そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月31日(木)

2009年12月31日 | 昔日記
 卒論は全部読んだ。業績審査はやりかけだ。試験問題を一つ作りかける。学位請求論文の審査報告書原案を書き始めた。Yさん関係の仕事についてはA嬢と打ち合わせてデータを送ってもらったから、原稿は速攻で作れそう。秀歌選の仕事も気が向いた時にやっておかないと。不義理の原稿はいったいいくつあったろう。書きたい論文が2本。交通整理しておかないと、年明けには主査の修論が3本出る予定だし。1月の大学教授は死にそうに忙しいのである。

 雪が降ってきたぞ。大晦日~元旦は荒れ模様らしい。

12月30日(水)

2009年12月30日 | 昔日記
 M研究(「マゾ」研究ではない)12号の校正で目がおかしくなった。G先生のご意向では、年明けにWさんと出張校正することになっていたらしい。編集委員会の最終チェックに参加できなかったので、次期編集責任者と事に当たれという指示だったかと今さらながら理解し、Wさんのところへ電話、私が見た最終校正をWさん宛に送り、点検してもらったうえで出版社に戻すことにした。慌てて宅配便の出張所へ駆け込む。ついでに食料品類も送り出した。娘から吉田君グッズを買っておいてと頼まれたが、Tシャツはサイズが分からず、結局「出雲海苔」を3個買って送ってしまう。

 安来産愛宕梨を何人かの方に送るも、U教授はご帰省かもと思い至ったが後の祭り…。しかし、留守番の方が受け取ってくださったよしにて、ひと安心。

 老母からお点前の特訓を受けること昨日に同じ。頭がこんがらがってきた。男は理屈が分からんと理解できないそうだ。この歳になるとなおさらだな。夜は茶室で寝ている。隣の部屋の床は茶碗置き場になっているし、仕事とお茶三昧の帰省である。

12月29日(火)

2009年12月29日 | 昔日記
 昨日、飛行機の中でべ・ヨンホン『朝鮮人特攻隊』(新潮新書)を読了。韓国というお国の政治状況と、国民性について認識を新たにした。う~ん、竹島問題は難しそうだなあ。

 松平直政公初陣の像が県庁前に再建されたと聞き、見物に行く。なかなかりっぱなものである。老母の買い物の運転手をさせられる。JAの直売所で春菊を大量購入。昼は「一色庵」で割子をたぐる。大将がおいでだった。ラグビーは残念でしたねと言われた。

 それから老母に、お茶のお点前の特訓を受ける。信じられないくらいの速成講習である。

 一段落して、亡父の墓参りに行った。菩提寺の前の伯母夫婦の家に挨拶に寄ったら、東京から、イラストレーターとして結構活躍している長男(つまり私の従兄弟)一家が帰省していた。お土産を渡して玄関先で失礼する。ついでに、亡父の実家である横屋(神社の社家を出雲国では「横屋」と称する)にも挨拶に行く。宮司はお食事中だったが、初詣の手伝いに、東京から従姉が戻っていた。小児科医になっている従姉の次女が先月結婚したので、写真を見せてもらった。すこぶる付きの美形だから、ウェディング・ドレス姿も綺麗であった。

 お点前特訓の続きを受け、夕食はその辺のしなじな(写真)を肴に燗酒を飲む。老母には、かなり前に「うつわや釉」で見つけて求めておいた伊賀焼の焼酎を飲む器を土産に贈ったが、なかなか具合がよさそうだ。

 M研究(「マゾ」研究ではない)の最終校正がドバッと届いた! Sさんと打ち合わせて、実家に送ってもらうことになっていたが、さあ大変。業績審査の仕事をうっちゃって、校正にかかる。何しに帰省したか分からんようになってきた。サイドワインダーどころか、核ミサイルが飛んできたような気がする。

12月28日(月)

2009年12月28日 | 昔日記
 11:00発の出雲行きは存外、空席が目立った。まだ帰省ラッシュ前なのだろう。飛行機が高度を下げ始め、シートベルト着用となってから、子どもさんが「お母さん、ウンチ、ウンチ…出る~~~」と叫び続けていたのには閉口した。

 松江は寒い。老母は、思っていたより老け込んでいた。車に乗せて買い物に出る。鰤と烏賊の刺身をもとめ、地酒を調達。物産館に寄って、老母にお土産をいただいた同コースのK教授、論集を頂戴したA師匠、柿を送ってくださったF先生に、あっと驚く安来の巨大梨をお送りした。

 老母のところには到来物が多い。ありがたいことだ。京都のT先生から麩が届いたので、お礼の電話を掛けている。替わってもらい、奥様にご挨拶申し上げた。すると今度は、私が手配した紀州田辺は「たな梅」の蒲鉾も届いた。

 宅配便も着いたので、仕事をする。卒業論文を読んでコメントを付ける。業績審査みたいなこともせにゃならん。某箇所長と電話で話し、面倒な仕事をまたひとつ引き受けた。仕事はサイドワインダー・ミサイルのごとく追尾してくる、嗚呼。

12月28日(月)

2009年12月28日 | 昔日記
 パートナーに鬼のような形相で睨まれたので、昨日はダイニングの私の席の周りを大掃除した。それから、蛍光灯を買いに行くからと運転手をさせられる。大型電器店が次々閉店して、目星のホームセンターも建て直し中だった。仕方がないので、少し遠くのホームセンターへ。

 今日はこれから帰省する。メールチェックすると、年内に会いたいとか不気味なのがいくつか来ているが、知りませんがな。田舎で老母が一人で待っている。昼は蕎麦屋に行こう。やはり「一色庵」かな。

 1月2日に上京の予定だが、しばらく更新は不可能かもしれないので、あしからず。

12月27日(日)その2

2009年12月27日 | 昔日記
 おお、Rein Raud先生だ(再生すると最初に出てきて喋る人)。現在、大学の学長をなさっているが、そのうち大統領にでもおなりになるんじゃないかな。へえ、こういう動画もネット上には公開されているんだ、驚いた!

 Raud先生のタリンのご自宅に招待され、サシでウォッカを飲んだことがある。シードルをチェイサーに、そのつど冷凍庫からキンキンに冷えた瓶を出して注いでくださった。いやはや、めちゃめちゃ酒がお強いのだ。ビールも朝からがぶがぶお飲みになるし… それから、語学の天才である。たしか二十数ヶ国語はお話しになれるはず…。




12月27日(日)

2009年12月27日 | 昔日記
 う~ん、数寄の道にいささか暴走してしまった。私は単なる軍事史マニア、兵器オタクなのであって、ナショナリストなぞではない(□○の看板に「右翼」「改憲論者」と大書され、大学創立者銅像の前に立てられたことはあるが。…ただし「竹島問題」に関してだけは、島根県人なので当然の思いはある)。どちらかといえば心情反体制、不熱心ながら労働組合員、立場上仕方がないので、先の総選挙では日本共産党に投票したくらいだ。

 光人社NF文庫はすべて読む。兵頭二十八先生を密かにご尊敬申し上げていたりはする。

12月26日(土)その3

2009年12月26日 | 昔日記
 O社長様。もうこれくらいで打ち止めにいたしますが、これはそのかみ、タリンの街角で大量購入し、同好の士に土産に差し上げた最後の残りです(その中の1人は現在、某公立女子大の文学部長になっております)。タリンはドイツ軍モノ、ソ連軍モノが実に豊富でしたな。ソ連軍の重機関銃まで売られていましたから。(笑

12月25日(金)その3

2009年12月25日 | 昔日記
 R書店に写本を見せてもらいに行く。13:00にお邪魔して、室町~江戸期のものをいくつか拝見した。1部、消えかけたラベルを判読すると、久世子爵家の旧蔵本である。その旨を指摘すると、本屋さんは気づかなかったよし。よし、これを購入候補としよう。

 神楽坂まで歩く。「ラ・カーブ・イデアル」が新しいお店になったので、訪ねてみた。ずいぶん広い。女性の店員さんに赤を、私の教え子である店員君に白を1本ずつ見繕ってもらった。その後、「緑の豆」で、田舎への土産に「神楽坂ブレンド」を買った。

 新しいキャッシュカードが届いたので、生体認証の手続きをした。存外簡単に済む。駅前のケーキ屋でクリスマスケーキを買い、魚屋で岡山産の赤貝を大量購入。手づから松江風に料理する。

 新書というのは批判をするものではないそうだが、ちょっと一言。私は、長谷川櫂氏はまことに優れた俳人だと思うし、ご著書はいつも感心しながら拝読しているのだけれども、このたびの『決定版 一億人の俳句入門』(講談社現代新書)、分かりやすいなあと思いつつ読み進めて、最後の「第九章 日本語の構造」にいたり愕然としてしまった。パートナーにも読ませたが、同意見だった。いったい芭蕉が歴史的仮名遣いを使っていたのか? この方の日本語史の理解は、致命的に不足している。まあ、法学部のご出身だから、仕方が無いか。つまりは、馴染んだ表記法というものが、イメージ喚起力まで形成してしまったということなのだろうね。

12月25日(金)

2009年12月25日 | 昔日記
 昨日、米国大使館へ行って面白かったのは、入口のセキュリティチェックの際に、携帯電話などのほか、拳銃も持ちこみ禁止となっており、もし持っている人は係官に預けなければならないとされていたことであった。なるほど、日本在住の米国市民だと、拳銃を所持している方もかなりいらっしゃるのだろう。日本刀は預けよとは書かれていなかったから、日本文化は尊重されているに違いない。さすが米国大使館である。

 というわけでO社長、写真は所蔵の「ルガーP08」です。子どもの頃、最初に所持したのがこいつのモデルガンでしたので、結構気に入っています。これも今度、新年会の時に持って行きましょうかな? 何でしたら差し上げます。トカレフも持っていたけど、ロシア文学のK教授に差し上げました。今、護身用にいつも持ち歩いていらっしゃるんじゃないかな。私はあと、コルト式を持っているから、差し上げても構いません。