堂のギャラリーには公條の三首和歌懐紙が掛かっている。お香をなさる方には好適であろう(少し虫食いがあったが)。

 茶室にはなんと二条切が掛かっているし、控えの間には続後拾遺の切が掛けてある。今日は古筆切だらけだな。で、夜明けはまだ来ず。

 早めに終わったが、N師匠が一杯所望されたので、有楽町のガード下のお店に入る。20年来営業しているよし。お店自体はもっと古いようで、昭和レトロのコテコテであった。N師匠、大喜び。

 浪花千栄子の琺瑯看板(本物)。


9月24日(土)学位授与式

2011年09月24日 | 公開

 桃夭会へ行く。10:00少し前に湯島聖堂へ着いてしまった。会館に入れる時刻まで15分ほどある。ちょうど大成殿が開いていたので、初めてお参りした。

 13:00まで筒井紘一先生のお話をうけたまわる。終了後、A君のことを申し上げた。次回の会場はウチの大学だから、その機会にちょっと挨拶させることにしようかな。

 大急ぎで大学へ移動。今日は3月に東日本大震災のため中止となった博士学位の授与式が行われる。私が主査をつとめたS君が、学位記をもらうというわけで、顔を出さねばなるまいて。式には間に合わぬのは承知のうえ、引き続いての祝賀会に駆けつける。

 奥さんと、3人のお子さんが一緒だった。本来3月に行われるはずだったが(授与は2月の日付だと思う)、大震災のため、学位記は茶封筒に入れて送られてきたそうだ。それじゃあ、あんまりだ…というわけで、このたび改めて学長から手渡されたという次第。その様子は祝賀会場のビデオで映されていたから、しかと拝見いたし候。ささやかなお祝いと、頼まれていた推薦状を渡す。

 帰宅したら、娘が松江から帰って来ていた。お婆ちゃんから子どもの頃の写真をもらったというので、見ると、2歳のお誕生日の前後に帰省した折のスナップ写真だった。亡父も生きていて写っている。当たり前か。2歳の子が、お点前をして、お薄を啜っている。松江は、なんでもかんでもお茶、お茶であるな。

 Nさんはめでたくご結納のよし。おめでたう存じます。


9月23日(金)臨時教授会

2011年09月23日 | 公開

 祝日だが、朝から面接試験。主任としてなすべきことをなしてから、昼食に出る。「すゞ金」は超満員だった。仕方ないので「AMA」でカレーを食ったら、シャツが黄色くなってしまった。

 先日の台風で途中打ち切りとなった定例教授会の続きをするために、15:00から臨時教授会。重要な投票案件があったので、それまでは粘る。今夕は府中へお通夜に行かなければならないのだ。報告を聞いていると、私なんぞがこの大学に勤めているのが申し訳ない気分になった(皆さん、そうは思いませんでしたか?)。17:00ころ投票が終わったので、さっと退出。新宿で京王線に乗り換え府中にたどりついて、駅前からタクシーに乗ったら、葬祭場へは基本料金で到着。少し遅れた。

 ガマン専任先生が、受付のお手伝いをなさっていた。帰りは幸運にも、調布まで車で送っていただく。ありがたや。新宿経由で帰宅。同居人は学会出張にでかけた。娘は墓参りのため松江。


9月22日(木)台風一過

2011年09月22日 | 公開

 朝からピーカンの晴れで、昨日の大荒れはウソのようだ。9:00にチェックアウトして、大学近くのモスバーガーで安い朝食セットを食ったが、米の飯でないので満足感が得られない。研究室で仕事をする。午前中には、亜爾然丁国籍の院生A君と面談の約束があった。

 A君はNYにある苺白書大学の院生だが、1年間の学位交換プログラムで来日したのである。昨年も短期来日しているので、既に顔見知りだ(雪駄履いて闊歩しておったな)。急遽彼の授業を担当することになったので、打ち合わせを行なった次第。NYはチップが20%になりましたよと憤慨している。私が暮らしていた時は15%だったが、そりゃ大変だな。消費税の上にさらにかかるわけであるからして…。

 打ち合わせ後、「Cafe GOTO」に誘って四方山話をする。GOTOさん、彼を亜爾然丁人と聞いて、マラドーナ!、マラドーナ!と叫んでいた。A君は、裏千家学園で1年間学んだ経験をもつ御仁で、お点前もできるそうだ。ぢゃあ筒井紘一先生に習った?とたずねると、習いましたとの返事。明後日お目にかかる予定だよと言えば、よろしくお伝えくださいと伝言を依頼された。

 12:30からの会議に出るが、先方がもたもたしてはらはらする。それでも予定より早めに終了。速攻?で神楽坂へ行き、「遠音」のご主人に10月1日の件でお願いを申しあげた。Y師匠から同居人がお電話をいただいた件。粋なイベントにご案内をいただいたのだが、それはまた後日。

 A師匠が諸般打ち合わせのため16:30にお見えになるというので、急いで大学へ戻ったが、雨が降り出した。天気予報は正確である。A師匠、可愛いサスペンダーを装着しておいでだった。話はさくさく進み、雨の中をお帰りになったが、お茶の1服も差し上げずご無礼をばいたしました。

 それから、18:00開始の編集会議に移動。遅刻しそうになったので、タクシーに乗ろうと思ったら長蛇の列で、しかも1台も来ていない。仕方無いので駅から歩く。途中、帝大のM先生に追い付いたのでひと安心。M先生がおいでにならなければ、会議は成立しないからだ。21:00前に終わって解放される。

 娘はお彼岸の連休を利用して松江へ墓参りに行った。同居人は明日から京都でO学会だとか。週明けからいよいよ授業開始だが、準備はあまり出来ていない。T学部の担当演習は、定員いっぱいの登録者となった旨報告がきた。


9月21日(水)台風の被害?

2011年09月21日 | 公開

 台風接近の中、主任会。くだらんことで紛糾する(後で、資料の間違いだったとのメールが教務主任殿から来た)。人生の時間の無駄使いである。我がコースに関連の事案(領土問題)も、遅延に遅延を重ねているのだが、誰かさんの延命策としか思えん。内心不快極まりないが、恨みをかうのも得策ではないから、黙っておいた。トップに立つ人は、いつも公平な態度をお願いしたいものだ(その点、おいらのボスだったT教授は、実にご立派であらせられた)。この期に及んで、すべてはK委員会の責任ということになるらしい。

 14:00からの教授会は、さすがに最重要案件のみを処理して、あとは後日の臨時教授会で…ということで閉会。研究室に戻り、メール1本打ったのが失敗だった!

 乗り換え駅まで辿り着いてホームに上がると、丁度乗るべき電車がするすると発車するところだった。その後から運転見合わせとなる。反対側ホームに停車している車輛の中で風雨をしのぐことかれこれ1時間、構内アナウンスはしきりに振り替え乗車を要請するが、どう転んでも帰宅する手は無い。「ホームにお待ちすることなく…」などと、アナウンスの姉ちゃんの敬語の間違いが気に障ること甚だしい。そのうちJRはすべて運転見合わせとなった。

 こうなれば台風が通過するのを待つしかないが、この歳で数時間を人ごみの中で待ち続けるのもしんどい。明日も早くから大学で仕事があるし、えいままよと帰宅を断念、さっさとホテルをとる。さいわい?校正も山のように持っているし、薬も2日分携帯しているから、支障は無い。それにしても、昨日しっかりした雨傘を買っておいてよかった。風雨でよれよれになったお嬢さんに、「ち、地下鉄の駅はどこですかぁ」と尋ねられた。ああ行ってこう行ってそう行きなさいとお教えしたが、果たして分かったろうか?

 セブンイレブンでおにぎりと缶ビールを買い、ホテルにチェックインする。同居人は、そう、帰って来ないのねと大喜び? 


9月20日(火)尿酸値高し

2011年09月20日 | 公開

 痛風の病院へ行く。尿酸値が下がらないので、薬の量を増やしましょうと言われた。夏休みの運動不足のせいであろう。暑くて暑くて、動かなかったからね。

 受診者がひどく少なかった。1時間ほどで薬ももらい、同居人に頼まれた買い物のため丸善へ行く。今週末に京都で大会がある日本O学会の学会賞の賞状筒と、賞金を入れる熨斗袋ほかを買う。同居人がその賞状を、毛筆でお書きあそばしているのであ~る。

 ついでに茶道具売り場を覗いたら、高取焼の茶陶展をやっていた。そういえば案内ハガキが来ていた。本日最終日。まだお若いご当代らしく、あまり高くはない。先々代作の小肩衝茶入がとても素敵だったが、手の出る値段ではなかったわいな(触らせてもらったが)。

 ついでに茶道具売り場をひやかすと、七節茶杓が…。ご銘はやはり「七福神」ですと。最近、流行りなんですかねえ。売り場のお姉さんにお願いして見せていただく。裏はでこぼこ。そうか、このように荒々しく削るのが、七節のお定まりであったか。…してみると、繊細に削り直し過ぎちゃったかな。これは軽いですよと、お姉さん、白樺の茶杓を見せてくださる。ほんとに軽いが、なんだか頼りない。

 昨今、家中の雨傘が壊れ始めたので、同居人の勧めもありしっかりしたのを1本買って帰る。台風も直撃するらしいでのう。割引で4000円ちょっとだった。

 駅構内の「成城石井」で食い物を買う(フレッシュなオリーブがリーズナブル!)。そのまま帰宅、同居人に賞状筒ほかを渡し、食事にする。朝飯抜きだったからな。食後には、ご所望により、お薄を2服点てる。空味作の出雲焼茶碗は、やはり使い易い。いつの間にか、ぴかぴかの、つるつるになってきた。


9月19日(月)敬老の日

2011年09月19日 | 公開

 最近、左手の具合がなんだかおかしいのだ。親指の甲の付け根あたりに激痛がはしり、モノが持ちにくい。話題の脳梗塞か? その割には平衡感覚や意識には問題はなさそう。気がつかないうちに打ち付けたか、捻ったかもしれない。

 同居人も娘も、昨夜はそこそこの時間に帰って来た。同居人は大阪のK大学で行われた研究会に出席したところ、A氏が杖をついて参加していたとか。悪くしたとは仄聞していたけれど、心配である。

 今日も暑くて何もできない。エアコン、修理したほうがよかったかも。そうそう、今日は敬老の日だった。ケーブルテレビで平成「ガメラ」を放映しているのは、それに関係あるのかな?

 同居人がS大夫師に御挨拶するというので、出かけて行った。夕食はどうするかな。


9月17日(土)夏休みも終わり

2011年09月17日 | 公開

 大学院の入試が始まったので、もう夏休みも終わりである。小生、主任であるから、早めに大学へ行く。

 拘束がやたら厳しくなったが、これは当然だろう。合間をみて、いくつかの懸案事項を処理した。某事の根回しも、ほぼ手配りを終える。

 やれやれと帰宅したら、姑が知人に付き添って救急車で病院へ行ったという知らせが入る。一緒に音楽会へ行った方が、具合が悪くなったらしい。携帯に電話したら、どこに居るのか分からないという。N区のなんとか中央病院と言うので、もしかしたら娘の通っていた高校の近くなのではないかと思われる。

 ともあれ夕食の準備をして待つ。同居人は研究会で関西へ行っちゃったし、娘は職場仲間と泊まりがけで出かけている。20:30頃にようやく帰ってきた。

 水茄子、ゴーヤの即席着け、オリーブ、茹でブロッコリー、茹で豚肉のドレッシング和え、ロックフォール、御飯と、なんだか全体が青っぽい夕食とあいなった。お酒は、マッコリの残りボトルににごり酒の残りを入れ、炭酸水を加えてみたら、なかなかいける味とあいなった。それを、山茶碗で飲む。う~ん、こりゃいい!

 


9月14日(水)七節茶杓

2011年09月14日 | 公開

 そんなに長いわけではないが、新学期も近づいたことだし、床屋へ行く。今日は大旦那が刈ってくださった。

 なんでこんなに暑いのか! ダイニングのエアコンの調子が悪く、どうせ節電だからと直さなかったのが響いている。汗がだらだら流れ出て気持ち悪い。

 さて、我が家の週のお抹茶消費量は、ついに100gに達した。皆が皆濃いめが好きときて、お薄に1服3杓使うせいだろう。N師匠に、お薄はお客のお好み次第に点てるものだと教えていただいてから、皆勝手な注文をする。点て役?は私だけだからな。

 京都で面白いなあと思って買ってみた、安~い七節の茶杓だが、裏側はぼこぼこに波打ち、ひどく厚ぼったい半完成品みたいな状態だったから、自分で薄く削り直してみたところ、まことにもって具合がよい。最近、日々のお点前には、こればっかり使っている。「七賢」とでも銘をつけようかしら。ちと大袈裟? でも、「竹林の七賢」というわけで、相応しい銘のような気もする。ネットで検索すると、同じようなものが2万円余で売られていたが、さすがに大徳寺の坊さんがらみである。銘は「七叟」でもいいけどね。尚歯会に使えそう。

 自分で削るようにとガマン専任先生にいただいた原竹(上)?は、そのままになっている。

 本日のお茶の稽古は都合により延期とあいなる。


9月13日(火)蕎麦屋というよりも

2011年09月13日 | 公開

 社会人向け講座。3回にわたりA師匠に担当していただいた後を受け、夏学期の最終回は私めが締め括りをする。

 pptを使い、男女の作法の違いを問題にしたが、それはいったい差別なのかと鋭いご質問が出た。今回の受講者は全員が女性なのである。

 いつも最終回には懇親会が行われるので、そのつもりでいたら、案の定だった。だいぶ以前にA教授と焼き鳥でもとお約束をしていたのだが、当日になってお断りのメールをしておいてよかった。また埋め合わせはいたします。

 Tさんの肝煎りで、「別館流石」へ行く。丸美屋食品の隣の「本店」(お休みだった)の前を通り過ぎ、郵便局の先を曲がってさらに路地へと入り込む。分かりにくいお店である。

 器は基本的に、ある作家さんの作品なのだそうだ。お酒は「鷹勇」を選んだが、若手の皆さまがオーストリア・ワインを注文なされたので、少し嘗めさせていただく。

 昔々、ウィーンで学会発表をしたことがあるが、その折にオーストリア産のワインをいただいて美味いものだと思った記憶がある。しかし生産量が少ないので、あまり輸出されないと聞いたが、昨今ではそうでもないということかな。

 こちらのお店は、どちらかというと高級な、隠れ家的飲み屋さんという感じ。そばがきや、天麩羅も美味しかったが。最後にもりを1枚手繰る。量は十分だった。

 有楽町駅まで歩いて、電車に乗った。駅には煌々と明かりがついていた。節電ももう終わりだとか。


9月12日(月)頭がフリーズ

2011年09月12日 | 公開

 11:00から研究会。お昼までは秋に出版する予定の注釈書の校正の処理を行う。十余名の分担執筆なので、担当箇所のゲラを仕分けする。朝、会場を開けた時にまだゲラが届いていなかったので焦ったが、1時間ほどして届きホッとした。

 昼食後は17:00まで輪読会。今日は難しいものが多かった。私の発表分にもさっぱり分からない個所がある。Nさんも元気にヨーロッパ長期旅行?から帰国された。エストニアの大学院生のエピソードをお聞きする。ソ連が崩壊した時、その院生氏は高校生だったそうだが、学校で、今まで教えたことはすべてウソだったので忘れなさいと教師に言われたそうだ。どこかの国で聞いたことのあるような話である。そこで、方丈記に関心があるのだという。堀田善衛みたい。価値観が崩壊した時代状況に、鴨長明は不変性があるということだろう。来年は方丈記成立800年となる。そういえば、来年度インドから受け入れることになる国費留学生も、方丈記を研究したいらしい。

 Mさんの赤ちゃんにと差し上げたお土産は、お気に召していただけたよし。研究室受付の閉まる17:00ぎりぎりに会議室の鍵を返却する。

 移動して、18:00から編集委員会。さすがに頭がフリーズしてきた。夕食は亀戸「升本」豪華弁当であった。

 21:00に終了。帰りがけ編集部のWさんから質問を受ける。駅のホームで他の編集委員に追い付いてご相談し、結論を得る。何事も持ちこさないことが肝要と言えば、痛い事柄が多いわなあ。

 

 今夜は仲秋の名月。きれいに見えていた。「ちぢ」にものこそかなしけれ。被災地域の「知事」は大変であろう…と不謹慎なオヤヂギャグが思い浮かんだ。先に鉢呂という名の大臣が辞任したが、「鉢呂のオヂサン」とは、昔観た映画、五味川純平の「人間の条件」の中に出て来た台詞だったな(…「八路のおじさん!」)。

 故橋本不美男先生から、「パーロを知っているか?」と尋ねられたことがあったな。「もちろんですよ」。橋本先生は学徒出陣されたが、上海から大陸へ上がり、たしか終戦は京城で迎えられたはず。八路軍との戦闘は厳しかったとうかがった。

 ソウルの同居人に電話する。携帯をかけるとそのまま繋がるのは、便利な世界になったものだ。昨日はP先生にずいぶんお世話になり、ご馳走になったらしい。お土産は何がいい?と言われたが、「茶碗」とは言い出せなんだ。